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エリサが帰ってから、どうするかを決める。
そう判断したアハトは、一旦部屋に戻っていった。ソーニャが部屋に戻ったのは、くどくどと説教されている連中をもう一度見学してからだ。
「一人くらいは顔を覚えられるかと試してみたが、やはり無理だな」
まったく残念と思っていない顔で、そう言い残して。
二人を見送ってから、シーヴとヴァルトは、乗ってきた馬を厩へ戻していないことに気づいた。
急いで繋いだ場所へ行くと、なぜか馬はいなかった。その足で厩まで行ってみれば、すでに戻されている。
「アハト、か?」
「まあ、他にいないよなぁ」
ソーニャを見送ってすぐ、思い出したのだ。四頭も一度に連れていけば、簡単に追いつける。
到着するまで誰にも会わなかったのだから、一足先に戻ったアハト以外にいない。
「少し早いが、昼食にしよう」
エリサたちが戻る頃には、すっかり昼を回ってしまう。だから、遅くなる者たちの分は、温めるだけで済むようにしておく。
そうして出来上がったところに、リクがフラリと戻ってきた。
「あ、もうそんな時間だっけ?」
パチパチと目を瞬かせるリクに座るよう、シーヴは仕草で合図する。手近な椅子にちょこんと腰かけたリクの目の前に、食事を手早く並べていく。
「後でユリアたちと食べるなら、僕がこれを食べるから置いておけばいい」
「あー、うん、じゃあ、後で食べるよ。ユリアたちが帰ってくるまで、部屋にいるね」
リクはサッと立ち上がると、引き止める間もなく、さっさと食堂を出ていった。
唖然として、シーヴは出入り口をぼんやり眺める。
「……リクはどうしたんだ?」
「オレがリクだったら、やっぱ部屋に戻るかなぁ」
「そういうものか?」
「んー……まあ、腹が立ちそうだし」
言っていることが、さっぱり理解できない。
顔にそう、堂々と書いて、シーヴは軽く首を傾げた。
「ところでさ、シーヴは食べたらどうするの?」
「僕か? 訓練でもしようと思っているが」
「じゃあ、つき合うよ。どうせ、陛下が戻ってくるまで暇だしさ」
ヴァルトが、シーヴの目の前の席に座る。
両手の指を組んで一呼吸分祈ってから、二人は食事に手をつけた。
‡
「……と、いうわけなんですが」
戻ってきたエリサは、アハトの報告を黙って聞く。そして、考え込むことなく、ヴェサの言葉に従うよう命令を下した。
気が進まない。絶対に嫌だ。
そんな言葉を吐こうものなら、ソーニャに対して同じ命令が下される。情けなく引きずられて行くよりは、自分の足で、行けるところまで行きたい。
そのくらいの自尊心は、ある。
「怒らせたら怖いのは誰か、思う存分味わうといいわ」
誰が味わうのか。
聞かずとも知れたので、アハトは黙って重いため息をつく。
げんなりしてアハトが振り返ると、すっかり行く気満々で、ソーニャがドアの前に待っていた。
並んで歩き、着いた場所は、たくさんの人でごった返している。
(やっぱり、今さら何の感慨も湧かない、か……)
これから父親の葬儀があると、頭でわかっていても。実感は、何ひとつ伴っていない。悲しみはもちろん、感情は凪いでしまって、まったく波立たないのだ。
人の出入りはそれなりに多いから、アハトとソーニャは隅にひっそりと立っていた。
その時。
「……裏切り者がいる」
誰かが、アハトを指さして大声を出す。
そもそも、もっとひどい罵声を覚悟していた。だからアハトは、表情を一切変えずにたたずんでいる。
アハトの表情が一変したのは、横を誰かが駆け抜けた瞬間だ。
「ソーニャさん!」
鋭い声に、裏切り者と言った男へ向かっていたソーニャの足が、ピタリと止まる。
「ここは、他人を悪く言うのが好きな家だからね。どうせ、悪口の練習をしているだけでしょ? 気にせず放っておけばいいよ」
「だが……」
「放っておけばいいんだよ、こんな家」
見慣れた笑顔のアハトに、有無を言わさない強い語調に、ソーニャは渋々従った。
悪意の視線にさらされ、ヒソヒソとないことばかりを囁かれる。
そんな環境の中で、アハトはグッと顔を上げて、平然と立っていた。
‡
それから数日後。
シーヴは、ユリアとサーラの仮縫いを見学していた。その最中、ヒリヤが思い出したという、その話を聞いて呆気に取られてしまう。
「ソーニャお姉ちゃんってば、ホント、素直じゃないんだから」
ヒリヤと、ユリアは笑っている。だが、シーヴは笑いごとではないと思う。
「しかし、大丈夫だったのか?」
「平気平気。ちゃーんとアハトさんが止めたそうだから」
なおさら不安になり、シーヴは露骨に顔をしかめる。
「……アハトに、止められるのか?」
「あら、ソーニャお姉ちゃんが本気で怒ったら、もうアハトさんしか止められないのよ? 逆にすごいでしょ? 陛下の声でも、止まらないなんて」
あっけらかんと言うヒリヤに、ますますわからなくなったのだろう。シーヴはしばらく悩んで、考えることをあっさり放棄した。
「一旦お父さんを勘当しておいて、王女魔術師になったら「我が家の自慢の息子だぞ」って言い出したのよ? 自分たちのことは棚に上げて、お父さんばっかり悪者扱いするんだもの。お母さんが怒るのも無理ないわ」
「ソーニャお姉ちゃんって、昔っからアハトさんのこと大好きなのよね。女の子だと思ってたっていうのは笑い話だけど、それがなくても結構ベッタリだったし」
サーラのドレスを仮止めしていたレーナが、笑った拍子に針で刺さないよう、手を休めて会話に参加する。
普段は街で仕立屋をしているレーナだが、今は手伝いに来ているらしい。それほど、こちらは大変なようだ。
「そうそう。そのくせ、自覚は全然なくって」
「お母さんに、結婚式……見せてあげたかったって、言ってたね。もっと早く自覚してたら、って、一時期は口癖みたいに呟いてて」
「せっかくの晴れの日に、ちょっとだけ、顔が曇ってたのよね。アハトさんは気にしてなかったけど。できたら、心の底から晴れやかに笑って、迎えて欲しかったのに」
寂しげに話す二人に、シーヴは、自分に置き換えて考えてみた。
姉はいないから、これから結婚するユリアとサーラで。どちらかが、取り繕った笑顔で、晴れの日を迎えてしまったら。
憂いを取り除けなかったことを、深く悔やむかもしれない。
「だから、シーヴちゃんも心配だったのよ!」
「そうそう。お姉ちゃんみたいに、親に見せ損ねた! って後悔しちゃわないかなって」
しめやかな気分でいたところに、完全に水を差された格好だ。
「僕の両親は、伯母上たちと変わらない年齢だぞ」
やや憤慨して、シーヴは悠然と腕を組む。
すでに病を得ているならともかく。イクセルもマルグレットも、まだまだ長生きするつもりでいるだろう。
実際、平均的な死亡年齢を考えても、あと十五年は生きているはずだ。
「十年後はわからないでしょ? でも、シーヴちゃんはそこまで遅くないと、信じてていい?」
「え?」
「あれもこれもそれも、って思ってるから、ちょっとは時間が欲しいのよね。でも、ソーニャお姉ちゃんみたいに、これから五年も十年も待つのは、ね」
そこでようやく察したシーヴは、一瞬で耳まで真っ赤に染めた。




