12. とりあえず、やったね
パパパ、パパパ、パパパ、という三連の破裂音が何度も続く。
その音の発生源であるキリンの頭部は、連続する衝撃に弾き飛ばされ、激しくヘッドバンギングしているようにさえ見える。
そんな様子を眺めながら、真知はずいぶんとばしているな、と心海は思っていた。
知り合うにつれ、共に戦いを重ねるにつれ、普段はどこに眠っているかわからない、彼女のクレイジーさを発見するような気がする。
真知の力は、制御が難しいらしい。
自分に対して使う場合は、ある程度コントロールできるものの、今度は弱くしか力を発揮できない。
だけどその理由は何となくわかる。
普段の彼女は、マイペースでおしとやかな美少女で、そして今はロリポップと自ら喜んで名乗る、幼さと凶暴さを持つサイキックだ。
彼女のIRAには、その二面性が現れている気がする。
そんな彼女から、ネコミミと呼ばれる今の姿になっている自分にも、なんとなく二面性を感じていた。
昔から気の強い方だった。
だけど、誰かと真っ向から取っ組み合いをしたことなどない。
殴り合うなんて、もってのほかだった。
だからもっと動揺していてもおかしくないはずなのに、IRAで強靭な肉体を保っている今このとき、心海はやはり冷静だった。
戦いに慣れてきた最近は、ますます落ち着きが増した気がする。
鉄骨を曲げるほどの力を持つキリンの怪物が、自分に危害を及ぼそうと目の前に立っているのに、興奮すら感じない。
ただ、真知が攻撃を続けている今、自分も行くべきか、あるいは攻撃が止んだタイミングがいいのか。
それだけを静かに考えている。
警棒を手に下げたまま、心海は微動だにしていなかった。
その間、真知の連続発射にさらされたキリンの頭部は、ずいぶんとその容積を失っていた。
すでに頭部の前半分は削れ、消失している。
生物のキリンなら、すでに死んでいるだろう。
だけどこの怪物は、どこかにある弱点を破壊しない限りは倒れない。
目なんて部分は、そもそもない。
なのに自分たちを認識できている。
ただ、重く固い頭部が失われたおかげで、攻撃力はずいぶん衰えたはずだ。
そして、攻撃が止まった。
真知のいる方向へ、心海は目を向けた。
遠く離れてはいたが、目が合ったように感じた。
それで確信した。
いくべきタイミングは、今だ。
真知はたぶん、迷っていた。
このまま頭部を攻撃すべきなのか。
すでに前半分は削り取っているのに、弱点らしい部位は見当たらない。
じゃあ、残る後ろ半分にあるのか。
それとも、別の場所なのか。
限りある彼女の力をこのまま使い続けるのが、効率的なのか、否なのか。
それを判断するには、もう少し時間と情報が必要で、だから今こそが自分の出番なのだと心海は感じ取っていた。
鉄骨を蹴り、宙に浮かぶ。
そのまま、伸ばした特殊警棒の先を地面に向け、キリンの背中を狙う。
狙いは、心海側に向けられている、右側の背中。
そこに警棒の先端を突き刺し、そのまま体重をかけてキリンの背中から腹まで切り裂き、心海自身は地面にまで降り立つつもりだった。
この警棒を使うのははじめてだ。
家を出る前に、振り出しから、収納の仕方までを宗助に教わっていた。
その収納の仕方には、少しだけコツが要る。
固い地面の上に、柔らかい何かを敷いて、先端を傷つけないようにする。
そして思いっきり、警棒の先端を叩きつける。すると、振り出したときとは逆回しのように、素早く元の短い棒に戻るのだ。
警棒の先端を使うのには、そこに不安があった。
自分の意図と異なり、警棒が誤って収納されてしまうかもしれない。
だけどその可能性は低いだろうと、心海は考えていた。
警棒の先は、打突にだって使うものと聞いていたし、何より収納には、固い地面が必要なのだ。
キリンの体は、おそらく、頭部ほどには固くない。
そう見込み、心海は宙から落下する。
キリンの反撃も、回避も間に合わない。
そして狙った場所に警棒が刺さったとき、心海の手には、想像とは異なる手ごたえがあった。
固くない。
いや、柔らかい。
想像していたよりも。
思ったよりも柔らかかったキリンの背中に、警棒の先端はまっすぐ刺さった。
そして持ち手の少しだけ先についている、鍔の部分で止まった。
深く刺さりすぎた!
そのまま体重をかけたが、警棒はキリンの背中に飲み込まれた状態で、びくりとも動かなかった。
それどころか、グッと力を引き締めるような、妙な手ごたえさえあった。
偶然手に引っかかったものを、改めて力を込め、握り直したような。
瞬時の判断で、心海は警棒から手を離し、そのまま地面へと着地をする。
だけど、わずかに遅い。
キリンの首のある方向へ、心海は意識を集中する。
たぶん、動きを止めた今の一瞬を狙われ、反撃がもう来ている。
ブンッ、と野球のスイングのような音。
思っているのとは反対側に、その音は聞こえた。
逆を突かれた。
ガードも間に合わない、と思ったそのとき、再び、パパパ、と三連の破裂音。
想定していた体への衝撃は訪れず、何が起こったのかを確認することもなく、心海はジャンプしてその場を逃れる。
傍らにあった鉄骨を蹴り、真知のいた方向へと跳んで向かう。
真知はちょうど、キャンディーの棒を吐き出したところだった。
振り返ると、キリンは起き上がってこそいたが、その立ち姿はわずかに傾いていた。
見ると、右足の先が短くなっている。
たぶん、先ほどの破裂音の結果だろう。
キリンは真知の攻撃に右足を奪われ、バランスを崩し、おかげで心海に攻撃が届かなかったのだ。
「助かったよ」
真知にそう言うと、彼女はうなずきもせずに、キャンディーを二つ、口の中へと放り込む。
三つ入れるともう話せない。
二つならまだ、なんとか会話ができる。
「体の担当はネコミミさんでしたけどね。今のは、サービスです」
楽し気にそんなことを言う真知に、心海は笑顔を向ける。
「そういうサービスなら、いつでも歓迎する。残弾は、まだあるの?」
「三分の一は残ってます。首の付け根を落とすか、あるいは私も体にいくべきか、迷ってます」
その簡潔な真知の問いかけに、心海は素早く考えを巡らせる。
見たところ、体に集中した方が、可能性が高そうだ。
だが、防御力の高そうな首に、弱点が隠れている可能性もある。
そして自分が体を攻めるとき、真知も体を狙っているのは都合が悪い。
真知のIRAが自分に当たる、フレンドリーファイアを受ける可能性がある。
あの威力を見ると、あまりぞっとしない。
「両方だ。わたしが体に一撃を入れるまで、ま――」
真知は、といつものように言いかけてから、彼女の視線に気づく。
それから、ごほんと咳ばらいをする、
「ロリポップは、首を狙う。でも、最後に決めるのはあんた。援護して」
心海は素早く言った。
三本の足を器用に使って、キリンがこちらに向かってきている。
真知は返事をしなかった。
ただうなずいて、キャンディを一つ、口の中へ追加する。
心海はまっすぐ、キリンめがけて飛び込んだ。
余計な動きは要らない。
回避も、フェイントも。
相手の攻撃は、真知がさえぎってくれるはず。
そう信じていたとおり、キリンの首が反動をつけて曲げられたが、破裂音の後に、その攻撃は届かない。
心海が目指していたのは、刺さったままの警棒だった。
軽く地面を蹴り、キリンの細い、なだらかな背中に乗る。
その警棒は、さっき感じたように、キリンの体の側から固定されている。
そのグリップを握りながら、心海は笑顔を浮かべた。
今の自分なら、力比べはお手のものだ。
頼むよ、真知、と思いながら、心海は足を踏ん張った。
力比べで生まれるスキは、もはや構わない。
なぜって、心強い援護があるはずだから。
ブンッ、と首が振られる音と、破裂音が続き、心海の頭のわずか上をキリンの頭部が通過していく。
そしてキリンが妙なステップを踏みながら、自分のバランスを崩させようとしているのがわかる。
だけど、もう遅い。
絡みついてくるような、キリンの体内からの力を振りほどき、心海は警棒を引き抜いた。
そのまま、軽くステップバックする。
キリンの体から、地面へ向けて落下し、大上段へ警棒を構える。
重力に身を任せたまま、心海は警棒を思いっきり、振り下ろす。
警棒の先端は、ヒュン、と鋭い音を立てた。
キリンの体の側面を切り裂き、地面を覆っていたコンクリートを砕く。
そうして警棒はその衝撃に耐えきれず、中ほどで折れ、先端側はどこかに飛んでいった。
しかし、心海はキリンの体から目を離していなかった。
刃のない警棒での斬撃の結果とは思えないほど、キリンの体は、鋭く縦に切り裂かれていた。
血はもちろん出ない。
そして大きく開いた傷口の奥に、わずかに、白い塊が見えた。
弱点だ。
「ロリポップ! ここだ!」
心海はそう叫ぶ。
※※※
真知はちょうど、キャンディを補給しようとしているところだった。
ちょうど口の中が空いているとき、その言葉を聞いて、真知は叫び返した。
「どいてください! 今日イチのやつ、いきますよ!」
そうして真知は、キャンディを四つ、ボディバッグからつかみ取る。
三つで結構、限界だ。
四つは、ちょっと、頬がハムスターのように膨らんで、外見的にもよろしくない。
だから今、撮るべきはこっちじゃないよ、宗助くん。
そう願いながら、真知は両手の人差し指の先を、心海がいま切り裂いたばかりのキリンの傷口に向ける。
射線の先に、すでに心海の姿はない。
そこに弱点があるのかどうか、真知の距離からでは見えなかった。
だけど、心海がそういうのだから、間違いない。
そう信じて、自分の力、IRAのありったけを打ち込む。
口の中にかかっていたキャンディの圧力が瞬時に消え、そしてキリンの体が吹っ飛ぶ。
その体は、心海が切り裂いていた位置で二つに分かれており、後はもう、動くことはない。
「終わった?」
いつの間にか傍らに立っていた心海が、そう聞いてくる。
二人は密かな息遣いを続け、耳を澄ませた。
キリンの体が動き出すような音は、もう聞こえない。
吹き飛んでいたキリンの体の一部が、夜の空気の中にぼんやりとほどけていくのを見た後で、真知は先ほどの心海の問いに答えた。
「たぶん、そうです」
そのとき、背後で物音がする。
心海は警戒して、素早く振り返るが、真知にはそれが何の音かすでにわかっていた。
少しの間をおいて振り返り、想像していた通り、そこに立っていた宗助のカメラに、ばっちりと目線を決めて微笑んだ。
「そう、終わりましたよ」
宗助は三本の指を立てている。
それが二本、一本、と減っていき、やがて彼が言葉を発する。
「はい、カット。……よかったよ、古堀さん」
傍らで心海が、ため息をつく。
それから彼女は片手をあげて、真知に微笑みかけてくる。
「とりあえず、やったね」
どうせなら、カメラが回っているときにやればいいのにな。
そう考えながらも、真知は心海の動きに応じた。
「やりましたね」
そう答えてから、心海とかわしたハイタッチは、とてもすがすがしかった。




