自虐式宣伝術
直近で実に興味深い例を、実体験として観測する機会があった。
それは、「読まれていない」という言葉を使った宣伝だった。
読者皆々様もSNSを嗜むのであれば、何度か誰かのRT、もしくはおすすめTLでこのような内容が流れてきた事はないだろうか?
「これまで、一日にPV数が一桁を切る事はなかったのに、ここ数日読まれても6PV……」
「やっぱり、私の書く作品ってマイナーすぎるのかな……?全然読まれないよ……」
実に同情を誘う言葉。
これまで自作を宣伝もせず、書いて投稿するというプロセスだけで終わらせている作者であるならば、必ず訪れる行き詰まり感だろう。
埋もれた名作を掘り出し宣伝する人。所謂スコッパーなる方々が取り上げ、万バズというバブルが訪れる事もある為、言うだけ損はない。
その一方、数値を見れば、決して読まれていないとは言えない作品達。
もし既に完結しているのであれば、もう更新される事もなく、別作品を読んで興味を持ってくれた人が読みに来るくらいで、連載中のような伸びが期待できないのは周知の事実である。
――それこそアニメ化・書籍化・コミカライズ化という起爆剤でもない限りは。
もしくは連載中であってもPVが落ちている作品。
言葉悪く言えば、飽きられてしまった作品だ。
だがそれは既に一定のPVがあり、評価もあり、感想と言う読者からの反応もある。
少なくとも、終始無風ではない。
作者は歯痒い思いをしている事は否定しないが、読者からのニーズが無ければ、どれだけ優れていた文才を持っていたとしても、注目されなければそこで終わりなのだ。
さて、いよいよ蛇蝎が実体験した事を説明しよう。
もし小生の説明では公平性がないと思うのならば、Xの返信やり取りからご覧ください。
その人物は、自身の作品のPV閲覧ページのスクショを貼りながら、こう言った。
小説書いてて思う。
毎日必死で考えても1日で見てくれるのはわずか2〜3人。
もっと見てもらうことはできないのだろうか。
この言葉は、実に強い。
なぜなら「共感」と「保護欲」と「正義感」を、同時に刺激するからだ。
読者は思うだろう。
「そんなに努力しているのに可哀想だ」
「もっと見てもらうべきだ」
「応援したい」
そして結果として何が起きたか。
インプレッションは2万に跳ね上がり、PVは爆発的に増え、擁護と同情が渦を巻いた。
――成功である。
少なくとも、宣伝としては。
ここで重要なのは、
この方法が「正しいか」「ズルいか」という話ではない。
宣伝に、正義も清廉さも必要ない。
より多くの人間に届いたか、届かなかったか。
それだけである。
問題は、このやり方をどう位置づけるかだ。
この宣伝は、作品を語っていない。
内容も、テーマも、魅力も語っていない。
唯一語られているのは、
「自分は報われていない」という物語だけだ。
そしてその物語に、多くの人が参加した。
擁護する者。
共感する者。
噛みつく者。
第三者として講釈を垂れる者。
結果として、作品は読まれた。
だが同時に、作者自身が物語になった。
ここが分岐点だ。
作品を前に出す宣伝。
自分を前に出す宣伝は、似て非なるものだ。
後者は強い。
即効性がある。
燃えやすい。
良い例を挙げるとすれば、宮前 葵 氏が有名だろう。
諸君は宮前氏をご存じだろうか?
一二三書房を始め、web小説のコンテストで多々金賞や銀賞を取り、
作品の多くを書籍化し本屋へ送り出している売れっ子なろう作家である。
だが、何故この作家の名を挙げたか。
検索すればサジェストに「炎上」というワードが現れるだろう。
――そう、かの作家様はXでの発言が実に過激であり、無責任なのである。
一見すれば、こうすれば良い作家になれる。こうすれば良い作品が書ける。
こういうことしている人は、いくらやっても伸びないよね。
等々、後続の作家志望のひよこ達にアドバイスを呟いている。
「ウルト〇マンは怪獣倒すまで人類が待ち続ける話」
きっとこの発言も、チラシの裏に書くような独り言として投稿されたのだろう。
しかし、このコンテンツには重い愛情を注ぐ熱烈ファンがいる。
かの御仁の発言は、ニワカを晒したと瞬く間に炎上した。
さて、炎上すると言うことは何が起こるか。
多くの人の目に触れるのだ。
それこそ5chのまとめに取り上げられれば、普段小説を読まない人でも、その名を目にする事がある。
面白おかしく炎上させコメントが付くならば、その分RTされ、コイツが言ったんだという知名度注目度が上がっていく。
そんな奴の作品はどうせつまらないだろう。
そうして作品へ足を運ぶ。
するとどうだろうか?
……へぇ、おもしれーじゃん?となった人がポイントを投下していく。
ランキングの上位にめり込んでいく。
人が人を呼び、きっかけは何であれ、読まれるという目的は安泰なのだ。
閑話休題。
一度、なまじ成功し万バズの味を覚えると……どうなるだろうか?
再びPV数が落ち込んだ時、どうするだろうか?
また「読まれていない」だろうか。
また「分かってもらえない」だろうか。
――宣伝が、エスカレートする。
これは才能の問題ではない。
誠実さの問題でもない。
構造の問題だ。
自分を餌にする宣伝は、一度は効く。
二度目も、効くかもしれない。
だが三度目には、
「またか」と思われる。
そしてその時、作品はもう見られていない。
見られているのは、作者の振る舞いだけだ。
宣伝の多様性とは、選択肢が多いということではない。
どこまで自分を切り売りするかを、選べるという意味だ。
作品で勝負するのか。
感情で勝負するのか。
被害者の立場で勝負するのか。
対立構造を作って勝負するのか。
どれも、間違いではない。
だが、覚えておくといい。
人は、作品よりも「人間」を先に覚える。
そして一度貼られたラベルは、
簡単には剥がれない。
さて。
あなたが今、選んでいる宣伝は、
次の一作を助けるものだろうか。
それとも、
今この瞬間の注目と引き換えに、
首を絞めるものだろうか。
宣伝に正解はない。
だが、後悔しない選択肢と、
後から効いてくる選択肢は、確かに存在する。
次章では、
なぜ人は『読まれていない』という言葉に、これほど反応するのか。
その心理を、もう一段、解剖してみようと思う。




