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借りてきた猫。そんな言葉は、まだ生易しい。
今のリュイスには、針のむしろに強引に、無理矢理座らされているとしか感じられなかった。
「あの、ハンネス様、そちらは……」
戴冠式の準備を懸命に進めている彼らの表情に、濃い戸惑いが見えるのも無理はない。他国の魔術師が、これから王となる者に従えられてやって来ること自体が、そもそも異常な光景だ。
この場にいるのは、幸いなことに若い者ばかり。リュイスの出自を知っていそうな人間は、どこにも見当たらなかった。
「気にしないでくれ。エリサ姫に手伝いの手を貸して欲しいとお願いしたら、彼を貸してくださったんだ。遠慮なく使って欲しいとね」
かつて、十二歳にして、今と変わらぬ滑らかな舌を持っていたエリサと、堂々と渡り合った。そんな兄に、ますます磨きがかかったと、リュイスは心底呆れてしまう。
「初めまして。アウリンクッカ国女王魔術師、リュイス・カレスティアと申します。我が陛下より、微力ながらお力になるよう、申しつけられてまいりました」
余計なことは言わないよう気をつけつつ、当たり障りのない挨拶をして。にこやかな笑みを浮かべたリュイスには、ハイヴェッタ王を思い出させるものは何もない。もちろん、ハンネスに似ていると思わせる素振りも、一切見られない。
あくまで、手伝いに借り出された他国の魔術師であるふうを崩さず。決してでしゃばりすぎない程度に。手伝えることはあるかと、責任者らしき男に、一応問いかけてみる。
「あ、いえ、その……」
なぜか彼は、ハンネスをチラチラと盗み見している。そして、ハンネスの視線が釘づけになっているリュイスを、もう一度見つめた後。ゆるゆると、静かに首を横に振った。
「すみません。ここは人手が足りているので、お願いすることは何も……」
「え? あ、はい」
首を傾げてみるも、彼の返答はどうにも変わりそうにない。
リュイスは不思議そうに、ゆっくりハンネスを振り返る。したり顔の兄の考えが何となく読めて、がっくりと力が抜けた。
作業中の彼らの年齢を考えると、親はリュイスと同年代以上だ。かつてエリサが訪れた時のことを、聞いて知っていてもおかしくない。
若干十二歳の小娘が、よく回る頭と舌をめいっぱい活用して、王をきっちりやり込めただけでなく。倍以上年の離れたハンネスと、こっそり密談まで行ったことを。
手伝いに借りた手前、いくつか準備を進めている場所へ向かうのだろう。しかし、そのどこでも、ハンネスがくっついているエリサの魔術師を、わざわざ使おうとするはずがない。
(僕だったら、そんな危険なものに近寄りたくもなければ、死んでも関わりたくないから、無理もないかな)
最初から、これが狙いだったのだ。そのことを、リュイスはようやく理解した。
エリサ同様、回りくどいことが好きなところは尊敬に値する。そう思いながら、ハンネスが本性を現すまでは、単なる異国の魔術師として従うことにした。
予想どおり、どの作業場でも断られた末。ハンネスはリュイスを連れて、彼の私室へ向かう。
ニヤニヤしているハンネスの足取りは、心なしか、フワフワと弾んでいる。
彼の私室には、何度か足を踏み入れている。しかし、廊下からきちんと入るのは初めてで、リュイスはどうしても緊張を隠せなかった。
ひょっとしたら、中に誰かいるかもしれない。そう考えるだけで、とっさの言い訳さえも思い浮かばないのだ。
「どうぞ」
「失礼します」
通された部屋は、すっかり見慣れた風景そのものだ。いつもと変わらず、部屋の主以外の姿は見えない。
「いつセヴェリが来てもいいようにと思って、この部屋は常に人払いをしてあるからね。安心していいよ」
どうりで、来る途中に誰とも行き会わなかったわけだ。そう納得すると同時に、リュイスの肩から、フッと力が抜ける。
「昔を知っている者たちにも、きちんと口止めは済ませてあるからね。明後日の戴冠式では堂々と、アウリンクッカ国の女王魔術師として参列して欲しい」
「相変わらず、根回しがいいですね」
リュイスがアウリンクッカに移り住んで、一年経たないうちに。エリサの父親が、若くして逝去した。葬儀の準備に追われている間に、うっかり兄への畏敬訪問をコロッと忘れたことがある。
連日顔を見せなかったことにより、完全に痺れを切らした兄が、こっそり会いに来てしまった。運よく、兄の顔は知られていなかったため、アハトが機転を利かせてうまくやり過ごしたのだ。
どうにか兄を帰国させ、頃合いを見計らって会いに行った時。兄が笑顔で言い放った言葉が、いまだに忘れられない。
『父上と無能な家臣たちを、ちょちょいと言いくるめるくらいできなくて、僕に未来のハイヴェッタ王が務まると思うのかい?』
どこかで、似たようなとんでもない言葉を聞いた。
懸命に記憶をたどり、エリサがのたまう「王女たる心得」に行き当たって。思わずため息を止められなかったことを、まざまざと思い出す。
似た者同士の二人が、それぞれの国の頂点に立っている間。表面上はいがみ合うこともないだろうと考えたら、今度は軽い苦笑がこぼれ落ちた。
昔、想像したことが、もうすぐ現実になる。
「僕は、君に約束をした。君が、この国で暮らしてもいいと思えるように。もし暮らしていくならば、過去を気にせず幸せに生きていける国にすると。たとえ、あちらに骨を埋める覚悟だとしても、君がいつまでも幸せであるように、僕の全力を注ぐ、とね」
王として玉座に上る兄は、いったいどれほど眩しいのだろう。民から、どんなに熱狂的な歓迎を受けるのだろう。
その姿を、自分は誰よりも誇りに思うはずだ。
自分の兄は、こんなに素晴らしい人間だ。などと、ついうっかり叫んでしまわないよう、きっちり気を引き締めておかなければ。
リュイスがテーブルの下で、こっそり拳をグッと握って、これからの決意を新たにしたところで。ハンネスが不意に立ち上がり、リュイスの肩にそっと手を乗せた。
「だけどね、僕にはどうしても、どうしても納得できないことがあるんだよ」
何のことかわかっているリュイスは、ギュッと体を硬くする。初めてまともに話した時のように、決して目を合わせず、ゆるゆるとうつむく。
「ねえ、リクはどうしたの?」
二ヶ月足らずのうちに、リクは十七になる。その間、ハンネスは一度も彼を見ていない。
今回は、初めて見られるかも。そう期待していたとしたら、落胆は言葉では言い表せないほどだろう。
「僕が彼に会いたがってることは、もちろん知っているよね? どうして?」
猫なで声なのだが、ハンネスの目は、カエルを睨みつけるヘビに似ている。
今にも消え入りそうな声で、リュイスはボソボソと話し始めた。
「こちらへ来る人間は、エリサ姫の決定です。リクにはシンラトを教えましたから、有事の際に、連絡係としてあちらに残すというのが、エリサ姫の判断で……」
「わかった」
これでハンネスが理解してくれた。単純にそう思うリュイスではない。
兄には絶対に、裏がある。
「戴冠式が終わったら、今度は僕からアウリンクッカへ出向こう。正式に国賓として滞在したことはないから、楽しみだよ。ああそうだ。クリスティアンも連れて行こうかな。いとこ同士、気が合うかもしれないし」
(やっぱり……)
嫌な予感が的中してしまった。しかも、エリサが許可を出さないはずがないことも、痛いほどわかっている。
リュイスにできることは、深く長いため息を、ひっそりとつくことだけだった。




