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「本日はこれにて終了いたします。皆様、お気をつけてお帰りください」
少女たちに問われるまま、シーヴはつらつらと答えていた。
朗々としてよく通るソーニャの宣言で、初めて夜が更けたことを知る。
広間をグルリと見回せば。ソーニャとアハト以外の王族居住棟暮らしは、すでにいなくなっていた。
(みんな、夜が早いな)
本来、終了宣言をする予定だったエリサが、普段よりずいぶん頑張って起きていたことも。結局耐え切れずに寝てしまったことも、シーヴは知らない。
毎日この時間でも起きているのは、ソーニャとアハトくらいだ。そして、この二人は朝もかなり早い。
「今日はこのくらいにして、また明日にしようか」
全然物足りないと、あからさまに口に出す者。わずかながら、表情に匂わせるだけに留める者。さまざまだが、一様に不満げだ。
もうしばらく起きていられるから、別段相手をしてもいい。だが、この場で続けると、さすがに叱られてしまうだろう。
今後の出入りを禁止されるのは、本望ではないはずだ。
そう、懸命に説得をして。今日のところは、不公平にならないよう、全員が帰ることで決着がついた。
「では、また明日」
ドレスを着用中であることを、うっかり忘れて。右腕を曲げて胸の前に持ってくる、騎士の礼を取ってしまう。
間違ったことに気づいて、慌てて礼をし直したシーヴの耳に。なぜか、いくつもの黄色い歓声が届いた。
針子部屋に戻って、ヒリヤに手伝ってもらい、何とか着替えを済ませた。それからシーヴは、すっかり遅くなってしまったことを詫びる。
「あら、いいのよ。舞踏会の間は、ここの上に部屋を貸してもらってるから」
朝早くから夜遅くまで。着つけや化粧などをするヒリヤは、城下に家がある。しかし、そこから連日通うのは、いくら何でも無茶だ。
そういった理由でエリサが、本来は独身者のみに与えられる個室の空き部屋を貸し与えた。
総責任者であるヒリヤがいなければ、舞踏会は始まらないのだ。
「それより、遅くまで大変だったわね」
「ああ、みんなと話をしていたら、いつの間にか終了時間になっていたんだ」
ユリアやヴァルトが着替えに来た時間を、覚えているからだろうか。ヒリヤはしっとりと、首を傾げた。
「明日もまたよろしく頼む」
「ええ、任せてちょうだい。……あ、そうだわ。明日、起きたらここに来てもらってもいい? そろそろ、髪を切りたい頃でしょ?」
言われて、いつの間にか伸びていた髪に、そっと触れる。
前髪は、自分で時々切っている。しかし、他は伸びたい放題だ。一番短い横髪が、今では肩に触れそうになっていた。
「わかった」
ユリアの助言で、針子部屋に夜着や下着の替えを持ち込んでいた。シーヴは、それらを抱えて、できるだけ静かに浴室へ向かう。
完全に温くなっていた湯船には入らずに。熱めのシャワーで、全身をさっぱり洗い流すだけに留めた。
ユリアと同じかごに、脱いだ服と体を拭いたリネンを入れる。しんと静まった廊下を、足音が立たないよう、気をつけてソロソロと歩く。
部屋のドアもなるべくそっと開閉し、シーヴはようやくひと息ついた。
「……少し、疲れたな」
忙しい時間から解放されれば。それまですっかり忘れていた疲れが、一気にドンと押し寄せてくる。
ドレスに着替える前につまんだ焼き菓子以来、何も食べていなかった。ほぼ同時にそんなことを思い出し、不意に空腹感が襲ってくる。
「……この時間に厨房で何かを作ったら、さすがに怒られそうだな」
諦めて、我慢して寝てしまおうか。
そう考えながら、部屋のテーブルを見た時。リネンのかかった何かが、ちょこんと置いてあることに気づいた。
私物ではないそれに、首を傾げつつ。恐る恐るリネンの端をめくったシーヴは、中身を見て目を丸くする。
「これは……」
グラスに注がれた、冷めたお茶。果物をふんだんに混ぜたクリームを、たっぷりはさんだパンが二つ。きっちり並べられたかごに、紙切れが一枚。
『頼まれていたものです』
見慣れない、きっちりした文字で、たったそれだけ書かれていた。恐らく、作った人間が書き記したのだろう。
(僕は頼んでいないから、誰かが頼んでくれたんだろうか?)
気を回してくれたのは、いったい誰だろうかと考えながら。空腹感にはどうにも勝てず、片方のパンにパクッと食いついた。
しっかりと好みに合わせて、思い切り甘く作られたクリームに。刻まれた果物の軽い酸味が、無性に心地よい。
乾いた口に含んだお茶からは、ふわりとした複数の花の香り。
(これは、誰が頼んだんだ?)
しつこい空腹感が、十分に満たされたとたん。フッと眠気が襲ってきて。差し入れをくれた人間は明日探そうと、欲求のまま、ベッドにフラリと倒れこんだ。
翌朝、目を覚ましたシーヴは、着替えを済ませてヒリヤのところへ出向いた。
「待っていたのよ。さ、座って」
背もたれのない椅子に、怖ず怖ずと座り。大きなリネンで、首から下をすっぽりと覆われる。
ザクリ、と最初のはさみが入った瞬間。シーヴはブルッと、小さく身震いした。
何度切ってもらっても、ちっとも慣れなくて。ヒリヤには、いつも笑われてしまう。
「今回から、少し髪型を変えましょうか。シーヴちゃんはもう、いつ誰に求婚されてもおかしくない年頃だものね」
「伯母上はどうだったんだ?」
アハトが張りついていたから、やはりそういうことはなかったのだろうか。
そんな心持ちで、興味半分に尋ねる。するとヒリヤは、心底楽しそうな笑みを、ひっそりと口元に浮かべた。
「ちょうどシーヴちゃんくらいの頃から、城中の騎士の求婚を断り続ける生活が始まったのよ。あと半年くらいしたら、ソーニャお姉ちゃんがアハトさんを死なせかけた年齢に、シーヴちゃんが追いつくかしらね」
「その話は有名なんだな」
当時を知っている者は、誰でも口にする話だ。しかし、ついでのように、当時のソーニャに似てきたとも言われる。
顔は似ていても、性格や立場、置かれた環境は違う。
そう反論してもいいが、いちいち言い返すのが面倒で。結局、だらだらと聞き流している。
「そうね。だからシーヴちゃんは、絶対にやっちゃダメよ?」
やはり忠告されるそれに、強烈な脱力感を覚えた。
ふと目を向けた、目の前の姿見に。映し出された自分が、まざまざと変わっていく様子を、黙ってジッと見つめる。
もっとも短かった両脇の髪に合わせ、その長さでザクザク切りそろえられていく。ヒリヤの鮮やかな手際には、いつだって見とれてしまう。
「はい、おしまい」
切った髪のかけらが、うっかりシーヴにかからないように。ヒリヤは慎重に、ゆっくりと、リネンを取り払った。
「…………」
邪魔にならず、シーヴにとって手入れが簡単な長さ。綺麗に切りそろえられた髪が、これまでより女性らしさを強調している。
顔だけ見ていたら、ユハナと区別がつかないと言われていた。しかしこれからは、ひと目で判別できるはずだ。
鏡に映る自分が、ますますソーニャに似た気がして。くすぐったさと嬉しさで、頬が勝手にゆるむ。
「短い髪が似合うっていいわね。ユリアちゃんなんて、短くしたら収集がつかないのよ」
ゆるく巻いたユリアの髪は、ふわりとやわらかい。長く伸ばした髪の重みで、普段は大人しいだけだ。短くなると、寝癖を直すために、無駄な時間を割かなくてはいけなくなってしまう。
それは、アウリンクッカ人に見られる外見的特徴だ。この国に、髪の長い女性しかいない理由は、ひとえにそこにある。
「また夕方にでも、みんなの感想を教えてね」
「ああ」
軽くなった反面、うなじが妙に心許ない。
新しい髪型には、すぐに慣れられそうになかった。けれど、少しくらいはソーニャに近づけたのではないか。そう思うと、自然と心や足取りが弾む。
(そうだ、昨夜の差し入れが誰のものか、聞いてみるか)
真っ先にそういうことをしそうな人間といえば、やはりアハトだ。今頃は、訓練場でソーニャの早朝訓練につき合っているだろう彼を、ついでに訪ねてみることにした。
「伯母上、アハト。少しいいだろうか?」
主にアハトが、命がけの死闘を繰り広げている最中に声をかける。
遮られたことを、ちっとも気にしていない素振りのソーニャが、のんびり近づいてきた。当然、その後ろからアハトがゆっくり歩いている。
「昨夜、僕の部屋に差し入れを頼んだだろうか?」
「いや、私は知らないぞ。そもそも、私にそんな暇はなかったからな」
「残念だけど、俺でもないね」
こてんと首を傾げたシーヴに、二人はちょいと肩をすくめて答えた。
「助かったと礼を言いたいんだが、誰が頼んだのかわからなくて困っているんだ」
ずっと少女たちに囲まれていて、結局飲み物さえほとんど口にしていない。食べ物だけでなく、お茶まであったことが、本当に嬉しかった。
そう素直に打ち明けると、アハトが腕を組んで、グッと首をひねる。
「ヴァルトくんには聞いた? 俺が食べ物をあげた後で、一度フラフラ広間を出て行ったから、何をしに行ったのか気になってたんだけど」
左手の人差し指で、フッと下唇に触れて。わずかな間だけ考えたシーヴは、直接聞いてみることに決めた。
普段どおりならば、そろそろ起きてくる頃合いだ。
「では、僕はこれで。邪魔をして申し訳なかった」
わずかに頭を下げ、訓練場を出て行こうとしたシーヴに。
「その髪型、似合ってるね。何だか、ソーニャさんが髪を切ったみたいだよ」
「……なぜお前は、いつも私と比較する」
「だって、俺の基準はソーニャさんだからね」
とことん呆れたのか。ため息をついて、ゆるゆると首を横に振って。ソーニャは、シーヴの頭をちょいちょいとなでる。
「アハトのような男には、くれぐれも気をつけるんだぞ」
「わかりました」
「いや、待って、そこは肯定するところじゃないでしょ?」
力強く頷いたシーヴに、がっくりと肩を落とし。自分はむしろ害のない人間だと、アハトなりの主張を始めた。




