それ、本当に必要ですか? 漢字編
薔薇と醤油と憂鬱がそらで書かけることがステータスで、英和辞書をパラパラめくってかっこよさげな単語をメモしたあの頃。
作中小説 テンプレ夫君の異世界譚5
~学園編スタート~
15歳、高等科に通う時期がきた。貴族の子女は家庭教師がつくことが殆どなので、初等科、中等科は免除されている。
ちなみに平民は、初等科に通うことが義務付けされていて、進学するかは成績と経済状況と相談だ。
今日は学園の寮に入る日。荷物を片付けて一息ついていたら、学生兼メイドとしてついてきた猫耳メイドが紅茶を用意してくれた。
「態々ありがとう、猫耳メイドの淹れる紅茶は相変わらず旨いな」
俺が礼を言うと、猫耳メイドは微笑って向かいの椅子に座る。部屋に二人だけのときは、何時もこうしているのだ。
俺にとって彼女は家族も同然だからな。
「テンプレ夫様」
「ん?如何した?」
暫く猫耳メイドは迷う様子を見せていたが、漸く口を開いた。
「こんな身寄りのない、しかも獣人の私なんかを引き取って頂いて、其れ処か分け隔てなく接して下さって、テンプレ夫様にも旦那様方にも、本当に感謝しているんです」
「なんだ、そんなことか。家族を大事にするのは当然のことだろう?」
突然改まったりして何事かと思ったら。もしかしたらもう俺付のメイドは辞めたいとか言われるんじゃないかと内心どきどきして損した。
「学園での3年間、改めて宜しくお願いします」
「ああ、楽しい学園生活を送れるといいな!」
俺たちはにっこり笑い合った。
なろうに限らずライトノベル、ゲームなどについても思うことなのですが、皆さん漢字が難しすぎです。さらに言えば、作品のジャンルと文章の軽さと漢字遣いのバランスがとれていません。
京極夏彦でも目指しているんですか?それとも明治の文豪?
個人的な感覚で言うなら、お茶を「淹れて」違和感がないのはがちがちの歴史小説あたりからです。
エンターテイメント性の低い、わりと真面目な時代小説でぎりぎり許せるかなというところでしょうか。
「態々」こんなめんどくさい表記を使っても、目が滑ってぱっと読むことができません。「所詮」と「所謂」って紛らわしいんです。
そんなに異世界に転生するのは高尚な行為なのかと問いたい。
「とどめだ、魔王!」
(すごい魔法)ドッカーン!
「くっ、ばかな!?この私が敗れるなど……ギャアア!」
「勝った!第3部完!」
「「「キャー勇者様ステキ!抱いて!」」」
この程度の内容で、漢字だけ賢そうな振りをしたところで中身まで賢くなったりなどしないのです。
漢文じゃあるまいし、パソコンが変換してくれるからって、普段の生活で使わないような漢字遣いは控えるべきだと筆者は考えています。
テンプレ異世界ものに慣れている皆さんはすらすら読めているのかもしれませんが、ふり仮名を振るなどしてくれないと読みにくいと感じる人はけっこう多いんじゃないかなあとおもうのですが、どうなんでしょう。
平易な文章、漢字遣いでも皆さんの作品は面白いし、文章だってカッコ悪いなんてことはないのですよ?
いろいろ遠慮なしに書き連ねてきましたが、これはあくまでもこむる個人の感想であり、これが絶対だというわけではありません。
また、特定の作家あるいは作品を貶める意図はありません。
テンプレはテンプレとして、その「お約束」を楽しむおおらかさだって、こむるはちゃんと持ちあわせているのです。