【ファナエルSIDE】 愛の証明
「こいつは俺が何とかするから、ファナエルは俺の後ろに」
アキラはそう言って一歩足を踏みだす。
彼の身体からノイズ交じりの光があふれ出して、私に近づこうとする鳥頭の化け物達を一蹴する。
そんなアキラの背中を見ているだけで胸が熱い。
まるで心と言う砦が溶かされているみたい。
口を開いてしまったらそこから感情がバシャバシャと流れてしまいそうで、私は思わず口をつぐんでアキラの背中をじっと見続けていた。
『彼女が牛草秋良の妹になっていたとは想定外でした』
そんな私の熱を冷ましたのは、ひどくめんどくさそうなアルゴスの心の声。
それが聞えるのと同時にアキラの放っていた光はパァンと音を鳴らしながら彼女の鎖に相殺される。
「余計な邪魔が入りましたが……まぁ心配はないでしょう。貴方達の対処を済ませてあとでそっちの処理を終わらせればいいだけの話です」
アルゴスはそう言うと、じっとアキラに視線を向ける。
攻撃するわけでも無く、憐れみを含んだ目でただただじっと。
『ただ、ファナエル・ユピテルが牛草秋良に向けている感情は私の想定していた物より依存度が高いようですね。それなら牛草秋良の恋心を冷ませば彼女を潰すことも可能でしょう』
恐ろしい胸の内を囁きながら。
「貴方も不幸ですね。少し同情しますよ」
「俺が不幸だと?」
「ええ。貴方も私と同じ相手に生涯を狂わされたのですから」
ギョロリと音を立てて彼女の身体中にある目が私を覗く。
その目は今から私を地獄へ落とすぞと言わんばかりの冷たい視線を孕んでいた。
「私は長い間、式神を通して彼女を追っていました。だから私は知っているんですよ、彼女の本性をね」
「ファナエルの本性?」
「彼女は最初に降り立ったアメリカで長い事沢山の人間を誑かしていましたよ。彼女と同じ堕天使になる素質をもった人間を探し出す……ただその為だけに。貴方にも覚えがあるんじゃないんですか?例えば彼女が貴方の学校に転校してきたその日に、クラスメイトに向かって恋人が欲しいと言ったりしませんでしたか?」
「……」
「人間が私達天界の生命体を見て心を惹かれる事例は山ほどあります。私達は根本的に人間より優れた生命体だからでしょうね。悪魔に見入ってしまって事件を起こす者もいれば神に見入ってしまって宗教を作ってしまう者もいる。もちろん貴方の様に恋に落ちてしまう者も。彼女はそれを知っていて利用していたんですよ。天使という上位存在としての美しさに惹かれてしまった人間に、自分の血を混ぜて作った焼き菓子を食べさせ、自分と同じ堕天使にする為に」
「だからなんだって言うんだ。そんな話で俺のファナエルに対する恋心は変えられないぞ」
「そうは言いますが果たして貴方が彼女に向けている感情は本当に恋心でしょうか?上位存在である彼女を見た貴方の脳が壊れてしまっただけではありませんか?人間がタバコや酒や薬に依存する現象と全く同じはありませんか?」
アルゴスは全身に散らばるその目でギラギラとアキラを見つめて言葉を紡いだ。
私と付き合う事そのものの危険性を訴え、警鐘を鳴らしていた『シンガン』の言葉とは違う。
アキラが私に向けている恋心そのものを潰すための言葉。
全身からひどく冷たい汗が流れる。
これでもし……アキラの心から私への恋心を疑うような言葉が出てしまったら……そんなことになってしまったら私はまたこの世で一人に。
「私としては貴方が彼女と縁を切って、その手に持っている禁斧チェレクスを大人しく返してくれれば罪を問おうとは思っていません。貴方もある意味被害者ですので」
アルゴスの言葉を今すぐにでも防ぎたい。
でも、彼女の目はそんな私の微細な動きも逃さない……私が何かの動きを見せる度、グレイプニルと呼ばれた緑の鎖を鳴らして『無駄だ』と牽制するのだ。
「もし貴方が少しでも抵抗するというのなら、この町の全員から『牛草秋良』に関する記憶を消します。貴方の知り合いは親族を含めてこの町にしかいないことは調査済み、ファナエル・ユピテルを選べば貴方は天涯孤独です。それは嫌でしょう?貴方の脳を狂わせた異常な堕天使の為に今まで生きて培ってきた全てを失うのは」
「……言いたいことはそれだけか?」
シン……と辺りが静寂に包まれる。
さっきまで演説じみた説得をしていたアルゴスも、私も、アキラのその言葉にジッと気おされている。
その次に聞こえたのは、グシャリと鳴った肉の音。
アキラが禁斧チェレクスの刃を背中に生えた左羽に食い込ませた音だった。
じりじりとその刃が下に落ちてゆく。
それに合わせてアキラの身体中から強く輝く白い光が溢れ出る。
その光はこの事態の変化にいち早く反応して繰り出されたアルゴスの攻撃を完全に防いでいた。
「確かに、俺がファナエルを好きになった切っ掛けはあんたの言う通りなのかもしれない。ファナエルが俺と付き合ってくれた切っ掛けもあんたが言った通りなのかもしれない。でもそれの何が悪い」
まるでスローモーションで流れる映画のワンシーンを見ている様だった。
今から始まる光景は、今からアキラが話してくれる言葉はー
「好きな人が出来たら脳が冷静な判断を下せなくなるぐらい壊れるのって当たり前の事だろ。ずっと一人で過ごしてたファナエルが自分の為に何かしてくれる人を求めるのは当たり前の事だろ……ファナエルの行動が神様の間でなんて言われてるのか知らないけど、人間の視点から見ればファナエルの行動は異常なんかじゃない!!」
ずっと孤独だった私の運命を根本的から壊してくれる様な予感がする。
「あくまで私の言葉を否定しますか……それなら力づくで行かせてもらいますよ」
アルゴスのその声が聞えたのと同時、アキラの放った光が緑色の何かに引き裂かれる。
アキラの光を引き裂いたのは、グレイプニルを巻き付けたアルゴスの右腕だった。
「せっかく貴方がこの斧を持て来てくれた事ですし、さっさと回収してしましましょうかね」
「俺はこの斧をアンタに渡す為にここに持ってきたんじゃない」
アルゴスの拳がアキラの腹部に刺さる。
パッと赤い鮮血が飛び散って、アキラの体がぐらりと揺れる。
それを見逃さなかったアルゴスは今もアキラの羽を切り裂こうとしている禁斧チェレクスに向かって空いている左手を伸ばした。
「この斧は、俺の愛をファナエルの前で証明するために持ってきたんだ!!」
それでも、アルゴスの手が届くよりも前にチェレクスはアキラの左羽を切り裂いた。
体を貫かれた痛みもあるのに、神と対峙している恐怖も残っているのに、ただ私を安心させたい、守りたい、一緒に居たいと思ってくれるその気持ちだけでアキラは私への愛を証明してくれた。
「気は済みましたかね」
「アキラ!!危ない!!」
そんなアキラの愛の証明を心底くだらないと呆れているアルゴスの声が響く。
彼を守ろうと私が放ったノイズまみれの光はグレイプニルに阻まれていとも簡単に消滅する音がする。
続いて彼女の回し蹴りがアキラを襲う音がする。
地面に落ちたチェレクスがカランと鳴らす音、グレイプニルがアキラをグルグル巻きにする音。
聞きたくない音が次から次へと続いて響く。
「チェレクスの効果で起こるであろう彼への変化もグレイプニルで縛っておけば問題ないでしょう。良かったですね、最後に愛の証明が出来て。まぁ全部無駄ですけど」
「……」
鎖に捕縛されたアキラはぐったりとしている。
目の前の現実をきちんと認識出来ているかさえ怪しい様子だった。
「貴方のお陰でファナエル・ユピテルを捕まえる事が出来ました。感謝しますよ」
彼女の皮肉に対しても、アキラの心はピタリとも反応しない。
むしろ……アキラの心はもっと大きな何かと話している様なー
「世界がファナエルを認めないなんて許さない……」
「いきなり何の話ですか?」
上の空のアキラがぼんやりと言葉を放った瞬間、周囲から甲高い悲鳴のような音が聞えた。
それは何かの生物が放った悲鳴としては違和感があるほど大きな音で、聞いているだけでもたらされる言いようもない不安も相まって世界そのものが悲鳴を上げているとしか形容できないものだった。
「まさか……これは!!」
アルゴスが目を見開いて驚嘆の声を上げる。
それと同時にアキラの身体を拘束していたグレイプニルがバリンと音を出して弾ける。
「だったら俺が世界を書き換える厄災になってやる」
アキラの体が真っ黒なノイズに包まれる。
そのノイズは物騒な音を立てながら周囲の物を飲み込んでゆく。
『今まで俺はずっとファナエルに助けてもらってばっかりだった』
彼のノイズはアルゴスの心の声や、彼女が使役している式神の心の声さえも遮断していた。
アキラの心の声だけが今の私に響いている。
『シンガンの時も、最初にアルゴスに襲われた時も……告白だって上手く行かなかったし、デートの時もファナエルがエスコートしてくれることが大半だった』
アキラの頭上に丸い光輪が形成されていく。
その光輪は時間が経てばたつほどに、赤く、赤く、赤く染まる。
やがてパリンと何かが割れるような音が響いて、彼の光輪からはドロリと赤い血液が流れ落ち始める。
『だけど今度は……いや、これからは俺がファナエルを守る。ファナエルが俺を見ただけで不安なんて感じられなくなるぐらいに』
アキラの背中から私の髪の毛に酷似した銀色の毛が大量に出現した。
その毛はシュルシュルと音を立てながら束になって纏まり、やがて6つの触手となって彼の背中に顕現した。
『世界がなんと言おうと、どんな神がファナエルを否定したとしても、俺がファナエルを絶対に幸せにする』
ブォンと音を立てて黒いノイズが辺りの空間を駆け巡る。
その衝撃波によってアルゴスの作った緑色の結界が崩壊を始めた。
気味の悪い緑色の結界から顔を出した青い青い空。
アキラの背中で蠢いている銀色の触手も、血をドロドロと噴き出しているその光輪も、堕天使の私の脳を狂わせるほどに神々しい物だった。
両親に願っても、幾千人と私に告白してきた人間に願ってもたどり着けず、絶望しながら渇望していた光景が今、私の前で現実として現れている。
そこに立っていたアキラは間違いなく、私と同じ羽無しの堕天使だった。




