第五十二話 第十三独立魔女小隊
サザランドが苛立たしげな足音を残して、ドアの向こう側に消えていくと、シュゼットは、かつて無い程に深い溜息を吐いた。
サザランドとのやり取りに疲れたという訳ではない。
シュゼットは自らの取るべき立場を迷っていたのだ。
マセマーから聞いた話とあわせて考えれば、女王はヴァンを、シュヴァリエ・デ・レーヴルの再来と確信して、王権を返還しようとしている。そう考えて間違いないだろう。
女王は秘密裏に事を進めるつもりなのだろうが、残念ながらそうは行かない。
帝国相手にあれだけの活躍をしたのだ。
シュヴァリエ・デ・レーヴルの生まれ変わりは、どうやら少年らしいという噂とともに、既に知れ渡ってしまっている。
権力の亡者達は、どうにかヴァンに擦り寄ろうとし、それが叶わないとなれば、彼を害しようとすることだろう。
実際シュゼットの元には、ヨーク伯の伴侶ジョルディから、息子の里帰りを求める書簡が、日を置かずに届いているだけではなく、シュゼット自身の実家や、交流のある他の貴族達からも、ヴァンについての詳細を問う書簡が、ひっきりなしに届いていた。
現状であれば、ヴァンを王にすることが、最も簡単なことの様に思える。
単純に、何があってもヴァンを守り抜き、女王に面談させる。
それだけで良いのだ。
むしろ王都まで出向いて、王権を受け取らずに戻ってくることの困難さは想像を絶する。
仮に女王に害意は無くとも、王室を脅かす存在となるヴァンを、周囲の者達が放置しておくはずがないのだ。
だからと言って、あの素朴な少年に、権謀術数渦巻く宮廷の主になれというのは、余りにも酷な様に思える。
シュゼットは自らの取るべき立場を迷っている。
椅子の背もたれに頭を乗せて、ぼんやりと天井を見上げる。
――その時
コンコンと弱弱しくノックする音がして、そっと扉が開いた。
顔を覗かせたのは、今まさにシュゼットの懊悩の中心にいる少年であった。
「どうしたのだ? ヴァン」
「あ。あの……ロズリーヌさんが、シュゼットさんが僕を呼んでるって言ってたんですけど……」
シュゼットは思わず、ドヤ顔をする金髪の少女を思い浮かべて、苦笑する。
――気の利きすぎる奴はキラいだ。
シュゼットの様子に、どうやら呼ばれた訳ではないらしいと察したヴァンは、静かにドアの方へと後ずさる。
だが、それを制して、シュゼットは口を開いた。
「なあ、ヴァン。何でも一つだけ願いが叶うとしたら、お前は何を願う?」
唐突な問いかけに、ヴァンは「あーうー」と考え込んだ後、照れるような表情を浮かべた。
「このまま、時間を止めてください……かな。たぶん、僕、今が一番幸せなんです」
シュゼットは一瞬、きょとんとした表情を浮かべた後、腹を抱えて笑い始めた。
「な、なんですか。いけませんか」
ヴァンが口を尖らせると、目尻に浮かんだ涙を拭いながら、シュゼットは口を開く。
「お前、時間系統の魔女の前で、それを言うか?」
「あ……」
「本当にそうしたければ、私と結婚して唇を奪いさえすれば出来るぞ。時間の第十階梯『停止する世界』は、術者も含めて時間を凍りつかせる魔法だ。解除する者もいない終わりのない停止だ」
「それは……ちょっと嫌かな」
「どっちがだ、私との結婚がか?」
「え……あ、いや、あの、そういうことでは」
あわあわと目を泳がせながら宙を掻くヴァンの姿に、シュゼットは細い目をより一層細めて、笑い掛ける。
その表情には、もう懊悩の色は無かった。
◆◇
女王の書簡が届いてから、三日後の朝。
中庭では大型の人員輸送車両、LV―05『犀』の荷台に、荷物を運びこむ第十三小隊の面々の姿があった。
「ちょっとぉ! ロズリーヌ、アンタ何持ってくのよ、荷物大きすぎるんじゃないの?」」
「ガサツなエステルさんには分からないでしょうけれど、淑女には淑女の嗜みというものがありますのよ」
「誰がガサツよ、誰が!」
「あら、鏡をご覧になったこともなくて?」
顔を合わせれば言い争う二人に、ヴァンは思わず苦笑する。
そして隣で、同じように言い争う二人を眺めているノエルに尋ねた。
「ノエルさんは……荷物少ないんですね」
ノエルが手にぶら下げているのは、握りこぶし三つ分ぐらいの大きさの革袋が一つ。
「あはは。替えのパンツが二つあれば十分でしょ」
「み、見せなくて、い、いいですから……」
袋の口を開いて中身を見せようとするノエルから、ヴァンが顔を背けると、その前をベベットが、手ぶらで通り過ぎる。
「あれぇ? ベベットぉ、替えのパンツは? 無いと困るよ? 貸してあげないよ?」
やたらパンツにこだわるノエルに、ベベットが何故か胸を張る。
「大丈夫。ロズリーヌの荷物に入れた」
途端に、荷台の上から、
「いつの間に!?」
というロズリーヌの驚愕の声が聞こえた。
わいわいと騒がしい隊員たちの様子を眺めながら、シュゼットとクルスが高速車両にもたれ掛っている。
「ったく、王都からこんなド田舎まで来たと思ったら、三日間独居房でお仕置きされて、また王都に戻るって、どんな罰ゲームだよ」
不機嫌そうに、ぼさぼさの髪を掻きむしりながら、クルスがボヤく。
彼女は、つい先ほど独居房から解放されたばかりであった。
「自業自得だろうが」
シュゼットが素っ気なくそう言い返すと、クルスが「ま、そだな」とやけに素直に応じる。
そして、隊員たちの方に、改めて目を向けて口を開いた。
「しかし、シュゼット。お前とオレを入れて、全部で十人ってのは少なすぎやしないか?」
クルスの疑問も尤も。
例年、派遣するのは第十一小隊の四十数名。
それを思えば、単純に四分の一の人数しかいない。
「少し難しい道を選ぶことに決めたんでな。敵か味方か分からん者を同行させたくなかったのだよ。次にマルゴに戻るまで、我々には他に味方はいない。いうなれば、我々は第十三独立魔女小隊ってことだ」
シュゼットのその言葉に、クルスはヒューと小さく口笛を鳴らした。
◇◆
御者席で操縦桿を握っているのは、ベベット。
その隣には交代要員として、ザザとアネモネが座っている。
荷台の上では、シュゼットが静かに目を瞑り、ノエルの肩に腕を回そうとしたクルスを、ロズリーヌが罵っている。
ヴァンを挟む様に、エステルとミーロが座っているが、ミーロ相手では、ロズリーヌの時みたいに強く「離れろ」とも言えないらしく、エステルはずっとそわそわしていた。
今回は、ラデロは同行していない。
シュゼットの代理として、マルゴ要塞の留守を守る役目があるのだ。
マセマー=ロウは昨日の内に一人『飛蝗』で一人、先に王都へと向かった。
シュゼットが、先に筆頭魔術師ローレンの動向を探る様、指示したのだ。
夜間は野営、もしくは宿場で泊まるという前提でいけば、王都までは丸四日の道程。
初めの頃は騒がしかった荷台の上も、陽が落ちる頃になるとすっかり静かになっている。
カンテラの灯りを揺らしながら、順調に走っていた『犀』が、突然、速度を落として停止した。
「どうした?」
「報告します。正面約百メートルほど前に、道を塞いでいる一団があります。目算ですが、人数は八十名程度です」
シュゼットの問いかけに、アネモネが堅苦しい口調で応える。
ヴァンとエステルが御者台の方に駆け寄って、ザザとアネモネの肩越しに正面を覗き込むと、そこには松明を手にした男たちを背後に従えて、女達が街道を塞いでいた。
「あれは……」
ヴァンが思わず眉を顰める。
女たちの背後で松明を掲げる男たちの中に、見知った顔を幾つか見つけたのだ。
ヴァンの様子がおかしいことに気づいたエステルが、声を掛けようとしたのとほぼ同時に、女たちの間から中年太りの脂ぎった男が、前に進み出て声を張り上げた。
「マルゴット卿、私でございます。ジョルディでございます。お迎えに上がりました」