第23話: 下手でもいい、とにかくやれ
神天学園の講堂の沈黙は、映画で使うような小道具のナイフで切り裂けそうなほど重苦しかった。
12人の人間が、星野誠の宣言を処理している。
最初に口を開いたのは健二だった。
「お前が?」
それは修辞疑問文ではなかった。受け取った情報が過去のどんなデータとも一致せず、脳が確認を求めている時に発せられる、純粋な疑問だった。
「ああ、俺だ」
と誠は答える。
「お前……2日に1回は台本をなくして、ロミオの台詞と論理学の議論をごちゃ混ぜにして、毎回稽古に遅刻してくる、この星野誠が……?」
「その通りだ」
「……ロミオをやるって?」
「大正解」
健二は長い間、彼を見つめた。
そして天井を仰ぎ見た。
もう一度誠を見た。
「俺たち、終わったな」
全人類に対する信仰を失ったような声で、彼はついに言った。
「星野、お前、ケーブルに躓かずにステージの立ち位置につくことすらできないじゃないか」
客席の脇から、普段はドアの封鎖を担当している大柄な男子生徒が手を挙げた。明らかに自分の代替案の方が優れていると確信している人間の特有のエネルギーを放ちながら。
「馬鹿げてる。さっさと学校側に話して、劇自体をキャンセルしようぜ。全校生徒の前で恥をかくよりマシだ」
誠は驚き、即座に言い返した。
「おい待て、それだけは絶対になしだ」
「じゃあ、劇を延期するか?」
「はあ!? それもダメだ!」
誠は憤慨して言った。
「じゃあ……ロミオが出ない別の劇にするか?」
「はあ!? 例えばなんだよ?」
男子生徒は1秒考えた。
「ハムレット」
それを聞いて、誠は憤慨した。
「ハムレットにも男の主人公がいるだろ……」
「そうだけど、ハムレットの主人公の方が演じるのが簡単そうだ」
「ハムレットの主人公は最後に死ぬんだぞ!」
「だからいいんだろ」
誠は、すっかり信仰心を失った目で彼を見た。
「信頼してくれてサンキューな、友よ……」
しかし、小道具置き場のそばで一部始終を聞いていた1年生の女子、花が、これから言おうとしている内容とは全く対照的な、恐る恐るした様子で小さく手を挙げた。
「あの……私、いけるかもしれないって思います……」
沈黙。
全員が彼女を見る。
花はその視線の重圧に少し身をすくませたが、手は下ろさなかった。
「だって……遥先輩が来る前、星野先輩も一緒に稽古してたじゃないですか。完璧じゃなかったけど……」
彼女は言葉を切った。
「けど、なんだ?」
誰かが尋ねる。
「でも、本物でした」
自分が変なことを言っていると分かっていながら、それが真実だからこそ口にする、あの特有の声で彼女は言った。
「星野先輩が前に演技した時、下手でしたけど、そこに『誰か』がいるって感じがしたんです。ただの技術じゃなくて。一人の人間が」
オーディトリアムは静まり返った。
先ほどとは違う沈黙だった。
健二は花を見た。次に誠を見た。そしてもう一度天井を見上げ、自分の期待値を再調整しつつも、そのプロセス自体が気に入らないといった表情を浮かべた。
全員が狸子を見た。
狸子は分かっていた。
誠が「俺がロミオをやる」と言った瞬間から、この時が来ることを。全員が自分に決定を委ねる瞬間が。
彼女は誠を見た。
誠も彼女を見つめ返した。何も具体的な要求はしていないが、なぜか常に「絶対に正しいこと」だけを求めてくる、彼特有の表情で。
(この馬鹿……。何の計画もないくせに約束だけして、頬に絆創膏を貼ったままここに突っ立って。信頼を失いかけてる12人の前で、私が彼を支持するのを待ってる)
彼女は心の中で誠を締め上げていた。
(そして何より最悪なのは、私が……彼を信じてしまっていること。なんでか分からない。信じる理由なんて一つもないのに……それでも、信じている)
狸子は息を吸い込んだ。
そして、演劇部の「部長」としての声を出した。ここ数週間、みんなが方向性を求める「リーダー」であった頃の自分を思い出すために、時折使っていたあの声で。
「やってみましょう」
沈黙。
「狸子様……」
大柄な男子が口を開きかけた。
「やってみましょうと言ったの」
狸子は今度はさらに力強く繰り返した。
「遥がここに来て、完璧なものだけが価値があるって私たちに思い込ませた。そして何週間も、私たちはそれを信じた。その結果がどうなったか、みんな見たでしょ。彼はもういない」
彼女は一呼吸置いた。
「星野くんは遥じゃない。絶対に遥にはなれない。でも、その時の私たちには分からなかっただけで、遥も私たちが本当に必要としていたものじゃなかった」
彼女は部員たちを見渡した。
「稽古を始めるわよ。今週末の時点で結果がどうしようもなかったら、その時また別の決定を下す。でも、まずはやってみるわ」
沈黙。
やがて、部員たちは少しずつ自分の配置へと動き始めた。
熱意からではない。信じる理由を見つけた人間の新たなエネルギーからでもない。
「納得はしていないが、決定を下した人間のことは尊重する」という、あの特有の諦めに近い感情からだった。
だが、今のところはそれで十分だった。
誠は狸子を見た。
狸子も彼を見た。
すでに言うべきことはすべて言われていたので、二人は何も言葉を交わさなかった。
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15分後。
誠は手に台本を持っていた。
それを見つめている。
台本もまた、勝手に暗記される気など毛頭ないという無関心さを放ちながら、83行に及ぶロミオの台詞として彼を見つめ返していた。
(83行……)
彼は恐怖に震えた。
(もっとこう……なんていうか、少ないもんかと思ってたぞ……)
(なんでロミオってこんなに喋るんだ?)
(ただ……そこにいるだけじゃダメなのか? 遠くからジュリエットを見つめるだけじゃ? 何も言わずに?)
(その方が詩的じゃないか? つーか、俺に彼女がいたらそうするぞ……待て、そもそも彼女ってなんだ?)
「星野くん」
ステージから狸子の声が響いた。何度も稽古を重ねてきたことで、ディレクターモードに入った時の彼女の特有の抑揚が混じっている。
「台本を読んでるの? それとも、じっと見つめていれば勝手に頭に入ってくるとでも思ってるの?」
「あー……今、テキストと感情的な繋がりを構築しているところだ」
「おでこに汗かいてるけど」
「あー、感情的な繋がりが激しすぎるんだよ」
ステージ袖で自分の台本を持っていた健二が、明らかに咳を装った笑い声を漏らした。
狸子は、特定の事柄は無視した方が有益であると学んだ人間の効率の良さで、それを無視した。
「第2幕から始めるわ。第2場。バルコニーのシーンよ」
誠は台本から顔を上げた。
「バルコニーのシーンから始めるのか?」
「一番重要なシーンだから。そこから始めるのが筋でしょ」
「最初から始めるべきじゃないのか?」
「最初はロミオがいなくても成立するの。バルコニーはそうはいかない」
誠はそれを処理した。
(論理としては疑問が残るが、反論できる材料がない)
「分かった」
彼はステージに上がった。
部員たちもそれぞれの配置につく。花はバルコニーに見立てたセットの裏に回った。照明担当の男子がスポットライトを調整する。大柄な男子は、後で「だから言っただろ」と言うために大惨事を記録しようとするエネルギーを放ちながら、腕を組んだ。
狸子は台本を持ってバルコニーの高さまで上がった。
誠は下に残る。
彼は全員を見渡した。
(よし)
(これは劇だ)
(ロミオはバルコニーの下にいる。ジュリエットは上にいる)
(ロミオはジュリエットに甘い言葉をかける)
(俺がロミオだ)
(シンプルなはずだ)
「いつでもいいわよ、星野くん」
狸子がディレクターの声で言った。
誠は台本を開いた。
そのシーンのロミオの最初の台詞を探す。
見つけた。
読んだ。
もう一度読んだ。
そして、バルコニーの上の狸子を見上げ、演技ではなく「ただ声に出して読んでいるだけ」の人間の特有のイントネーションで言った。
「『待て、あそこの窓から漏れ出る光は何だ? あそこが東で、ジュリエットは太陽だ』」
沈黙。
健二は目を閉じた。
大柄な男子は片手で顔を覆った。
配置についていた花は唇を噛み締めた。
狸子はバルコニーから、忍耐とその他もろもろの複雑な感情が混ざった表情で誠を見下ろした。
「星野くん」
「なんだ」
「読んでるだけよ」
「嘘だ、演技してるぞ」
「演技しながら台本を音読してるのよ」
「まだ暗記してないんだから仕方ないだろ」
「台本渡してから15分経ってるわよ」
「けど83行もあるんだぞ!? たった15分でどうやって全部覚えるんだよ!」
誠は憤慨して言った。
「ロミオはたくさん喋るの。それは……」
「キャラデザの問題だな。シェイクスピアは絶対に脚本の書き方を分かってない」
花がこらえきれずに吹き出した。慌てて手で口を覆ったが、もう遅かった。
狸子は深呼吸した。
「もう一回……」
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2回目のテイクは、台本を直接読まずに最初の台詞を言えたという点ではわずかにマシだったが、学食のメニューを読み上げるような声のトーンは変わらなかった。
3回目はもっと酷かった。シーンの途中で誠がページを見失い、2行にわたって第3幕の台詞を暗唱してしまったからだ。
4回目は、誠が間違った方向からステージに上がり、張り子の小道具に激突して、オーディトリアム中に響き渡る音と共にそれをぶっ倒したことで中断された。
「大丈夫か!?」
と誰かが聞いた。
「だ、大丈夫に見えるか……」
と誠が床から答える。
「まあ、小道具の方がお前よりダメージ受けてるけどな……」
それに気づいた誠は恥ずかしくなった。
「チッ、ふざけんなよこの張り子」
5回目は順調な滑り出しだった。誠は賢明にも台本を手放し、過去20分でなんとか頭に叩き込んだ台詞だけを信じることにしたのだ。
彼はバルコニーにたどり着く。
上にいる狸子を見上げる。
そして今度は、ただのテクニックでも、ただの朗読でもない、何かが違う声で言った。
「『待て、あそこの窓から漏れ出る光は何だ?』」
間を置く。
狸子が彼を見下ろす。
「『あそこが東で、ジュリエットは太陽だ』」
オーディトリアムは静かだった。
先ほどの大惨事を記録するための沈黙ではない。もっと別の、無意識のうちに注意を引きつけられてしまった時の静けさに似ていた。
誠は続ける。
「『昇れ、美しい太陽よ、そして嫉妬深い月を殺せ』」
そこで、彼はぴたりと止まった。
次の台詞を忘れたからだ。
沈黙が3秒間続いた。
「次の台詞なんだっけ?」
誠が聞いた。
魔法は解けた。
健二は台本で顔を覆った。
大柄な男子は、笑いでもなんでもない奇妙な音を漏らした。
バルコニーから、どう分類していいか分からない表情で誠を見つめていた狸子は、もう一度彼を見る前に、一瞬だけ別の方向へ顔を背けなければならなかった。
「次は、『月の処女の衣は、悲しみで病み、青ざめているからだ』よ」
「ああ」と誠。
「『月の処女の衣は、悲しみで病み、青ざめているからだ』」
彼は全く悪びれる様子もなく繰り返した。
またしても沈黙。
「星野くん……」
「なんだ」
「演技の途中で台詞を忘れても、次の台詞を聞いちゃダメよ」
「えっ……マジで? じゃあどうすればいいんだよ」
「アドリブよ」
誠はそれを処理した。
「シェイクスピアの劇でアドリブをしろって?」
「必要ならね」
「異端審問にかけられそうな発言だな。シェイクスピアが聞いたら墓の中でブチギレて回転するぞ」
「知るか。それが演劇ってものよ」
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その後の40分間は、本物の進歩と本物の大惨事が入り混じった、到底計算して生み出せるような代物ではなかった。
誠は台詞を忘れた。なんとなくシェイクスピアっぽく聞こえるが全く別物の言葉でそれを埋め合わせた。ある時は、特に長い独白の途中で「水飲んでもいいか?」と演技を止め、それが演劇のプロトコルに違反しているかどうかを尋ねた。
狸子は「飲んでもいい」と答えた。
誠は礼を言い、水を飲んだ。
そして独白の続きを再開した。
またある時は、技術的にジュリエットが使うはずのステージ側から入場してしまい、全く違う小道具の配置をしていた花と立ち位置の交渉をしなければならなかった。しかも、全員に丸聞こえの小声で。
「悪い、通ってもいいか?」
「今小道具を置いてるんです」
「……私が置く」
「えっ、でも」
「私が置くの。ロミオは左から入って」
「俺の左か? 客席から見て左か?」
「客席からです」
「ってことは、俺から見ると……?」
「右よ」
「あー。なんで最初からそう言ってくれないんだ?」
狸子は、これは答える必要のない質問だと判断し、全員にシーンのやり直しを命じた。
しかし、違う瞬間もあった。
誠が台本も戦略も持たず、彼が特定の物事に対して見せる、あの全くフィルターのかかっていない誠実さだけで言葉を発した時、オーディトリアムは、客観的には完璧な演技とは言えないものに対しては異常なほどの静けさに包まれることがあった。
例えば、ロミオがジュリエットに愛を誓うシーンの途中。誠は台本にある台詞を半分で止め、台本のどこにも書かれていない言葉を口にした。
「なあ、これがシェイクスピアかどうかは知らないけど、俺が言いたいのはさ……君がここにいなかったら、このステージは全く違うものに感じられるってことだ。それは、変に聞こえるかもしれないけど、本当のことなんだ」
沈黙。
狸子はバルコニーから彼を見下ろした。
部長としての表情でも、女優としての表情でもなく。
「それ……台本にないわよ」
ついに彼女は言った。
「あ、それは分かってる」
「でも……」
彼女は言葉を切った。
「でも、なんだ?」
狸子はすぐには答えなかった。
「次の台詞を続けて」
そう言った彼女の声はいつも通り普通に聞こえたが、その姿勢のどこかがわずかに変化していた。まるで、予期せぬ贈り物を受け取り、とりあえず今はそれを胸の内にしまっておくことに決めた人のように。
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ディベート部。同時刻。
「星野くんが演劇部の本公演でロミオをやるらしいですよ」
その情報を共有した部員は、それが重大なニュースであると考え、何らかの反応を期待するような口調だった。
狐乃香はタブレットから目を離さなかった。
読み続けている。
5秒。
ページをめくる。
「失敗するわ」
沈黙。
その部員は、期待通りの言葉を聞けたとばかりに頷いた。
しかし……その2秒後。
狐乃香は声のトーンを一切変えずに付け加えた。
「最初の30回はね」
部員はわずかに眉をひそめた。
「最初の30回、ですか?」
「ええ。星野くんは、一般的な意味での『失敗』はしないの」
と、狐乃香はさらにページをめくりながら言った。
「彼は失敗し、当初の計画にはなかった何かを学び、そして誰も計算していなかったことをしでかす。そのプロセスは非効率的で、統計学的には予測不可能よ」
一呼吸置く。
「でも、最終的な結果は……」
彼女は言葉を切った。
「……どうなるんですか、狐乃香様?」
狐乃香はタブレットを閉じた。
「この会話において、それは無関係ね」
そう言って、彼女は再びタブレットを開いた。
部員は、これ以上質問しない方が賢明だと判断した。
しかし、タブレットを開きながらも、すでにもう何も読んでいなかった狐乃香の頭の中では、声に出さなかった思考が渦巻いていた……。
(驚かされる)
(最終的な結果は、いつも驚異的なものになりがちだわ)
(それが、統計学的に見て星野くんの最も腹立たしいところ)
(彼には、どんな確率論も通用しない)
彼女の指がタブレットを一度トントンと叩く。
そして、作業に戻った。
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再びオーディトリアム。
時間が過ぎていく。
稽古は、完全に機能しているわけでもなく、かといって完全に破綻しているわけでもないという、遥が去ってから部員たちが経験したことのない、最も奇妙なエネルギーの中で続いていた。
遥がいた頃は、すべてが明白だった。「完璧」か「失敗」か。「役に立つ」か「ゴミ」か。中間は存在しなかった。
誠の周りには、中間しかなかった。
その中間は、時には大惨事となり、時には誰もどう分類していいか分からない魔法のような瞬間を生み出した。
問題は、遥が植え付けた恐怖の中では、その「中間」が機能しないことだった。
メンバーのひとりは、遥に見られたら何と言われるか考えずにはシーンに入ることができなかった。別のメンバーは、何週にもわたるプレッシャーの中での稽古で植え付けられた、あの不可能な基準と照らし合わせずには、台詞を一言も発することができなかった。
そして誠。被害が拡大した後にやって来て、つまみ出されるのに忙しくてその恐怖を吸収する暇もなかった彼は、そんな恐怖を抱えている人間には到底できないことを平然とやっていた。
つまり、失敗することだ。
それも、ほとんど不快に思えるほど自然に。
4幕の稽古中、花は台詞を忘れて凍りついた。部員たちにはお馴染みの、失敗の結果として何か恐ろしいことが起きるのを待っているかのような、あの恐怖の表情で。
誠は彼女を見た。
「台詞、何だっけ?」
花は驚いて彼を見た。
「……思い出せないの」
「俺も自分の台詞、覚えてないぞ」
彼は柔らかく笑って言った。
「アドリブでいかないか?」
花は一瞬、彼を見つめた。
「そんなこと、していいんですか?」
「俺はずっとやってるぞ」
「でも、あなたは……」
「俺が何だって?」
花は言葉を最後まで言わなかった。だが、彼女の表情がわずかに変わった。
そして次のシーンの稽古で、彼女が台詞を忘れた時、彼女は凍りつかなかった。
アドリブをした。
上手くはなかった。だが、やり遂げた。
そして、空は落ちてこなかった。
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午後6時頃、最初のメンバーが「もう十分だ」と決断した。
ドラマチックな宣言もなし。ただ、限界に達した人間特有の、静かにそれと認める疲れた動作で。
その部員は狸子に近づいた。
「狸子様、私……今日はもう十分です」
狸子は彼を見た。
そして頷いた。
「休んで」
そのメンバーは荷物をまとめ、出て行った。
30秒後、別のひとりが同じことをした。
連携もなし。誰が口に出すでもなく。ただひとり、またひとりと、その動作ごとに疲労を漂わせながら、部員たちは台本やリュック、小道具をまとめ始めた。
健二が最後から2番目だった。
彼はステージの袖で、誠の隣に立ち止まった。
「星野くん」
「なんだ」
「お前、悪くはないな」
誠は彼を見た。
「だが、上手いとも言わんぞ」
健二はそう付け加えると、さっさと去っていった。
大柄な男子が最後に出て行った。彼は誠の横を立ち止まらずに通り過ぎたが、ドアの敷居で半秒だけ振り返った。
「遥は完璧だった」
彼が言うと、誠は振り返った。
「ああ、それはもう分かってる」
「で、俺たちは壊れた」
一呼吸置く。
「お前は災難だ」
「それも分かってる」
その男子は一瞬、誠を見た。
「たぶん、それこそが俺たちに必要なものだったんだろうな」
そう言って、彼は出て行った。
オーディトリアムのドアが閉まった。
残った静寂は、遥がいた頃のものとは違っていた。ある意味ではより重く、ある意味ではより正直な静寂だった。
誠は誰もいないステージに立ち尽くした。
手に持った台本を見つめる。
しばらくの間、ただ見つめていた。
(83行)
(俺が覚えてるのは、約27行)
(残りの56行は、俺の頭の中と忘却の彼方のどこかにある)
(今日は大惨事だった)
(客観的に見て、今日は大惨事だ)
(明日も、また大惨事になるだろう。その次の日も)
(で、その大惨事のどこかで、何とか機能するものが出てこないと、劇は壊滅的になって、部も最悪の評価を受けて、狸子が……)
彼は言葉を止めた。
耳を澄ます。
足音。
狸子はまだオーディトリアムにいた。
彼女がバルコニーから台本を拾い上げるのが見えた。疲労困憊しているのにまだそれを認めたくない人のような、ゆっくりとした動作で。彼女は、そうしようと意識していない時でさえ漂うあの優雅さでステージの階段を下り、最前列の座席のそばで立ち止まった。
彼女は彼を見た。
「星野くん」
「狸子さん」
「……家に帰って休んだ方がいいわ」
「君もだ」
「いいえ……私はもう少ししたら帰る」
一呼吸置く。
「決めたの」
誠は彼女を見た。
狸子の声色に宿る、悲しみとは少し違う、けれどそれに似た何か。誠はそれが、自分が聞きたくない決断であることを直感した。
「何の決断だ?」
狸子は誰もいないステージを見つめた。
「劇をキャンセルする」
その後に続いた静寂は、今日これまでにあったどの沈黙とも違っていた。
「……は?」
誠は顔面蒼白になり、衝撃を受けて立ち尽くした。
「明日、監督と話すわ。状況を説明する。部としては、もっと規模の小さい、今の部員たちの状態でも扱える何かを――」
「断る」
狸子は彼を見た。
「星野くん――」
「この劇をキャンセルさせるわけにはいかない」
「あなたの決めることじゃないわ。私は部長として――」
「分かってる」
誠は言った。
「今日がめちゃくちゃだったのも、部員が誰もこれを成功させられると思ってないことも。俺がロミオ役に一番ふさわしくない人間だってことも、全部分かってる」
狸子は何も言わなかった。
「でも、もし劇を中止にしたら、部にはそれが残る。諦めたっていう事実が。難しすぎると判断したっていうレッテルが」
「時には限界を認めることも――」
「狸子さん」
彼女は言葉を切った。
誠は彼女の方へ歩み寄った。
急ぐこともなく。さっきまでの衝動に駆られるような足取りでもなく。決断を下し、それがどれほど微力であっても自分にある限りの確信を持って、それを実行に移す人間の足取りで。
彼女の目の前で立ち止まる。
そして計算もなく、練習もせず、重要な局面で取られるべきどんなポーズでもなく、彼は膝をついた。
片膝ではない。両膝だ。手に台本を持ち、頬には絆創膏を貼り、長時間の稽古で髪を少し乱したまま。
狸子は彼を見下ろした。
彼女の目が大きく見開かれる。
だってこれは、客観的に見れば、ただの疲れ果てた男子生徒が空っぽの講堂の床に膝をついて頼み事をしているだけの光景なのに、あまりにも別の、決定的な何かに見えてしまったからだ。
彼女の顔が熱くなる。
即座に。
他の状況だったら驚異的とも言える速さで。
「な、何を――」
「俺に教えてくれ」
誠は言った。
大切なことを口にする時に彼が使う、あのシンプルで真っ直ぐな声で。
「……え?」
「俺に演技を教えてくれ。頼む」
狸子は彼を見た。
「俺がめちゃくちゃなのは分かってる。何をやっても才能がないのも、特に演技なんてひどいもんだったのも。……しばらくは、このままめちゃくちゃなままだろうってことも」
一呼吸置く。
「でも、劇をキャンセルにはさせたくない。キャンセルさせない唯一の方法は、俺が上手くなることだ。そして、俺が上手くなる唯一の方法は、君が俺に教えることなんだ」
沈黙。
狸子は彼を見下ろした。彼女が普段身につけているどんな仮面とも違う表情で。
それは、あまりに多くのことが同時に押し寄せてきて、どれから処理すればいいのか分からずにいる人間の表情だった。
(この子……)
(この最高に馬鹿げた男の子が、私の講堂の床に膝をついて、演技を教えてくれなんて言ってる)
(まるで、プロポーズみたいじゃない)
(顔が熱い。トマトみたいに真っ赤になってる)
(なのに彼は、そのどちらにも気づいてない)
(気づいてないに決まってる。だって、誠だもの)
狸子はステージを見た。
手に持った台本を見た。
そして、目の前で膝をついている誠を見た。何かを決断した時に彼が浮かべる、この宇宙のどんな力を持ってしても変えることのできない、あの不条理なまでの確信に満ちた表情。
そして彼女は、抗うこともできずに思った。これこそが、彼女の夢見る「王子様」がすることに違いないと。
完璧な告白でもなく。計算された仕草でもなく。どんな効果を生むかを完璧に把握している人間の演技でもなく。
ただ、助けを求めて床に膝をついている一人の馬鹿。
ありったけの力で。
戦略も、優雅さも、重要な瞬間を「それらしく」見せるための要素など何一つ持たずに。
ただ、誠実さだけを携えて。
この数ヶ月間、彼女の中でどう分類していいか分からない感情を抱かせてきたのと同じ誠実さが、今、午後の光が差し込む誰もいない講堂で、それまでになく鮮明になっていた。
彼女は微笑んだ。
部長としての微笑みでも、女優としての微笑みでもない。
彼女自身の微笑み。すべての層が剥がれ落ちた時にだけ現れるもの。
「あなた、私が知っている中で一番頑固な男の子ね」
彼女は言った。
「もう何度も聞いたよ」
「それに、一番の馬鹿」
「それもね」
「それに多分、この講堂の歴史上、最悪のロミオだわ」
「それは初耳だけど、受け入れておくよ」
狸子はもうしばらく彼を見つめた。
そして、手を差し伸べた。
誠はそれを見た。
手を握り返す。
そして、立ち上がった。
「分かったわ」
狸子は言った。もはや部長の声ではなく、かといって小さな声でもない。ただの、彼女自身の声で。
「演技を教えてあげる。星野くん」
誠は微笑んだ。エレガンスのかけらもないが、世界で一番誠実な笑顔で。
「どこから始める?」
狸子はステージを見つめた。
それから、彼を見た。
「最初からよ」
彼女は言った。
「常に最初から始めるものだから」
誠は幸せそうに微笑んだ。
「完璧だ。じゃあ、まずは顔を洗ってから……」
誠は話すのに夢中になりすぎて、ステージから床へと落下し、顔をぶつけた。
「誠くん!」
狸子は慌てて駆け寄った。彼が床に大の字になって天井を見つめているのを確認する。
「ねえ……たぶん……10分だけ休憩をくれないと無理かもしれない」
誠が囁く。狸子は諦めたような小さな微笑みを浮かべた。
「……これ以上、私に何ができるっていうのよ……」
そうして、神天学園の誰もいない講堂で、高い窓から差し込む夕暮れの最後の光と、二人の間に開かれた『ロミオとジュリエット』の台本と共に、何かが始まった。
稽古とは呼べないし、かといって他の何とも言い難いもの。
二人が、全く異なる視点から、全く異なる理由で計画していなかったもの。だが、それにもかかわらず、それが「完全に正しい」と感じられるもの。
第23話:完
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よお、みんな元気か? 元気なら何よりだ。俺は最悪だ。めちゃくちゃムカついてる。ワールドカップで日本がブラジルに負けて敗退したのを見た時は、心底やられたよ。最後の最後に決められたあのゴール、マジでキツかったわ(笑)。
まあ、そんなことは置いておいて。ここまで読んでくれてありがとう。楽しんでもらえたなら嬉しい。応援してもらえると、本当に励みになる。気合を入れて、週末には次のチャプターを出すつもりだ。
それじゃ、今日はこの辺で。バイバイ。
零時卿より




