84
相手はあのエリサの母親だ。どう考えても、口で勝てるはずがない。
ほんの一時、目を閉じてジッと考えて。再び開けたヴァルトは、なぜかにこやかな笑みを浮かべていた。
「オレに聞きたいんだったら、こっちからも条件出していいですよね?」
その切り返しは、まったく想定していなかったのか。はたまた、条件の内容に思い至らないのか。エルヴィーラはパチパチと、数回瞬く。
「ユッカ様がずっと隠してることを、この場で残らずぶちまけられたら、オレも聞かれたことにきっちり答えます」
ヴァルトの言葉で、シーヴ以外は、誰の入れ知恵かを瞬時に悟った。特に、条件にされたユッカは、両手で頭を抱えてため息をついている。
「アハトの犯行ね……初めて会った頃は、あんなに無邪気で可愛かったのに、いつの間にか小生意気になってしまったわ」
「いやいや、アハトくんは昔から、顔は可愛いけど中身はあの調子でしたよ。ほら、アクセリに預けられたのだって、騎士になりたくないって逃げ回って、たった五歳で完全に持て余されたからだし。魔術師として城に上がった後、孤立気味だったのに、王女魔術師になったアハトくんに対して嫌味のひとつも出てこなかったのだって、みんな吹聴されたら困る弱みを握られていたからだって、まことしやかな噂もあったくらいで」
まことしやか、どころか、まぎれもない事実だろう。
普段のアハトを知っているヴァルトは、心の中だけで突っ込む。
「そういえば、アハトは気がつくと、他人の弱点をしっかり握っていましたね。イスト様のことも、どこで聞いたのか、早々と知っていたようですし。あれとエリサ様は敵に回してはいけない、などという格言ができたとかどうとか、聞いたことがあります」
今はそれに、ユリアが加わっていそうだ。
「アハトくんの場合、弱点がソーニャちゃんだけ。エリサ様だって、ヘンリク様には弱いけど、ヘンリク様があの調子だもの……本当に、手の打ちようがないわ」
ひどい言われようだと思う反面、彼らの言い分が納得できてしまう。
唯一といっても過言ではない弱点が、まったくもって弱点にならない。そんな人たちは、存在そのものが恐ろしい。
「ところでヴァルトくん、入れ知恵はまだあるんでしょう?」
嬉しそうな、どこか楽しそうなエルヴィーラに、万一、嘘をついたと知られたら。そちらの方が怖い気がして、ヴァルトは素直に頷いた。
「アクセリは当然として、セナリマは……ないわね。そうでしょう?」
「はい……」
どうしてわかるのだろう。
不思議そうに首を傾げるヴァルトに、すっかり気をよくしたエルヴィーラはコロコロと笑う。
その笑い方が、嫌でもエリサを思い出させる。
「アハトはセナリマには甘いの。アクセリとユッカがあれば、この場は十分と判断したのでしょうね」
ヴァルトから見たエルヴィーラは、母と言うには少々高齢で、祖母と呼ぶには若すぎる。恐らく、向こうから見た自分も、似たような印象になるはずだ。
「エリサの魔術師に、と望んだ頃のアハトに、ヴァルトくんは少しだけ似ているの。だからこそ、あの頃できなかったことを、いろいろしてみたいのよ」
相当、嫌な予感がしたのか。ユッカがジリジリと後ずさる。
「というわけでユッカ、ぶちまけてしまいなさい」
「それだけは嫌ですって! アクセリにも無理難題でお互いに、っていうなら、少しくらいは考えなくもないですけどね」
「……私まで巻き込まないでくれるかな?」
アクセリの晴れやかな笑顔から、はらはらと冷気がこぼれた。
彼らをぼんやりと眺めつつ。アハトはよくも悪くも、彼ら親代わりの背中を、しっかり見て育ってきたのだと実感する。
「あーっと、アクセリ様はあれです。エルヴィーラ様に「キスしなさい」って命令されて、実行するっていう」
「無理ですね」
脊髄反射に似た速度で、アクセリはきっぱりと拒絶した。
「まだ場所も決まってないのに、諦めがよすぎるわ」
セナリマの突っ込みは、一切聞こえない振りをして。アクセリは、ユッカの支援に回ることにしたらしい。今回は諦めるよう、懸命にエルヴィーラの説得を始めている。
「……何だか、楽しそうだな」
話題についていけなかったらしいシーヴが、やや呆然と呟いた。
‡
今夜の「夜着姿で楽しくおしゃべりの会」と称した集まりを、全員で楽しむ。それでようやく、エルヴィーラは落ち着いた。
エルヴィーラは朱色、セナリマは瞳と同じ青緑色の夜着を、すでにまとっている。ふわふわしてヒラヒラ揺れる服ばかりなのは、恐らくエルヴィーラの趣味なのだろう。
「さあ、今夜も、シーヴちゃんの素敵で可愛い夜着姿を見せてもらわないとね」
無駄に広い屋敷だと思っていた。だが、まさか、自分専用の衣裳部屋まで用意してあるとは、さすがに予想外だ。
しかも、どれもこれも、どこかで見たような印象の服ばかり。
「……これは、以前、ヒリヤの試作品で見た覚えがあるんだが……」
試作品は、染色されていないリネンで作る。だから、ここに並んでいるものほど、きらびやかで華やかではない。それでも、形には何となく見覚えがある。
「ええ、そうよ。やっぱり、シーヴちゃんの服はヒリヤに作ってもらうのが一番だもの。体型も、一般的ではないのでしょう?」
「一般的というのが、ユリアやセナリマ様というならば、確かに違いますが……」
必死に言葉を選びながら、のんびり答えている間に。エルヴィーラはセナリマと、あれでもない、これでもない、と夜着の物色に入っていた。
「あ、できれば、あまり派手な色ではないものが……」
もちろん、要望を聞いてくれるはずもなく。けれど、髪色と合わない服は、ヒリヤの主義でほとんど置いていない。
結果として、色は淡い紫。やはり、ヒラヒラふわふわした、女の子らしい夜着が目の前にスッと差し出される。
色はともかく、あまりに可愛らしいそれに、頭がクラクラした。
(これを着て、人前に出るのか……?)
無理だ。耐えられない。
全力で拒否したい気持ちで、いっぱいになる。
着るまで部屋から出さないと顔に書いている、エルヴィーラとセナリマに。どうしても逆らうことのできなかったシーヴは、諦めて夜着を受け取った。




