↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハルの仕事と結婚  作者: singlemalt
三 月  ~佳 月~
11/28

第11話 はじめての朝

 浴室のドアが開く音で現実に戻る。

 かすかに聞こえるドライヤーの音に、収まっていた鼓動が、また少しずつ早くなっていくのがわかる。リビングの照明が消え、グレーのステッチでふちどりされたレモン色のパジャマが、廊下の小さな灯りを背にしている。

「こっちおいで」

 ドアを背に動こうとしないために声をかけると、おずおずと近づいてくる。

 北野のドキドキを一身に吸い取ってきたよう。おかげで僕の緊張は少し収まる。

「雨は止んだようやね」

 そう言うと、こくりと頷いて、僕のとなりに半身になって座った。

 彼女が何か言うまで待っていた。少し時間がかかった。

「この間、お目にかかってから、うれしくてうれしくて、今日が来るのを本当に楽しみにしていたんです。何作ろうかとか、何がお好きだろうかとか、酔っぱらったふりして抱きつこうかとか、そんなことしたら嫌われるかなとか…」

 うつむいたまま、小さく上ずった声で、訥々と話す。

「でも、いざとなると、みっともないくらい緊張しちゃって」

 カーテンから漏れる月明かりに、うつむいた横顔に愛しさがこみあげてくる。

「どれどれ?」

 おもむろに体を起こして、おどけたように彼女の胸に耳を当てる。

 パジャマ越しに柔らかな胸が頬にふれる。

「ほんまやね、ドッキンドッキンいうてますね…僕はどうやろ?」

 と、今度は彼女を抱き寄せ、僕の胸に彼女の耳を当てる。

「看護師の佐々倉さん、聞こえますか?」

 やっと顔を上げて、「ドキドキしてます」と僕の目を見た。

「僕は結衣ちゃんより長く生きてるけど、そない経験があるわけではないし、女の子と初めてこんな風になる時は、同じように期待もするし緊張もする。お互いさま」

 彼女はじっと僕を見つめていたが、はじかれたように首に抱きついてきた。

 ゆっくりと体を外し、久しぶりのファーストキスをした。

「でも今日は無理せんでもいいよ。夜勤明けでずっと準備してくれたから、あんまり寝てないんやろ」

 髪を撫でながらそう言うと、子供が「いやいや」をするように首を大きく振った。

「じゃあ、二人でドキドキしなから、しよか」

 そう言うと、泣きそうな顔で少しだけ微笑んで、ゆっくりとくちびるを重ねた。


 昔から、行為のあとはいつも女性の左側に横たわる。

 それでは利き手の右手が自由に使えない(また朝にしびれる)と、半可通のプレイボーイからご高説を賜ることもあるが、これは癖というか習い性であり、反対側ではうまく眠れない。

 あの日、僕の命をつないでくれた柔らかい胸の感触が、柔らかい薄紅色の吐息とともに、ぬくもりとしっとりを保ったまま手のひらに残っている。

 右肩に乗って、じっとこちらを見ている。黒髪を左手で撫でながら、キラキラと光るおでこにキスをすると、夜具に顔を当てながら恥ずかしそうに、右手を回して身体を寄せてくる。

「わたし、とっても弱い人間なんです。自分を嫌いになってはいけないと思いながら、色んなこと思い出して、いつまでもクヨクヨしてるんです」

「それは、むかし付き合ってた男の子のことかな?」

 しばらく考えた後でそう言うと、ようやく力を抜いて首を横にする。

「残念ながら、胸を引き裂かれるような大恋愛をしたことはありません。でもこんなときにそんなこというと、そう思いますよね」

「よかった。想い出と戦うのは大変そうやし」

 そう笑うと、押し付けられた黒い陰毛が柔らかに僕の大腿をなでる。

 体を重ねて共有するのは愛情や情熱だけではない。歳を重ねて増えていく記憶は、後悔の方が多い。傷つけられたことを思い出す人もいれば、傷つけたことを思い出す人もいる。色々と自己弁護をしてみても、最後まで残るのは後者のほうが多い。

「これからもたくさん話しよ。でも僕は結衣ちゃんが思ている以上にオジサンやから優しいしてね」

「はい」

「昨日はあんまり寝てへんのやし、風邪をひくから早くパジャマ着ておいで」

「もうちょっとだけ」

 そう言うと、じっとりしている身体を密着させ、僕の身体の匂いをかいだり、子猫のように顔をすり寄せていたが、ソファの上のパジャマと下着を持って脱衣室に走った。恥かしそうにプルプルと震える丸い白いお尻がかわいく、とても官能的だった。


 寝不足と緊張から解放されて、安心した顔でスース―と寝息を立てている。

 女性の部屋で眠るのは、六年ぶりになるだろうか。新しい恋に出会うと、その直前の実らなかった想いが顔を出してくるのは仕方ない。

 (目が覚めると、まだ病院やったということもあるかもしれんな)

 (彼女は、看護師姿で、点滴準備をしているやろか)

 そんなことを思いながら、いつの間にか眠ってしまった




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。