37
やっと呼ばれて針子部屋に行くと、ちょうど入れ違いでユリアが出ていった。服や装飾品が散らかった部屋で、ヒリヤと二人きりになる。
着慣れていないシーヴが、いざという時に動きやすいようにと。ヒリヤはさまざまな工夫を凝らして、ドレスを仕立て上げていた。
上半身には、伸縮性のある生地を使った。胸の部分は、無駄な動きをできるだけ阻害するよう、いくらか布を重ねてある。ただし、ギュッと押さえつけるわけではなさそうだ。スカート部分には、のりでがっちり固めた布を下に添えて。それの上から、ふわふわしたやわらかい生地と、レースをふんだんに重ねて。見た目だけは、普通のドレスらしく作ってある。
とどめは、誰かを蹴り上げたり、投げ飛ばしたりする時に、一切ためらいなくできるよう。丈の短いドロワーズまで、きちんと用意されていた点だ。
「でも、これだけじゃないのよ。シーヴちゃんだって、絶対にわからないように、この際徹底的にやっていいって、陛下からバッチリ許可をいただいたし。これとこれと……あ、さらしは取っておいてね」
すぐさま動かなければ、ヒリヤが行動を起こすとわかっている。ため息をついたシーヴは、黙ってさらしを取り始めた。
前髪が厚くて長めの、金茶の髪を丁寧に結い上げたかつらを。見ただけでは用途のわからない、丸くて小さい何かが入った容器を。ヒリヤはテキパキと机に置いて、どんどん準備を進めていく。
普段と違う体型は、それだけで別人だと錯覚させやすい。そこに化粧や髪、目の色で、さらに違いを強調させれば。パッと見ただけでは、まずわからなくなるだろう。ジッと見られても、よく知っている人間が似ていると思う程度のはず。
それが、ヒリヤの提案した作戦だ。
「……私に、できるのかしら?」
高くか細い声を意識し、言葉遣いはユリアを真似ている。話し声を聞いただけでは、誰かわからないと、エリサも感心していた。
ここ何日かは、ヴァルトと話す時でさえ。こちらの声や口調がぽろっと出そうになって、何度冷や汗をかいたかわからない。
「できるか、じゃなくて、やるのよ」
ニヤッと不敵な笑みを浮かべる、度胸の据わったヒリヤに。とてもではないが、逆らうことなど思いもしない。
鏡に映っている自分が、瞬くたびに別人になっていく。それをただ、まじまじと見ているしかできなかった。
「それから、もし誰かにバレちゃったりして、かつらを取ることがあったら……」
ヒリヤの秘密兵器というそれを、彼女が作ったスカートの中の隠し場所にしまって。すべての支度が、無事に終わった。
わざと、人にまぎれながら。シーヴは緊張を隠せない顔で、ゆっくりと広間に入る。
入り口のすぐ近くに、ユリアとリクを見つけて目で合図を送った。ユリアが小さく頷いて、互いに確認しあう。それからシーヴは、キョロキョロしながら、今日の指定場所へ向かった。
その途中で、やけに可愛い女の子を連れたヴァルトとすれ違った。しかし、気づかれなかったようで、ホッと安堵の息を吐いて歩き続ける。
立ち位置に来ると、ユリアたちはもちろん、アハトたちもよく見えた。人込みに埋もれてしまいがちなユハナも、その髪の色でかろうじて居場所がわかる。しかし、リュイスだけは完全にまぎれてしまい、どこにいるのかさっぱりわからなかった。
どのみち、リリヤにつきっきりのリュイスは、今回の頭数に入っていない。見つからなくても、問題は一切ない。
(……ん?)
会場内をグルリと見回していた最中。ユハナではない藍色の髪の男が、こちらに歩いてくるのが見えた。
男の顔には、なぜか見覚えがある。
(なぜ、あいつがここに!?)
動揺が抑えきれずに、わずかに目線が泳いだ。そう、自覚した。
真っ直ぐこちらへ向かってくる男に、知らず知らず警戒してしまう。ふと目が合ったが、まったく目もくれず。キョロキョロと見回して、何かを探し歩いているようだ。
(そうか……僕を探しているんだな。相変わらず気持ち悪い男だ)
シーヴをその目にとらえて、けれど男は、あっさりと目の前で通り過ぎていく。
(しかしながら、ヒリヤの腕は見事だな)
国にいた時は、毎日毎日、物心つく前から何度追い払っても、うんざりするほどしつこく来ていた。
五年ほどの間に、当然、少なからず印象は変わっているかもしれない。それでも、自分を見慣れているはずの男に、ここまで気づかれない。そんなヒリヤの腕に、素直に感嘆の息がこぼれ落ちた。
これで安心して、今日の役割を存分に果たせるというものだ。
目線を、見知った男から広間の中へ、やや強引に戻す。とたんに、左側からフッと影が落ちてきた。
すぐそばに、飲み物を大量に並べたテーブルが置かれている。大方、それが目的だろうと、これっぽっちも気にも留めなかった。
「君、一人?」
影が声をかけてきた。そう認識しなかったため、同じ言葉を二度言われた。
面倒だと思いながら見上げて、真っ先に。薄っぺらでニヤニヤした笑みを、ひどく不快に思う。
もともと、物覚えはいい方ではない。それでも、何となく見覚えがある気がする。恐らく、城の騎士か魔術師なのだろう。
今日は正装が基本だから、服装ではどちらなのか、さっぱりわからない。
「いえ、ソーニャお姉さんに会いに行くところです」
声をかけられたら、まずはこう答えなさい。
そうやってユリアに教え込まれたため、声や口調を意識して答える。
この国で、ソーニャを姉と呼ぶのは、サロヴァー孤児院出身の者しかいない。その意味が、わかる者とわからない者。まずはそのどちらかに振り分けるのだ。
「ふぅん、あの孤児院って、美人ばっかり集まるんだね。もったいない」
言い草にカチンと来たが、どうにかグッと堪える。
ソーニャやヒリヤを始めとして。美人と呼ばれる部類に育った孤児院の者が、城に多く上がっているのはただの偶然だ。
マリッタやリリヤのように、笑顔は愛らしいが容姿は人並み。独立し、街で仕事を見つけて働くうちに、出会った誰かと結婚する娘の方が、ずっと多い。
「よかったら連れて行ってあげるよ。君の名前は?」
「一人で行けますし、初対面の人間に名前を教えるなと、ソーニャお姉さんに厳しく言われていますから」
名乗らないことを前提にしているため、偽名などまったく考えていない。だから、そもそも名乗れない。
何より、城に上がっていながら、ソーニャの恐ろしさを理解できていないらしい。そんな男に、名乗る気などさらさらなかった。
こんな男は無視するに限る。言い訳とはいえ、言った手前、ソーニャに顔を見せておこうか。
そう考え、男の横を抜けようとした。とたんに、いきなり目の前に現れた腕に驚かされる。転びそうになるのを、どうにかグッと踏みとどまる。
「おっと、危ないよ」
支える名目なのか。背中から肩に、スルリと回された腕が、虫唾が走るほど気持ち悪い。不快感で、全身がゾワゾワとあわ立つ。
気がついたら、力任せにそれを振りほどいていた。
「触らないでください!」
ユリアの前で、声を出すことすら苦痛になるほど。みっちり練習させられたかいがあったのか。普段の口調は、完全に影を潜めている。
他人に触れられて、これほどの不快感を覚えたのは、この男で三人目だ。
アウリンクッカに来て、季節がひと巡りしない頃。ちょうど、ヴァルトと訓練をしていた夕方だった。
急に空が暗くなって、セーデルランドでは見たこともない、激しい大雨が降ったことがある。その上、聞いたこともないカミナリというものが、すぐ近くに落ちた。
その時は、音にひどく驚いて、ヴァルトに飛びついてしまった。落ち着くまで、黙ってずっと頭をなでてくれたヴァルトの手には。ひとかけらの不快感すら、感じなかったというのに。
何が違うのかわからないが、感覚は正直だ。
「助けてやったのに、生意気な女だな」
「私の邪魔をしたくせに、そういうことを言うの? だいたい、あなたの手助けがなくても転ばなかったわ」
くだらない本性を現した男に。知らず知らず、口の端をほんのわずかに持ち上げて、つい笑っってしまった。
ユリアやアハトは、もめ事に敏感だ。すぐに気づいて、この男が誰なのかを確定する。そして後日、教育的指導を施す余地があるならば、ソーニャが厳しく鍛える予定だ。余地なしと判断されると、問答無用で城から叩き出される。
どちらにしても、人の集まる場所で無用な騒ぎを起こした、この男の自業自得だ。
「この!」
いきなり右腕をつかまれた。とっさに振りほどく前に、腕を無理にひねり上げられる。不自然な腕の角度に、関節がキシキシきしむ。腕から体に駆け抜ける激痛に、声を出さないよう、必死で歯を食いしばった。
足はまだ、床についている。左腕も、自由に動く。相手に隙ができれば、逆転は十分に可能だ。
痛みでかえって冷静になれたのか。置かれた状況を判断し、シーヴは無表情で首だけ振り返る。視界の隅にとらえた、男の目を真っ直ぐキッと睨みつけた。
「女の子に平気でこういう真似ができるって、同じ男として恥ずかしいなぁ」
降ってきた声に、ヒュッと息を呑む。体が、勝手に強張る。
妹らしい女の子が一緒だったから、きっと来ない。来るなら、アハトだろう。そう読んでいたから、完全に裏をかかれた格好だ。
声を堪えた痛みさえも、今はすっかり忘れてしまっていた。
「しかも、オレが見覚えあるって思うんだから、騎士か魔術師だろ? だったらオレが誰かわかるだろうし、早めに退散するのが得策だって」
すでに、ユリアとアハトの確認が入っていることは、何ひとつ匂わせない。けれど、被害にあった女性のために、なるべく騒動を大きくしない方向で。
きっと、あえてヴァルトは選んでみせたのだろう。
単に騒ぎを起こして、ぼんやり助けを待つだけの自分とは、何もかもが違う。きっと、こんなふうにさりげなく助けることなど、できない。
「うるさい!」
無様さに目をつぶって、無傷で逃げる絶好の好機を逃した男に。かける情けは、もうない。
ヴァルトは両手のひらを、男の腕に向けているようだ。それも、わざと腰を落として、下方から狙いをつけている。
「プキ!」
シーヴの腕をつかんでいる、手の甲をヒュッとかすめて。魔術は広間の天井付近で、何かにぶつかったようにパッと弾けて消えた。ほぼ同時に、男は傷を押さえながら、ヨロヨロと壁に寄りかかる。
自由になったシーヴは、真っ先に広間の中央寄りへ数歩、急いで逃げた。男との間に、スルリとヴァルトが入ってくる。
「ここってね、壁や天井に向かって撃つと、アハトさんが張ってるナイセにぶつかって消えるから、他に被害が出ないんだ」
その壁を背にしている男の額から、つうっと汗が流れ落ちた。次は、命中させられるかもしれない。そんな恐怖からか、膝がガクガクと笑い出している。
右腕だけを男に向け、ヴァルトがスッと口を開いた瞬間。
「はい、そこまで」
アハトの到着で、ヴァルトはあっさり腕を下ろした。
壁に背を預けて、情けなくガタガタ震える男は、もう逃げる気力さえないようだ。
「君、ソーニャさんが後見してるヨウシアだね。こんな騒ぎを起こしてどうなるか、知らないとは言わせないよ?」
「ヨウシア!?」
恐ろしい宣言を受けて、ザッと音を立てて青ざめた男の名に、覚えはない。だが、ヴァルトは違うようだ。
顔を引きつらせたヴァルトに、アハトは知っているのかと尋ねる。
「こいつ、姉さんとつき合ってるらしいんだけど……」
それだけで、この後に起こる騒動を理解したのか。アハトは少しだけ困ったように、けれど爽やかに微笑んだ。
「やるなら城を出てからって、イルミさんに言っておいてね」
「了解いたしましたわ」
化粧のよく映えた顔は、とことん華やかで。ちょいとつまみ上げている、鮮やかな青色のドレスが、雰囲気をピンと張り詰めている。
ツカツカと歩み出てきた女性に、ヴァルトが目を丸くして。アハトは、ちょいと肩をすくめてあらぬ方を見た。
問題の男の顔色は、今や青を通り越して白くなっている。
「さっき、偶然お会いしたユリア様に、しっかり教えていただいたのよ。こいつは美人にホイホイ目移りする最低男だって。事実を確かめに来たらこれだもの。ヴァルトがもう少し遅かったら、私がやっていたわ」
あでやかで華やぐ女性が、ドンと足を踏み鳴らす。直後に、ヴァルトがあからさまな安堵の息を吐き出した。
「さてと、どれがいいかしらね」
(……どれ?)
いったい、どんな選択肢があるのか。それを、問う暇はなさそうだ。
逆らう元気さえなさそうな男を、無理矢理引き立たせて。女性は男を連れて、あっという間に広間を出ていった。
「大丈夫だった?」
ひょいと顔を覗き込むアハトに、こっそりと小声で確認される。ケガをしていないという意味で、一度だけ小さく頷く。
普通の女性ならば、恐らく恐怖で震えているだろう。しかし、こういうことが起こるのも予想の範疇だ。助けが来るとわかっているから、怖いことなどない。
「アハトさんが、来てくださったから」
ほんの一瞬、ヴァルトが顔をゆがめた。その顔のまま、首を傾げている。
「この子に何かあると、ソーニャさんが怖くってね。ヴァルトくんがすぐに気づいてくれて、俺としては助かったよ」
「いや、オレは止めに入っただけだし」
(……?)
もやっとした何かが、喉の奥をふさいでいる。そんな気がして、シーヴは左手でムカムカするところをグッと押さえた。
それでも、別人を装うことは忘れない。
「ヴァルトさん、ありがとうございました」
ユリアの一礼を真似て、披露した直後に。
「……シーヴ?」
(な、なぜ……?)
危険を忘れて、思わずヴァルトをジッと見上げて、固まってしまう。見上げた先には、ひどく驚いた顔。
すべてを知っている、アハトの表情に変化は一切ない。いつものように、にこやかな微笑を浮かべているだけだ。
「……ほんの少しだけ、違うんだ」
考え込んでいたヴァルトが、不意に口を開く。
何が違うのか。そう聞きたいが、なぜか妙に怖くて、声が出せない。
「ソーニャさんやユハナにはない、微妙な違いなんだけどさ……こう、言葉じゃ説明できない感じの、ホントにちょっとした違いなんだけど。ずっと、気になってたんだ。多分あれ、セーデルランドの訛りなんだろうなぁ。で、国交のないこの国じゃ、シーヴ以外の誰かから、あのちょっと変わった言い方、聞いたことないんだよね」
「……う、そだ……」
我を忘れて、呟いていた。
どうしても、ソーニャのように育てたい。そう願う母が送り続けた手紙に根負けし、ソーニャは一人の少女を送ってきた。そして、彼女に言葉を習ったのだ。
教師となった少女には、アウリンクッカでも問題なく生きていける。アウリンクッカ育ちと言われても、納得してしまう。そう、太鼓判を押されたというのに。
どうして、微細な違いがあると、わかるのか。
「なぁ、あの美人がシーヴって、本当か?」
「嘘だろ……」
「別人にしか見えないぞ」
騒ぎを見に来たのか。どんどん集まってくる野次馬の中には、シーヴを知る騎士や魔術師も混ざっている。あちこちからさまざまな驚愕の声が、ちらほらと上がり始めた。
聞こえる言葉に、視線が自然とつま先へ落ちる。
「……外、行こっか」
突然ヴァルトに手をつかまれて、グイッと引っ張られた。何も考えず、その勢いに従う。
集まっていた人をかき分けて。そのまま、庭園へ続く出口から、そろって外に出る。
「俺の耳には、同じにしか聞こえなかったんだけどね。
あ、そっちへは行かないでね」
背中で、唯一の出入り口を封鎖する、穏やかなアハトの声を聞いた。




