18
中庭で、ぼんやりと立ち尽くす人物に。アハトは知らず知らず目を見開いて、すぐに懐かしそうに目を細める。
(初めて会った頃の、ソーニャさんと同じくらいの年かな? 何だか、ソーニャさんが髪を短くしたみたいだ)
ユハナたちが、なぜ男だと思ったのか。それが知りたくなるほど、髪の短いソーニャにしか見えない。
長いポニーテールをユラユラと揺らして、剣を振るう。彼女の凛々しい姿は、二十六年経っても、いつまでも変わらず綺麗だ。
思いがけないことが起きると、目を丸くしてちょっとだけ怯んで。それでも、負けず嫌いだから、どうにかして反撃をしてくる。それでいて、反撃に成功した時に、心から満足げに微笑むのが、本当にたまらなく可愛い。
綺麗とか可愛いとか。思ったことを正直に口に出すと、必ず照れて無表情になる。
どんな彼女を見ても、いつまでも独占していたいほど、相変わらず愛しくてたまらない。
「君が、シーヴちゃん?」
声をかけると、ビクッと驚いて、恐る恐る振り向いた。
それがまた、不意を突いた時のソーニャを思い出させる。
「お前は?」
(口調までそっくりって聞いてたけど、本当にソーニャさんみたいだ)
『お前が、姫様の魔術師か?』
出会った日の、ソーニャの第一声が。不意打ちで鮮やかによみがえって。
込み上げる笑いをどうにか堪えながら、アハトは名乗った。
「俺は、筆頭女王魔術師のアハト・サロヴァーラだよ」
「僕はセーデルランド国の王子、シーヴ・ミルヴェーデンだ」
結局、どうしても堪えきれずに、ブッと吹き出してしまう。
この顔に王子と名乗られたユハナたちが、なぜか素直に男と信じたことを。今は、不思議と納得できた。
ソーニャには、かろうじてあったやわらかさが、シーヴにはまったくない。はっきり言ってしまえば、口を開くと、ソーニャよりずっと男らしいのだ。
「ああ、笑ってゴメンね。君は本当に、イクセルくんの娘なんだね」
ソーニャを捨てた家の名前を、忘れるはずがない。今、その名を受け継ぐのは、王の子供しかいないことも知っている。
「知ってるのか」
「イクセルくんにもマルグレットさんにも会ったことがあるし、わかるよ」
当時の王子イクセルに似て、キリッとした顔立ち。その上、誰よりも強かった。だからソーニャは、強きをもてはやすセーデルランドの女性たちに、大いにモテた。もちろん、男性も決して例外ではない。
強いことを理由に、次の王をソーニャにしよう。
そんな声まで、ぽつぽつ上がり始めたことで。ソーニャは、絶対に係わり合いになりたくないと、さっさとセーデルランドを後にした。
中でも、ソーニャに特に夢中だったのが、イクセルの妻マルグレットだ。滞在中は、それこそアハトが入り込む隙間もないほど、ソーニャに張りついていた。
だからこそ、気になる点がある。
「君は、髪を伸ばさなかったの?」
あれほど傾倒していたマルグレットが、娘の髪を短くするとは思えなかった。手入れのためですら、渋々にしか許可を出さないだろう。
何しろ、まだ幼い息子まで、長髪にしそうな勢いだったのだから。
「母上が、伯母上のようになれと言うから伸ばしていたが、前々から手入れが面倒で、国を出る時に切ったんだ」
「なるほど……その方向にソーニャさんなんだね」
女性騎士を自慢したがるエリサのため。見た目でわかりやすいように、ソーニャは髪を伸ばしたままでいる。
だが、私服となると話は別だ。女性の服は着るのが手間だからと、男物しか買ってこない。
あの髪型にしているのも、簡単にできて邪魔になりにくいから。そんなどうしようもない理由であることは、アハトくらいしか知らない。
そんなふうに、少し不思議な角度で面倒くさがるところが、とてもよく似ている。そう、アハトは思う。
「確か君は、ソーニャさんに会いにきたんだよね?」
「ああ」
力強く頷くシーヴに、アハトはニッコリと笑顔を向ける。
「じゃあ、ソーニャさんの部屋……は俺が勝手に入ると怒るから、姫の執務室の方がいいかな? 案内するよ」
手招くアハトに、サッと並んで歩き出してから。シーヴは、ジッとアハトを見上げた。
「お前は、魔術師の割りに、ずいぶんと背が高いんだな。剣を持ったら、以外と強いのではないか?」
後半を聞いた瞬間、アハトが再び噴き出す。
「あははっ、残念だけど、俺は剣なんて、持ち上げることもできないから。この荷物だって、服一枚増えたら、多分持って歩けないよ」
ヨタヨタと、よろめきながら。アハトはのんびりと歩いていく。
しばらく、黙って追っていたシーヴを、不意にアハトが立ち止まって振り向いた。真顔で、ジッとシーヴを見下ろしている。
シーヴは口を真一文字に引き結び、対抗するようにしげしげと見上げた。
「歩くのが、速かったかな?」
「え?」
先ほどよりさらに速度を落とし、アハトとしてはかなりゆっくりと歩き出す。
この際、荷物が重くてつらい、などとは言わない。
「俺は普通に歩いてるつもりなんだけど、よく姫とソーニャさんに、速すぎるって怒られるんだよね」
歩幅が違うのだから合わせなさい。エリサにはそういつも言われるが、ついつい忘れてしまうのだ。
そのためか、最近はソーニャとエリサが並んで先頭を歩く。アハトたちは後ろから、悠々とついていく形で収まっている。
「僕はさっきの速度でかまわない」
「そっか。まぁ、でも、ソーニャさんがユハナの顔を見てる頃だから、少しのんびり行こうかな」
「ユハナか……初日以来、顔を見ていないな」
今すぐ会いに行く。
そう言い出しかねないシーヴに。エリサとソーニャに鍛えられたアハトは、実にさりげなく話題をそらす。
「そういえば、姫の執務室には、ソーニャさんお気に入りの、甘くておいしいお菓子があるんだよ」
「伯母上の?」
「うん。君も食べてみる?」
少し迷う素振りを見せたのは、菓子を女子供の食べ物と認識しているからか。
結局、誘惑に勝てなかったのか。最終的に、シーヴは恥ずかしげに、小さく頷いた。
ドアをノックし、中からの返事を待つ。
「どうぞ」
ここで待たない癖のあるリュイスは、重い木製の置物を投げつけられている。しかもそれは、机の上に常備されている、最強の凶器だ。
「シーヴちゃんを連れてきたんですけど、ここでいいですよね?」
「かまわなくてよ。アハトじゃ、ソーニャの部屋に入って待っていられないでしょう?」
以前、ソーニャが在室の際に、用事があって入ったことがある。短い滞在時間で、うっかり物の位置を変えてしまって以来。アハトの入室は、固く禁止されている。
「そんなことしたら、ソーニャさんが怖いでしょ」
なぜか、部屋に入ったことが知られてしまうから。約束を破ろうものなら、アハトの逃げ場は、ユリアかリクの部屋しかない。
ユリアの方が、確かにまだ、気兼ねしなくていい。だが、少女趣味丸出しの、とことん可愛らしい部屋には、さすがに長居したくない。かといって、リクの場合は、ユリアに対する惚気話が炸裂するだろう。そうなれば、意地でもお返しをしたくなりそうで、これまた居づらいのだ。
「ヘンリク、ソーニャにここへ来るよう、伝えてきてちょうだい。……アハトの部屋だもの、さすがに大丈夫よね?」
「うん、多分……」
「……ごめんなさい。やっぱりアハトにお願いするわ」
外から執務室まで。ひとつしかない入り口から入って、目の前の階段を最上階まで上るだけ。
それでも一人で帰って来れないヘンリクが、いきなり逆走しそうで。エリサは消去法で、アハトに頼む以外なくなった。
「じゃあ、シーヴちゃんに、ソーニャさんが好きなあのお菓子をあげてください」
「わかったわ」
エリサが自ら、棚の中にしっかりとしまわれていた菓子入れを、テーブルの上にドンと置いてふたを開ける。
ふわっと、甘い香りが鼻をくすぐった。
「うっ……」
気分が悪そうに、エリサは急いで、菓子入れから思い切り距離を取る。
昨日、リュイスが帰還を伝えていたからだろう。出て行く前に入っていた分は廃棄して、新しいものをたっぷり詰めていたようだ。
「それが、ソーニャの好きな焼き菓子よ」
テーブルに置いてあると、誰かが勝手に食べるかもしれない。そんな無意味な警戒をして、ソーニャ専用とばかりに棚の中にしまわれているものだ。
勝手に出しても、ソーニャに文句ひとつ言われないのは、エリサとヘンリクくらいだろう。
「わたくしの選んだ菓子職人が、丹精込めて作ったものなの。好きなだけお食べなさい」
「いただきます」
恐る恐るひとつを手に取り、シーヴはひょいと口に入れる。
サクッと軽い音がして、あっという間にほろりと溶けて消えていった。
後に残るのは、ただふわりとした甘さだけ。
「おいしい!」
ついつい、次に手が出てしまうほど。歯ざわりが軽快で、口に残るやわらかな甘みが優しい。
「ふふっ、顔だけでなくて、味覚もソーニャたちに似ているようね」
この焼き菓子を、ソーニャだけでなくユハナも気に入っている。だが、アハトはごくまれにつまむ程度で、好んで食べない。ユリアはそもそも、甘いもの自体に強烈な嫌悪感を抱いている。
その食べっぷりに、エリサは追加を頼んだ方がいいと判断したようだ。隣の部屋から見下ろせる中庭で、まったりと訓練をしているユリアたちに声をかけた。




