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 厨房で無事に頼みごとを終えて、そっと広間に戻る。とたんに、名前はまったく覚えていないが、顔には何となく見覚えのある者たちにザッと囲まれた。その中には、比較的親しくしていると言える、名前のわかる魔術師たちも混ざっている。

 この後に、いったい何を言い出されるか。簡単に、あっさりと想像できて、内心を隠さずため息をついた。

「なぁ、ヴァルト。何でシーヴがあんなに美人で細くって胸が大きいって、教えてくれなかったんだよ」

「知ってたら、口説きに行ったのに」

 聞かれてもいないことを、なぜわざわざ口外して歩かなくてはいけないのか。

 そう問い詰めたい気持ちと、じわじわ湧き上がる不快感を、強引にグッと飲み込む。

「……体形はともかく、綺麗だってことは、ちゃんと見てたらわかるだろ?」

 騎士にしろ、魔術師にしろ。もともと、制服を着ると体の線がわかりにくくなる。そこにさらしが加わっては、さすがに見抜くことはできない。

 だが、顔は違う。どうにも隠しようがないのだから、隙を見てじっくり眺めればいい。

 それがヴァルトの持論だ。

「見てたらって、見てる暇なんてないよ」

「訓練の時は一番マシとは言っても、こっちよりずっと強いんだしさぁ」

「生活の場が違うから、いつもはあんまり見かけないし」

 王族の住居は比較的、城の中心に近い。しかし、ごくひと握りの騎士や魔術師以外は、訓練場を挟んだ反対側に宿舎がある。ヘンリクのような、相当特殊な例を除き。明確で重要な用事がない限り、王族側に入ることは許されない。

 ヴァルトは、次の女王魔術師候補。シーヴは、エルミの騎士になることを期待されている。だからこその、特別扱いだ。

(……実は夜着も何度か見たことあるって言ったら、それこそ大騒ぎになりそうだなぁ)

 二度目の、重いため息を吐く。

 訓練中は凛として大人っぽく、自他に厳しい。そんなシーヴが夜着のまま、フラフラと歩き回っていたのも。アウリンクッカに来るまで、注意されたり気にしたことがなかったかららしい。

 そういう部分を含めて。私生活では時々、リンネアより幼いと感じることがある。

 自ら知る努力もしないで。誰かからの有益な情報を、ただひたすら待っているだけ。そんな彼らに、盛大的に呆れてしまう。

 隠すつもりもない、三度目の大きなため息がこぼれ落ちた。

「ヴァルト」

 すっかり聞き慣れた違和感で、わざわざ見なくとも、誰が呼んだのかわかった。

「お、おい、あれ……」

 一斉に振り向いてわざとらしく確認し、色めき立つ彼らが。何だか無性に腹立たしくて、攻撃魔術を撃ち込みたいくらいに煩わしい。

「話がある。少しいいか?」

 周囲のざわめきは、一切耳に入らないのか。

 はぐれないように、しっかりとリンネアの手を握る。シーヴの硬い表情に、何かあったことは察した。

「いいけど……何かあった?」

「リンネアは僕が見ているから、あの子たち全員と踊って来い」

 一歩近寄ったとたんの言葉と、彼女の目線の先に。ヴァルトはただただ、苦笑いするしかない。

「一人につき、ダンスフロア一周を、たった一度きりだ。ヴァルトはダンスが得意なのだから、何も問題はないだろう?」

 堂々と胸を張って、きっぱりと言い切るシーヴの顔には。ヴァルトだけが笑っているとわかるほど、微妙な笑みが浮かんでいる。

「…………」

(数は多いけど、一人一周だったら、オレに不利な条件ってわけじゃない。リンネアを見てるんだったら、シーヴが誰かと踊るってこともなさそうだし……ここは、素直に従うのが得策かな?)

「ん、わかった」

 あっさり承諾してみせると、シーヴはわずかに目を大きくしてから、フッと口端を持ち上げた。それからすぐに、スッと表情をなくす。

 その笑みの意味を知っているから、妙に嬉しくなって。知らず知らず、顔がほころんでしまう。

 ニコニコ笑う妹に、目線を合わせて語りかける。

「シーヴの言うことを聞いて、ちゃんといい子にしてるんだよ?」

「もちろんよ。シーヴさまには、いろいろお聞きしたいことがあるの。それで、明日は友達にたくさん自慢する予定よ」

「……シーヴを困らせない程度にね」

 本当に、大丈夫だろうか。

 一抹の不安を感じながらも。リンネアがベッタリと張りつくシーヴに先導されて、大勢の少女が待つところへ向かう。

「順番は決まったか?」

 シーヴが問いかけた相手に、何となく見覚えがある。けれど、名前は出てこなかった。

 魔術師ではなさそうな少女を、いったいどこで見かけたのか。さっぱりわからず、ヴァルトは軽く首を傾げる。

「ええ。後から増えたりして、少し変わるかもしれませんけど」

(増えるんだ……)

 恐らく、初対面のはずなのに。なぜか親しげに少女たちと話すシーヴを、ぼんやりと眺めつつ。

 増える可能性を知らされて、こっそりとため息をつく。

(まぁ、どれだけ増えても、さすがに踊ってない子くらいはわかるからいっか)

 五年前、シーヴが来たばかりの頃。たいていの者が、遠目に見たユハナとシーヴを見間違えていた。ソーニャに至っては、名前を呼ばずに早足で近づき、ドンと肩を叩く。そんな荒業を披露する日々で。

 二人を一度も間違えなかったのは、誰でも何でも、ソーニャと比較するアハトと。人の顔を地図のように記憶して、些末な違いを見つけ出すヴァルトだけだ。

 だから、まだ踊っていない娘くらいは、かろうじて判別できるだろう。

「最初は誰からかな?」

 さっさと終わらせてしまおうと、造りに作った笑顔を向ければ。リンネアに年が近い少女が、緊張を隠せない硬い顔でヨロヨロと歩み出た。


          ‡ 


「行こっか」

 少女の手を取って、義務感満載でダンスフロアに入っていく。そんなヴァルトをジッと見送ったシーヴに、早速リンネアが話しかける。

「シーヴさま、ご趣味はおありですか?」

「趣味? ……特にないな」

 訓練や自己鍛錬は好きだが、それは趣味ではない。他に好きなことや熱中していることは、まったく思いつかなかった。だから素直に、ない、と答える。

「城の菓子職人が作る焼き菓子がお好きと聞きましたけど、他にお好きなものは?」

「ヴァルトが言ったのか? そうだな……甘いものは何でも好きだ。苦い味は少し苦手だが、嫌いなものはないと思う」

『いいかい、シーヴ。城の人間以外に、甘い物をあげるからおいでと言われても、ぜーったいについて行ったらダメだぞ!』

 答えながら、不意に、父の言葉が思い出された。

 物覚えの悪い部類に入るのに、はっきり思い出せるくらい。子供の頃から何度も、繰り返し言われ続けてきたことだ。そのくらい、幼少の時分から、甘い物に目がなかったのだろう。

 もちろん、菓子職人の焼き菓子に限らない。街に出た際にも、おいしそうな菓子屋を見つけると、ついフラリと立ち寄ってしまう。

 おかげで、甘味が好きではないユリアとサーラには、いつだって呆れ顔をされる始末だ。

『今度から、ヴァルトも連れてくるわ。というより、もうヴァルトと一緒に、菓子屋めぐりをしたらいいのよ』

 これは、先日出かけた際、ユリアに言われた言葉だ。ただ、何となく、菓子に目を向けただけなのに。

「あと、これだけは絶対にお聞きしたかったのですけど、夜着はどんなものを?」

「え?」

 言葉で説明しがたいのか。それとも、説明する言葉を知らないのか。

 シーヴの左人差し指が、そっと唇に触れる。

 しばらくそうしていたが、やがてシーヴは、ゆっくりと口を開いた。

「ヴァルトの夜着の上着の丈を、膝下まで伸ばしたようなものだと思う。下は、夏でも、足首まであるものにしてもらっている」

 ヒリヤに作ってもらっているため、正確な名称はわからない。だから、見たことのある中で、リンネアが思い浮かべやすそうなものを、何となく出したまで。

 だが、それに反応したのは、近くで聞くとはなしに聞いていた少女たちだった。

「ヴァルト様の夜着!?」

 突然の大声に、シーヴはギュッと身をすくめた。恐る恐る声の主たちを見れば、その表情には、大いに鬼気迫るものがある。

「い、いつ見たの!?」

「どうやって!?」

「何色でした!?」

 矢継ぎ早に飛んでくる問いかけに、オロオロとうろたえて。それでも、覚えている質問から順に、何とか答えようと努力する。

「最初に見たのは、こちらに来てすぐだな。その頃は確か、ユリアのサーコートより薄い青色だったか。濃くなったり薄くなったりを繰り返してはいるが、いつも青いものを着ているから、恐らく好きな色なんだろう」

 私服には、こだわりがまったくない。そんなヴァルトが、夜着だけは青で統一されている。そこがひどく不思議で、だからこそ、よく覚えているのだ。

「僕の隣室がヴァルトの部屋だから、夜に部屋から出ていると、ほぼ毎日遭遇するぞ」

 入浴を済ませると、部屋にこもってしまうユハナたちと違い。フラフラ出歩くことの多いヴァルトとシーヴの遭遇率は、自然と他者より高くなる。

 もっとも、会ったところで、翌日の訓練方法しか話題に出ないが。

「と、隣の部屋!?」

 また新しい顔が加わって。今度はなぜ隣室なのかを、説明しなくてはいけなくなってしまった。


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