関所に散るもの
港の関所は、すでに戦場だった。
金属音が反響し、怒号と荒い息が交錯する中で、柱の影だけが、妙に静かだった。
その影に茜はいた。
背を丸め、息を殺し、戦いから目を逸らすように身を縮めている。
だが、その小さな肩は震えていた。
「……茜」
遥花は、追いついた拍子に足を止めた。
烏丸たちを追って関所へなだれ込んだ直後、視界の端で見えたその姿。
逃げ遅れたのではない。
隠れているのだ。
「どうして、ここに……」
声を落としたつもりだった。
だが、茜はびくりと肩を跳ねさせ、振り返る。
「来ないでください!」
鋭い拒絶。
次の瞬間、茜は走り出した。
「茜、待って!」
遥花も駆ける。
石畳を蹴る音が、戦場の喧騒に紛れていく。
「どうして逃げるの!?」
「私のことは、もう放っておいてください!」
振り返りもせず、茜は叫ぶ。
「どうしてそんなこと言うの!」
「……姉さまには、関係ないことです!」
息が乱れ、声が掠れる。
「関係ないなんて、そんな…」
「記憶もないくせに、余計な口出ししないで!」
その言葉が、遥花の足を止めた。
胸の奥に、鈍い痛みが走る。
確かに、記憶はない。
血の繋がりも、今は曖昧だ。
自分は“姉”だと名乗る資格があるのか、その迷いを、茜は正確に突いてきた。
「……っ」
言葉を失う遥花を置き去りにしようと、茜はさらに距離を取ろうとする。
だが、遥花は再び前に出た。
「待って。」
声は、先ほどよりも静かだった。
「今の私は、確かに記憶はない。でも……あなたと私は、共に歩んだ時間があるでしょ?」
茜の足が、止まる。
「それを全部捨ててまで、した決断なの?それほどの理由があるなら……せめて、教えて。」
沈黙。
港の喧騒が、遠く感じられるほどの静けさが二人を包む。
茜は、唇を噛みしめたまま、何も言わない。
その背中が、答えだった。
「……ごめんなさい。」
小さく呟いて、茜は視線を逸らす。
その瞬間。
関所の外れに、新たな気配がなだれ込んできた。
「遅れた!」
聞き慣れた声。
奏多だ。
その隣で、翔綺がすでに短剣を抜いている。
「状況は把握した。加勢する!」
二人が戦列に加わったことで、流れは一気に変わった。
数、練度、連携――すべてが噛み合い、幽淵側は明確に押され始める。
「くそ……!」
烏丸が舌打ちし、影風が無言で間合いを詰め直す。
その中心で、颯牙と恭弥の剣戟が、さらに激しさを増していた。
「いい加減にしろ、恭弥!」
颯牙の声には、怒りがはっきりと滲んでいる。
「目を覚ませ! ここまで来て、まだ分からねぇのか!」
「お前を逃がすわけにはいかねーからな……痛いが、我慢しろよ!」
踏み込み。
迷いのない一撃。
恭弥の体勢が崩れた、その刹那。
「……っ!」
颯牙の刃が、恭弥の足を貫いた。
地面に縫い止められ、恭弥が叫ぶ。
「ぐあっ……!」
それでも、恭弥は諦めない。
歯を食いしばり、懐に手を伸ばす。
「……まだだ」
取り出されたのは、詞鏡。
「やめろ!」
颯牙が叫び、刃を振り上げる。
――破らせるわけにはいかない。
その瞬間。
「恭弥様!!」
甲高い叫び声とともに、誰かが飛び込んできた。
茜だった。
「茜!?」
遥花の叫びが重なる。
恭弥を庇うように、茜が覆いかぶさる。
刃は、行き場を失い――それでも止まらない。
血が、飛び散った。
「……っ!」
茜の体が、ぐらりと崩れる。
「茜!!」
遥花が駆け寄る。
その光景に、関所全体の視線が一瞬、吸い寄せられた。
――その一瞬を、烏丸と影風は逃さなかった。
「今だ!」
体当たり。
力任せの突破。
防衛線が、僅かに崩れる。
「くそっ……!」
悠理が即座に矢を放つ。
烏丸の肩、影風の脇腹。
確かに命中した。
だが、それでも二人は止まらない。
血を引きながら、幽淵の国境へと駆け抜けていく。
「……逃げた……」
誰かの呟きが、虚しく落ちた。
その場に残されたのは、倒れた恭弥と、血に染まる茜。
そして、膝をつき、茜を抱きしめる遥花。
「……どうして……」
問いは、誰にも届かなかった。
港の灯りは、変わらず関所を照らしている。
だが、その下で、取り返しのつかないものが、確かに失われた夜だった。




