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ハルの仕事と結婚  作者: singlemalt
四 月  ~清 和~
12/32

第12話 かさなる想い初鰹

 京都では、他人の家に招かれた場合、約束の時間よりも早く到着するのは厳禁。

 ピッタリの時間に行ってもいけないし、遅れるなどもってのほか。

 約束の時間が六時であれば、時の鐘がゴーンと鳴って、おざぶをひっくり返して、「そろそろお越しかな」と相手が一息ついたときに、呼び鈴を押すのがマナーだとされている。

 先様は、直前まで準備をされているだろうから、早く着くのはご迷惑になるという見識は理にかなったものだが、ぼんやり、はんなりしている素振りで、些細なことまで突き詰めて評価する実に京都人らしい哲学。遅刻するよりはと五分前に着くと、「えらい、お早いお付きどしたなぁ」と遠回しに田舎者扱いを受ける。伏見の酒蔵に嫁いだ大叔母の家に呼ばれたわけではないので、どうでも良いのだけれど…。


 四月の第二金曜日は、汗ばむ陽気となった。家に戻ってシャワーを浴びて着替えたあと、高島屋でドライフルーツとチーズを買って、結衣のマンションに向かう。今回は、車通りが良く約束の時間よりも二〇分ほど早く着いたため、北野天満宮の前でタクシーを降りる。

 百円玉を取り出して、手を合わせる。

 京都で弘法さんと言えば東寺、天神さんといえば北野天満宮を指す。梅花の季節も終わったところで、夕暮れの境内は参詣の人も少なく、閑散としている。

 菅原道真と言えば、「東風吹かば、にほいおこせよ梅の花、あるじなしとて春な忘れそ」と詠んだ飛梅が有名だが、それは風流というよりも、藤原氏の讒訴を受け都から遠く離れた大宰府に流された道真が、梅の香にたとえて京都に残してきた大切な人、二度と会えない愛しい人々に向けた、深い哀しみ、切なさのただよう歌である。受験シーズンには、学業成就のお守りを求めて受験生が押し寄せるが、そのうち、どれだけの人が道真の痛み、悲しみに心を寄せているのだろう。

 意識が遠く平安時代まで飛んでしまうと、現実の時間はあっという間に過ぎてしまう。参道を歩いていると、令和の世に呼び戻す電子音が鳴った。


「ごめん、ごめん」

「タクシーに乗ったというメールからいつまでも来られないので、事故にでも遭われたんじゃないかと思って心配しましたよ」

 黄色とグレーのロングワンピース。黒髪の軽やかな香りが鼻をくすぐる。

 丸テーブルの上には、すでに食事の準備は整っていた。

 カツオのお刺身と若竹煮、せりのおしたし、そして絶品のだし巻き。

「旬のものを食べていただこうと思って、きょうは初鰹と筍です。あとでハマグリのお吸い物と筍ご飯がありますよ~」

 カツオは、そのまま刺身にしたものと、和風の漬けにしたもの、ユッケ風にしたもの、そしてタタキと四種類が並んでいる。合わせて生姜やワサビ、ゴマといった定番の薬味だけでなく、浅葱、玉ねぎスライス、大葉、スプラウト、乾燥にんにく、大根おろし、紅葉おろし、千切りにした茗荷やラッキョウまである。「これはまた、おいしそうな」というと、「今日は、時間がなかったので、手間なしアイデア料理です。一番時間がかかったのはポン酢とゴマダレです」と舌を出した。


 ビールから冷酒に移り、気持ちよく酔っ払ってくる。

「病院にも新人の看護師さんが、たくさん入ってきたん?」

「内科病棟には六人です。今年はみんな併設の看護短大の卒業生で、実習やアルバイで顔見知りですから、普通の会社とはちょっと違うかもしれないですね」

「結衣も、新人さんの教育担当とか、すんの?」

 前回、ドライブの途中で、「ちゃん付けでない方がいい」とはにかむように言ったので、「結衣」と呼ぶようになった。「僕のことは何て呼んでくれるの?」と聞いたが「考え中です」と答えた。その答えがでるまで、もう少し時間がかかりそう。

「去年まではそうだったんですが、今年から設置された教育委員会の病棟責任者になってしまって、病院長や総師長も出席される会議にも出ないといけないんです。先輩ばかりの中で、ちょっと不安なんですけどね」

 この四月に替わったばかりの病院長は、なかなかに厳しい人らしい。責任感が強い反面、人の前に出る性格ではなく、病棟代表というのは気が重いようだ。

「普通の会社では、どんな研修するんですか?」

「挨拶とか、言葉遣いのマナー研修も一応やるけど、最近はリスクマネジメントが業界を問わず時代の流れかな。一人の社員のちょっとしたミスや、おふざけが会社の屋台骨を揺るがす時代やから。そのためには、学生の時の勉強とプロとして受ける教育は根本的に違うということを理解してもらわないといけない。看護師は言うまでもなく、どんな仕事でもプロは六〇点でOK、合格というわけにはいかんからな」

 仕事の話になると、なぜか無意識のうちに標準語になっていく。

「来週会議があるんです。このまま酔っぱらってしまって忘れると困るので、ちょっとメモしておきます」と、グラスを置いて机に向かった。




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