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後編

後編




 その数日後の話だ。村人の一人が、狼の集落を発見したのは。

 そして領主である父は、こんな近くに狼がいては安心できないからと、兵を派遣してもらえるよう、届けを出したのだ。


 こんな辺境の寒村の願いなんか受諾される筈がない。信じてやまなかった。信じていた! しかし願いは聞き届けられ、何百と武装した騎士が、僕らの村にやって来た。そして彼らは準備が整うとすぐに、狼の集落へと歩を進めた。


 彼らの行進を見て不安になった。

 僕は気づかれないよう、後ろから付いていった。なんとかして引き止められないか。言葉を考えた。だけどそうこうしている間にも、どんどん、どんどん進んでいって、ついに騎士達は目的地に到達してしまった。


 そこで僕は見た。あの地獄を。


 狼の集落というものを初めて見たけれど、彼らにはどうやら、文化があるようだった。藁で作られた家はあったし、僕らには分からない言語ではあるが、明確に言葉を使って、相互に意思疎通をしていた。


 きっと平時なら、あの広間みたいな所で、幼い狼が他の狼と戯れあっているのだろう。

 きっと平時なら、果実や穀物などが積み上げられた石畳で、僕らが食堂でそうするように、皆で食卓を囲んでいるのだろう。

 きっと、平時なら……。


 色んな想像が頭をよぎった。慎ましい生活様式が窺える、狼の集落を見ていたら、考えざるを得なかった。

 だって今あの広間では、子どもの狼が火矢で撃たれ、のたうち回っているから。果実や穀物が積まれた石畳の隣には、それを遥かに超える狼の死骸の山が築かれているから。


──狼達は無抵抗のままに、槍で剣で弓矢で次々と殺されていた。


 藁で出来た狼の家には火が付けられ、何ということか、その場で狼達は解体され、毛皮は剥ぎ取られていた。それで高らかに騎士達は笑ったのだ。この毛皮は高く売れる! と。


 何匹かの狼が彼らに歯向かおうとした。でも彼らの牙や爪は、鎧を着込む彼らにかすり傷一つ付けられず、すぐに取り押さえられてしまった。そして刃向かった彼らは、生きたまま焼き殺された。断末魔が、僕の感情をぐちゃぐちゃに壊していった。


 降伏しようと頭を地面に落として、精一杯の服従の姿勢をとる狼も、兵士たちは寄って集って踏んづけて殺した。

 聞こえるのは狼の悲鳴。鼻を通っていくのは、吐き気をもよおす血の匂いと、肉の焦げるおぞましい悪臭。目は、もう何も写したくなかった。


 その内に聴こえた。「私たちは何もしていないのに……!」狼の中の誰かが叫んだ。何故、人の言葉として聴こえたのか分からなかったが、その意味には同意した。君達は何も悪くなかった。


 ただ僕が何を思っても、狼は一匹残らず殺されしまうだろう。それは変え難い現実で……。

 吐き気がした。


 蒙昧とする視界にその内映ったのは、あの少女だった。他の狼と違って、彼女だけは人間の姿をしていた。あの耳と尾を生やした、人間の姿だ。ただその姿には、前はなかった傷がいくつもあって、矢傷か何かで、彼女もまた傷ついたのだと、はじめは思った。でも違った。


 他の狼に囲まれていた。彼女は人間ではなく、他の狼に噛まれて、引っ掻かれて、肉を引きちぎられていた。それに、何を言っているのか、言語体系が違うから分からないけど。

 酷い罵詈雑言を浴びせられているのは、彼女の苦しそうな顔からよく分かった。


 彼女は頭を下げて謝っていた。お腹を見せて服従の姿勢をとっていた。それでも終わらない執拗な責苦。罪が自分にあると思っているからか、彼女は逃げる素振りを見せるも、本気では逃げないし、反撃もしない。

 ごめんなさい……ごめんなさい……。そう言って涙を流して謝っている。


 彼女は狼にも人にも混じれない、たった一つの異端だと、全てから迫害されているようだった。二目と見られない、風刺画のようにも思えた。


 その時だった。彼女を責めていた狼の内一匹が、背後から突き殺された。ついで二匹、三匹。彼女に群がっていた狼達は、すぐに皆殺しにされた。

 彼女は今の今まで、自分を責めていた狼の亡骸を見ると、引きずった足で頑張って近寄り、隣に来ると、すぐに彼らを抱いた。その瞳からは、涙が絶え間なく流れていた。

 そして尚も許しを請いていた。ごめんなさい……ごめんなさいと。


 ひとしきり涙を流すと、彼女は現状に立ち返ったようで、辺りを見渡して、その顔を青ざめさせた。

 今、自分を取り囲んでいた者達だけでなく、全ての命が消えたのを察して。


 そして彼女の周りには、彼女よりもずっとずっと大きい武装した男達が、囲むようにして何十人も立っていた。それを理解すると、今度は血の気を無くして、股からチロロと漏らした。

 けれど彼女は、伏してお願いした。殺してくださいと。他の皆と同じように、殺してくださいと。泣きながら伝えのだ。


 騎士達はそんな彼女を、ニタニタとした卑しい笑みを持って迎え入れた。金髪の騎士が、まず動いた。彼は、煤と砂埃で汚れた彼女の髪を掴むと、無理矢理顔を上げさせた。そして他の者達に促し、腕を抑えさせた。

 それから彼は、逃げられないようにだろう、両の足を折ったのだ。


 凄まじい絶叫が上がった。


 痛かったのだろう。彼女の顔は歪んでいた。でも彼女の顔が歪んだ原因は痛みだけでない、それよりもきっと恐怖から歪んでいた。


 そして始まったのは、生きたまま殺されるよりも、地獄に行くよりも、ともすれば、もっと酷いことだった。

 彼女はあばかれた。あまりにも美しすぎたのだ。それ故彼女は、何度も何度もその場であばかれた。何十人にあばかれた。どんなに許しを請いても駄目で、泣き喚いても駄目で、口をつぐんでも駄目だった。


 最後に彼女は動けなくなった。動かないじゃない、動けなくなった。もう泣くことすらしなかった。これが自分の償いだと、自分に言い聞かせたのかもしれない。好奇心大勢だった明るい彼女の瞳は、もうどこにもなかった。曇って何も映そうとしない瞳で、彼らを受け入れるだけだった。


✳︎


 一通り楽しんだらしい。数時間の後に少女は解放された。騎士達は最後に何事か囁いて、ぐったりと地面に倒れた彼女を捨て置いて、離れていった。


 僕は彼らが居なくなっても、しばらくの間呆けていた。その後、なんとか足を動かすと、少女の元へゆっくり近寄った。すると、か細くだったが、息はしているのが分かった。


 それを知って安堵すると同時に、罪悪感を感じた。立ったまま俯いて、地面に仰向けに倒れる彼女を見た。それで謝った。ごめんなさいと。


 八重歯の出た、にんまりとしたあの笑顔が好きだった。でももう笑うことはなかった。代わりに「殺して」と呟かれた。


──出来る訳なかった。


 なんでもするから、そんなことを言わないでくれと頼んだ。そうしたら彼女は、曇った瞳で、ここではないどこかを見つめ。


「それなら世界を、同じくらい苦しめて痛めつけて」


 優しかった姿を幻視しながら、今の彼女を見下ろして、了承の旨を伝えた。


✳︎


 火の手が上がったせいなのだろう。いつの間にか雨雲が空を覆い尽くしていて、僕の身体は濡れていた。

 瞼に重い雨粒が乗ったから、それを押しのけることさえも億劫で、僕は彼女の汚れきった姿を最後に目に映して、その目を閉じた。


おしまい。


✳︎


 これが本当の狼少年のお話し。良い教訓だったろう。

 その少年が今何をしているか。それも分かりきってることだ。尋ねるまでもない。


 目の前には彼女がいる。緑色の液体で浸したガラス瓶の中、彼女がいる。

 あの時よりも成長した身体は、ますます魅力的になった。


──【世界を苦しめろ】と君は言った。


 もちろん僕が、その約束を違える筈がない。世界は苦しめる。苦しめている。ちゃんとやっている、頭が良いから。

 そして、だから、こうなることも仕方ないんだ。


 世界を苦しめろと君は言った。

 果たして世界とは、どこまでを指すのか。


 世界とは国か、世界とは人か、世界とは星か。


 どれも当てはまると思えなかった。だからこうなった。


「全部を苦しめよう」


 ガラス瓶越しに愛しい彼女がいる。大好きだよ。だから………………ね。


 約束が履行される、その時まで。

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