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 エルミに与えられた私室の隣に、ユハナとユリアの部屋が並ぶ。この二人の部屋は、中で互いに行き来できるドアがついている。両方から鍵がかけられるため、安全面では特に問題はない。さらにその隣に、本来は集団生活を送るはずのリクとヴァルトの個室が、きちんと用意されている。

 だが、使っていない部屋は、基本的に埃っぽい。誰の部屋にするかが決められず、結局中庭で雑談をすることになった。

「言い忘れていましたが、わたしはマリッタです。ソーニャ姉さまが王女騎士になった頃、孤児院に預けられたそうです」

 落ち着いた声でゆっくりと、マリッタは話し始める。

 マリッタが覚えている最初のソーニャは、王女騎士の証たる上着をまとっている。剣の訓練と言って、アハトごと盛大に吹き飛ばしかけた。まさに、物語でよく聞く『救国の騎士』そのものの、勇ましく凛々しい姿だ。

「アハトさんがソーニャ姉さまを好きなことは、孤児院のみんなが知っていましたけど、ソーニャ姉さまがどう思っているのかは、さすがに誰も知りませんでした。姉さまはあのとおり、顔にほとんど出ませんから」

 ソーニャの恐ろしさを存分に知っている男の子たちは、アハトを怖いもの知らずだと称えた。公言してつきまとう彼に、その本気度を見出して、こっそりと全力で応援したほどだ。

 何年も変わらないアハトの想いに、渋々諦める女の子たちが続出する中。諦めきれずに、ひたすら追いかけ続けた少女が二人いた。

 彼女たちは、ソーニャが王女騎士となったことで信頼ができ、針子として城に上がった。片方は、結婚後に街の仕立屋に転身している。残りは、結婚後に針子頭となり、特別な服を仕立てる仕事を続けているそうだ。

 王族専用の建物と、職人たちの仕事場は比較的近い。針子という仕事柄も手伝ってか、城の中でたまに、ばったり会うことがあるらしい。その際には、アハトが思い切り顔を引きつらせて、みっともなくたじろぐ姿が見られる。

 そんな噂が、城内でひそやかに漏れ聞こえる聞こえるほど。彼に、女の恐ろしさを教えた二人でもある。

「ヒリヤ姉さまとレーナ姉さまだけでなく、他にも何人か城に上がっているの。後見人になってくださるソーニャ姉さまやアハトさん、実力を重視してくださる女王陛下のおかげで、道が開けたと喜ぶ者も多いのよ」

 マリッタには取り立てて特技といえるものはなかったので、城には上がらなかった。しかし、手先の器用な者は針子や料理人として、植物の世話が得意な者は庭師として。エリサの判断ひとつで、ほいほい召し上げられている。

 幼いソーニャが騎士になった頃はまだ、名門出身者以外は、確固たる身元保証人が必須だった。そのため、なし崩しに諦めざるを得なかった者も多い。

 ソーニャ自身は、剣を教えてくれた騎士の出自がはっきりしていたこと。しかも彼が、いずれ女王騎士になると目されていたこと。何より、ソーニャ自身が、すでに圧倒的な強さの片鱗を見せていたこと。それらを十二分に加味して認められた、非常に稀有な例だ。

 今は、どこの誰だかはっきりしていれば、試用期間を経て正式に城に上がることを許される。その後、女王付きの誰かが、後見人として身元を保証する。その代わり、ささやかなことであれ、何らかの問題を起こせば即座に追い出されてしまう。さらに、今後は一切、城に立ち入ることを許されなくなる。

「騎士も魔術師も、実力不足のくせに無駄に費用がかかると嘆いていたエリサ姫だからね。全体の半分とはいえ、実力ある若者に支援できるのが嬉しいんじゃないかな」

 突如、文字どおり降って湧いたリュイスに。まったく慣れていないマリッタだけが、悲鳴を上げずに驚いて、完全に腰を抜かしてしまう。

「女性をこんなに驚かせるなんて……また陛下にしかられますよ?」

 ユリアにきつく睨まれ、さげすむ目でたしなめられて。リュイスは苦笑しながら、さりげなくマリッタに手を差し出す。

「あれ? ソーニャのとこのマリッタちゃんだったよね?」

「はい……あ、リュイスさんでしたか」

 素直に手を借りて、マリッタは立ち上がる。

 彼女の記憶にあるリュイスは、こんなに爽やかに笑っていない。ソーニャに容赦なく殴られていたことばかり、鮮明にくっきりと焼きついている。

「どうしたの? 君は確か、何年か前に結婚したんでしょ?」

 ソーニャ関係の情報を、リュイスはささいなことまできちんと把握している。忘れようものなら、ソーニャの拳がいきなり飛んでくるかもしれないからだ。

「あの、お母さんに用事があって孤児院に行ったら、周りにソーニャ姉さまと同じ色の髪の人たちがたくさんいて、武器を持っているし、私じゃ怖くて近づけないからソーニャ姉さまにお願いしようと思って……」

「入れ違っちゃったか」

 こくりと頷くマリッタに、リュイスは少し考え込む。

「ここに来る前に見てきたから、マリッタちゃんの言ってることは本当だってわかってるけど……セーデルランドが逃げ帰るのを確認したのに、何でまた出てきたんだろうとは思ったんだよね」

 それも、わざわざ、ソーニャと縁のある孤児院に。

 国を挙げて襲うつもりのあるような、莫大な数ではなかった。かといって、ソーニャとエリサが非常に怖いので、みすみす放っておくわけにもいかない。

「放置したらいろいろすっごく怖い人たちがいるから、ユハナとユリアと……ヴァルトくんとリクだとどっちがいいかな?」

 ついていかないリュイスにも、目の前にいる者を攻撃するだけのユハナにも。一切の決定権はないから、二人は黙ってユリアをジッと見る。

「今回はヴァルトがいいわ。攻撃はリクの方が強いけど、ヴァルトはナイセも使えるもの」

 孤児院にいるすべての子供たちを、建物ごと。一人で守りきる自信くらい、ユリアにはもちろんある。だが、万一気を失うことがあれば。守り手が誰もいなくなってしまう状況に陥ることを、何よりも恐れたのだ。

 眠っていても防御魔術を二十枚以上、強度をまったく落とさず維持できる。今のユリアには、そんなアハトの真似はできない。

「あー、そうか。アハトと違って、起きてないとダメだっけ?」

「いつかはああなりたいですけどね」

 ユリアほどではないが、一般の騎士程度の攻撃には屈しない防御を使える。ヴァルトは、言ってしまえば保険だ。

 叩きのめすことが仕事でないなら。守ることも癒すこともできる、ヴァルトの存在はかなり大きい。

「じゃあ、僕はリリヤの顔を見てから、エリサ姫のところに戻るよ」

 堂々と宣言する。その上、よほど会いたいのか、リュイスはさっさと飛んでしまう。

「…………」

 愛妻家すぎる父親を持つ三人は、そろってため息をつく。まだそれに慣れないヴァルトは、ただぼんやりと呆気に取られるしかできなかった。

「僕たちで見てきますけど、マリッタさんはどうしますか?」

「お邪魔にならないなら、一緒に行っていいかしら?」

「では、一緒に行きましょうか」

 ユハナに目線で尋ねられたユリアが答える。

 南の孤児院出身者は、二人にとってソーニャの身内と同じ意味を持っている。それは、受け入れる理由にしかならない。

「リク、留守番をお願いね」

「任せておいて。変なことを考えるやつがいたら、ちゃんと父さんに報告するよ」

 ただし、ユリアと一緒に行けなかった鬱憤を含めて。報告の前に、軽く痛めつけるくらいは、うっかりするかもしれないが。

「なるべく早く戻るから、待っててね」

 もう一度出てきているのならば、また叩きのめして追い返せばいい。

 もし、何か別の狙いがあるのならば。二度とそんなことを考えられないほど、徹底的にやってしまえばいい。

「うん」

 華やぐユリアの笑顔に、一応は首肯するものの。カルラニセルからリュイスが戻ったら、何が何でも転移魔術を教わろうと心に決めるリクだった。




 乗馬練習中のヴァルトは、ユハナの後ろに乗せてもらった。ユリアはマリッタを自分の後ろに乗せて、悠々と孤児院を目指す。

「リクが転移魔術を使えたら、一緒に行けるのにな」

「多分、もうしばらく無理なんじゃないかしら? リュイスさん、リクが私の部屋に勝手に飛ぶんじゃないかって心配で、まだ教えられないって言っていたから」

 初耳の理由に、ユハナは遠慮なく吹き出す。

 そんな理由で教えられないと言われる、リクの信用のなさに。ヴァルトはあからさまに呆れている。

「リュイスさんも、よくソーニャ姉さまの部屋にいきなり入り込んでは、殴られていたそうだから……きっと血は争えないと、考えているのね」

 それをなぜか、ソーニャではなくアハトに愚痴られたことを思い出して。二重におかしくなって、マリッタはクスクスと笑った。

「でも、お母さんは寝ていてもすぐ目を覚ますから、いつ行っても無傷じゃいられなかったらしいわ」

「しかも父さんのナイセ付きだし。趣味でこっそり体を鍛えていたんじゃない限り、母さんが手加減したひと殴りにも耐えられなかっただろうな」

 アハトからの伝聞のはずだが、見てきたように詳しい。そんな双子は、いったいどれだけ聞かされたのだろうか。

 マリッタはただただ、苦笑するしかない。

「実際に耐えられなかったわね。ソーニャ姉さまの鉄拳に沈むところを、私でも何度か見たもの」

 マリッタの、何気ない言葉で。ユハナたちは、ソーニャの恐ろしさを思い知った。


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