第1話 俺は絶望のどん底にいた彼女を拾った
退屈な日常。普段と何一つ変わらない授業。
決められた授業をこなして、気が付けば一日が終わっている。
そんなどうしようもない日常の中で今日は一つの変化があった。
「……」
雨が降りしきる公園で少女が泣いていた。
着ている服からここら辺にある秋雨高校に通っていることが分かる。
青みがかった銀髪を肩甲骨の下ほどまで伸ばしており、ハーフアップにしている。
この距離からはよくわからないけど、瞳もエメラルドグリーンでかなり美しい。
知的な雰囲気を醸し出している。
なぜ、こんな雨の中で傘もささずにベンチに座っているのか。
どうして泣いているのか。
色んな疑問が頭の中に浮かび上がるが、俺はそんな些細な事よりも気になることがあった。
「……綺麗だ」
「……へ?」
気が付けば口からそんな言葉がこぼれ出ていた。
自分でも、なんでこんなことを口にしたのかわからない。
だけど、本当に心の底から彼女が綺麗だと思ったのだ。
「失礼。こんな雨の中で傘もささずに一体どうしたんだ?」
「あなたには関係のない事です。今は一人で居たい気分なので」
「あ~訳ありっぽいな。でも、こんなところにずっといたら風邪を引くぞ」
季節は春。
始業式も終わり、またいつもと変わらない平凡な日常が始まると思っていた矢先に俺は彼女に出会った。
とりあえず、彼女の近くまで行き傘をさしてやる。
彼女の方に傘を傾けたから俺の背中が少し濡れるけど、これくらいは許容範囲内だ。
「……放っておいてくださいと言ったはずですが?」
「放っておけるかって。これで君が風邪を引いたりしたら後味が悪いだろ」
「そんなの関係ないじゃないですか。私にはもう何もないんですから」
深い絶望を孕んだ声で彼女はなおも俯きながら告げる。
きっと、笑顔が似合う子なのだろうと直感的にそう思う。
だけど、彼女の表情は笑顔とは程遠い。
氷のように冷たい顔をしていた。
「何もないなんて事無いだろう。何があったのかは知らないけど、諦めるには若すぎるだろ」
高校二年生になったばかりの俺が言うのもなんだがな。
まあ、彼女も高校の制服を着ているという事は同い年か一つ年上か一つ年下かだ。
そんな年齢の女の子が人生を諦めるのなんて早すぎる。
「どうでもいいじゃないですか。あなたに私の気持ちがわかるはずありません」
「確かに、わからないな。だけど、放っておくつもりもない」
ここに来てはいさようならと言えるほど俺は薄情な人間じゃない。
こんなにも可愛い女の子が涙を流しているのだから、助けたいと思うのが人間というものだろう。
俺はそう思う。
「なんなんですかあなた。ストーカーか何かなんですか?」
「いや、今日が初対面だな」
「じゃあ、なんでそこまで私に構ってくるのですか?」
「このまま放っておいたら死んじまいそうだからな。話くらいさせてくれよ」
今の彼女からは生きる気力というものを感じられない。
最近の俺も日常があまりにも退屈過ぎて生きる楽しみというものを見失っていたから一種の同族と言えるのかもしれない。
「……はぁ。分かりました。話せばいいんですよね。話せば」
「ああ。まずは自己紹介だな。俺は広隆寺 春斗。栄富学園の二年生だ。ま、今日二年生になったばかりだけどな」
「栄富学園? そんないいところに通っているエリートがなんで私なんかに構うんですか?」
どこまでも卑屈な女の子だ。
自己評価が低いのか、自己肯定感が低いのか。
或いは両方か。
何かがあってこんな風に自己否定的な性格になってしまったのか。
「いや、こんな雨の中に公園で一人泣いてる子を見かけたら無視なんかできないだろ。道徳的に考えてさ」
理由は他にもあるわけだが、これを言ったらめちゃくちゃ引かれそうだから言わないでおこう。うん。
「それは……そうかもしれませんけど」
「それよりも、君の名前はなんていうんだ? 差支えが無いようであれば教えて欲しい」
「あ、そうですね。あなたの名前だけ聞いて自分は名乗らないというのは不公平ですよね。私は夜桜 刹那と言います。秋雨高校の二年生です」
刹那と名乗った少女は初めて顔を上げて俺の顔を見て話してくれる。
やっぱり顔立ちは整っていて、見つめていると吸い込まれそうになるような錯覚すら覚える。
「夜桜さんね。ここで話すのもなんだし、場所を変えないか?」
「……変な事をするつもりじゃないですよね?」
「しないよ。というか、するつもりならこんなに真っ向から君に話しかけたりしないさ」
変な事をしたいのならやりようなんていくらでもある。
権力でも立場でも金でも。
人を動かす方法なんていくらでもあるのだから。
「……まあ、いいです。もうどうなってもいいので」
完全に自暴自棄になっている彼女を連れて俺は自分の家に向かう。
いつまでも雨の降る公園で話しているわけにはいかないし、かといってずぶ濡れでカフェなんかにも入りずらいだろう。
「じゃあ、ついてきてくれ」
「はい」
彼女は特に抵抗することなく、ついてくる。
何が彼女をここまで自暴自棄にさせてしまったのか。
◇
「ここは……どこの豪邸ですか!?」
「俺の家だな。まあ、実家ってわけじゃないから今は一人暮らしなわけだけど」
「ひ、一人暮らし!? やっぱり私に変な事をする気なんですか?」
「ちげぇよ。ここが一番話しやすい場所だと思ったからだ。まあ、遠慮なく入ってくれ」
俺は慣れた手つきで玄関のカギを開けて家の中に入る。
いつもと何一つ変わらない風景。
だけど、後ろに可愛い女の子がいるというだけで新鮮に見えるものだ。
やはり俺も単純な男子高校生というわけか。
「お、お邪魔します」
「そこまでかしこまらなくたっていい。この家には誰もいないからな」
高校に通うにあたって俺は一人暮らしを始めている。
正直こんなにも大きな豪邸である必要は無かったんだが、両親が用意してくれたものだし狭いよりは広い方がいいので文句はない。
「広隆寺さんって、もしかしてすごいお金持ちだったりするんですか?」
「俺自身はそこまで金を持っているわけじゃないぞ? 金を持ってるのは俺の両親だ」
広隆寺家はかなり昔から続く名家で今は資産家としてそれなりに有名だったりする。
俺はその家の次期当主。
高校を卒業し、大学に入学して。
最終的にはレールに則った人生を歩む。
そんな日常に退屈さを感じていたのだ。
「いや、それはお金持ちという部類に入るのではありませんか?」
「どうだろうな。それよりも。とりあえず、体拭いたらどうだ? 流石に冷えるだろ。それにその……目のやり場にな。困るんだ」
雨に濡れた制服が少し透けて水色の可愛らしい下着が透けていた。
「え、ひゃっ!?」
俺が差し出したタオルをひったくるように奪い取って夜桜は胸元に押し当てる。
なんだか、凄く見てはいけないものを見た気分になってしまう。
着替えを用意できれば良かったんだけど、流石に女性用の着替えは持ち合わせてはいなかった。
「すまん。見ないようにはしてたんだが」
「い、いえ。わざわざタオルをありがとうございます」
「いや、気にしないでくれ。今暖房をつけるよ」
顔を真っ赤にしながら夜桜は胸元にタオルを押し当ててしゃがみこんでしまう。
凄く可愛いけど、いつまでも見つめているのは流石にヤバいので視線を逸らす。
「ありがとうございます。何から何まで」
「いいって。俺がやりたくてやってることだから。あと、先に言っておくけど見返りを求めてこんな事をしてるわけじゃないからな」
「わ、わかっていますよ。あなたからは下心みたいなのを感じないので」
「そりゃよかった。コーヒーでも飲むか?」
「じゃあ、頂きます」
リビングからキッチンに移動してやかんに水を入れて火にかける。
コーヒーは普段から飲むためストックもかなりあるし、マグカップに関してもそれなりの数を用意している。
「砂糖とミルクはどうする?」
「……たっぷりでお願いします」
少しだけ恥ずかしそうに俯きながら夜桜が答える。
どうやらかなりの甘党らしい。
俺は基本的にブラックだが、砂糖やミルクも完備している。
たまに気分転換で砂糖やミルクを入れるからだ。
「了解」
俺はキッチンの棚から砂糖とミルクを取り出してトレイに乗せる。
しばらくすると、やかんが沸騰を始めたため火を止める。
二つのマグカップの上にセットしておいたドリップコーヒー越しに熱湯を注ぐ。
すると、コーヒーの良い香りが鼻孔をくすぐった。
「できたぞ」
「あ、ありがとうございます」
リビングのテーブルに座っている夜桜の前にコーヒーの入ったマグカップと砂糖とミルクを置く。
夜桜は遠慮がちにそう言ってコーヒーに砂糖とミルクを入れ始める。
「じゃあ、聞かせてもらってもいいか? なんであんな雨の中に公園で泣いてたのか。ああ、言いたくないっていうなら言わなくてもいい。無理に聞きだすつもりはないんだ」
「……聞いてくれますか? そのほうがスッキリできる気がするので」
「もちろんだ」
彼女は意を決したみたいに頷いて俺の目を真剣に見つめてくる。
エメラルドグリーン色の宝石みたいな目で見られると不思議とドキドキしてくる。
公園で見た時のような明らかに絶望に濁ってしまった目ではなくなっているので、ひとまずは安心だ。
「私には、幼稚園の頃からずっと一緒に居る男の子がいたんです。で、中学卒業を機に付き合う事になったんですよ」
「幼馴染カップルってわけね」
「はい。それからもうまくやれてたと思ってたんですけど。今日、浮気されてたのがわかって」
「ああ……」
どうやら、夜桜が抱えている問題は恋愛関係のトラブルらしい。
俺はそういう系のトラブルに巻き込まれたことが無いからどんな心境なのかは想像することしかできない。
「相手が私の一つ年上の姉で。家に帰ったら家族ぐるみで責められましたよ。私が他の男の人と浮気してたとか言われて。全然そんなことしてないのに……」
今にも泣き出してしまいそうな声で彼女はポツリポツリと言葉を紡いでいる。
恋愛関係のトラブル、それもずっと好きだった幼馴染に浮気をされるなんてきっと相当にしんどいことなんだろうな。
「それはしんどいな。家族は姉の方を信用したのか?」
「姉は私よりもかなり優秀ですからね。両親は私の事なんかまったく気にしないんですよ。大切なのは姉の方で私の事なんかどうでもいいんですよ」
酷く悲しそうな顔をするものだ。
周囲に味方がいないのは確かにしんどいのかもな。
家に帰っても針の筵だろ。
居場所がなくなったという表現が正しいのかもしれない。
「……そうか」
「励ましたりはしてくれないんですね」
「俺はそれほど君の事を知らないからね。上辺で何を言っても意味なんかないだろ?」
ここで辛かったねとか、そんなことを言って何の意味があるのだろう。
会って一時間も経っていないような男が言うような言葉では絶対にないのは確かだ。
「珍しい人ですね。こういう時は慰める人が多いのに」
「君は上辺だけ取り繕って慰める人間が好きなのか?」
「嫌いですね。そう言うタイプ」
夜桜は苦笑しながらコーヒーを一口すする。
その後に、彼女は幸せそうに眼を細めて一息ついていた。
「だろ。でも、そんな状況なら家に帰りづらくないか?」
「……ですね。凄く帰りたくないです。きっと学校でも私が浮気したことになってて皆さんから非難の目を向けられるんでしょうね。ハッキリ言って憂鬱です」
酷く悲しそうに眼をそらしながら彼女は呟く。
きっと、笑顔が似合う子のはずなのに。
今の彼女の顔はずっと曇っている。
そんな現状を何とかしたい。
身勝手な話だけど、俺はそう思ってしまったのだ。
「なら、転校してくるか?」
「……へ?」
俺の提案に夜桜は素っ頓狂な声を上げて、今日初めて見るような顔をしていた。




