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 やっと呼ばれて針子部屋に行くと、ちょうど入れ違いでユリアが出ていった。服や装飾品が散らかった部屋で、ヒリヤと二人きりになる。

 着慣れていないシーヴが、いざという時に動きやすいようにと。ヒリヤはさまざまな工夫を凝らして、ドレスを仕立て上げていた。

 上半身には、伸縮性のある生地を使った。胸の部分は、無駄な動きをできるだけ阻害するよう、いくらか布を重ねてある。ただし、ギュッと押さえつけるわけではなさそうだ。スカート部分には、のりでがっちり固めた布を下に添えて。それの上から、ふわふわしたやわらかい生地と、レースをふんだんに重ねて。見た目だけは、普通のドレスらしく作ってある。

 とどめは、誰かを蹴り上げたり、投げ飛ばしたりする時に、一切ためらいなくできるよう。丈の短いドロワーズまで、きちんと用意されていた点だ。

「でも、これだけじゃないのよ。シーヴちゃんだって、絶対にわからないように、この際徹底的にやっていいって、陛下からバッチリ許可をいただいたし。これとこれと……あ、さらしは取っておいてね」

 すぐさま動かなければ、ヒリヤが行動を起こすとわかっている。ため息をついたシーヴは、黙ってさらしを取り始めた。

 前髪が厚くて長めの、金茶の髪を丁寧に結い上げたかつらを。見ただけでは用途のわからない、丸くて小さい何かが入った容器を。ヒリヤはテキパキと机に置いて、どんどん準備を進めていく。

 普段と違う体型は、それだけで別人だと錯覚させやすい。そこに化粧や髪、目の色で、さらに違いを強調させれば。パッと見ただけでは、まずわからなくなるだろう。ジッと見られても、よく知っている人間が似ていると思う程度のはず。

 それが、ヒリヤの提案した作戦だ。

「……私に、できるのかしら?」

 高くか細い声を意識し、言葉遣いはユリアを真似ている。話し声を聞いただけでは、誰かわからないと、エリサも感心していた。

 ここ何日かは、ヴァルトと話す時でさえ。こちらの声や口調がぽろっと出そうになって、何度冷や汗をかいたかわからない。

「できるか、じゃなくて、やるのよ」

 ニヤッと不敵な笑みを浮かべる、度胸の据わったヒリヤに。とてもではないが、逆らうことなど思いもしない。

 鏡に映っている自分が、瞬くたびに別人になっていく。それをただ、まじまじと見ているしかできなかった。

「それから、もし誰かにバレちゃったりして、かつらを取ることがあったら……」

 ヒリヤの秘密兵器というそれを、彼女が作ったスカートの中の隠し場所にしまって。すべての支度が、無事に終わった。

 わざと、人にまぎれながら。シーヴは緊張を隠せない顔で、ゆっくりと広間に入る。

 入り口のすぐ近くに、ユリアとリクを見つけて目で合図を送った。ユリアが小さく頷いて、互いに確認しあう。それからシーヴは、キョロキョロしながら、今日の指定場所へ向かった。

 その途中で、やけに可愛い女の子を連れたヴァルトとすれ違った。しかし、気づかれなかったようで、ホッと安堵の息を吐いて歩き続ける。

 立ち位置に来ると、ユリアたちはもちろん、アハトたちもよく見えた。人込みに埋もれてしまいがちなユハナも、その髪の色でかろうじて居場所がわかる。しかし、リュイスだけは完全にまぎれてしまい、どこにいるのかさっぱりわからなかった。

 どのみち、リリヤにつきっきりのリュイスは、今回の頭数に入っていない。見つからなくても、問題は一切ない。

(……ん?)

 会場内をグルリと見回していた最中。ユハナではない藍色の髪の男が、こちらに歩いてくるのが見えた。

 男の顔には、なぜか見覚えがある。

(なぜ、あいつがここに!?)

 動揺が抑えきれずに、わずかに目線が泳いだ。そう、自覚した。

 真っ直ぐこちらへ向かってくる男に、知らず知らず警戒してしまう。ふと目が合ったが、まったく目もくれず。キョロキョロと見回して、何かを探し歩いているようだ。

(そうか……僕を探しているんだな。相変わらず気持ち悪い男だ)

 シーヴをその目にとらえて、けれど男は、あっさりと目の前で通り過ぎていく。

(しかしながら、ヒリヤの腕は見事だな)

 国にいた時は、毎日毎日、物心つく前から何度追い払っても、うんざりするほどしつこく来ていた。

 五年ほどの間に、当然、少なからず印象は変わっているかもしれない。それでも、自分を見慣れているはずの男に、ここまで気づかれない。そんなヒリヤの腕に、素直に感嘆の息がこぼれ落ちた。

 これで安心して、今日の役割を存分に果たせるというものだ。

 目線を、見知った男から広間の中へ、やや強引に戻す。とたんに、左側からフッと影が落ちてきた。

 すぐそばに、飲み物を大量に並べたテーブルが置かれている。大方、それが目的だろうと、これっぽっちも気にも留めなかった。

「君、一人?」

 影が声をかけてきた。そう認識しなかったため、同じ言葉を二度言われた。

 面倒だと思いながら見上げて、真っ先に。薄っぺらでニヤニヤした笑みを、ひどく不快に思う。

 もともと、物覚えはいい方ではない。それでも、何となく見覚えがある気がする。恐らく、城の騎士か魔術師なのだろう。

 今日は正装が基本だから、服装ではどちらなのか、さっぱりわからない。

「いえ、ソーニャお姉さんに会いに行くところです」

 声をかけられたら、まずはこう答えなさい。

 そうやってユリアに教え込まれたため、声や口調を意識して答える。

 この国で、ソーニャを姉と呼ぶのは、サロヴァー孤児院出身の者しかいない。その意味が、わかる者とわからない者。まずはそのどちらかに振り分けるのだ。

「ふぅん、あの孤児院って、美人ばっかり集まるんだね。もったいない」

 言い草にカチンと来たが、どうにかグッと堪える。

 ソーニャやヒリヤを始めとして。美人と呼ばれる部類に育った孤児院の者が、城に多く上がっているのはただの偶然だ。

 マリッタやリリヤのように、笑顔は愛らしいが容姿は人並み。独立し、街で仕事を見つけて働くうちに、出会った誰かと結婚する娘の方が、ずっと多い。

「よかったら連れて行ってあげるよ。君の名前は?」

「一人で行けますし、初対面の人間に名前を教えるなと、ソーニャお姉さんに厳しく言われていますから」

 名乗らないことを前提にしているため、偽名などまったく考えていない。だから、そもそも名乗れない。

 何より、城に上がっていながら、ソーニャの恐ろしさを理解できていないらしい。そんな男に、名乗る気などさらさらなかった。

 こんな男は無視するに限る。言い訳とはいえ、言った手前、ソーニャに顔を見せておこうか。

 そう考え、男の横を抜けようとした。とたんに、いきなり目の前に現れた腕に驚かされる。転びそうになるのを、どうにかグッと踏みとどまる。

「おっと、危ないよ」

 支える名目なのか。背中から肩に、スルリと回された腕が、虫唾が走るほど気持ち悪い。不快感で、全身がゾワゾワとあわ立つ。

 気がついたら、力任せにそれを振りほどいていた。

「触らないでください!」

 ユリアの前で、声を出すことすら苦痛になるほど。みっちり練習させられたかいがあったのか。普段の口調は、完全に影を潜めている。

 他人に触れられて、これほどの不快感を覚えたのは、この男で三人目だ。

 アウリンクッカに来て、季節がひと巡りしない頃。ちょうど、ヴァルトと訓練をしていた夕方だった。

 急に空が暗くなって、セーデルランドでは見たこともない、激しい大雨が降ったことがある。その上、聞いたこともないカミナリというものが、すぐ近くに落ちた。

 その時は、音にひどく驚いて、ヴァルトに飛びついてしまった。落ち着くまで、黙ってずっと頭をなでてくれたヴァルトの手には。ひとかけらの不快感すら、感じなかったというのに。

 何が違うのかわからないが、感覚は正直だ。

「助けてやったのに、生意気な女だな」

「私の邪魔をしたくせに、そういうことを言うの? だいたい、あなたの手助けがなくても転ばなかったわ」

 くだらない本性を現した男に。知らず知らず、口の端をほんのわずかに持ち上げて、つい笑っってしまった。

 ユリアやアハトは、もめ事に敏感だ。すぐに気づいて、この男が誰なのかを確定する。そして後日、教育的指導を施す余地があるならば、ソーニャが厳しく鍛える予定だ。余地なしと判断されると、問答無用で城から叩き出される。

 どちらにしても、人の集まる場所で無用な騒ぎを起こした、この男の自業自得だ。

「この!」

 いきなり右腕をつかまれた。とっさに振りほどく前に、腕を無理にひねり上げられる。不自然な腕の角度に、関節がキシキシきしむ。腕から体に駆け抜ける激痛に、声を出さないよう、必死で歯を食いしばった。

 足はまだ、床についている。左腕も、自由に動く。相手に隙ができれば、逆転は十分に可能だ。

 痛みでかえって冷静になれたのか。置かれた状況を判断し、シーヴは無表情で首だけ振り返る。視界の隅にとらえた、男の目を真っ直ぐキッと睨みつけた。

「女の子に平気でこういう真似ができるって、同じ男として恥ずかしいなぁ」

 降ってきた声に、ヒュッと息を呑む。体が、勝手に強張る。

 妹らしい女の子が一緒だったから、きっと来ない。来るなら、アハトだろう。そう読んでいたから、完全に裏をかかれた格好だ。

 声を堪えた痛みさえも、今はすっかり忘れてしまっていた。

「しかも、オレが見覚えあるって思うんだから、騎士か魔術師だろ? だったらオレが誰かわかるだろうし、早めに退散するのが得策だって」

 すでに、ユリアとアハトの確認が入っていることは、何ひとつ匂わせない。けれど、被害にあった女性のために、なるべく騒動を大きくしない方向で。

 きっと、あえてヴァルトは選んでみせたのだろう。

 単に騒ぎを起こして、ぼんやり助けを待つだけの自分とは、何もかもが違う。きっと、こんなふうにさりげなく助けることなど、できない。

「うるさい!」

 無様さに目をつぶって、無傷で逃げる絶好の好機を逃した男に。かける情けは、もうない。

 ヴァルトは両手のひらを、男の腕に向けているようだ。それも、わざと腰を落として、下方から狙いをつけている。

「プキ!」

 シーヴの腕をつかんでいる、手の甲をヒュッとかすめて。魔術は広間の天井付近で、何かにぶつかったようにパッと弾けて消えた。ほぼ同時に、男は傷を押さえながら、ヨロヨロと壁に寄りかかる。

 自由になったシーヴは、真っ先に広間の中央寄りへ数歩、急いで逃げた。男との間に、スルリとヴァルトが入ってくる。

「ここってね、壁や天井に向かって撃つと、アハトさんが張ってるナイセにぶつかって消えるから、他に被害が出ないんだ」

 その壁を背にしている男の額から、つうっと汗が流れ落ちた。次は、命中させられるかもしれない。そんな恐怖からか、膝がガクガクと笑い出している。

 右腕だけを男に向け、ヴァルトがスッと口を開いた瞬間。

「はい、そこまで」

 アハトの到着で、ヴァルトはあっさり腕を下ろした。

 壁に背を預けて、情けなくガタガタ震える男は、もう逃げる気力さえないようだ。

「君、ソーニャさんが後見してるヨウシアだね。こんな騒ぎを起こしてどうなるか、知らないとは言わせないよ?」

「ヨウシア!?」

 恐ろしい宣言を受けて、ザッと音を立てて青ざめた男の名に、覚えはない。だが、ヴァルトは違うようだ。

 顔を引きつらせたヴァルトに、アハトは知っているのかと尋ねる。

「こいつ、姉さんとつき合ってるらしいんだけど……」

 それだけで、この後に起こる騒動を理解したのか。アハトは少しだけ困ったように、けれど爽やかに微笑んだ。

「やるなら城を出てからって、イルミさんに言っておいてね」

「了解いたしましたわ」

 化粧のよく映えた顔は、とことん華やかで。ちょいとつまみ上げている、鮮やかな青色のドレスが、雰囲気をピンと張り詰めている。

 ツカツカと歩み出てきた女性に、ヴァルトが目を丸くして。アハトは、ちょいと肩をすくめてあらぬ方を見た。

 問題の男の顔色は、今や青を通り越して白くなっている。

「さっき、偶然お会いしたユリア様に、しっかり教えていただいたのよ。こいつは美人にホイホイ目移りする最低男だって。事実を確かめに来たらこれだもの。ヴァルトがもう少し遅かったら、私がやっていたわ」

 あでやかで華やぐ女性が、ドンと足を踏み鳴らす。直後に、ヴァルトがあからさまな安堵の息を吐き出した。

「さてと、どれがいいかしらね」

(……どれ?)

 いったい、どんな選択肢があるのか。それを、問う暇はなさそうだ。

 逆らう元気さえなさそうな男を、無理矢理引き立たせて。女性は男を連れて、あっという間に広間を出ていった。

「大丈夫だった?」

 ひょいと顔を覗き込むアハトに、こっそりと小声で確認される。ケガをしていないという意味で、一度だけ小さく頷く。

 普通の女性ならば、恐らく恐怖で震えているだろう。しかし、こういうことが起こるのも予想の範疇だ。助けが来るとわかっているから、怖いことなどない。

「アハトさんが、来てくださったから」

 ほんの一瞬、ヴァルトが顔をゆがめた。その顔のまま、首を傾げている。

「この子に何かあると、ソーニャさんが怖くってね。ヴァルトくんがすぐに気づいてくれて、俺としては助かったよ」

「いや、オレは止めに入っただけだし」

(……?)

 もやっとした何かが、喉の奥をふさいでいる。そんな気がして、シーヴは左手でムカムカするところをグッと押さえた。

 それでも、別人を装うことは忘れない。

「ヴァルトさん、ありがとうございました」

 ユリアの一礼を真似て、披露した直後に。

「……シーヴ?」

(な、なぜ……?)

 危険を忘れて、思わずヴァルトをジッと見上げて、固まってしまう。見上げた先には、ひどく驚いた顔。

 すべてを知っている、アハトの表情に変化は一切ない。いつものように、にこやかな微笑を浮かべているだけだ。

「……ほんの少しだけ、違うんだ」

 考え込んでいたヴァルトが、不意に口を開く。

 何が違うのか。そう聞きたいが、なぜか妙に怖くて、声が出せない。

「ソーニャさんやユハナにはない、微妙な違いなんだけどさ……こう、言葉じゃ説明できない感じの、ホントにちょっとした違いなんだけど。ずっと、気になってたんだ。多分あれ、セーデルランドの訛りなんだろうなぁ。で、国交のないこの国じゃ、シーヴ以外の誰かから、あのちょっと変わった言い方、聞いたことないんだよね」

「……う、そだ……」

 我を忘れて、呟いていた。

 どうしても、ソーニャのように育てたい。そう願う母が送り続けた手紙に根負けし、ソーニャは一人の少女を送ってきた。そして、彼女に言葉を習ったのだ。

 教師となった少女には、アウリンクッカでも問題なく生きていける。アウリンクッカ育ちと言われても、納得してしまう。そう、太鼓判を押されたというのに。

 どうして、微細な違いがあると、わかるのか。

「なぁ、あの美人がシーヴって、本当か?」

「嘘だろ……」

「別人にしか見えないぞ」

 騒ぎを見に来たのか。どんどん集まってくる野次馬の中には、シーヴを知る騎士や魔術師も混ざっている。あちこちからさまざまな驚愕の声が、ちらほらと上がり始めた。

 聞こえる言葉に、視線が自然とつま先へ落ちる。

「……外、行こっか」

 突然ヴァルトに手をつかまれて、グイッと引っ張られた。何も考えず、その勢いに従う。

 集まっていた人をかき分けて。そのまま、庭園へ続く出口から、そろって外に出る。

「俺の耳には、同じにしか聞こえなかったんだけどね。

 あ、そっちへは行かないでね」

 背中で、唯一の出入り口を封鎖する、穏やかなアハトの声を聞いた。


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