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 ソーニャから預かった鍵で、アハトの部屋を開けた。ドアを手前に引いて、見えた部屋の中は、ヴァルトの部屋と大差ない散らかり具合だ。むしろ、歩く場所があるだけ、ヴァルトの部屋がまだマシだった。

 この状態を見れば。塵ひとつない室内を、常に維持している。そんなソーニャが、アハトを部屋に入れない理由も合点がいく。

 もしかしたら、大事なものが落ちているかもしれない。念のため、ソロソロと、慎重に足を進める。

 そのつもりが、本の山をひとつ、ひょいと蹴り崩した。驚いて足を大きく下げると、今度は違う山に肘がガツッと当たる。バラバラと、本の山はあっという間に崩壊してしまう。

「……この部屋は、二度と、入りたくないな」

 思わず、ほろりとこぼしてから。申し訳程度に本を積み直す。

 ここまでして、ようやく。アハトの顔をうかがうことができた。

 身じろぎひとつせず、すやすや眠っている。そうとしか見えないアハトを、しばらくぼんやりと眺める。

 何の変化もない。本当に、ただ眠っているだけのようだ。

 来た時よりも注意深く、そっと歩いて部屋を出ると、静かに施錠する。

(魔術師風邪というのは、単に寝ているだけなのか?)

 顔色は、普段とまったく変わりない。もちろん、ひどい高熱が出ている様子もない。どこが悪くて寝込んでいるのか、さっぱりわからなかった。

 次に訪れたのはユリアの部屋だ。

 アハトとは違う意味で、落ち着けない部屋へ。そろりそろりと、恐る恐る入る。なるべく調度品などを見ないように、ゆっくりとユリアのベッドへ近づく。

「よく、寝ているな」

 アウリンクッカに来たばかりの頃が、不意に思い出されて。懐かしさで胸がいっぱいになり、自然と顔がほころぶ。

 ユリアの寝顔が可愛いと、うっかり見惚れていたら寝るのが遅くなって。ユリアが先に目覚めて、容赦なく叩き起こされたことも、何度かある。

 一人で部屋を使うようになってからは、さすがにそういったこともなくなった。

 今ではすっかり。セーデルランドにいた頃と、ほとんど変わらない生活に戻っている。

 気の合う人間に囲まれて、自分らしく自由に生きる日々。その心地よさを知った今、絶対に手放せない。

「後で、魔術師風邪について、もっと詳しく聞かないといけないな」

 何をしてあげたらいいのか、ちっともわからない。

 もう一度、ユリアの寝顔をじっくり見つめてから。なるべく急いで、彼女の部屋を出た。迂闊にも鍵をかけ忘れそうになり、慌てて引き返す。

(やはり、ユリアは可愛いな)

 ついでとばかりにもう一度、部屋を覗いておいた。

 目を開けていると、不敵で大人っぽい表情を見せることが多い。そんなユリアも、寝ている時くらいは、十五歳という年齢相応の顔だ。

 その差が、無性に可愛い。

「あとはヴァルトか……」

 アハトの部屋を見た後だから、最初ほどの抵抗はない。それでも、進んで入りたい部屋ではなかった。

 落ちているものを、不注意で踏んで滑らないよう。堆く積んである本を、うっかり崩さないよう。しずしずと、慎重に歩く。

 室内で、いらぬ苦労をすることが。余計な疲労感を生んで、だんだん嫌になってきた。

 ソーニャの言いつけを、きっちり守り。シーヴは、ヴァルトの手が届きそうな距離には近づかない。

 それでも、顔をこちらに向けたヴァルトが、安らかな寝息を立てていることはよくわかる。

「寝ているだけの病気、か。アウリンクッカには、ずいぶん面白いものがあるんだな」

 セーデルランドには、病気らしい病気はない。少しばかり、急に冷え込んだ日に、夜更かしをすると軽い風邪を引く程度だ。おいしいものを食べて、しっかり休めば、あっという間に治ってしまう。

 腕を組んで、何となく感心していたところに。ふと、ヴァルトが目を開けた。

「起きたのか?」

 焦点の合っていない目は、寝起きだからだろう。おかしな様子には、一切目もくれず。シーヴはすぐに声をかける。

「…………」

 声は出ていなかったが、口の動きは、確かに自分の名を呼んだ。

「何か、欲しいものでもあるのか?」br>

 問いかけて、一歩。ヴァルトへと近寄る。

「──っ!」

 いきなり右手首をつかまれて、グイッとベッドの中に引きずり込まれた。そのままヴァルトの腕に、しっかと抱き締められる。

「離せ!」

 怒鳴りつけて、グッと腕を突っぱねたが、微動だにしなかった。普段のヴァルトより、さらに力強い。

 けれど、あくまで逃げられない強さだ。押しつぶすようなものではない。

「クルタス!」

 自己鍛錬以外では、滅多に使わない呪文も使ってみた。しかし、同年代の男と変わらない筋力では、体格の差を覆せない。

 背中に回された腕を、どうにか外そうと片腕を動かせば。あっという間に身動きができなくなる。

 訓練不足を自省し、一旦力を抜いたところで。規則正しい息が、頬にかかっているのに気づいた。

(寝息……?)

 心地よさそうに、すやすやと。安らかに眠るヴァルトの寝顔に、シーヴはパチパチと瞬きを繰り返す。

(確かに、目を開けたと思ったんだが……寝ぼけていた、というやつか? それにしても、ヴァルトらしくない行動だな)

 自力での脱出は不可能そうだ。

 ヴァルトに何かをされるわけではなさそうだから。早々に断念したシーヴは、誰かが様子を見に来るまで、ジッと待つことに決めた。



「シーヴちゃんは……ここかな?」

 真っ先に様子を見に来たのは、リュイスだった。

「あ、リュイス。伯母上かユハナを呼んできて欲しいのだが」

 この状況で頼りになるのは、やはり自己強化魔術の使えるその二人だけだ。

 危なげなくトコトコ歩いてきたリュイスは、何が起きたのかを解して。呆れ果てた顔で、ふうっと嘆息した。

「……あーあ、近寄っちゃったんだ。ソーニャは自力で脱出したらしいけど、シーヴちゃんは無理?」

「クルタスを使ったが、はねのけられなかった。僕一人では、どうやら無理らしい」

「それ使って、思いっきり殴っちゃえば? ソーニャは呪文なしで、ほぼ全力で殴って逃げたって聞いたけど」

 あれだけ鍛えている人が、全力で殴ったらどうなるか。想像に難くない。

 ザッと青ざめて、シーヴはゆるゆると首を横に振る。

「ベッドに引き込まれただけで、取り立てて何かされたわけではないからな。やはり、殴るわけにいかないだろう?」

「誰かさんと大違いだねぇ」

 そう告げたシーヴに、リュイスはクスクス笑う。

「ヴァルトくんは、割と最近だったからかな?」

「……どういう意味だ?」

「あはは……鈍感と天然は、完全に遺伝だね。ひょっとしてそれ、ミルヴェーデン家の血筋ってやつ?」

 顔をしかめ、けれど、いつまでもこのままでいさせるわけにはいかない。仕方なく、渋々といった体で。しかし、ひどく楽しげに、リュイスはフッと姿を消した。


          ‡ 


「ソーニャ、シーヴちゃんがやっちゃった」

「私は、ヴァルトはもちろん、念のためにアハトにも近寄るなと言っておいたはずだが」

 重いため息をつき、ソーニャは額を指でグッと押さえる。

「そういうソーニャだって、セナリマ様の忠告を忘れて、まったく同じことしたでしょ?」

 思い出したのか。ソーニャははっきりわかるほど、苦々しい渋面になる。

「……あれは、二番目に大きな失態だ」

 ボソリとそう、呟いた。

「シーヴちゃんは、魔術師風邪なんて知らないでしょ? だから、ベッドに引きずり込まれても、全然、これっぽっちも、気にしてなかったよ。ソーニャの時と違って、何もされてないから殴れないなんて、可愛いこと言っちゃうしね。あれは、ソーニャじゃないと助けられないかなって思って」

「……もし寝ぼけている時だったら、相当危なかったな」

「え? 寝ぼけてなくても危ないでしょ」

 我慢強いのも問題だよ。

 苦笑をこぼして、そんなことを呟くリュイスに、ソーニャがサラリと言い放つ。

「それほど危険な存在は、アハトくらいだ」

「……仮にも夫に対して、その言い草ってどうなんだろうね」

「アハトでなければ、もう少し言い様は考えるぞ」

 ソーニャの中で、遠慮がまったくいらないと思われているのはアハトだけ。そのことを知っている上で、ちょっとからかってみた。

 そのはずだったのに、真顔で言い返されて言葉を失う。

「……何て言うか、シーヴちゃんは、ソーニャよりさらに警戒心が薄いよね。あれは、きっついよー。アハトじゃなきゃ、長くは耐えられないでしょ。……まあ、とにかく、行ってあげてね」

 他に見回る場所があるのか。はたまた、リリヤの顔を見に行ったのか。ソーニャがジロリと睨むと、リュイスはパッと姿を消した。


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