第五十三話 父と子と父
「誰? あの人」
「……ジョルディ様です」
エステルが声を潜めて、ヴァンに囁きかけると、彼は抑揚の無い声で答えた。
「ジョルディ……ジョルディ……って、お義父様!?」
記憶を探るような素振りを見せて、エステルはハッと息を呑む。
だが、お義父様などという浮かれた呼び方とは裏腹に、彼女はザザとアネモネの背後から、その人物をキッと睨みつけた。
ヴァンがエステルに、ジョルディについて語ったことはない。
シュゼットかラデロにでも、聞いていたのだろう。
「ヴァン、一緒においで」
シュゼットにそう声を掛けられ、ヴァンは彼女の後をついて、後部の乗降口から荷台を降りる。
そして、『犀』の正面、カンテラの灯りの下に出て、ジョルディと対峙した。
明々と燃える松明を背にするジョルディの表情は、ここからでははっきりとは見えない。
だが、どんな表情をしているのかは、雰囲気から手に取る様にわかった。
「マルゴット卿、お待ちしておりました」
「……ずいぶん耳聡いことだな」
シュゼットのその一言に、ジョルディは「ほほっ」と、喉の奥に詰まった様な声で笑う。
「マルゴには、懇意にしております家の子女も多くおりますのでな。我が息子を王都に連れていく役目。ここから先は、私共が引き継ぎましょう。皆様には、今夜は我が屋敷でお寛ぎいただいて、明日、そのままマルゴにお戻りいただくということで、いかがでしょう?」
「……貴公は何か勘違いしておられるようだ。女王陛下がお呼びになられたのは、第十三小隊だ。貴公がしゃしゃり出てくる余地は無いと思うのだが?」
ジョルディは、大袈裟に溜息を吐く。
「我が息子の栄達に乗じられたいというのは、良くわかりますがね……」
その一言に、シュゼットの表情がわずかに歪んだ。
だが、ジョルディからもシュゼットの表情は、良く見えていないのだろう。
彼は、お構いなく話を続ける。
「それに貴女に、大切な我が息子をお預けする訳にはいかない事情がありましてね。確かな筋から得た情報ですが……この先、王都までの道のりで、貴女のご実家、マルゴット伯爵家の暗殺者が待ち受けているそうではありませんか。あなたは実家の意向に背くことが出来るのですか?」
「出来るとも」
間髪入れずに、シュゼットが言い放った。
「ジョルディ殿、私は貴方とは違う。わが身可愛さに幼い我が子の救いを求める手を振り払った、貴方とは違うのだ」
火の粉を上げて、明々と揺れる松明。
静かに揺れるカンテラの灯り。
二つの光源の間に蟠る暗闇に、静寂が舞い降りた。
ジョルディは俯く。ヴァンの目には小刻みに震えている様に見えた。
やがてジョルディは、顔を上げると怒りに声を震わせた。
「馬鹿馬鹿しい。下手に出ていればいい気になりおって! 小娘が! ヴァンの親は私ひとり。血のつながった親は私ひとりなのだ! ヴァンの栄達に目が眩んでおるのだろうが、厚かましいにもほどがあるわ!」
「血がつながっているだけだろうが! 人は絆を確かめ合って親と子の愛情を紡いでいくのだ! それを自ら断ち切った貴様が、どの面下げて、その言葉を口にするのだ!」
シュゼットは、ジョルディの方へと指を突きつけると、細い目を見開いて怒鳴りつけた。
シュゼットの権幕に押される様に、じりっと後ずさると、ジョルディは吐き捨てる様に呟く。
「あの農奴の爺ィといい、貴様といい、勝手に人の子の親を気取りおって!」
――あの農奴の爺ィ。
その一言に、それまで俯いたままだったヴァンが、思わず顔を上げる。
その様子に、ジョルディの口元がにやりと歪んだ。
「ヴァン。あの爺ィは既に冷たい土の下で虫の餌になっておるぞ」
「冗談……ですよね。ジョ、ジョルディ様にしてみれば……農奴の爺さんなんて、取るに足りない存在ですし……」
「何を甘い事を言っている。これからお前は王として栄達していくのだ。放っておけば、父親面して擦り寄ってくるに決まっている。お前が頼るべきはワシ一人なのだ。お前はワシの言う通りにしておれば良いのだ」
―-とうさん。
前歯の抜け落ちた老人。
偏屈で頑固で厄介者。
農奴の間でも爪はじきにされる困った老人だった。
だが、幼い頃、ヴァンが熱を出した時には、翌日鞭打たれることを知りながら、仕事を放り出して傍にいてくれたのは、その老人で。
牛飼いの仕事を教えてくれたのも、その老人で。
普段はクスリともしない顰め面のくせに、ヴァンを褒めてくれる時に、微かにほほ笑んだその顔はひどく優しかった。
次から次へと、胸の奥から湧き上がってくる、あまりにも寂しく、暗く、激しい感情。
――許せない。
ヴァンはシュゼットの背後から歩み出て、ジョルディを睨みつける。
それでも尚、ジョルディの口元はニヤニヤと歪んだまま。
片方の眉だけを跳ね上げて、揶揄する様に口を開いた。
「ははは、怒ったのか? だが、それも直ぐにどうでも良くなる。お前にはそういう呪縛がかかっているのだ」
「どういう意味だ」
シュゼットが、ジョルディをジッと見据える。
「何かの拍子に魔法が使える様になった時に備えて、我が妻は農奴に落とす際に、念のためコイツの魂に、激しい感情を打ち消す呪縛を刻ませておる。どれだけ怒ろうが、どれだけ悲しもうが、激しい感情は、すぐに心の奥底へと沈むのだよ。こいつはね」
確かにせり上がってくる感情が、ヴァンの胸の内側で次々に打ち消されて、そこに「何もしたくない」そういう倦怠感に塗れた感情が居座り始めている。
ダメだ。僕はここで目の前のこの男を、許しちゃいけない。
その感情に、奥歯を噛みしめて耐えようとするヴァン。
次の瞬間、ヴァンの身体を背後から抱きしめる、柔らかい感触があった。
「大丈夫。アナタは呪縛になんて負けない。もう何度も、私の為に怒ってくれたじゃない」
耳元で、エステルの鈴の音の様な声がする。
「ふむ、例えヴァン君の怒りが、心の奥底に沈んだとしても、その怒りは我々が引きつごうじゃないか」
「ですわね。実際ワタクシも、この小者の物言いはそろそろ、腹に据えかねましてよ」
ザザの言葉に、ロズリーヌが同意する。
いつの間にか、ヴァンの背後にはエステル、ザザ、ミーロ、ロズリーヌ、ベベット、ノエル、アネモネ。
第十三小隊の面々が、ずらりと並んでいた。
「み、みなさん……」
くしゃりと顔を歪めるヴァン。
シュゼットは優しく微笑みかけると、ヴァンの耳元で何かを囁く。
「そういうことなら……」
ヴァンが、胸元のチョーカーを指で摘まみながら頷くと、シュゼットが声を上げた。
「ロズリーヌ! ノエル!」
「あはは、ボクとロズリーヌってことは、あの魔法だね」
「うふふ、ヴァン様のお望みのままに」
ヴァンは、ちらりとエステルの方へと目を向ける。
二人とキスすることを怒るかと思ったが、意外にもエステルはにんまりと笑って、立てた親指をくるりと下へ向けた。
「やっちゃえ」
彼女の唇がそう動いた。
どうやら彼女も相当、腹に据え兼ねたらしい。
まずはロズリーヌ、そしてノエルと、次々にヴァンは唇を重ねていく。
何が起こっているのか、わからなかったのだろう。
ジョルディ達は、呆気にとられた表情で、それを見ていた。
ただ、ジョルディの背後の男達の目だけが、腹立たしさを湛えている。
同じ農奴あがりの少年が、美しい少女二人に、次々にキスをされているという事実への嫉妬に違いなかった。
「生意気な小娘どもが! 我が息子を色仕掛けで篭絡したとて、何も変わらんぞ! 皆の者! 小娘どもは殺しても構わん! とっとと取り押さえろ!」
実際、人数の上では、ジョルディの配下の魔女だけでも四倍。
ましてや、その内五人は第四階梯の魔法の使い手だ。
ヴァンが、幾らシュヴァリエ・デ・レーヴルの再来だとしても、逆らう意欲もなくなってしまえば、恐れるものは何もない。
ジョルディは、そう思っていた。
ジョルディの背後の魔女たちが、構えようとしたその瞬間。
空に閃光が走ったかと思うと、突然、ジョルディの鯰髭が消失した。
「な、なんだ!?」
慌てふためくジョルディ。
ジョルディの左右の魔女達が、慌てて魔法を唱えようと口を開いた途端、再び空に閃光が走る。
途端に弾かれる様に、地面へと倒れていく魔女達。
「お、おい。ど、どうしたのだ!」
ジョルディが慌てて、倒れた魔女の方へと目を向けると、頭のど真ん中にコイン大の穴が開いて、薄暗い地面に黒い液体がだくだくと流れだしていた。
「こ、小娘ッ! な、なにをした!」
「私ではないな」
シュゼットは声を震わせながら、睨みつけてくるジョルディを軽くあしらう。
「『光弾狙撃』。こ、これが僕の魔法です。ジョルディ様」
静かに答えるヴァンに、ジョルディがヒステリックな声を上げる。
「どうしてだ! 激しい感情は全て抑制される筈だぞ! で、出来るわけがない。お、親に手を上げる事など、できるはずがないだろうが!」
「ええ、怒りはもう収まっています。僕は今すごく冷静です。ジョルディ様に怒鳴られると、腰砕けに座り込んでしまいそうです」
「ならなぜ、この父に逆らう!」
「それでも、許すべきではないものぐらい分かります。そして僕には今、それを支えてくれる人たちがいるから……」
「ひいいいい!?」
「に、逃げろ!」
ジョルディの背後で農奴の一人が声を上げると、農奴たちが松明を投げ捨てて、逃げ出しはじめた。
その途端、幾つもの閃光が走って、空が明滅する。
途端に、糸の切れた操り人形の様に、農奴たちは折り重なって倒れていく。
「『盾』の魔法だ、う、上から撃ってきているぞ! 魔法障壁を上に広げろ!」
ジョルディが一人の魔女の方を振り返ってそう叫んだ途端、その魔女の首筋に、コイン大の風穴が開いて盛大に血が噴き出し、周囲の魔女達は「ひぃ!」としゃくりあげる様な声をあげて、飛びのいた。
「ジョルディ様、あなたが何をしようとしても、僕の『光弾狙撃』は、もっと速い」
「父に逆らうとは、この親不孝もの!」
ヴァンが、ジョルディになにかを言おうと口を開いた途端、シュゼットがそれを制する。
「親の愛が美しいのは、それは無償の愛だからだ。ただ、そこにいるだけで溢れてくるもの。だからこそ美しいのだ。そんなこともわからぬ貴様に、父を名乗る資格などない!」
シュゼットが頷くと、ヴァンが小さく頷き返す。
その途端、空が明滅し、幾本もの閃光が、一斉にジョルディの身を刺し貫いた。
◇◆
背後の松明の炎に照らし出されて、目の前で長く伸びた影が揺らめいている。
「ど、どうしたのだ……一体、何が」
ジョルディは、きょろきょろと辺りを見回す。
目の前に、ヴァン達の姿はない。
自らの身体に次々と穴が開いていく生々しい感触。激しい痛みが頭の中を過って、思わず身を掻き抱き、身体を捩らせる。
幻覚? いやそんな筈はない。
身体が震えるほどの激しい死の恐怖が、胸の内に渦巻いている。
思わず、左右の魔女達の方へと目を向けると、先ほど死んだはずの魔女達も、恐怖の表情を顔に張り付けて、唇を震わせながら、周囲を見回していた。
◇◆
荷台の柵にもたれ掛りながら、
「第五階梯『時の楔』を解除する」
シュゼットがそう宣言すると、すぐ隣でクルスが肩をすくめた。
「ははっ、過保護だねぇ」
「我が子に父殺しの汚名を背負わせたいと思う親はおらんだろう。たとえそれが、血がつながっているだけのクズだとしてもな。それに、ヴァンは本当の父親を失ったばかりなのだ。多少甘やかしても罰は当たらんよ」
痛ましげなシュゼットの視線の先には、自らの膝に口元を埋めて塞ぎ込むヴァン。そして、それに左右から身を寄せる、エステルとロズリーヌの姿があった。




