月と太陽(4)
一部BL描写が濃いので、閲覧注意です。
運命の扉の、チャイムを鳴らす。
それは、あの一日の続き――。
『はい?』と、いつもより声の低い洋次の声。
微妙な変化に違和感を覚えながらも、僕は用件を伝える。
「借りてたノート写し終わったから、返しに来たよ~。」
『……そうか、上がってくれ。』
インターフォンがブツッと嫌な音を立てて切れる。
……違う。いつもの洋次じゃない。
様々な事を考えながら、僕は恐る恐る洋次の家の扉を開けた。
「洋次~?」
いつもなら走ってくる洋次が、玄関まで迎えにすら来なかった。
人の気配がしない。洋次の父と母は相変わらず不在のようだ。
見慣れた洋次の運動靴の隣に、僕は靴をそろえ、
どことなく暗い雰囲気の壁を伝って階段へと向かい、
足音が響くのを感じながら、二階へと上がって行く。
洋次の部屋の前には、すぐたどり着いた。
普段何を感じる事もない洋次の部屋の扉が、やけに大きく、
そして重苦しさを帯びているように見えた。
「洋次、いるんだよね~?」
自分の声もいつもより小さくなってしまう。
見慣れた洋次の家なのに、洋次の家じゃないような、この不安な気持ち。
全ては、元気な洋次の様子が、今日はおかしいからだ。
一度ノックをしようと扉の前に手を出すと、ゆっくりと扉が開いた。
「よう。」
洋次を見上げた。僕と洋次には十五センチ程の身長差がある。
洋次は返事をしながらもこちらを見ていなかった。
まるで魂を失ってしまったかのような、虚ろな表情をしているのだ。
ほんのちょっと、本当にわずかながら、顔が赤い。
「……ノート返しに来たよ~。」
「ああ、ありがとう。」
まるで達也や良助のような、気のない返事。
……本当に目の前にいる男は、洋次なのか?
しばらく沈黙が流れた。洋次は何かを言おうとはしなかったし、
僕は言葉をずっと探していた。何を言うべきか選んでいた。
これは訊かない方が良いんだろうか。
しかしこんなに落ち込んだ洋次は見たことが無い。
何となく想像はついた。……カナちゃんの事だろう、と。
思えば、結論からの考察になるけれど、何も訊かない方が良かったんだ。
崩れた「今」に含まれるパズルのワンピースに、この一言もあるのだろうから。
「……どうしたの~?」
僕は訊いていた。洋次の体の壁に、僕の声が溶けていく。
洋次はボーッとしている。数秒経ってから、ハッとしたように答えた。
「……いや、ああ、別に。」
「元気ないよね~。」
「……いや、それで、ノートは?」
ようやく彼が僕の目を見た。しかし言っている内容はメチャクチャだ。
ノートは今さっき渡したんだから。僕は洋次の手を指差した。
「ああ、もう、もらってたか。そうか。」
「本当にどうしたの~?何かあったの~?」
「……そうだな。まあ、入れよ。」
物が散乱している部屋だった。
いつも感じる事だったけれど、いつもよりも散乱しているように見える。
クッションが置いてあったが、ぐしゃと潰れていた。
筆箱があるにはあったが、倒れていて中身がほとんど外に出ている。
混沌を感じさせる部屋――。
洋次に起きた出来事と、そして僕たちの間でこれから起こる出来事を、
この部屋は全て知っていたのかもしれない。
洋次がドリンクを手に戻って来た。
床に座っている僕の前の机に二つを置くと、洋次はベッドに腰を下ろす。
表情は冴えないままで、どこか虚ろだった。
「フラれたんだよ。」
あまりにも突然の一言だった。何となくその事実は予想できたものの、
その告白はあまりにも突拍子が無かった。
ハッキリと洋次はそう言った。今までのボーッとした様子が嘘のように、
明朗で、部屋中に響くような声で、そう言った。
「……カナに、フラれたんだ。」
今度はつぶやくような声だった。
「どうして?」なんて尋ねる事はしなかった。
中学生の、思春期の恋愛なんて、付き合っては別れての繰り返しなんだ。
クラスメイトがそういう下らない話をしているのに僕はうんざりだったから、
大した理由も無いそのきっかけを訊いたりはしなかった。
洋次にとっては、初めての彼女が、それだけの人間だったという事だろう。
悲痛な表情は読み取れなかった。ただ、落胆は目に見えて表れている。
日陰が大きくなって、空はえんじ色に染まってゆく。
いつにもなく残酷な空だった。
僕はふと思い立って、立ち上がり、洋次の隣に座った。
そして、黙って背中に手を添えた。洋次は微かに震えているようだった。
「……あんま気にしない方が良いよ~。」
言葉に迷ったけれど、僕はこう言った。洋次は黙って俯いている。
そんな洋次を覗き込むように、語り掛けた。
「洋次なら、また次の恋が出来るって~。」
あんまり良い言葉は言えなかったかもしれない。
ただ、暗い洋次をこれ以上見ていたくなかった。
洋次はいつも太陽のようにまぶしくて、落ち込む姿なんて似合わない。
「洋次、笑ってる方が格好いいよ~?」
どの言葉がスイッチになったのか分からない。
それ程僕は、洋次の機嫌を取り戻すのに苦心していた。
上のような言葉を本当に言ったかどうかも分からない。
ただ、その時僕の身体の自由は――確かに奪われた。
彼は、僕を柔らかいベッドの上に押し倒した。
両腕を両手で掴まれて、身体の上に体重を掛けてきて、
上手く身動きが取れない。見上げた彼の表情は、虚ろなままだった。
突然の事に驚いていると、彼の顔が僕の顔に迫ってくる。
今でも、この日の事を――正確に言えば初めてのHの日の事を、
よく憶えているし、たまに思い出す事がある。
味わった事の無い空気と、必死にもがく彼に圧倒されて、
僕はあまり抵抗しなかった。できなかった、という方が正しい。
というのも僕の華奢な肉体は、彼の屈強な肉体に組み敷かれ、
完全に支配権を奪われていたからだ。
苦痛と快楽の波が交互に押し寄せてくる。
じんわりと湿ったベッドは、いつもの部屋から切り離された場所のようだった。
目を開けば、そこには目を閉じた彼が居て、
聞き取れないほどの小さな声で、「カナ」とつぶやいた――。




