第20話:台本の終焉
「ちょうどいいところに来たわね。不良品の品質管理を終えようとしていたところよ……」
新天学園の中庭は、薄暗い黄昏時の紫色のトーンに包まれていた。
それは、数ヶ月間も陰で動き続けていたエコシステムが崩壊するのに、これ以上ない完璧な背景だった。
狐乃香善子は左手にイチゴのアイスクリームを持っていた。
完璧な姿勢、コントロールされた呼吸。
数分前にはクリティカルなショート寸前だった彼女の精神は、今や恐ろしいほどの明晰さで機能している。
数メートル先には、星野誠というアノマリーが立っていた。
溶けたバニラで手首をベタベタにしながら、寒さに文句を言っている。
その単純で、不器用で、真っ直ぐな存在。
それだけで、『論理の女帝』がシステムを再起動するには十分だった。
西園寺遥は、人生で初めて一歩後ろに下がった。
しかし、絶対的なコントロールの上に築かれた彼のプライドという建築物は、静かに崩れ去ることを拒んだ。
もし落ちるのなら、彼女の防壁を破った唯一のウイルスを使い、善子も一緒に引きずり落とす。
「これらはすべて」
遥の声がひび割れた。
不自然なほどの滑らかさ、外科手術のような精密なメロディが失われ、かすれて、必死で、まるで人間のような響きになった。
「彼のためにやっているんだろう」
それは質問ではなかった。
告発として機能するように設計された宣言。
「善子さん、お前がどれだけ論理的に否定しようと、彼が入ってきたときのお前の表情が、僕の知りたかったことのすべてを証明している」
一拍。
「論理の女帝が、こんな風になり下がるなんて。周囲で何が起きているかも半分も理解していない男のために、わざわざ暗い中庭に来て他人の戦いをするなんてね」
彼はさらに必死に、もう一拍置いた。
「それが何を意味するか分かるかい? お前の負けだ。お前の完璧で強固なシステムは、思春期の感情なんていう単純なものに侵入されたんだ。結局、お前も他の奴らと全く同じだってことさ」
その叫びは中庭の壁に反響した。
美羽は身震いした。
団蔵は息を呑んだ。
誠はまばたきをし、突然、遥が別の言語を話し始めたかのように彼を見つめた。
しかし、善子は動じなかった。
一秒間、目を閉じる。
オーバーロードはない。思考にノイズもない。
遥の主張を処理し、変数を評価し、そして――血の凍るような静けさとともに目を開けた。
「ええ」
その言葉は、静寂の中に金床のように重く落ちた。
遥は半開きの口のまま、硬直した。
「……何だって?」
「ええ」
善子は、いつもと変わらぬトーンで繰り返した。
「星野くんのためにやっているわ」
遥の顔から血の気が引いた。
否定を予想していた。防御的な反論を予想していた。女帝が自身の論理を正当化しようとするのを予想していた。
全面的な肯定など、まったく予想していなかったのだ。
「それじゃあ、認めるんだな――」
「彼のためにやっていることは認めるわ」
善子は感情を込めず、防御の姿勢も見せずに遮った。
「そして、あなたが弱点として提示しているそれが、全くの逆であることも認める」
一拍。
「星野くんは、あなたのシステムでは記録できないことを教えてくれた。なぜなら、それは定量化できる利益を生まないからよ」
「……それは何だ?」
「友達が、互いのシステムを最適化するということ」
彼女は数学の定理を引用するかのような、全くのニュートラルさでそれを口にした。
「利益のためじゃない。交換のためでもない。他人のパフォーマンスが自分のパフォーマンスに直接影響するからでもない。ただ同じ空間に存在し、それが重要だと決めたからよ」
さらに長い、一拍。
「短期的な測定可能なアウトプットを生まないから、あなたのレーダーでは検知できない概念よ。そしてだからこそ、あなたにとっては不可視なの」
遥は彼女を見つめていた。
そして狐乃香は、この会話が始まってからずっと待ち望んでいたものを目にした。
亀裂だ。
大きくはない。どこを探せばいいか正確に分かっている者でなければ、誰にも見えない。しかし、確かにそこにある。その完璧な冷静さと、努力を必要としない微笑みの裏側のどこかで、何かが間違った方向へ動き、完全には元の場所に戻れなくなっていた。
遥が放ったウイルス――狐乃香が論理ではなく感情で動いているという告発――は、ショートを引き起こすように設計されていた。大切なものを攻撃された時に人がするように、彼女を防御に走らせるか、麻痺させるか、あるいは何らかの反応をさせるために。
だが彼女は、抵抗することなくそれを肯定した。
そしてその肯定を、今日の午後で最も強固な反論へと変えてみせた。
ウイルスは、インストールすべきOSを見つけられなかったのだ。
遥はそれを処理した。
そして狐乃香は、彼がそれを処理した正確な瞬間を見た。
終わらせる時だった。
彼女は中庭の中央に向かって一歩踏み出した。
速くはない。ドラマチックでもない。急ぐ必要がないからこその、その足取り。結果はすでに決まっており、まだどちらか一人しか認めていなくとも、二人ともそれを知っていたからだ。
遥から二メートルの距離で立ち止まる。
彼を真っ直ぐに見据えた。
そして口を開いた時、彼女の声には今日の午後ずっと欠けていたものがあった。強さが増したわけではない。声量が上がったわけでもない。ただ、より完全になっていた。会話の中で彼女が構築してきたすべてのものが、ついに結論に達したかのように。
「あなたの唯一の本当の才能はね、西園寺くん」
狐乃香は言った。
「脆弱な精神の寄生虫であることよ」
遥は答えなかった。
「侮辱として言っているわけじゃない。利用可能な証拠に基づいた、臨床的診断として言っているの」
中庭の端にいる美羽に向かって、彼女はわずかに顎を向けた。
「あなたは自尊心の低い人間を養分にしている。脆弱さを見つけ、孤立させ、そして消費する。それをしているのは、あなたの心の奥底で完全に理解しているからよ。ほんの一グラムでも自尊心を持っている人間の前では、あなたの糸は切れてしまうとね」
狐乃香はさらに一歩踏み出した。遥は本能的に後ずさりした。彼の体が、彼の心を裏切っていた。
「あなたは演出の天才なんかじゃない。悲劇しか書けない三流の演出家よ。自分の不安から守ってくれる台本なしで、どうやって現実の人生を生きていけばいいのか分からないという考えに、あなたは怯えているのよ」
「僕……僕が作者だ……僕が……」
遥がうめいた。人形使いは、彼自身の手足のコントロールを失っていた。震えていた。
狐乃香は彼のすぐ目の前で立ち止まった。ライバルとしてではなく、まさに削除されようとしている時代遅れのコードを見るかのように彼を見下ろした。
「偉大な俳優になるでしょうね、疑いようもなく」
彼女は絶対的な冷酷さで宣告した。
「お金も手に入る。名声も得る。人々はあなたの作品に拍手喝采し、あなたの名前を称賛するでしょう。でも、年月は過ぎていく。若さの輝きは色褪せ、才能は摩耗し、今日と同じ魅力で人をコントロールすることはもうできなくなる」
彼女はミリ単位の正確さで一拍置いた。
「そしてそうなった時、あなたは空っぽの劇場の真ん中で、ただの空虚な抜け殻として完全に一人取り残される」
彼女は少しの間、立ち止まった。
「何より皮肉なのは、あなたが最も軽蔑しているものに、あなた自身がなってしまうということね」
遥は瞬きをした。
「……何に?」
「使い捨てのゴミよ」
彼女は、計算結果を読み上げるのと同じトーンでそう言った。
「才能が失われた瞬間、あなたのシステムはあなたをノイズとして分類する。才能というものは常に失われる。あなた自身がそう言ったでしょう、才能こそが唯一の価値基準だと。つまり、あなたの才能が衰えた時、あなた自身の論理に従えば、あなたに価値はなくなるということよ」
一拍。
「あなたの存在そのものが、もう欠陥品なのよ。ただ、それが明らかになる期限切れの日をまだ迎えていないだけ」
中庭は静寂に包まれた。
遥は答えをひねり出そうと、最後の一撃を放とうと口を開いたが、何の音も出なかった。肩が落ち、膝がわずかに震え、計算高く鋭かったはずの瞳は、今は空虚にコンクリートの地面を彷徨っていた。
西園寺遥のシステムは、根底から解体されていた。人形使いの仮面は砕け散り、自身の無価値さに怯える一人の少年が露わになった。
論理の女帝は、その処刑を完了した……
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◆ ◇
そして背後では、今しがた起きた心理的残虐行為には無頓着に、誠は制服の袖を汚しかねないバニラをすすりながら沈黙を破った。
狐乃香と遥の間に何が起きているか理解していなかったわけではない。完璧に理解していた。少なくとも、狐乃香がすべてをコントロールしており、その戦線に介入することが逆効果であることは理解していた。
誠にとって制御不能だったのは、中庭の端で起きていることだった。
団蔵はそこにいた。美羽を横に伴って。抱擁は以前よりも力なく、意志というより惰性に近かった。団蔵の瞳には、誠がここ数週間で認識することを学んだ何かが宿っていた。遥のシステムが彼女を支配しているが、譲歩することは崩壊することとは違う。あと数分で誰も何もしなければ、その窓は閉じてしまう。
誠は手に持ったコーンを見た。
バニラは必然の道筋をたどり、地面へ向かっていた。
残っているのは、内壁にバニラの跡がついた空のコーンだけだった。
(よし。武器:ワッフルコーン。相手:俺を嫌い、理由もなく「ノイズくん」と呼んでくるツインテールの少女。目標:団蔵にたどり着くこと)
誠は疲れたように溜息をついた。
(あーあ、嫌な予感しかしない)
彼は、人生には一貫したカオスがあり、それと戦うのではなくカオスの中で生きることを決めた人間特有の穏やかな諦念と共にそう考えた。
中庭の端へ歩み寄る。
自身の「神」が破壊される様子を大きく見開いた瞳で見守っていた美羽は、喉元までパニックがせり上がるのを感じた。彼女の世界は崩壊しつつあった。指示はもう役に立たない。そのパニックのさなかで、彼女のプログラミングが許す唯一の行動をとった。
支配できるものに縋りついた。
団蔵の腕を強く握り、女優と、溶けかけのアイスを持って歩み寄ってくるアノマリーの間に盾として立ち、わずかに彼女を背後へ押しやった。
「来ないで」
美羽が毒づいた。その声には、もはや以前の毒気や自信はなかった。震えていた。
「あっちへ行って。あなたはただのノイズよ。ここにあなたの居場所なんてないの、ノイズくん。あなたの凡庸な世界へ戻って、私たちを放っておいて。西園寺様が何を構築しているか、あなたには分からないでしょう……」
誠は動じず、彼女を見つめた。
「嫌だね。ここにいるよ」
誠はそう答えて、彼女の一メートル前で立ち止まった。
「あとどれくらい、これを続けるつもり?」
美羽が尋ねた。その微笑みは瞳に届いていない。
「……何を?」
「これよ。世界中を救いたがる普通の少年の茶番。見ているだけで疲れるわ。感謝もされない相手に、よくそこまでエネルギーを使えるわね」
「感謝してもらうためにやってるわけじゃない」
「じゃあ、エゴね」
「ええ? 違うよ。俺がやってるのは、俺にとってそれが重要だからだよ」
「チッ。同じ無駄話ね」
誠はうんざりしたように彼女を見つめたが、あることに気づいた。
(パターン識別:俺が何を言おうと、彼女はそれを自身の論理の補強に変換する。閉じたシステムだ。外部からの論理的インプットを受け付けない。……そう思うだろ?)
そう、誠は狐乃香に教わったことを実践していた。
(狐乃香に教わった通りだ。閉じたシステムは、さらなる論理では開かない。システムが処理する答えを持っていない問いかけで開くんだ……うわ、なんかすごく長くて複雑そうだけど、他に選択肢はないな)
「なあ、美羽さん」
「何よ」
「何が好きなの?」
美羽が瞬きをした。
ほんの一瞬で、ほとんど気づかないほどだった。だが、人々が隠したがる小さなことを見抜く術をここ数週間で学んでいた誠には、完璧に見えていた。
「え?」
「何が好きなのさ。食べ物、音楽、活動。何でもいい。俺の話聞いてた?」
誠は無邪気に問いを繰り返した。
「は? そんなの何の関係が――」
「西園寺くんのことは好きなんだろ。知ってるよ。聞いてるのはそれじゃない」
美羽が言葉を詰まらせた。
「あんた自身のことが知りたいんだ。あんた自身は、何が好きなの? 西園寺くんを答えに混ぜないでさ」
沈黙。美羽は口を開いたが、何も出てこなかった。彼女の思考は、西園寺という名前を含まない答えを必死に内部データから検索していた。そして、何も見つからなかった。
「何をしようとしているのか、理解できないわ……」
「単純な問いだよ」
誠は言った。
「何が好き? 好きな食べ物は? 音楽は? 何か見たアニメはあるか? 映画は? 今までで『今日は良かった』と思えたことなんてある?」
誠は、歌うように優しく尋ねた。
美羽が口を開く。そして、誠は期待していなかったが、無意識のうちに待ち望んでいたことが起きた。
何も返ってこなかった。
いつもの毒のある答えも、計算された侮辱も、西園寺への言及も、パフォーマンス評価もなかった。ただ、沈黙だけがあった。
それは、今までとは違う沈黙。
本来あるべき場所に何かを探して、見つからなかった者の沈黙。
誠は彼女を見つめた。
出会ってから初めて、すべての下にあるものを見た。
毒でも、冷たさでも、西園寺への自動的な服従でもない。
困惑だ。
リアルな感情。演技でも計算でもない。ずっとそこにあるはずの引き出しを開けて、中身が入っていると期待して開けたのに、空っぽだったことに気づいた者の困惑――。
美羽は立ち直った。
復旧に慣れた者の効率さで。そして彼女が口を開いた時、その声はいつもの調子に戻っていた。
「……あんたのバカな質問なんて、どうでもいいわ。やっぱりあんたはノイズくんだわ」
彼女は苛立ちながら息を吐いた。
「あんたが何を考えようが、言おうが、何も変わらないのよ」
「うーん、知ってるよ」
誠は答えた。
「それでも俺にとっては重要なんだ」
「チッ……なんでよ?」
その問いかけには、いつもの毒はなかった。純粋な問いだった。だからこそ問題だった。美羽は無意識のうちに、防御を一段下げてしまったのだから。
誠はそれに気づいた。
「人だからさ。当たり前じゃないか?」
彼はあっさりと言った。
「駒でも、ペットでも、誰かの延長線上でもない。一人の人間だよ」
「……馬鹿げた単純さね」
「そうかもしれない」
誠は少し恥ずかしそうに認めた。
「でも、俺はそう思ってるんだ」
その瞬間、彼は論理的な理論、あるいは彼自身がそう考えているものを理解し、導き出した。
「分かったよ」
誠は言った。小さく吐息をつく。
「君は花瓶みたいだ、美羽さん。外側はとても綺麗で、洗練された言葉で飾られていて、背筋も伸びている……でも中身は、完全に空っぽなんだ」
美羽は一歩後ずさった。まるで平手打ちでも食らったかのように。
「空っぽ」という言葉は、彼女の論拠への攻撃ではなかった。彼女の存在そのものへの攻撃だった。
団蔵はその後ろから、すべてを見つめていた。誠を見つめていた。その瞳、その姿勢、その話し方。
そして一瞬、彼女の脳裏に幽霊がよぎった。星野マリという亡霊が。
マリは恐ろしかった。決して嘘をつかず、決して取り繕わず、どれほど傷つこうと絶対的な真実を語るからだ。そして誠は、まさに同じことをしていた。素朴で、不器用で、けれど優しい論理で。
だが、決定的な違いがあった。誠は議論に勝とうとしているわけではない。優位性を示そうとしているわけではない。ただ、美羽を救おうとしているのだ。
「君がなぜ俺を『ノイズ』と呼ぶのか、分かった気がする」
誠はそう続け、一歩踏み出した。美羽は唾を飲み込んだ。笑いたかった。優位性を保ちたかった。だが、足が震えていた。
「なぜ?」
彼女は囁いた。
「ノイズは、邪魔だからさ」
彼は穏やかな声で答えた。
「ノイズは遮るから。人が聞きたい音を、邪魔するからね」
誠は彼女の瞳を真っ直ぐに見つめた。断罪するつもりはない。ただ、深くて誠実な悲しみを湛えていた。
「君は西園寺くんの声を聞きすぎて……自分の声がどんな音だったか、忘れちゃったんだと思う」
……
その言葉に複雑な論理構造はなかったが、美羽の胸の中心で原子爆弾のように爆発した。団蔵の腕を掴んでいた美羽の指から力が消えた。両手はだらりと垂れ下がった。瞳には、あふれそうでこぼれない涙が溜まっていた。
完璧な腹心の、崩れないはずだった壁が、一人の平凡な少年の前で塵となって崩れ去った。
美羽は力なく、打ちのめされた様子で顔を上げた。
そして誠は、狐乃香から教わった「パターン観察」を応用し、ビデオゲームのボスキャラクターであれば「フェーズ移行の直前」と識別するであろう兆候を見た。
これまでの戦術が結果を出さず、システムが再キャリブレーションを行おうとする、あの一瞬の隙。
(感じる……何かが変わろうとしている。備えなきゃ)
「あんた、自分が何者か分かってるの、星野誠?」
美羽の声は、先ほどとは違っていた。軽薄で甘い調子ではない。より直接的で、泣きそうなほど切迫した響きだった。
「あんたは、物事が複雑な時でも、すべてを単純に見せてしまう類の人間よ。答えなんて当たり前かのように質問をする。物事に関心さえ持てばすべてうまくいく、そんな世界で生きているかのように振る舞う」
一拍。
「……大っ嫌いよ」
以前のような計算された蔑みはなかった。長い間言いたくて、許可が降りず言えなかったことを口にする者の、本物の怒りに近い響きだった。
了解だ。美羽(美羽)の崩壊と、団蔵まみこ(団蔵)の覚醒、そして誠(誠)による決定的な一撃。この重要なクライマックス、感情の重みに合わせて丁寧に翻訳する。
「大っ嫌いよ。だってあんたがいると、他のすべてが嘘に見えるから。あんたがそんなふうに、戦略もなしにストレートに話すと、西園寺様が積み上げてきたものが全部ペラペラの紙みたいに見えるじゃない。そんなはずないのに。そんなはず、ないんだから。だって、もしそれが紙切れだったら、私がしてきたことすべてが……」
彼女は言葉を切った。
誠は待った。
「私がしてきたことすべてが……」
また言葉を止める。
そして彼女の表情が、誠がまだ見たことのない形に変わった。仮面が剥がれ落ちたわけではない。だが、亀裂が入ったのだ。特定の、小さな場所に。何かを長く抑え込みすぎた時に亀裂から光が漏れるように、そこから何かが溢れ出そうとしていた。
「ねえ、あんた……私がどれくらいこうしているか、分かる?」
その問いかけは、誠にほとんど聞こえないほど小さかった。
「……は? こうしてるって、どういう意味だ?」
「こうしてよ」
それは、すべてを包み込む最小限の身振りだった。ツインテール、姿勢、遥がいつも立っている場所から三センチの距離に立ち続けていること。
「ねえ、私がどれだけ長く『これ』でい続けているか、分かる?」
誠はすぐには答えなかった。
答えがなかったからではない。狐乃香から教わった論理とは違うけれど、同じくらい機能する彼自身の直感で、これが答えを求める問いではないと理解したからだ。これは誰かに聞いてほしいという問いだった。
そして誠は、人の話を聞くのが上手かった。
「随分と長い時間さ、多分ね。俺の心と頭がそう言っているよ」
誠は、彼女と同じ低い声で最後にそう言った。
美羽は答えなかった。
瞳を閉じ、その場に崩れ落ちそうになる。
誠は彼女を見つめた。
そして、問いかけを始めてからずっと探していたものを見た。
空っぽの花瓶ではない。
――『空にされた』花瓶だ。
それは全くの別物だが、あいにく、まだ回復には至っていない状態だった。
「……いいえ。あんたのノイズなんかで、私の視界を曇らせたりなんてしない……」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◆ ◇
そしてその瞬間こそが、団蔵まみこが覚醒した瞬間だった。
彼女は美羽の震える背中を見た。単純な存在感だけで彼女を守り続けている誠を見た。中庭の反対側で、沈黙し敗北した影へと成り下がった西園寺遥を見た。
魔法が解けた。
団蔵は一歩前に踏み出した。もう一歩。美羽の横を通り過ぎ、彼女を置き去りにした。ここ数週間、肩にのしかかっていた押しつぶすような重圧が、霧散していくのを感じた。
彼女は立ち止まり、遥を見つめて口を開いた。承認を求める女優の声でも、従順な駒の声でもない。彼女自身の声だった。
「おしまいです、西園寺様」
その言葉は、暗い中庭に響き渡った。明瞭で、決定的な響きを持って。
「今日の……台本は、もう破綻しています」
美羽がひきつったような息を漏らした。団蔵の解放を目の当たりにすることは、彼女にとって深淵への最後の一押しだった。絶望に駆られ、彼女は遥の方へと首を巡らせた。監督を、どう考えどう動くべきかを教えてくれた少年を求めて。誠との会話があったにもかかわらず、彼を探さずにはいられなかったのだ。
「西園寺様……!」
美羽は声を震わせて懇願した。
「皆に言ってください! 皆が間違っているって! あなたが私に目的をくれたんだって!」
「違う」
遥が顔を上げるより早く、誠の声が空気を切り裂いた。
「君に目的を与えたんじゃない、美羽さん。それはただの『指示』だ」
糸が切れた。
美羽が爆発した。そこには優雅さも、皮肉もなかった。剥き出しの、フィルターのない、人間本来の怒りだった。
「黙って!!」
彼女は叫んだ。頬を伝う涙が、ついに溢れ出していた。
「あんたに何が分かるのよ! 私はこんなんじゃなかった! 私にも自分の考えがあったの! 彼は私が完全に独りだった時に見つけて……それから、今の私になるまで全部作り上げたの! 気づいた時には、以前の私がどうだったかなんて思い出せなくなっていたのよ! あんたには何も分からないわ、このクソノイズ!」
美羽は両手で顔を覆い、中庭の真ん中で激しくむせび泣いた。彼女は秘密を露呈してしまった。自分には感情があること。誰かに満たしてもらうために、あえてその花瓶を空にしていたことを。
誠はあざ笑わなかった。優位に立とうともしなかった。ただアイスを持った手を少し下げ、泣いている美羽を見つめて、先ほどと同じ温かい声で言った。
「それは空っぽの花瓶には聞こえないよ、美羽さん」
彼女が顔を上げた。戸惑いと恐怖に満ちた表情で。
「それは、何かを失った……でも、まだそれを覚えている誰かの声に聞こえる」
美羽は凍りついた。誠の言葉が、彼女の存在の核心を貫いた。誰かに指示や罵倒、評価以外のことを言われたのは、本当に久しぶりだった。それは純粋な共感だった。論理と圧力で生き残るように訓練されてきた美羽にとって、自分が「ゴミ」だと見なしていた少年の優しさは、どう扱っていいのか分からないものだった。
「美羽さん」
「何よ」
「君が言ったこと。自分の意見とか、自分自身のこととかさ」
一拍。
「それって、消えてないよ」
美羽は彼を見た。
「ずっと覆い隠されているだけかもしれない。自分がそんなものを持っていたことすら忘れるくらい、深く覆われているかもしれない。でも、消えたりなんてしない」
「あんたに何が分かるのよ」
彼女は涙を拭いながら言った。
「……そうだね、確かなことは分からないよ」
誠は認めた。
「でも、さっき君は『前には自分のものがあった』と言った。それを覚えているってことは、どこかにはまだ存在しているってことだ」
美羽は答えなかった。
誰も、存在しなかったものを覚えていることなんてできない。
静寂。
その静寂の中で、誠はあるものを見た。ゲームならば、ボスがメインのHPゲージを使い果たし、戦いの終盤にだけ現れる「予備のゲージ」に突入した瞬間と認識するだろう。システムが最後の一足掻きで踏みとどまろうとする、あの一瞬。
美羽は、まさにその地点にいた。
敗北はしていない。完全には。だが、ここ数分間そうであった「彼女」であり続けるためのリソースは、すでに底をついていた……。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◆ ◇
そして、中庭の向こう側から、遥の声が聞こえた。
だが、以前の彼ではなかった。壊れていた。彼のシステムも、台本も、彼自身の認識も……すべてが中庭のコンクリートの上に無残に砕け散っていた。それでも、神だと信じていた者のプライドは、ただでは消えない。
彼は喉を焼く胆汁を飲み込んだ。指先の微かな震えを隠しながら、優雅に見えるよう制服のジャケットを整えた。最後の一撃も放たず、叫びもしなかった。言葉を重ねるほどに、敗北を確定させるだけだと知っていたからだ。だから彼は、残された唯一の逃げ道を選んだ。撤退を「計算された選択」に見せるという逃げ道。
彼は狐乃香に背を向け、中庭の影へと歩き出す直前で一秒だけ立ち止まった。
「面白い実験だったよ、善子さん」
彼は、いつもの磁力を持たない声で言った。
「また連絡する」
そうして彼は歩き出し、紫の黄昏の中へと消えていった。
美羽は、赤い目をしたまま、何度も瞬きをした。思考は真っ白だったが、身体が慣性で反応した。一方向にしか回ることのできない歯車のように、彼女は遥を追おうと一歩を踏み出した。
「待って!」
誠が前に出て、声を張り上げた。
「彼を追う必要なんてない、美羽さん。もう、操られたままにならないでくれ。あんな空っぽな場所へ戻る理由なんて、どこにもないはずだ」
美羽はその場に凍りついた。一瞬、迷いがその表情をよぎった。彼女は、つい数分前まで涙を流していたはずの瞳で、誠を横目で見た。自分が「ノイズ」と呼んでいた少年が差し出した手。……そして彼女は視線を落とした。拳を握りしめ、首を回し、完全に沈黙したまま、再び遥の背中を追って歩き出した。
「ええ、そうしなきゃいけないの……」
彼女は去っていった。
誠はその背中を見送った。遥の影に吸い寄せられるように、足並みを揃えて戻っていく姿を。遥が、振り返りもせず、撤退という選択を「計算された決断」にすり替えた者の余裕を取り戻し、中庭の出口へ向かっていくのを。
誠は彼女の方へ一歩踏み出した。
「美羽――」
だがその瞬間、冷たく引き締まった手が彼の肩に置かれ、制止した。
狐乃香だった。彼女は、奇妙なほど穏やかな声で言った。
「放っておきなさい」
「でも、狐乃香さん、彼女は――」
「救われたくない者を救うことはできないのよ」
彼女は以前と同じ、落ち着いた声で言った。
「今はね。そんな形では」
「でも、彼女は――」
「もう十分やったわ」
誠は美羽が中庭の入り口から消えた方角を見つめた。
それから、狐乃香を見た。
「確かなのか?」
「すべてが確かなわけではない」
狐乃香は誠の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「でも、これだけは確かよ」
一拍。
「あなたが言ったこと。彼女に投げかけた問いかけ」
彼女はタブレットの上で一度だけ指を弾いた。
「それは、もう彼女の中に植え付けられた。彼女が今、無視することを選んだからといって、消えてなくなるものじゃない」
誠はしばらく彼女を見つめた。
「どうしてそう言い切れるんだ?」
狐乃香はすぐには答えなかった。
誠は、狐乃香の沈黙には常に意味があることを学んでいた。だから待った。
「だって、私にも時間がかかったものだから」
あまりに低く、強調のない言葉で、誠はそれが何を意味するのか処理するのに一秒かかった。
理解した時、彼は何も言わなかった。
ただ頷いた。
時として、言葉に返事など必要ない。ただ聞くことだけでいいこともあるのだ。
……
その瞬間、誠のアイスは構造的に崩壊した。
ワッフルコーンの側面がごっそりと崩れ、残ったバニラが中庭の地面に威厳のない音を立てて着地した。
誠はそれを見つめた。
「あーあ、俺のアイスが……。なんてもったいないんだ」
彼は子供のように呟き、愚痴をこぼした。
ここ一時間、この場にいた誰もが経験したことがないほど重苦しい対立が繰り広げられていた中庭だったが、一瞬の沈黙の後、全く予想外のことが起きた。
狐乃香が、笑い――とは呼べないが、それにあまりに近しいものを漏らした。
誠は目を大きく見開き、驚いて彼女を見た。
「待って待って、俺のアイスで笑ってるのか?」
「いいえ」
狐乃香は持ち前の効率的な動作で平静を取り戻した。
「こんな重大な対峙に、武器としてアイスクリームを選んでくる統計学的な蓋然性の低さに笑っただけよ」
「それって、侮辱か、それとも気遣いかどっちだ?」
「おそらく、その両方ね」
誠は彼女の持っているアイスを見下ろした。
「イチゴのアイスはまだ無事だな。まるでお前が溶けるのを許していないみたいだ」
狐乃香は、誠のコメントに少し驚いたように、自身の手にあるイチゴアイスを見下ろした。
確かに、比較的そのままの形を保っていた。
「……ええ」
彼女は言った。
「私のほうは、まだ溶けていないみたいね」
その時だった。アイスの状態を巡るこの不条理なやり取りの中で、二人はこの中庭に三人目の存在がいたことを思い出した。
二人は同時に振り返った。
数メートル先で、狸子団蔵はまだそこに立っていた。声を取り戻し、台本を破り捨てた彼女だったが、今になって突然、何をすべきか分からなくなっていた。美羽は去った。遥も去った。誠と狐乃香が寄り添う姿を見て、胸の奥から痛々しくも馴染み深い孤独感が押し寄せてくる。
彼女はうつむいた。背を向け、これ以上邪魔にならないよう反対側の出口へと去ろうとした。
だが、一人の影が彼女の道を阻んだ。
誠が彼女の前に立っていた。
狐乃香は、今日の自分の役割は終わったと判断したのか、一歩下がって腕を組み、ただ静観することを選んだ。ここは、アノマリーの領域だ。
「どこへ行くの?」
誠が首を傾げて尋ねた。
団蔵は唇を噛み締めた。積み重なった感情が溢れ出そうとしていた。すぐには答えず、時間をおいた。そして、言葉を紡いだ。
「どうして?」
彼女の声は小さかった。抑揚がない。いつも彼女を覆っていた女優の鎧も消え失せていた。
「どうして、諦めずに追いかけてきたの?」
誠は少しだけ眉をひそめ、完全に困惑した様子で答えた。
「は……? 何が?」
「私が行けと言ったのに。あんなにひどいことを言ったのに。それなのに……」
彼女は言葉を止めた。
唾を飲み込む。
「どうして、諦めなかったの?」
誠は、真剣に一秒考えた。
答えが難しいからではない。正しく伝えたいからだ。
「どうしても、そうするしかなかったからさ」
団蔵は困惑した瞳で彼を見つめた。
「そんなの……意味が分からないわ」
「ああ、分かってるよ。分かってる」
「私、あんたにひどいことを言ったのよ」
「ああ、そうだな」
「出ていけって言ったのに」
「ああ、それもそうだな」
「それなのに、どうして――」
「だって、今言った言葉はあんた自身じゃないからさ」
彼は強調もドラマチックな抑揚もつけずに、ただそう言った。
「あんたの言葉の裏側に、何かがあったんだ。俺はそれに気づいた。それを無視して、家に帰ってアニメなんて見ていられるはずがないだろう」
団蔵は、彼を信じていいのか分からない、という表情で誠を見つめていた。もし彼について決めていたことが間違っていたとしたら、それを修正するのは他のすべてを修正することにもつながり、それはあまりに複雑すぎたからだ。
「もし俺が間違っていたら?」
誠は尋ねた。
「え?」
「もし俺が認識したと思い込んだものが間違っていたら? 君は何も悪くなくて、俺が勝手に存在しないものを投影していただけだとしたら?」
団蔵は答えなかった。
「まあ、間抜けな道化を演じたことになるな。もっとも、もう既に十分間抜けかもしれないけど」
誠は小さく笑い始めた。
「受け入れるしかなかっただろうね。でも、何かが見えているのに、それが面倒だからといって無視する奴になるよりは、間違えて道化になるほうがマシだよ」
沈黙。
「それに」
誠は、真面目さと不条理を絶妙に混ぜ合わせたトーンで付け加えた。
「俺の大好きなアニメの主人公たちは、最終回まで絶対にあきらめない。俺もそうするつもりだ」
団蔵は彼を見つめた。
数週間ずっと張り詰めていた何かが、彼女の表情から緩んでいった。
急激ではない。ゆっくりと。張り詰めすぎた楽器の弦が、ようやく正しいテンションを見つけたときのように。
「それ、今まで聞いた中で一番バカげたことよ」
「おい、俺の傷つきやすい心臓を攻撃するのはやめてくれ」
誠は少し照れくさそうに認めた。
「それでも言うの?」
「ああ、言うよ。偽善的に聞こえるかもしれないけど、俺はこういう人間なんだ。耐えてもらうしかないね」
小さな一拍。
数週間、本物の笑顔を浮かべていなかった団蔵が、笑みと呼ぶには小さすぎ、しかしそれ以外の何物でもないほど純粋なものをこぼした。
狐乃香はその位置から観察していた。
遮りはしなかった。誠が団蔵に近づいた瞬間、これこそが起こるべきことだと計算していた。この特定のやり取りにおいて、自分の存在は逆効果になる。一部の出来事には証人が必要だが、その証人はただ静観していなければならないものもある。
これは後者だ。
だから彼女は観察した。そして、観察しながら、処理すべきことを処理した。
「団蔵さん」
狐乃香の声が響いた。冷たくも温かくもない、ここ数週間で彼女が意図せず形作ってしまった中間的なトーンで。
団蔵は彼女を見た。
「なぜ遥について行ったの?」
非難ではない。狐乃香が構造を完成させるためにデータが必要な時に発する、直接的な問いかけだった。
団蔵は躊躇った。
誠を見た。
誠は軽く頷いた。大丈夫だ、俺はここにいる、話してもいいんだ、という種類のアクション。
「だって、私は……」
彼女は言葉を止めた。
「誠が狐乃香さんを選んだのだと思ったから」
沈黙。
「廊下で見たの。二人が一緒にいるところを。だから、こう結論付けた……」
「結論が間違っているわ」
狐乃香は、柔らかくもなければ残酷でもない、ただの誤データの修正として言った。
「星野くんと私は友人よ」
団蔵は彼女を見つめた。
「それだけ」
「でも、私は見た――」
「文脈を外れた何かを見て、十分なデータなしに結論を構築したのね」
一拍。
「よくある間違いよ。特に、あらかじめ特定の解釈に傾くような感情状態にあるときは」
団蔵はその情報を処理した。
「私が間違っていたって言うの?」
「前提が間違っていたと言っているの」
話を聞いていた誠は、何か重要なことを処理した者の表情で、団蔵の方を向いた。
「おっとっと、二人とも待ってくれ」
誠は混乱した様子で言った。
「俺と狐乃香が……?」
彼の表情は急速に変化した。驚き、困惑、そしてさらなる困惑。そして、他の誰かの顔であれば恥じらいに見えたであろうものが、誠の顔では単に新しい情報を正直に処理しているだけの顔になっていた。
「団蔵さん、狐乃香と俺はただの友達だよ。彼女は俺に口喧嘩で完敗しない方法を教えてくれて、俺は彼女が図書館で立ち寝しているときにレモン飴を差し入れる。それだけの関係なんだ」
団蔵は彼を見た。
それから、狐乃香を見た。
狐乃香はイチゴアイスを持ったまま、何も言わなかった。誠が今言ったことを補足して改善できる言葉など、何一つなかったからだ。
「じゃあ……」
団蔵が口を開いた。
「この……状況のすべてが……間違った結論のせいだったの?」
「みたいだね」
誠は、彼特有の加工のない正直さで答えた。
団蔵はその事実をしばらくの間、吸収した。
そして、笑いとも泣きともつかない、両方が同時に出てこようとして、結局どちらも勝ちきれなかった時に起きる特有の音を漏らした。
「私、馬鹿みたい」
「え? いや、違うよ」
誠は即座に言った。
「その時持っていたデータで結論を出しただけだ。それは馬鹿じゃない」
「でも、もし質問していたら――」
「狐乃香に、俺と付き合ってるのかって聞いたのかい?」
誠は少し気まずそうに言った。
団蔵は考えた。
「……いいえ」
「だろ?」
誠は言った。
「時々、正しい決断をするための情報が手に入らないことがある。それはその人のせいじゃない。ただ……そういう仕組みになっているだけさ」
団蔵は彼を見つめていた。
ここ数週間ずっと探し求めていた、フィルターや演技、彼女を覆っていたどの層とも違う表情で。
ただの彼女自身。
これまで見てきたどのバージョンとも全く違う、と誠は思わずにはいられなかった。
誠は、手に持った空っぽのコーンを見つめた。
了解だ。誠(誠)の不器用な優しさと、団蔵(団蔵)の心の解凍、そして二人の距離が一気に縮まるこの極めて重要なシーン。その空気を壊さないよう、Web小説の形式で丁寧に翻訳する。
彼は団蔵を見つめた。
そして、実用的な価値など何もないことを承知の上で、それが正しい行動だと感じている者の不器用な厳粛さを持って、空のコーンを彼女へ差し出した。
「これが、俺に残されたすべてだ」
彼は言った。
「大したものじゃないのは分かってる。アイスはとっくに消え去ったしね。でもまあ……平和への供物、みたいなものさ」
団蔵は空のコーンを見つめた。
それから、彼を見上げた。
「……平和の供物として、空のコーンをくれるの?」
「狐乃香さんのイチゴアイスなら、まだ実体があるけど。でも、象徴的な意味があるのはこっちだ」
一拍。
「……誠は、そのアイスを勝手に供物にしていいと狐乃香さんが思っていると?」
「狐乃香さんは、今この距離なら俺たちの会話を完璧に聞き取れるはずだ」
沈黙。
「そうだろう、狐乃香?」
「完璧に聞こえているわ」
狐乃香が定位置から答えた。いつもの淡々とした口調で。
「そしていいえ、イチゴアイスを譲るつもりはない。これはここまで生き残ったのよ」
団蔵は二人を見比べた。
そして、微笑んだ。
先ほどのような小さく脆い笑みではない。もっと完全で、もっと彼女自身のもの。
彼女は空のコーンを受け取った。
価値があるからではない。それが、戦略も下心もない、ただの「それ」だったからだ。そして、だからこそ、それは正しかった。
……
心地よい沈黙の後、団蔵は誠に、好奇心ともそれ以外の名付けようのない何かとも取れる眼差しを向けた。
「ねえ」
「ん? 何だい、団蔵さん」
「……人を好きになるって、どんな気持ちか知ってる?」
誠はその言葉を聞いて、顔がカッと熱くなるのを感じた。強烈な恥ずかしさが彼を襲う。
狐乃香は、その位置からタブレットからわずかに視線を上げ、軽く驚いた様子を見せた。
「き、君は何を……?」
「だから、知っているのかって聞いたのよ。人を好きになるっていうのが、どういうことか」
誠は、いつもの秒数より一秒だけ長い時間をかけて、その問いを処理した。
「俺は……その……」
空のコーンを持っているのと同じ手で後頭部を掻いた。結果、髪の毛に溶けたアイスの残骸が絡みつく。彼は気づいていない。
「理論的な経験値なら、かなり豊富だよ」
彼はようやくそう言った。
「理論的?」
「ああ、そんなところだ……恋愛アニメなら山ほど観てるからね」
団蔵は呆然として彼を見た。
「それは、同じじゃないわ」
「今、君が持っているものよりはマシだと思うけど」
団蔵はそれには答えなかった。実質的な肯定だ。
「見ててよ」
誠は、意味のあることならたとえ馬鹿げた響きでも全力で取り組む、彼特有の不条理な真剣さで言った。
「誰かを思い浮かべてみて」
「……え?」
「君が好きな誰か。あるいは、好きかもしれない誰か。それか、見かけるとなぜかよく分からない変な感覚になる相手のことだよ」
団蔵はその指示を処理した。
彼女は遥を思い浮かべようとした。
だが、そこに浮かんだのは遥の姿ではなく、遥という「感覚」だった。絶え間ない重圧。期待に応えなければならないという強迫観念。失望させないための、失敗しないための、彼の期待を下回らないための監視のような意識。
それは、誠が説明しているものとは違った。
もう一度、試した。
すると今度は、探すまでもなくイメージが飛び込んできた。
講堂で跪き、台本になかった言葉を口にする誠。
レモン飴を差し出す誠。
膝の上にノートを置いて廊下の床に座る誠。
そして今、髪にアイスをつけたまま、見返りを求めない純粋な眼差しを自分に向けている誠。
彼女の身体が強張った。
狐乃香はそれを即座に見抜いた。姿勢の僅かな変化。空のコーンを握る指先の力。焦点の定まっていない視線の方向。
誠は論理では気づかなかった。だが、彼自身の「それ」で気づいた。
彼は近づいた。
近づきすぎず、ちょうどいい距離まで。
「大丈夫か?」
「……ええ」
返事が早すぎた。
「誰か、浮かんだ?」
団蔵はすぐには答えなかった。
「……それが説明通りのものか、分からないわ」
「それを考えている時、どんな感じがする?」
長い沈黙。
「……どう言えばいいのか、分からない」
「頑張って言葉にしてみて」
団蔵は彼を見つめた。
そして誠は、深く考えすぎることなく、彼女の空いている手を取った。
ロマンチックな動作ではない。形のない何かを言葉にするために、 concreto(具体的な)何かを必要としている人のための、そんな動作だった。
「その人のことを考え続けて」
彼は言った。
そして注意深く、計算された動きとはかけ離れた、心からの不器用さを持って、団蔵の手を自身の胸へと導いた。
心臓が脈打つ、その場所へと。
団蔵は、誠の掌の熱を感じた。そのあまりに単純で、戦略など一切ない動作の重みを感じた。
そして、自分の手のひらの下で、ただ何かを伝えようとしているだけの誠の、完全に正常なリズムで打つ心臓の音を感じた。
そして、自分の心臓を。
数週間ずっと押し殺し、厳密に必要なこと以外は自分に許さず、生存モードで動いていたはずの自分の心臓が、早鐘を打っていた。
ほんの少しじゃない。
完全に、制御不能なほどに。
「ほら」
誠は言った。自分自身が方程式の一部になっている時には、狐乃香のような訓練も、他人の心を読む鋭さも持たない誠は、それに気づかなかった。
「それだよ。その鼓動の早さ。……自分でもどこから来ているのか分からない、あの変な感覚。それが合図さ」
団蔵は彼を見つめていた。
「……何のための合図?」
「君が、その人のことを好きだっていう合図だよ」
彼は確信を持ってそう言った。彼女が抱いている感情が、今この中庭にいない誰かに向けられたものだと信じ込んで。
その鼓動を加速させている張本人が、まさに今、彼女の手を握っている誠自身だとは露知らず。
団蔵は長い一秒間、彼を見つめた。
そして理解した。長年、直視することを避けてきた事実を突きつけられたような、あの独特な明晰さを持って。自分が何を感じていたのか、そしてその感情の矛先が誰であるのかを。
それは遥ではなかった。
最初から、ずっと違った。
遥への感情は、憧れという名の恐怖であり、愛という名の構造であり、指導という名の支配だった。彼女は他の比較対象を持たなかったために、それら全てを本当の感情だと勘違いしていただけなのだ。
これは違った。
これは、何も要求してこない誰かの手の、あの独特な温もりだった。失望させることへの恐怖からではなく、技術的な名前などないけれど、確かに実在し、計算不可能な何かからくる鼓動だった。
これは誠だった。
ずっと、誠だったのだ。
講堂での出来事から。レモン飴から。廊下から。彼が去る理由をすべて突きつけたにもかかわらず、それでもずっとそこにいてくれたすべての瞬間から。
団蔵は、誠の胸の上に置いた自分の手を見下ろした。
そして、彼へと視線を上げた。
何も言わなかった。
この瞬間、沈黙に勝る言葉など存在しなかったからだ。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◆ ◇
狐乃香はその場から二人を観察していた。
誠が団蔵の手を取った瞬間から、何が起きているのかを計算していた。いつもの精度で論理の糸を辿り、二人が言葉にする前に正しい結論へと到達していた。
それは、そういうことだ。
彼女はそれを処理した。
処理しようと試みた。
だが、分析と結論の間のどこかで、その日の午後のこれまでの処理では一度も起きなかった何かが発生した。
それは論理ではなかった。
彼女のどんな分類システムにも名前のない何か。
チクリとした痛み。
小さく、短い。胸の正確な位置ではないけれど、十分に近くで感じたせいで、狐乃香は本能的にその場所に手を当てた。
自分の胸に当てた手を見つめる。
そして感じた。その下にあるはずのないものを。
状況のパラメータが許容するよりも、速く打つ自分の心臓を。
狐乃香はそのデータを処理した。
一秒、二秒、三秒。
結論には至らなかった。
あるいは、分類不能なデータとして即座にアーカイブした。分類するにはまだ参照システムを持っていないか、あるいは持っていたとしても、この瞬間にアクセスする準備ができていなかったからだ。
彼女はわずかに顔を背けた。
誠と団蔵の方ではない。中庭の反対側へ。
何も語らず、何も求めず、処理すべき変数など何もない、乾いた落ち葉と暗い空とレンガの壁の方へ。
そしてその日の午後、初めて。狐乃香善子は、自分が感じているものをどう扱えばいいのか分からなかった。
それ自体が、一つのデータだった。
正しく処理するには、多くの時間と空間を要するデータ。
だが、今夜ではない。
今夜は、もう十分だった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◆ ◇
新天学園の中庭は静まり返った。
空は完全に暗く染まり、乾いた落ち葉は動かなくなっていた。他の生徒たちが去った後も、その空間に残った三人はそこにいた。それぞれが自身のプロセスの中にあり、急ぐこともなく、計画もなく。
誠は、団蔵がまだ握りしめている空のコーンを見つめた。
「なあ」
「何?」
「そのコーン、もう構造的にも栄養学的にも価値はないよ」
「分かってるわ」
「なんでまだ持ってるんだ?」
団蔵は彼を見た。
「あなたがくれたものだから」
強調もなく、ただの事実として彼女は言った。
誠は一瞬、それを処理した。
そして、誠らしく、そういった反応に対してありのままであること以外にプロトコルを持たない彼は、中身のない手で首筋を掻き、どう対処していいか分からないといった表情で別の方向を向いた。
狐乃香は、その場からその瞬間をいつもの注意深さで観察していた。
また、チクリとした痛みが戻ってきた。
今度はより小さく、管理可能な痛みだった。
だが、あった。
確かに、そこに。
狐乃香は、イチゴアイスに視線を落とした。
周囲のすべてが崩壊していく中、午後ずっと手つかずのまま生き延びていたそのアイスは、ついに溶け始めていた。
一秒間、それを見つめる。
そして、変数は人が処理の準備ができるのを待ってくれないものだと悟り、とにかく何が起きようとも行動を続けなければならないのだからと、彼女はイチゴアイスを一口かじった。
美味しかった。
それをデータとしてアーカイブする。
そして、この中庭の三人が「次」へ進む準備ができるのを待った。何が次なのかは分からない。だが、数ヶ月蓄積してきた証拠がもたらす確信があった。次は、あるべき姿になるということだ。
なぜなら、誠・星野という変数が方程式にある以上、それだけは保証されていたからだ。
第20話:完
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◇ ◆ ◇ ◆ ◇◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆◆ ◇
皆さん、こんにちは。お元気ですか?
さて、ついに第20章の投稿です。私がこれまで書いてきた中で、間違いなく一番――あるいは一番と言っていいくらいの長編になりました(笑)。
見ての通り、ここで提示していた要素をすべて回収し、完璧な締めくくりになったと思います。これにて「マミコ編」は完結です。
当面、ハルカとミウは退場となりますが、将来的に再登場する可能性は高いので、彼らのことを忘れないでやってくださいね。
それから、誤字脱字などがあれば本当に申し訳ありません。第19章を書き終えてからの3日間、休みなしで一気に執筆しました。執筆スタイルを変えながら書いていたので、もしかしたら名前の間違いなども混ざっているかもしれません。完璧な人間ではないので、何卒ご容赦いただければ幸いです。
あと、第21章からはラブコメ回に戻ります。諸君、覚悟しておいてくださいね。
それでは、読んでくれてありがとう。ブックマークやお気に入り登録を忘れずにお願いします。本当に励みになります。
第21章も楽しみにしていてください!
零時卿




