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バルガク。  作者: ホワイト大河
第一章 踏み出したから、始まった
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月と太陽(5)



「大丈夫か?」


うん、と頷くことしか出来なかった。

普通、もっと何か言うべき事があるはずなのに、

彼はそれだけしか言ってくれなかった。

彼は僕に渡してくれたタオルと似たタオルで身体の汗を拭き、

先ほどまで着ていて、今は乱雑に床に脱ぎ捨ててあるシャツを着た。


欲望の跡をふき取ると、僕は再び下着を身に着ける。

――もう元の関係には戻れない。

その事実が、僕の頭の中でらせん状に渦巻いていた。


彼は元気になったのだろうか?横顔は、さっきまでのものとは違っている。

けれど、それは元気になったからではないように思えた。

今度は僕が、どうしても、虚ろな表情になってしまう。

そんな表情で彼を見ていると、彼がこちらを向いて言った。


「ありがとな。」


いつもみる笑顔とは違う、笑顔だった。

……どうしたら良いんだろう。

本当なら、怒っても良かった。身体を使われたのだ。

しかし少なからず先ほどの行為に、快楽があったのも事実であったし、

そんな事を言われて怒れる程、僕は感情の整理がついていなかった。


「……帰るね~。」


作り笑顔をして、忘れ物を探した。

僕はノート以外何も持ってきていないことに気づき、慌てて部屋を出た。

彼は追ってこなかった。当たり前か、と思いながら、

とにかく早くここを出たいという気持ちが焦って、慌てて階段を駆け下り、

玄関を出た。日はとっぷりと沈んで、火照った体に夜風が冷たかった。



次の日の朝、彼は嘘のように元気だった。

カナちゃんにフラれた事や、僕と身体を重ねた事なんて、無かったかのように。

だから僕も、そもそも昨日会わなかったかのように、振舞っていた。

達也は僕たちのやり取りに違和感を感じ取る事は無かった。


二、三日が過ぎた。

あの出来事は全て、僕の見た夢だったんじゃないかと思うくらい、

彼はいつも通りだったし、僕もいつも通りだった。

だから、テスト勉強のために彼の家に行く事に、多少の恐れはあったけれど、

大して身構える事はなかったし、これといった事は起きなかった。


けれど、ある日「二度目」がやって来た。

最初に身体を重ねた日から一週間ほど経った、

いつものようにテスト勉強の為に彼の家を訪ねた日の事だった。


勉強が一段落済んだとき、急に口を塞がれた。

服越しに這ってくる彼の手によって、僕の身体は徐々に囚われていった。

彼はこうして、時々我を忘れるんだ。

「カナ」とはもう決して言わなくなったけれど、

その代わり黙って僕の身体をまさぐり、繋がる部位を探すだけだった。

だから今もし目を開けても、そこに居るのは洋次じゃない、別の何かなんだ。

……行為の間、僕が目を閉じるようになったのはそれからだった。


一度身を預けると、それを理解した彼は、

人目に付くところでは今まで通りの「洋次」で居てくれたが、

二人になり、「そういう」雰囲気になると人が変わってしまう。


彼にとっても、僕にとっても、あまり良い事ではないと頭では分かっていても、

僕の身体が、腕が、口が、背中が、胸が、秘部が、それを求めた。


悪しき習慣が、一年もの間続いていたのだと考えると、

何が常識を狂わせるのかなんて、分からなくなってしまうんだ――。




――騒がしく派手な音を聞き、ふと思い出の中から、現実に返った。

机の上に先ほど置いた携帯電話が鳴っている。

「住田 洋次」。見なくても分かっていたが、彼の名前を確認した。


通話ボタンを押す事にはとても勇気がいる事だった。

今、彼がどのような心境で僕に電話を掛けているかは分からないからだ。

僕が、明日どうするか、彼に電話しなければならなかったのを破った事を、

あるいは今日初めて彼との「行為」を拒絶した事を、怒っているかもしれない。


だけど、無視する大義名分なんてそう簡単には思いつかないし、

同じ学校に通っている以上、これから一生会わないなんて事はありえない。

高鳴る心臓。震える指で、電話を取った。


「……もしもし~。」

『もしもしじゃないだろ!電話するんじゃ無かったんか?』

「……ごめん、忘れて寝てたよ~。」

『おいおい!……で、明日どうするんだ?』


どうするんだろう。拒絶する理由をあまり考えていなかった。

だけど、約束を断る事はもう決まっていた。理由なんて後で良い。

洋次の様子を聞く限り、怒ってはいなさそうだ。


「やっぱり行かない事にしたんだ~。」

『何か用事なんか?』

「まあそんなところ~。」

『……残念だな。じゃあテル、勉強頑張れよ!』

「うん、ありがと~。」


やはり、何とかなるものだ。

洋次は電話の時、洋次のままで居てくれることが多いから、

物わかりのいい友人にすっかり変わってしまうんだ。


こうしてちょくちょく断りを入れさえすれば、

もう「行為」に及ぶ暇も無いだろうし、全てこれで解決なんだ。


……長かったこの一年を、僕は走馬灯のように思い出す。

暗闇の中で、どこからか分からない欲望の手が伸びてきて、

苦痛と快楽のスイッチが次々と切り替わってゆく。

それはもちろん僕の自由には選ぶ事が出来なくて、

多くの場合は苦痛が耐えられないほど長く続く。


乱暴をされた事はあまりなかったけれど、

漠然とした、プレッシャーのようなものを感じてはいた。

その全ての苦痛から、解放されるんだ。


それから、今電話で話したように、僕達の日常の風景は、

僕達がたとえ行為に及んだ直後でも、全く変わらなかったように、

こうして行為を拒んだからといって、変わる事はなかったようだ。

だから、何を後悔する必要もない。

ただただ、そういう緊張感とは縁の無い生活に戻るんだ。


ふと、またあの映像が、初めて交わったあの時の映像が頭に流れる。

彼は獣そのものだった。求めても求めても捕まえる事の出来ない何かに、

ずっと手を伸ばし続けているようだった。

そして、未だに僕の頭の中に、彼のつぶやきが残っている。「カナ。」

それは僕にとって何か意味のあるものなのか、ただの幻影なのか、

よく分からないから、きっとそれは関係の無い事なんだ。


そして、先ほどの……つい五、六時間前の、最後のキスを思い出した。

いつもと変わらない濃厚なキスだったが、いつもと違う所があったのだ。

僕が目を開いたことだ。彼の部屋を見た。至近距離に近づいた彼の顔を見た。

そして、彼の目を見た。彼は目を閉じていた。

闇の中で、彼は何を見ていたんだろう。「カナ。」あの言葉が蘇ってくる。

彼はまだ未練があるんだろうか。ずっと彼女を思いながら、僕を抱いていたのか。


爽やかな気持ちだった。もう何にも、縛られるものはないはずだ。

だけど、不思議な事に、僕自身の中に眠る真実は、まだ目覚めていない様だ。


もっと不可解だったのは、僕の頬が濡れていた事だった。

誰かの涙が、僕の頬を流れ落ちていった――




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