耐えて、繋ぐ
轟音が、里の中心広場に響き渡った。
「こっちだ!走れ、早く!」
篤の声は掠れていた。
観光客の叫び、子どもを抱えて逃げる家族、泣き叫ぶ老人。
広場のあらゆる方向から人が溢れ、その全員を安全な通路へ誘導するだけで精一杯だ。
紗月が、一人で言霊を食い止めている。
よぎる不安を抑え、篤は目の前の一団を裏道へ押し出した。
「このまま真っ直ぐ!前の人から離れないで!」
その列を見届けた瞬間、広場の中心から硬い衝撃音が響いた。
ドンッ!!
篤は振り向く。
紗月の細い体が、巨大な言霊の爪に弾かれ、石畳を転がったのだ。
「紗月!!」
叫びながら駆けだそうとするが、その足が止まる。
まだ広場の端に、怯えた顔の旅人たちが数名取り残されていた。
(行かなきゃ……でも!)
一瞬の迷いの間に、紗月は何とか上体を起こす。
(守り切る。ただ耐える。倒せなくても、時間を稼ぐ。)
片膝をつきながら、紗月は荒い息を吐いた。
「はぁ……っ、はぁ……っ。……あと少し、篤がみんなを避難させるまで……動かないで……」
言霊は理解しているのかいないのか、獣のようにぎょろりと光る瞳で紗月を見下ろした。
次の瞬間、しなる腕が振り下ろされる。
ガァンッ!!
紗月の刀が影の腕を受け、火花が散った。
衝撃で腕が痺れる。指が開きそうになる。
(だめ、落としたら終わり……!)
必死に踏ん張るが、言霊の力は強すぎた。
紗月の体は後ろへ滑り、砂埃が舞い上がる。
もう数分……いや、数十秒でももたないかもしれない。
言霊は、人の上半身の形をかろうじて残しつつ、腕は異様に長く膨れ、動くたびに骨が軋むような音がした。
その爪の一撃一撃が、石畳を抉り飛ばす。
紗月は綴る者ではない。
言霊を完全に封じる力は持たない。
彼女の武器は、鋭く研いだ刀一本だけだ。
「避難が終わるまでは……ここから一歩も通さない!」
声が震えても、刃先は微塵も揺れていなかった。
紗月は再び足を踏み込み、刀を向けた。
言霊が腕を振り上げる。その爪の軌道が見えるぎりぎりの距離で、紗月は身を沈めてかわし、脇腹を狙って刀を滑り込ませる。
ガァアッ!!
肉を裂く鈍い音。
だが言霊は痛みを感じない。
むしろ怒りで動きが荒々しくなり、攻撃のテンポが倍に跳ね上がる。
「はぁっ……はぁ……!」
紗月の息はすでに荒い。
体力はみるみる削られていく。
(だめ……まだ倒れるわけには……)
広場の端では、まだ篤が避難を続けている。
時間を稼げるのは、自分だけ。
刀の柄を握る手から汗が滴り、足元の石畳に落ちた。
言霊の爪が横殴りに飛ぶ。
紗月は咄嗟に刀を横にして受ける。
ギィッ……!!
衝撃が腕に伝わり、痺れが肩まで駆け上がる。
「く……っ!」
防御の体勢のまま、押し飛ばされる。
背中が石壁に叩きつけられ、呼吸が一瞬止まった。
(あと……少し……。あと少しで……人は逃がせる……!)
紗月は壁を蹴り、再び前へ出る。
脚は震え、視界は揺れている。
それでも、退かない。
言霊の影が迫る。
その一撃が来ると分かっていても、反応が遅れた。
ガッ!!
鋭い衝撃が脇腹に走った。
紗月の身体が宙に浮き、石畳に叩きつけられる。
「う……ぁっ……!」
意識が飛びかける。
刀は手から離れ、石畳に転がった。
(だめ……動け……!)
目の端に、言霊の巨影が迫っていた。
爪が振りかぶられる。
(終わる。)
紗月は覚悟した。
その瞬間、
キィン!!
金属が弾ける鋭い音とともに、言霊の攻撃が斜めに跳ね返った。
「間に合った……!」
深く落ち着いた男の声。
紗月の視界に、青い羽織を翻す青年奏多が映る。
彼の右腕が、刀を高く掲げていた。
同時に、
シュッ。
風を裂き、一本の矢が言霊の肩口に突き刺さる。
「紗月、下がれ!」
矢を放ったのは、綴る者・悠理。
落ち着いた動作と静かな声とは裏腹に、緊張が全身を縛っているのが分かる。
「悠理様!」
紗月は声を震わせた。
奏多が紗月の前に立ち、言霊と対峙する。
「あなたはもう限界でしょ。ここからは俺たちがやります。」
「すぐに封じる!」
悠理の声が広場に響いた。
言霊は、突然増えた敵に激しく咆哮した。
爪を大きく振り上げ、奏多へ襲いかかる。
奏多の足が地を蹴った。
一歩、半歩、そして前へ。
斬撃の起こりを読むように、彼は身体をわずかに傾け、爪が通る直線から紙一重で抜けた。
そのまま足を回し込み、刀を斜めに振り上げる。
シャッ!
言霊の腕を切り裂く。
黒い霧にも似た瘴気が弾けるが、奏多は怯まない。
「こっちだ!」
叫んだのは悠理。
次の瞬間、三本の矢が連続して放たれ、言霊の動きを正確に止めるように突き刺さった。
奏多はそれに合わせ、斬撃を畳み掛けた。
だが言霊も黙っていない。
両腕を広げ、広場いっぱいに爪を振り回す。
石畳が裂け、破片が飛ぶ。
「危ない!!」
紗月が叫ぶ。
だが奏多は目を細め、爪をすり抜けるように、わずかな隙間を潜り抜けた。
――カンッ!!
刃が爪とぶつかり合い、火花が散る。
奏多はその勢いを利用し、後ろへ飛んで距離を取った。
「悠理様!」
「分かってる!」
悠理は弓を素早く引く。
その矢先に、静かな決意が籠もった。
次の瞬間、言霊が奏多に飛びかかる。
「奏多!しゃがめ!」
その声に合わせ、奏多は即座に体勢を落とした。
ひゅんっ!
悠理の放った矢が、言霊の胸元、中心核に当たった。
言霊の動きが一瞬止まる。
その一瞬を待っていた。
「今だ!」
奏多が地を蹴る。
駆ける。
跳ぶ。
高く跳び上がり、落下の勢いを乗せて、刀を言霊の中心へ深く突き立てた。
ガァアアアアアアアアッ!!
耳を裂く叫びが広場に響く。
黒い霧が吹き荒れ、言霊の形が崩れ落ちていく。
奏多は刀を引き抜き、すぐに後ろへ飛んだ。
悠理が走り寄り、言霊の前に立つ。
詞鏡を言霊に向け、ゆっくりと息を吸い、吐く。
「詞脈よ、鎮まりて形を結べ……封ぜよ!」
その瞬間、言霊の残滓がふっと静かに霧散した。
紗月は身体を支えきれず、膝をつく。
篤が駆け寄り、紗月の肩を抱いた。
「紗月!!大丈夫か!?」
「……うん……ちょっと、疲れただけ……」
奏多は刀を収め、紗月の前に膝をつく。
「よくひとりで耐えました。あなたが止めてくれたおかげで、俺たちが間に合った。」
悠理も隣に立ち、柔らかく言う。
「紗月。よくやった。」
紗月は涙を浮かべ、震える声で答えた。
「ありがとう……二人とも……ほんとに……」
夕暮れの光が差し込み、霧散した言霊の残り香が静かに風に流れていった。
避難を終えた人々が広場へ戻り、安堵の息が漏れる。
戦いは終わった。




