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ユリアの姿が、完全に見えなくなってから。待ち構えていたトゥーラがいそいそと、ヴァルトに声をかけた。
「あの、私……ヴァルトさんが好きです」
「悪いけど、何を言われてもお断りだから」
全員を、ほぼ同じ文言で断っている。とはいえ、面倒ごとは、一刻も早く終わらせたい。
「オレ、訓練してる方が楽しいんだ。仮に付き合ったとしても、君といる時間より、他の人といる時間の方が長くなるってわかってるし。それにオレ、君の名前も覚えてないし」
先ほど、ユリアの話で出てきたような気もするが、正直思い出せない。
誠意のない真似はできないし、したくない。だから、たとえ内容は変わらなくても。今までも、きちんと余すことなく、理由を伝えてきた。
ヘンリクは、身内の名前と顔をすべて覚えているのだが、地理はまったく覚えない。主要な生活範囲の居住棟すら、迷子になる。
対してヴァルトは、地理にはめっぽう明るく、初めての土地でもすぐに覚えてしまう。しかし、日々顔を合わせる人間以外の顔や名前は、なかなか覚えられない。しかも、しばらく時間が経つと、たいていはスルッと忘れてしまう。
それでもいい、と言い出す娘ならば、なおさら遠慮したい。
「私……」
名乗ろうとしたのか。それとも、詰め寄ろうとしたのか。はたまた、泣き出しそうなところを堪えたのか。
「ヴァルト、そこにいたのか!」
威勢のいい声が、しっとりした雰囲気を粉々にぶち壊す。
少女は、いったいどうしたかったのか。これっぽっちも推察できないほど、呆然とした表情で固まってしまった。
「聞いたか?」
「何を?」
五年の間に、普段の手入れが面倒と感じない程度に髪を伸ばして。体型に定評のあるソーニャよりも、さらに女性らしい体つきを手に入れた。
今ならば、ソーニャが見ても性別を間違えないのでは。そう感じるくらいには見違えた、シーヴがバタバタとヴァルトに駆け寄る。
「今日から、あの新しい訓練場を使っていいそうだ。リュイスの魔術と伯母上の剣に、立派に耐えられる施設だと、確認が終了したらしい」
一度は、騎士専用と魔術師専用の訓練施設を作らせた。しかしそれは、ソーニャとリュイスが立て続けに破壊してしまった。
どうせ新しく作るなら、ヴァルトと一緒に訓練できる場所が欲しい。
そう注文をつけたシーヴの意見に、大いに納得したらしく。エリサの命令で、ふたつ分の訓練施設の跡地に、より頑丈で広い訓練施設を作り上げたのだ。
昨日、できたばかりの施設で、真っ先にソーニャとリュイスが強度を試した。やらかしても、施設の壁や床が無傷だったことを、入念にきっちりと確かめてある。
「早速、訓練に行かないか?」
「あー、うん、行くけど、ちょっと待ってて」
この上なく興奮した様子で、待ち望んでいたものの話をするシーヴの目には。どうやら、訓練相手のヴァルトしか入っていなかったようだ。
制止されて初めて。ひどく気まずそうなヴァルトのそばに立つ、魔術師の少女に気がついた。
「ヴァルトの彼女か?」
「違う」
シーヴが首をかしげて問うと、一瞬も迷うことなく、ヴァルトは即座否定した。
それを聞いて、がっくりと肩を落とす少女を。他人の恋心をちっとも解さないシーヴは、かわいそうだとすら思わなかったらしい。
そもそも、雰囲気でわかるならば。こんな時にわざわざ、訓練の話で突っ込んでこないだろう。
「さっき言ったとおりだから。じゃあね」
さっさと背中を向けて、ヴァルトはシーヴと歩き出す。
互いに顔を向け合って、並んで歩く二人は、傍目にはとにかく似合いに見える。
この二人がどうなるか。騎士や魔術師の間では、これをネタに、賭けが公然と行われているほどだ。
もっとも、交わす会話を聞いてしまったら。恐らく、賭けを取りやめる方向へと、あっさり傾くだろう。
「それにしても、伯母上の剣に耐えられる施設を本当に作るとは……陛下は素晴らしい方だな!」
「有言実行がモットーらしいからなぁ。ユハナとユリアが姫様付きになったのも、ソーニャさんとアハトさんの子供をそうするって、王女時代から宣言してたからだって言うし」
ユハナもユリアも、生まれるずっと以前から、青をまとう運命を決定されていた。
ただし、すべてに従うつもりはない。エルミを見て、これから国を導いていくことになる彼女を守ると、自分たちで決めたのだ。
すくすくと育ち、日々王女にふさわしくなるエルミに。シーヴもヴァルトも、いずれ彼女の従者になることを、悪くないと思い始めている。
「これで、中庭に大きな穴を開けるなと、ユリアに怒られずに済むな」
シーヴが剣を空振りして、ぽっかり開けた穴と同じ場所に。運悪く、ヴァルトの攻撃魔術が、これまたざっくり突き刺さって。意味もなく、被害が拡大した。
補修のために、しばらく中庭を使うことができなくなって。二人はユリアに、こっぴどく叱られたのだ。
その時のユリアの剣幕を思い出し、互いに顔を見合わせて苦笑する。
「まぁ、せっかくだから、新しい訓練施設で思いっきり訓練しようか」
今日はどんな内容の訓練をしようか。
そんな、色気のない話題を、楽しそうに話しながら。二人は真っ直ぐ、真新しい建物へと向かっていった。
‡
和気藹々と、話の弾んでいる様子の、ヴァルトとシーヴを黙って見つめて。トゥーラは、初めてヴァルトと目が合った日のことを、何とはなしに思い出していた。
『大丈夫?』
一応、防御型の魔術師だ。しかし、『地獄の訓練』でリクの魔術に耐え切れず、早々に膝をついてしまった。そこにたまたま通りかかったヴァルトが、ついでにと治癒魔術をかけてくれたのだ。
本当に通りすがっただけらしく。彼はすぐに、もっと悲惨なことになっている騎士たちの治癒に向かってしまった。
(なんてカッコイイ人なの……まるで王子様みたい!)
騎士たちをぱっぱと治癒して歩きながら、たまにユリアと仲良く談笑する姿も目撃した。
黒い上着だから、かろうじてシーヴと判断できる人と、訓練をして。楽しそうに笑っているヴァルトも、通りかかった中庭で何度か見かけた。
「ヴァルト、手を抜くなと言っただろう!」
おかげで、彼の名前も早々にわかった。
(ユリア様は、リクさんと婚約したわ。シーヴさんとは、男友達のようだったのに……)
ヴァルトが、少女たちの告白を、ことごとく断っているという話を聞くうちに。自分のことを、ジッと待っていてくれているのではないか。そう考えるようになった。
思い切って告白してみよう。
ようやく考えられるようになった時には、ヴァルトは訓練を理由に、トゥーラ以外の娘を振ってしまったのだ。
(私を、待っていたのではなかったの?)
名前を、全然覚えていなかった。
困った顔しか、見ていない。
笑いかけて、欲しかっただけなのに。
(シーヴさんには、あんなに素敵な笑顔を見せているのに……どうして?)
がっくりと膝をついて、泣き崩れそうになった。その瞬間、脳裏に唐突に、ひとつの想像が舞い降りてくる。
「そうだわ……きっと、ヴァルトさんは、シーヴさんが好きなんだわ」
もし、ユリアがこの呟きを聞いていたら。それこそ、腹を抱えて大笑いしただろう。
どうおまけして見ても、今のヴァルトとシーヴは、せいぜい友人だ。より的確に表現するなら、ただの訓練仲間か、同僚と見るのが正しい。
「あんな綺麗な人を相手に、どうしたら私に目を向けてもらえるのかしら?」
どこまでも真剣な顔で、トゥーラはあれこれ思案し始めた。
‡
『今日のシーヴさんは、ヴァルトさんのナイセに阻まれて、至近距離からシヴェを受けたわ。ベストがあるから体に直接当たっていないけど、やっぱり痛いのかしら? ちょっとだけ顔をしかめていたわ。綺麗な人って、あんな表情も様になるのね』
「うーん……」
「シーヴったら、どうしたの?」
腕を組んで思い悩む様子のシーヴに、ユリアが何気なく声をかける。同性のよしみか、サーラもかなり気にしているようだ。ユリアの隣から、ジッと心配そうに見つめている。
「最近、妙な視線を感じるんだ。ちょっと不気味で、言葉では表現しがたい感覚なんだ」
ベトベトして絡みつくようでいて、不意に鋭く射抜くような。好意や憎悪といった感情も、一切感じられない。
強いて言うなら、一挙手一投足を、余すことなく観察されている。そういう気分にさせられる、ある種不愉快な視線だ。
だからこそ、まったく理解できなくて、ただひたすら不気味で。
「シーヴさんを、好きな方かもね」
「それはない」
年頃の少女らしい、柔軟な発想を見せるサーラの言葉を。シーヴはあっさりと、ばっさりと切り捨てた。
自分のことは、自分が一番わかっている。そう言いたいシーヴだが、最大の理解者はユリアだ。そのくらいは、さすがに自覚している。
「訓練場で毎日、ヴァルトとの訓練を見てるまともな騎士や魔術師は当然として、よ? 例の訓練で、毎回ボロボロにされてる騎士たちには、お母さんやユハナと重なることもあって、やっぱり怖がられてるでしょ? 魔術師たちだって、体格のいい騎士たちをバンバンなぎ倒すシーヴを見たら、やっぱりそんな気持ちにはならないと思うの」
冷静に、きっぱりと。的確な判断を下すユリアに、シーヴはコクコク頷くことで同意を示す。だが、続いた言葉に、シーヴは大いに脱力してしまう。
「ヴァルト以外でいるとしたら、よっぽどの変態ね」
なぜ、ヴァルトが除かれたのか。一瞬、わからなかった。しかし、ほんの少し冷静に考えてみれば、一度も勝ったことがないのだ。
脅威にならないのだから、そういう目で見る可能性もある。恐らく、そういうことだろう。
そもそも、ヴァルトは、そういったことに無縁だと思う。けれども、無理矢理納得してみる。
「……そんなやつ、とっくにユリアが報告して、陛下がさっさと追い出してるだろう?」
役目をわかっているシーヴに、ズバッと突っ込まれて。ユリアはちょいと肩をすくめることで、さりげなく肯定した。
ユリアとアハトだけ。騎士や魔術師にふさわしくない者が目についた場合、エリサに報告する義務がある。
他は、よほど気になった者だけ報告するよう言われている。そう考えると、エリサに大いに信頼されている、と言えば聞こえはいい。反面、暗に一番目ざといと言われているようで。
「さすがに、個々の性癖までは把握してないわ。だいたい、物陰からジッと見つめてつけ回すような気持ち悪い人がいたら、誰だってすぐに陛下に報告するでしょ? ただ、シーヴじゃなくって、ヴァルトだったら……私にも、いくつか心当たりがあるんだけどね」
見られている当の本人が、これっぽっちも気づいていない。しかも、時々見に来ている程度だから、エリサに報告するほどでもなさそうだ。そう考え、ユリアはこれまで見逃していた。
ところが、ここ最近、ヴァルトを見る彼女の姿を、一度も発見していない。
「誰が見てるのか気になるから、私もシーヴたちの訓練についていこうかしら」
「わたしは訓練を見ているしかできないし、知らない人がいないか、周りを気にしておくわね」
年下のはずの二人が、やけに心強くて。シーヴは口角を、そうとわからないほどわずかに吊り上げて、しっとりと微笑んだ。




