第二十話 喪失
群馬県で発生した記骸域から一週間が経過し、いろいろ落ち着いていった頃合いだ。記骸域災害管理局の調査員からは多くの死者を出した。
記骸域調査課の第一調査隊、第二調査隊はしばらくの間は人員増加のため、活動は控えるとのこと。その後、あの記骸域は赤城と玄葉と第三調査隊に活躍によって無事に終えた。
そして今回重傷を負った第一調査隊の負傷者19名、第二調査員の負傷者6名、『第一調査隊隊長』間宮謙也、『第二調査隊隊長』矢倉和秀、諏訪部零時、天ヶ瀬るなは現在入院中。古手望は後遺症などなく、その後問題なく活動を続けている。
それから一週間が経過した後、諏訪部零時はあの戦いから全回復し、明日には退院出来るレベルだった。正直この回復スピードには星野星叶や職員に驚かれるほど。
「零時って、本当回復速度凄いよね。昔から全く変わりないねぇ」
そう呆れと感嘆が混ざった感情を、ベットで横になっているるなはりんごを剥いていた零時に向かってそう吐く。零時は苦笑をしながら果物ナイフを動かしていた。
「そうだな、自分でも正直驚いてるよ。自分がこんなに回復が早いということに」
「本当零時には驚くことがいっぱいだよ。あの時も二週間寝てたのに、一週間後には活動って、普通の人じゃ考えられないものだよ」
「まぁ星野さんからは無理には動かないよう釘刺されたけどな、まだどうなるか分からないから、ていう理由だけど」
「ステラさんはノスタルジアでも随一の心配性だから、仕方ないよ。多くの人の死を見届けた人なんだから」
そう悲しそうに言うるなの姿は、儚かった。剥き終えたりんごをるなに提供し、椅子に再度座り、体を伸ばしていた。
今でも元気なるなだが、あの天狗の歳忘が放った斬撃を食らった影響で一時期命の危機だったらしいが、幸い喋れるほどには回復をした。
ステラ曰く、しばらくは絶対安静だと。
少し複雑な思いだった。あの時、るなは自分のことを守ってくれた、その代償に、彼女は長い長い入院生活。少しばかり、気掛かりがあるものだ。
彼女は気にすることはないと言ってくれたが、当の本人にとっては、少し気を遣ってしまうものだ。
「そういえば、他の人ってどうなったの? 私まだ聞いてないからさ」
「…あぁ、そうだったな。」
「古手さんは三日の安静を言い渡されたけど、特に状態に異常はなかったらしいから、すぐに活動再開したって」
隊員の誰よりも傷を負っていなかった古手は、あの後精密な検査はされたものの、特にこれといった異常はなく、数日後には依頼などをこなしていた。
「古手くんも変わらずだねぇ、無茶しなかったらいいけど」
「それから、矢倉さんも幸い命を拾ったけど、右足は戻らなかった…らしい」
矢倉秀和はあの時の傷が激しく、くっつけようにも損傷が激しく、結局長年共に歩んでいた戦友とは、永遠の別れとなった。
幸いなことに意識は取り戻したが、しばらくは一人にさせてあげてほしいと、ステラからそう言われた。
きっと、るなもひどくショックを受けてしまうだろう。
「…………」
そう思っていたんだ。
「……えっと、矢倉、さん? そんな人、調査隊にいたっけな…」
「──は?」
一瞬、頭が追いつかなかった。るなが矢倉さんを忘れている? そんな訳がない。と自分に言い聞かせるが、るなの表情は、空港の時に見たあの純粋無垢な表情と、そっくりだった。
「……何、言ってんるんだ、るな?」
「だって、そんな人、私にはわからないもん。探しても探しても、頭の中にそんな人いないもん」
「そんな嘘をつかないでくれ!!」
矢倉秀和は、歳忘討伐のために尽力してくれた、だから忘れてはいけない人物だ。なのに、るなは矢倉のことを忘れてしまった。そんな胸糞な展開を、いったい誰が望んでいたのだろうか。
「お前を別に責めてるわけでもないんだよ……でもなんで矢倉さんのことを忘れてしまったんだ!!」
「っ本当のことだもん!! 私にはその人のことはわからない!! それで話は終わりでいいじゃん!!」
「よくない、人を忘れることに良い悪いなんてつけたら…!」
そんな時だった。
ドアからノック音が聞こえると、零時はそちらの方へ、先ほどまでヒートアップしかけたところに音の仲裁がやってきて、二人は少し落ち着いた。
「見に行く」と小さく呟き、ドアの方へ向かう。るなは少し零時に対して申し訳なく、ただ俯かせながら、震える瞼を閉じていた。ドアの前に着いた零時は、なんの警戒もなく、ドアを開ける。
直後、ナイフが飛び出す。
「っ!?」
咄嗟に避け、そのナイフは空を切って役目を終える。
「お、おい!? 誰だいきなり!?」
尻餅をつきながらも声を荒げて言うと、人影が見えてくる。
「あ、君だったか。ごめん、中から荒んだ気配と罵声が聞こえたから、敵襲だと思って」
その声の正体は、相変わらずの無愛想な表情をしている古手だった。古手はナイフを懐にしまい、服装を整える。
「古手くん! 流石にそこまでするのは…!」
「昔そういうことがあったから、つい無意識的に警戒していた。それは謝る、ごめん」
古手のそのぶっきらぼうさにはいつも天然寄りのるなもついつい頭を抱えてしまう。
「敵襲って…そんな物騒な…」
「敵じゃないって分かったことだし、そろそろ本命が出る番じゃないですか?」
そう言った直後、後ろから2人分の足音が聞こえ、やがてその姿が露見される。
「え、明月さん! と、そちらにいるのは…?」
何事もなく、ただ平然としている明月碧と、もう一人、優しい顔をし、片足は義足で、片手には杖を持っている銀髪の老人がそこにはいた。
ただならぬ気配と精神力に、思わず彼は萎縮してしまう。
「会うのは初めてですね。諏訪部零時さん」
だがその声はとても優しく、蝋燭の灯火で、彼らの心を温めるような、そんな声。
「え、なんで俺の名前を…」
「紹介するのが遅れましたな。私の名前は園崎颯太。このノスタルジア・システムの総帥だ」
「はぁ…え、は? え!?」
それを聞いた零時はただただ驚きを隠せなかった。
総帥、園崎颯太。ノスタルジア・システムで全体の指令を行う最高司令官でもある。
そして総帥であるお方が、このような場所まで足を運んでくれたから、零時はただ驚きを隠さなかった。その様子を見ていたるなはにんまりとし、明月は少しの苦笑を、古手は相変わらずの無表情だった。
「はっはっはっ、それほど驚かせてしまったかね。明月くん、やはり教えてなかったんですね」
「すみません、色々と多忙を極めていたので忘れていました。」
「まぁ、君には散々お願いをしているからね。今回ばかしは目を瞑っとくよ」
「心遣い感謝します」
その様子を黙って見ていた古手は、ただただため息をつく。
その後、古手は用事があると明月たちに伝え、そのまま病室から去っていき、明月と園崎はるなの状態の確認と、零時とるなに伝えておきたいとのことがあるみたく、しばらくこの病室に滞在することになった。
「それにしても、園崎さんも来るていうのは珍しいですね。何か重要なことでも起きたのですか?」
そう言い終えると、るなはりんごを一つを食べる。
口に入れた瞬間の幸せそうな顔を見ると、零時は少し微笑む。
「そうじゃな、これから他の隊員にも伝えようとしていたんだが、先に二人と話をしようと思い、ここまで赴いたんじゃ。」
「それで、総帥と前衛幹部の組み合わせ…俺的には初めて見かけるタイプなのですが、明月さんはどうしてここへ来たのですか?」
なぜこの二人が今のタイミングでここにやってきたのか。どうして零時たち限定なのか、少しばかり謎な部分が多くあった。
明月の瞳からは、ただ申し訳なさそうな表情をしながらだったから、余計に不安を感じ取ってしまう。
「その前にだ、諏訪部零時くん。君には聞いておきたいことがひとつあるんだが、聞いてもよろしいかね」
「え、は、はい」
突然の質疑応答。そして先ほどと同じ優しい表情だが、どこか圧を感じるものがあった。これが上に立つ存在だと、微かに思った。
「君は、憶忘という超常現象の詳細を、知っているかい?」
「……憶忘」
この箱庭の世界に、突如生まれたとされる超常現象の一つ。その名を憶忘という、この箱庭の住民にとっては聞き馴染み深い言葉の一つだ。零時は確かにこの憶忘について知ってはいる。だが
「……知らない、です」
何も、覚えていない。
「……そうかい。それなら、先ほどの怒号が聞こえても仕方ないか。」
それを耳にした零時とるなはお互い俯いてしまう。
「憶忘とは、いわば歳忘を殺すための異能兵器じゃ。我々人間たちはこの地を生きるために、その歳忘と長い長い戦いを続けてきた。今でもその戦いは続いておる、皆まではいう必要はないな。」
「……はい」
「憶忘は、確かに素晴らしい異能だ。私たちに希望を照らした群星だ。だがその群星の後ろには、思わぬ代償があった。」
「──それが、【記憶喪失】」
「───!?」
その言葉を聞いた直後、零時はるながいる方向へと視線を向ける。
るなの表情は、息を詰まらせるような、秘密裏にしていた、申し訳がなさそうな罪悪感。今までの言動だってそうだった。
あの時、るなが放ったあの純真無垢な表情、矢倉のことを忘却されてしまった時の強張った表情。その全ての元凶が、憶忘なのか…?
「もしかしたら、今まで天ヶ瀬さんや他の人にも、ちょっとした違和感や言動があったかもしれない。それらは全て、憶忘の影響下だった、といえば、君は今すぐにでも信じられるかい?」
「……」
──考えたくもない、るなが記憶喪失? そんなのハッタリだって言いたい。でも今までの言動や行動、あの表情たちも皆、全て記憶が失っていたていうのか? まさか、憶忘を持っている人は皆、記憶を失っていくのか…?
人間誰しも、今酷い現実となっているものには目を背けたいし、信じたくない。
「信じ、たくありません」
顔を俯かせながら、ただ彼はつぶやく。
彼もまた、そんな辛い現実を、見たくはなかった。
「……最初は皆そう言う、だがこれは運命によって決められたことなんだ。」
しかし現実は残酷だ。こんなに否定しても、いつかその現実を見なければならない。そして無情に言ってくる園崎には、今まで背負い込んでいったものが、零時と比べたら顕著に現れる。
もう一度、彼らを見てかは、るなのことを見る。彼らは、この残酷な現実に目を背けず、どれだけ自分を犠牲にしてでも、この世界を守るためなら、そんなのお構いなしで、その命を捧げる。
「……記憶喪失、か。みんなこれを知っててもそれでも歳忘を滅亡させる、ですか……本当、狂ってますね」
「……」
ただ皆黙るだけ。そんなの憶忘を持っている者なら分かっている。けど、それを改めて言われてしまうと、考えてしまうものだ。
「けど、俺も狂ってますよ。父さんや幼馴染がいなくなって、俺の世界は白黒で、ただ歳忘を殺すためならなんでもやる、こんな世界はクソ食らえだった。あなたたちは犠牲を知っていながら狂って、俺は自制ができなくて、ただ狂ってしまった哀れな人だ。俺とあなたたちは、同じ存在でも、同じじゃない存在です。」
「零時……」
その場にいた少女が何か言おうとしたが、脳裏に彼と別れた最後の姿を思い出し、思わず躊躇してしまう。
すると、その話を聞いていた明月が一歩足を歩める。
「……そうですね、僕たちと君では違います。生い立ち、経験、家庭、トラウマ、皆同じことを記憶にしていったといえば、違います。」
「…明月、さん?」と、小さなつぶやきが、彼女の小さな口を動かすが、その声に、誰も耳を傾けることも、彼女に見向きすることもなかった。
「僕たちはこの犠牲をよく知っています。ですが怯えていたら、世界は一瞬にして忘却となります。だから、僕たちは同じ目標を持ち、それらに抗う。確かに違うといえば、違うのでしょう。でも君もそうでしょう? 歳忘をこの世から消滅させる、それは君も僕らと同じ目標でしょう?」
「っ……」
そう諭され、ただ顔を俯かせるだけ。それほど応えたものがあるのだろう。
「だから、仲間と共に行きましょう。」
ふと空気が揺らいで、顔を上げる。そこには優しく手を差し伸ばす明月の姿。
「あなたは強く、人のためなら躊躇わず守ることができる、本当の強い者。だからその強い心を、どうか僕たちに捧げてくれませんか?」
それを見た零時は、一瞬その手に躊躇したが、この手を振り払ったら、この関係も、全て終わってしまう、そんな直感が働いた。零時はその手を掴む。
「これからも、ノスタルジア・システムで共に歩んでいきましょう。きっと、素敵な出会いはこれからもたくさん来ます。けど、これだけは忘れないでください。失ったものに、深く執着しないように。」
その言葉は、とても意味深で、この時の零時には、きっとまだわからないことなんだろう。
ただ、その言葉に、ふと疑問になり、明月の手と顔、園崎の優しそうな顔と、るなの少し微笑んだ、いつ見ても柔らかい暖かい表情。零時はその光景を見て、光を見るその瞳が閉じることはなかった。
──なんで、既視感を覚えてしまうんだ。
諏訪部零時はこの現場に見覚えがない。だがこの現場に、なぜか見覚えがある。
この矛盾を取り除けることができるのは、いつになるのかは、誰にもわからない。
「さて、話もひと段落したところで、少し本題の方へ戻そう。」
「え、まだあったのですか?」
思わずツッコミを入れてしまう。
「あぁ、むしろこれは前座だよ。明月くん、この二人に言ってあげなさい。」
そう言われ、彼は少し息を吐き、一方後ろへといき、その嘘ひとつもない誠実な瞳に、心を奪われそうになってしまう。
二人は「なんだなんだ」とそわそわしていると、機械のように、淡々と答える。
「ノスタルジア・システム前衛部隊幹部兼歳憶者、明月碧はとある重要な任務ができたため、ここしばらくは組織に顔を出せなくなります、どうかお許しください。」
「──は?」
「──え?」
零時とるなは、明月のいきなりのカミングアウトに思考が追いつかなかった。そこに園崎が間を割って入ってくる。
「私も最初に言われた時はかなり驚いたんだが、その事情を聞けばいろいろ納得してしまってな。だから代理幹部を用意して、前衛部隊を動かすよう図っていったんだ。」
「でも肝心の事情というのは、一体……」
「永核」
「……え?」
思わぬ発言に一人だけ少し置いてきぼりだったが、その言葉を聞いたるなは目を見開いていた。
「最近関東で永核の動きが現れると聞きつけたため、僕はその調査を行うことにしたのです。僕は関東と東北でしか活動できないので、今この瞬間を逃したら、もう次はないと思ったので」
「ちょ、ちょっと待ってくれ? 永核? 関東と東北でしか活動できないって?」
あまりの情報量に頭を抱えてしまう。人間誰しもこんなに大量の情報を処理するのに頭を使う。それの限界が少し来てしまった。
「すみません、あまりの情報量に少し混乱してしまいましたね。順に追って説明します。」
「まず最初はタイアイさんの話からでした。タイアイさんの予知では、もう時期したら永核の襲撃がやってくるということ。これに関しては園崎さんや赤城さんには伝えております。他の司令官に関しては後々伝えていく方針です。今もどの地方も問題を抱えておりますので、更なる被害が出るのはいけませんので」
「明月さん、話しても話しても疑問が浮かび上がってくるんですけど。というか、さっきの共にやっていこうという雰囲気からのこれですよ? 情緒イカれますよ」
先ほどの変わりように、零時は苦言を呈していた。
「……すみません」
そうすぐ頭を下げ謝る姿に零時はすぐ顔を上げるよう促し、それを見ていた二人は多少呆れていた。
「早い話、僕はしばらく永核の調査などで忙しくなりますと、言っておきます。もし何か緊急事態が起こればすぐ連絡をください。すぐに飛んでいきます」
「明月さんが言うと、冗談にも聞こえないよ……」
そう苦笑いしているるなからは、あまりにも感情が入っていなかった。
恐らく明月の発言には嘘偽りなく、有言実行するタイプのなのだろう。零時も確かにあの体験を味わえば、その言葉には確かに冗談として片付けられない。
「諏訪部くんも悪いね。こんな急な話に巻き込んでしまって」
「いえいえ、それにその永核ていう悪の組織を調査するのでしょ? ならそっちの方が優先度は高いですし。俺自身まだまだ混乱することがいっぱいありますけど」
最後に笑いながら、彼は頭を掻く。だが彼が受けたその情報量は、まだ氷山の一角でしかないのかもしれない。
ここで彼は確信した、既に諏訪部零時は、この箱庭の舞台に自分自身も立っているということに。
「そうかい。二人にも整理する時間が欲しいだろうし、私たちはここいらでお暇とさせていただくよ。また後日、この事は隊員の皆に伝える。ただ今はゆっくりと時間をかけて考えておいてくれ」
「はい!」と二人は返事をする。
「それに……天ヶ瀬くんも休憩しておかないとだし、何より諏訪部くんと二人っきりでいたいだろうし」
「なっ……!? ちょっ、園崎さん!? 何言って……!?」
園崎のいきなりの攻撃にるなはひどく動揺し、園崎はその様子を見て思わず吹いてしまう。彼は孫たちの恋路を応援しているためなのか、こういう隊員の恋路には敏感だ。
「アハハハハ!! ま、楽しんでいきなよ。若造くんたち〜」
高笑いしながら去っていく園崎と、零時とるなに一礼し、そのまま去っていった明月。二人が消えた今、少し安堵した空気と、さっきの気まずい喧嘩のせいで、少しおかしい空気感だった。
「……園崎さぁん、なんで私はこんな辱めを……」
顔を手で覆いながら、さっきの言葉が頭の中で復唱し、やがて頭から煙が出てくる。それほど彼女は動揺をしたのだろう。
だがその反面、彼はずっと重い表情のままだった。
「……ごめんな、るな。」
「え…?」
覆っていた手をどかし、度肝を抜かれたような表情をする。その彼の表情を見たるなは、少し目を横にそらしてしまう。
そんな表情をする彼を、見たくないのだろう。
「さっきは、その……あんなに怒鳴って、記憶喪失のこと、全然知らなくて……」
憶忘によって記憶が喪失する。こんな初歩的なことが分からず、ただ彼女を苦しめた。その罪悪感が彼を縛りつける。
「ううん、大丈夫だよ。それに伝えなかった私も悪いし……」
同じ罪悪感があった。けどそれをるなが悪いと言えると言ったら違う。
全てはこの経験を味わっていなく、それを学んでいない自分に愚かさえ感じた。
「いや、とにかく俺が悪かった!! 願ってもいない代償のせいで記憶が失ったのに、それを知らず貶した俺が……!!」
その時、一つの指が近づいてきて、その指が彼の額に触れる。瞬間、咳が聞こえ、ハッとする。るなは自己犠牲に陥れようとした彼を鎮めるため、無理して体を動かした。
それはきっと痛いことだろうに、彼女はそれを介さず零時を落ち着かせるため、行動した。
「零時、そんなに追い詰めらなくていいよ。失った記憶はもう戻らないけど、新しい記憶は作り出すことはできるんだよ。だから、もう気にしないで。それで辛くなるのはお互い様なんだから」
「るな……。すまない」
「昔からの謝り癖は変わらないねぇ、ま、それも零時らしいけど」
変わらず接してくれるるなの優しさに甘えられていった零時。でもその甘えは決して彼女の優しさを味わいたいだけじゃない。この4年間、もはや抜け殻として生活していた零時はあの時の再会から、彼女の温もりを忘れることはなかった。
だから、俺も成長しなければならない。
まだ残っていたりんごを頬張りながら、幸せそうな顔をするるな。その幸せそうな顔を見てしまうと、本当に記憶を失うという現実を受け入れることなんてできない。
何を思ったのだろうか、零時は何も考えず、ただゆっくりとるなの元に近づき、そのまま華奢な体に抱きついていた。その行動に当然彼女は驚き、零時も自分の行動に驚いていた。
「れ、零時……!?」
「え、いや、これは、その……」
「なになに〜? そんなに私のことが恋しくなったの〜?」
そうニマニマしているるなの顔に、少し昔を思い出してしまう。
「……まぁ、恋しくなったのは恋しくなったけど……」
「……え、あ…そ、そうなんだね! やはり私のお姉さん力には敵わな……」
その直後、るなの頭を強く撫で始める。その行動原理は、ただこれ以上彼女に惨めな姿を見せるのは嫌だという強い思い。
「ちょっ、いきなり撫でないでよ……! 不意打ちがすぎるよ…!」
「屈辱を感じたから、とりあえず撫でさせろ。後誕生日的に俺がお兄ちゃんだ」
「なんか今日の零時怖いんだけど!」
声を荒げようと、構わず抱きしめながらるなの頭を撫でる。ただそれだけの行為に、少しずつだが先ほどの剥き出しの感情が鎮静化されていく。
次第にるなは複雑ながらも、頭を撫でさせようと頭を擦り付けてくる。
こんな幸せがいつかまた喪失するのだろう、それを考えたら、ただこの行為に虚しく感じてしまう。
だがその感触はきっと、記憶を失っても身体の記憶として、残っていくのだろう。




