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「僕の婚約者から離れろぉ!」
「……誰が、誰の、何だと?」
必死の形相で、バシバシと防御魔術を叩いていたマルクが、わめき立てた台詞に。それまで怯んでいたシーヴから、ユラユラと怒りが立ち上った。
髪や瞳の色を変えただけで、あっさりと目の前を素通りした男に。婚約者呼ばわりなど、されたくはない。
そもそも、これまで生きてきて、そんな話が出た記憶さえないのに。
「勝手なことを言いふらすのもいい加減にしろ! 僕は誰かと結婚の約束をした覚えはないし、結婚する気もない!」
内側からでは破壊できない防御魔術を、殴るか蹴るかして。無理矢理、強引に、叩き壊しそうな勢いで。シーヴは目をつり上げて怒鳴る。
その剣幕に、マルクは一瞬怯む。しかしなぜか、ニッコリと満面の笑みを向けた。
「そんなに照れなくたっていいよぉ」
「…………」
一気に呆れたのか。はたまた、怒り心頭に発して、声も出せないのか。
「……僕は、お前をクルタスなしで徹底的に叩き伏せて、二度と僕に近づけないように……ふざけたことを言わせないために、伯母上に剣を習おうと、ここへ来たんだ!」
ギリギリとしぼり出された声は、苛烈な怒気を含んでいる。
たった一度だけ、足を踏み入れたセーデルランドで。自己強化の呪文を一切使わずに、父と対等以上に渡り合った。呪文で強化したはずの父は、彼女が捨てられた事実を告げて。精神的な揺さぶりをかけなければ、勝機がなかったのだ。
そんな話を、両親それぞれから聞かされ続けた。
いつしか、ソーニャのように強くなりたいと。自由に過ごしても文句を言われない環境を、ひっそりと願うようになっていた。
「シーヴのお母さんって、ソーニャさんに傾倒してるんだっけ?」
「お姉様のように、が母上の口癖だったな。僕より弱い男を、母上が絶対に許すはずがないから、何が何でも、誰よりも、強くなりたかったんだ」
誰よりも強くなることで。マルクが堂々と吹聴して歩いている話が、事実無根なのだと。何としても、周囲にきっちり知らしめたかった。
「だけどさぁ、イクセル様でも勝てない化け物女なんかと、比較されてもねぇ」
「……伯母上のことを、何ひとつ知らないくせに……!」
日々の努力を決して怠らず、強くなることに貪欲なソーニャと。日々の訓練中に何度も、命の危機を迎えたアハトを。
この五年、毎日ずっと見てきた。
国で目標としていた父親よりも、より長い時間を。ソーニャはひたすら、鍛錬につぎ込んでいる。
そんなソーニャを、心から尊敬してやまないのだ。
「……オレは、シーヴも結構、ソーニャさんに傾倒してると思うけど?」
ヴァルトは心底楽しげに、小さく笑う。
「それにしても、いい加減、うるさいなぁ」
ガンガン叩く音も。聞いていると無性に苛立ちが募る、情けない声も。さすがに聞き流せなくなったのか。それとも、別の理由か。ヴァルトが不意に顔をしかめた。
「ああいう口調、昔よく聞いたっけ」
そうは言うものの、ヴァルトに懐かしむ様子は、ひとかけらも見られない。
どこか冷ややかな物言いに、ふと心当たりを思い出して。自分の怒りを横に置き、ヴァルトをジッと見上げた。
詳しくは話したくないらしいヴァルトから、無理に聞き出そうとは思わない。けれど、かつてこの身に降りかかったことを思い出して。おおよそ当たっているだろう推測を、何となく口にしてみる。
「兄上がらみか?」
「うん、まぁ、そんなとこ。だからかな……ああいうのを聞いてると、とにかくシメたくなるんだ」
指でスッと、マルクを示したヴァルトに。以前からずっと気になっていた言葉の意味を、ふと聞いてみたくなった。
「前も思ったんだが、そのしめる、というのは、いったいどういうことだ?」
「んー……言葉じゃ説明しづらいし、見せた方が早いかな。セイナ!」
言うなり、ヴァルトは防御魔術を解除する。
急に消えた壁を殴り、よろめいたマルクの腕を素早くつかむ。彼の背中に腕を回して、ひょいとひねり上げ、床にドンと突き飛ばす。
その途中で、表現しがたい、小さな鈍い音がした。
「い、いだだだだだぁっ!」
「……よっと」
悲鳴を上げたマルクの背中に、遠慮なく右ひざを乗せて。動きを封じると、もう片方の腕をつかみ。関節の動きを無視した方向へ、ちょいと軽くひねった。
そうとしか、見えなかった。
「ぎゃぁーっぃー!」
その悲鳴は、とてもではないが、人間の声には聞こえない。シーヴは思わず、両手の平を耳にギュッと、力強く押しつける。
それでも、かすかに絶叫が聞こえる気がした。
キュッと固くつぶっていた目を、思い切って、そろそろと開けてみる。明らかに意識を失ったマルクが、ぐったりと床に転がっていた。
まるで、何もなかったように。ヴァルトがすっくと立ち上がる。
「あいつにやる時に比べたら、半分以下なんだけどなぁ」
恐る恐る手を離した耳に、スルリと入ってきたヴァルトの呟きに。何が、とは聞けなかった。
その代わり、騎士でもすぐに身動きできないやり方で、きっちり投げ飛ばした。そのはずのヴァルトの兄が、どうしてあれほど早く復活したのか。それがしっかりと理解できた。
「ヴァルトの兄上が、やたらと打たれ強いわけだ」
「あいつはこれの何倍やられても懲りないから、ほとんど毎日この調子。しかも、オレより容赦ない姉さんとリンネアがやってるから、打たれ強くて当たり前だって」
はぁ、とヴァルトがため息をつく。
「……ヴァルトの妹も、これができるのか……」
「うん。友達が被害に遭うことが多かったのもあるし、何より姉さん直伝だからね」
「……僕にも、教えてもらえるだろうか?」
問うと、ヴァルトは真剣に考え込んでくれる。
「そりゃあ、姉さんに頼めば、多分喜んで教えてくれると思うけど……シーヴは、覚えてシメたい相手でもいるの?」
ヴァルトの顔には、あからさまに困惑が浮かんでいた。
「いや、それを覚えたら、今より確実に強くなれると思っただけだ」
「でもさ、これと騎士の強さとは、かなり違うと思うけど?」
「いいんだ。こちらで暮らすために必要としているだけで、普段は使うつもりはない」
国を出た時より、圧倒的に強くなって。一度帰国し、強さを見せつける。国には、自分より強い人間は父しかいないからと、再びこちらに戻るつもりでいた。
アウリンクッカの方が、望んでいた形に近い生活ができる。しかも、堅苦しさを嫌う自身の性に、ピッタリと合っているのだ。
「こっちに残るんだ?」
どことなく嬉しそうな表情のヴァルトに、シーヴはパチパチと目を瞬かせる。
「ああ。国に戻る理由もない上に、こちらの方が過ごしやすいからな」
手入れが面倒だと言っても聞いてくれず、髪を伸ばすことを強要する母親も、いちいち相手をすることに嫌気が差すほど、ベタベタ甘やかしてくる父親も。強いゆえに可愛がられているシーヴを、やたらと目の敵にしている兄も。邪魔で迷惑この上ないマルクも、いない。
何より、ここでは、訓練相手のヴァルトを始めとして。とにかく気の合う人間に囲まれていると、実感できる。
「じゃあ、オレはこれをソーニャさんに引き渡して、代わりにリンネアを引き取ってくるよ」
体格差があるからか。マルクを軽々と担ぎ上げるヴァルトに驚き、けれど次に出た名前が、ひどく気にかかる。
「ヴァルトの妹は、可愛い子だったな。今度紹介してくれるか?」
「いいよ。リンネアも、シーヴに会いたがってたし」
ニッコリ微笑んで、マルクを担ぎ直して。ヴァルトは、ソーニャが談笑しているところへ向かっていった。




