第五十四話 カントの戦い その1
「女将、部屋を頼む」
ドード男爵領の西の端。
タロイモ栽培が主要産業だという、カントと言う名の小さな町。
そのさびれた町の一画の小さな宿屋。
そこに突然、多数の軍人が押し掛けてきたことに、小太りの女将が目を丸くした。
普段は行商の商人や、長距離郵便の配達員を相手に、細々と営んでいる小さな宿である。
そこへ予約も無しに、軍装の魔女達が押し掛けてくれば、それは慌てもする。
「へ、部屋は空いていますが、こんな所でよろしいので?」
「ん? ああ、構わんよ。さる高貴なお方のお忍び旅でな。あまり目立ちたくないのだ。夕食と風呂、それと清潔な寝床があれば、それでいい。内容に贅沢は言わんよ」
高貴なお方――その言葉に女将は一行を見回す。
軍人達の真ん中に、少女が一人。
派手な紅いドレスを纏い、長い前髪を左右に分けてヘアピンで止めた、儚げな少女が恥ずかし気に俯いている。
軍人の言う去る高貴なお方というのは、この少女の事なのだろうとは思ったが、わざわざお忍びだと言っているのだ。
女将は、詳しい事を聞くのは、拙いだろうと考えて、特に気にせぬ風を装った。
「わ、わかりました。それでは何名様ですか?」
「女ばかりで十名だ」
◇◆
一時間ほど、時間を遡る。
ジョルディとの遭遇後、ヴァン達を乗せた高速車両LV-05『犀』は予定の行路を外れ、北側へと大きく迂回するルートをとっていた。
暗殺者が待ち受けているというルートを進むのは、流石に憚られる。
少々到着が伸びるとしても、迂回路を進むという判断になるのは当然であった。
今は『犀』の運転は、アネモネに交代している。
柵にもたれ掛って、だらしなく足を延ばしたクルスが、シュゼットに語り掛けた。
「しかし、なかなか厄介な話だな。お前ん家の暗殺者って……なんだよ、それ」
「もちろん、私も聞かされてはおらんが、十分有り得る話だ。王室が入れ替わる事は、上流貴族にとっては、正直デメリットしかないからな。ロズリーヌ、お前の方はどうだ? 何か聞いているか?」
シュゼットに話を振られて、ヴァンに身を寄せたままロズリーヌは応える。
「同じく何も聞かされておりませんわ。ですが、三大貴族はどこも何かしらの手を打ってると、考えるべきですわね」
「やれやれ……全く、とんでもないことに巻き込んでくれたもんだよ。シュゼット」
クルスが幌の天井を仰いで、溜息を吐く。
「シュゼット中佐、一つ提案があります」
御者台の方から、アネモネが突然話に割り込んできた。
「なんだ、アネモネ軍曹」
「もうしばらく走れば、ヨーク子爵領を抜け、ドード男爵領に入ります。領内に入ってすぐ、カントという小さな町があるのですが、そこに宿をとるというのはいかがでしょう。ドード男爵領内でも、端の端。街道からも外れた町ですので、他の貴族の手が伸びている可能性は、ほとんどないと考えます」
「……なるほど」
シュゼットは考える。
この先、王都に近づくにつれて、危険度が増していくことは、想像に難くない。
場合によっては、交代で運転して、夜通し走り抜けねばならない場面も出てくるかもしれない。
ルートを変更したのはつい今しがた。
待ち受けている敵も、直ぐには対応することは出来ない筈だ。
ゆっくり休養をとれるタイミングは、この時を逃せば、もう無いかもしれない。
「いいだろう。アネモネ軍曹、そのカントという町に向かってくれ」
「了解しました。それと、もう一つ提案があります」
「なんだ?」
「敵がヴァン准尉を狙っているのであれば、ヴァン准尉には変装してもらった方が良いのではないかと……」
「変装だと?」
「標的は少年、そう思っている筈ですので……女装していただく方が良いのではないでしょうか」
アネモネのその一言に、荷台の上の空気が突然、おかしなものになった。
「採用!」
シュゼットが声を上げて、荷台を叩くと、今まで膝を抱えていたヴァンが突然、顔を上げた。
「ええっ!? そ、そんな……いやです。お、女の子の恰好なんて、む、無理です!」
だが、ヴァンのその声とは裏腹に、周囲の反応は熱を帯びる。
ヴァンにもたれ掛っていたエステルは、まじまじとヴァンの顔を見詰めると、
「ヴァンが……女装……良いかも」
と、上の空で呟き、ロズリーヌは首がもげそうなほど、強く頷いた。
「良い。アネモネ、そ、それ凄く良いですわ! べべべ、ベベットさん、ワ、ワタクシの荷物に紅のドレスとパンプスがあったでしょう? あ、あれを出してくださいまし」
「……了解」
と、こんな時だけ、ベベットが素早く動く。
完全に面白がっている表情のザザが、
「ふむ、じゃあメイクは、私にまかせろ」
そう言うと、ノエルがいつもと変わらぬ調子で、
「あはは、じゃ下着はボクの貸したげるよ!」
と声を上げ、その瞬間、ヴァンの顔から血の気が引いた。
「ぼ、僕、いやです! 絶対。いやです!」
ヴァンが珍しく大声を上げて、救いを求める様に、ミーロの方へと目を向ける。
いつも自分の事を尊重してくれるミーロなら、きっと皆を止めてくれる筈。
そう考えたのだ。
するとミーロは、大きく頷いて言った。
「ヴァン准尉が、こんなにはっきり自分の思いを口にされることなど、今まで無かったことであります」
ヴァンはミーロに思わず、縋るような目を向ける。
良かった、味方がいた。そう思ったのだ。
だが、
「――ですから、これは幻聴に違いないであります」
残念、味方など、最初からどこにもいなかったのだ。
ヴァンの左右の腕を、エステルとロズリーヌが、がっしりと掴んだ。
「ヴァン……お、おとなしくしなさいよね」
「ききき、きっとお似合いになりますわよ。そ、それに着るものが変われば、沈んだ気分もきっと変わりますわ」
「そ、それで変わるのは気分じゃなくて、性別だと思いますけど!」
ベベットから引ったくる様にして、ドレスを受け取ったシュゼットが、目をぐるぐると回しながら、鼻息も荒く近寄ってくる。
救いを求める様に周囲を見回して、皆の視線に現れている感情が期待と興奮だという事実に、ヴァンは絶望した。
◇◆
部屋の準備を済ませて、女将はロビーに置かれたテーブルを囲んで待つ、軍人達の元へ戻ってきた。
「お部屋の準備ができました。二人部屋を五部屋です。大浴場は普段であれば、時間で男女入れ替え制ですけど、本日は他のお客様も女性ばかりですので、いつでもお入りいただいて結構です。お食事は後程、それぞれのお部屋にお持ちさせていただきます」
――二人部屋!?
軍人達の中から騒めく様な声が上がって、女将は思わずそちらへと目を向ける。
すると、一番階級の高そうな、銀髪で目の細い魔女が、「気にしなくていい」と苦笑した。
部屋へ案内しようと待つ女将を他所に、軍人たちはざわざわと部屋割りについて話し合い始めた。
「あはは、じゃ、ボクはベベットと一緒の部屋で決まりだね」
「アネモネ、私と一緒でどうだ?」
「はい、ザザ准尉。喜んで」
「じゃさ、じゃさ、オレは兎ちゃんと一緒が良いなー」
「そうは行くか、クルス。貴様は私と同部屋だ。ライオンの前に兎を放り出すような真似が、出来る訳ないだろうが」
「えー! 横暴だ、横暴だぞシュゼット!」
順調に決まっていく部屋割り。
しかし、紅いドレスの少女を取り囲む様に、三人の魔女が最後まで残っていた。
「ア、アンタたち、ちょっとは遠慮しなさいよ。ヴァン……ヴァンディーヌと、私は当然同室でしょ」
「そ、そちらこそ、こんな時ぐらいヴァ……ヴァンディーヌ様との同室を譲ってくださっても、よろしいじゃありませんの」
額をぶつけ合う程に顔を突きつけて、睨みあう二人を他所に、白いリボンを付けた、小柄な残りの一人が、挙手して声を上げた。
「中佐! 提案があるであります」
「なんだ? 兎、発言を許可する」
「このお二人と同室では、ヴァンディーヌ准尉の貞操が危険であります。よって、ヴァン……ヴァンディーヌ准尉との同室は、自分が最も適任ではないかと、考えるであります!」
「採用!」
その一言に、角を突きつける様に睨みあっていた二人が、飛び上がって、銀髪の女性に詰め寄る。
「なんでそうなりますの!」
「ちょちょちょ! ヴァンの婚約者は私ですよ」
「ヴァンディーヌな。女同士で婚約なぞ出来るわけあるまい。夢でも見たか?」
「ぐっ……」
「あ……あの……僕の意見は……」
赤いドレスの少女の、蚊の鳴くような声は、他の女たちの声に打ち消された。
「そもそも、貴様らの様な肉食獣の前に、私が可愛いヴァンディーヌを投げ出すとでも思ったか、バカめ!」
ぷるぷると肩を震わせる、赤毛の少女と金髪の少女に、勝ち誇った様な顔を向けて、白いリボンの少女が口を開いた。
「安心するであります。ヴァンディーヌ准尉のことは、自分が守り抜いてみせるでありますから」
女将は、女ばかりの職場では、同性同士で、こんな恋愛模様になるのかと、ちょっと興奮気味に見守っていた。