第二十二話
また間が空いてしまいすみません。
今回は長兄・良知さんのお話です。
「同窓会?」
黒糖かりんとうをハムスターのように前歯で小刻みにかりかりとさせながら広見がそう言った。あまりにもハムスターの様相で、僕は小さく笑った。
「そう、中学時代の。もう12年も前に卒業しているんだけどね。5年前くらいに一度同じようなお知らせが来ていたけど、お店も忙しかったし、返事もせずにスルーしちゃった。別に会いたい友人たちがいるわけでもないし」
ふーん、と広見は呟きながら届いたハガキをぺらぺらと動かしている。
「でもこれ、主催が柳田さんだね。兄さん、最近まで連絡とっていなかったっけ?」
「あーうん、柳田くんね。世話焼きで僕のことも色々気に掛けてくれたいいクラスメートだったよ。ほら、僕は基本的に内向的で自分の意見も大して言えないお荷物なキャラだったからさ。あぶれていたら声掛けてくれたりとか、そういう気配りが凄い出来る人だった。今回もぜひ参加しないか?って個人的にLINEも来ていたけど……」
「―—―けど、あまり乗り気じゃない感じだね」
その日は確か宿題に出されていた英語のワークを部活帰りに取りに教室に戻っていた。大体、部活が終われば教室に戻らずそのまま帰るのが常套だったが、教室にいくつかの人影が残っていた。
教室の戸に手を掛けた時に、聞き覚えのある声と下卑た笑い声が聞こえてきた。
『―—―ていうか陽向ってお荷物の世話がするのが好きなわけ?内申とか教師の評価上げたいのバレバレ!』
お荷物、の単語に手が震えた。
『別にそういうんじゃないけどさ、なんか可哀そうじゃん?あそこまで自信なくて何も出来なくておどおどしてるの。見てて苛々しちゃうんだよねーうちの母親みたいで。父親の顔色窺ってずっとびくびくしてるの。まぁ、何も出来ないなら出来ないなりで大人しくしてればいいんだけどさ。周りのクラスメイトが冷たすぎて、俺が聖人君子としてあいつを救ってやらないといけないと思ったわけよ』
ちょーやさしすぎるー!という野次が聞こえる前に、僕は教室に入らずに踵を返した。足音を立てないよう、つま先立ちでひたすらに走った。
別にあれは彼の優しさでもなんでもなかった。ただ、僕の存在が目障りだったからだ。
僕が何も言わずにいると、広見は「別に無理しなくていいんじゃない」と言った。
「俺だって、極力人間関係は最小に留めたいから科学部で仲よくしていた二人と、あとはつかず離れずの感じで情報交換ができるクラスメートが数人いればそれなりに高校時代は快適に過ごせてるし、表面だけいい子の振りするような人間とはあまり関わらない方が賢明だよ」
流石わが弟、何も口にしていないのにすべてを悟ったような口ぶりだ。
「じゃあ俺、ちょっと宿題残ってるから部屋に行くね」
「ああ、うん。明日も学校だからあまり夜更かししないようにね」
背中を向けたまま片手でへらへらと手を振る弟は、さながらハードボイルドの主人公のようだ。孤高のスターは背中ですべてを語るのだ。
最近の広見は依然と比べて俄然元気になったように見える。元気、というより何かに吹っ切れたというのか。やたら振る舞いが男らしくなった気もする。
ハードボイルドと縁遠い僕は、机の上に残った案内のハガキに目をやる。今回の同窓会は三年生の担任だった宇佐美先生の古希を祝ってのことをあるらしい。白交じりの髪に柔和な笑みを浮かべてゆっくりと歩く先生の後姿を思い出す。
直前まで行こうか行くまいか迷っていたが、早めに店を閉めて、土曜の18時ごろから参加することにした。電車で二駅先の小さなイタリアンレストランを貸し切りにして行われているようだ。早めに着くと凄く楽しみにしていたように思われそうで臆した僕は、開始15分後くらいに店についた。お店のドアには「本日貸し切り」というドアプレートがぶら下がっている。何人かの笑い声が外まで漏れていて、ドアを前に僕は足がすくんでしまい、なかなかそのドアを開くことが出来ないでいた。
「あれ、もしかして金剛くん?」
すぐ近くで声を掛けられそちらを向くと、幾何学柄のライトブルーレースドレスを着て、長い髪をハーフアップにアレンジした女性が立っていた。バッチリというよりは自然な化粧を施していて、耳元にはシルバーのピアスが光っている。見覚えのない美女に名前を呼ばれたが、記憶の中に思い当たる同級生がいなかったので目を見開いたまま止まってしまっていた。
先にくすっと小さく笑ったのは女性の方だった。「お久しぶりです、ほうだいです」と言われ、漢字変換が出来ず固まっていた。そして、同じ図書委員でよく本を読んでいた前髪が長く、分厚い眼鏡をかけた女子に思い当たった。
「―—―え!?宝代さん?」
「思い出してくれた?じゃあ、一緒にお店に入ろうか」
ドアを開けると、一斉に視線がこちらに向いてくる。だけど、宝代さんが一緒に入ってくれただけで随分と気持ちが軽くなった。宝代さんは5年前の同窓会にも来ていたようで、「5年ぶりだね」と近くに立っていた別の女子に声を掛けられていた。宝代さんの変わりぶりに驚いていたのは僕だけではないようで、お酒の嗜みながら数人の男子がちらちらと宝代さんに視線を向けている。
「金剛くん、久しぶり!やっと顔出してくれたね」
柳田くんはグレーのセットアップを着こなしている。すらっとしたスタイルは健在で、当時よりも20キロ以上は太ってしまった僕は普段着に何とか着れそうなジャケットを羽織ってきたけれど、肩も腕もきつきつで早く脱ぎたくて仕方なかった。
「柳田くん、久しぶり。ごめんね、前回はちょっと時間が作れそうになかったから」
「いいよ、確かお父さんとお店を切り盛りしていたよね?自営業はなかなか休み取れないと思うし」
今は父は死んで、母は出ていったので実質僕が店を切り盛りしているが、あまり個人的なことをべらべらと話したくなかったので何も言わなかった。
「そうだ、宇佐美先生来ているよ。そっちで皆と話していると思う」
ふらふらっと店の奥まで進むと、立つ皆の間に座ったままの宇佐美先生がにこにこと笑みを浮かべて談笑していた。先生の傍には杖が置かれていた。
「宇佐美先生、一昨年脳卒中を患ったみたいで、一命はとりとめたけど右足に麻痺が残って杖がないと自力で歩けないみたいなんだ。ここには奥さんに連れて来てもらったらしい」
脳卒中、父が掛かった病気と同じだ。父はそのまま帰らぬ人になったが、先生はこうして生きてくれている。
先生は談笑している中、僕の存在に気付いてくれたようでこちらに視線を向けた。
僕は先生から―――どこか生前の父の面影を感じてきゅうっと胸が温かくなるのを感じた。
宇佐美光市先生は、ずっと大手の会社の営業マンとして家族を守っていたが、どうしても教師になる夢を捨てきれず、家族を説得して50代半ばで中学教師に教師になった異例の経歴を持っていた。とはいえ、押しつけがましい理想論を振りかざす旧態依然の教育ではなく、一人一人の個性や能力に重きを置き、穏やかな印象の好々爺という風情を持ち合わせていた。好々爺というには年齢的には早すぎるかもしれないが、祖父と小さい頃平日の夕方の再放送でよく視聴していた水戸黄門のような雰囲気を纏っていた。
僕は運動面でも勉強面でも平均を下回っていて、勉強方法の改善も出来ず、母には成績表を見せるとため息をつかれていた。温和な父には「また頑張ればいいさ」とだけ言われていたが、それは期待も幻滅もどちらもしていないという意思表示だと思い、希望を持てずにいた。
夏休み前の二者面談の時、宇佐美先生は「金剛くんはどうせ、とか無理だから、とか負の気持ちばかりを抱えていませんか?」と問われた。言われ慣れていたとはいえ、僕は何も言えずに項垂れていた。
「『徳は孤ならず、必ず隣あり』という論語の言葉があります。金剛くんは見えないところで困っている子に手を差し伸べたり、そういう小さな善意を積み重ねているのは私はきちんと見ています。善い行いをすれば、必ず誰かが見てくれているという意味です。そういうコツコツ積み上げた努力が、未来の自分のための大切な縁や信頼に繋がっているんです。だから、諦めずに目先の結果にとらわれず、これからも地道に努力をし続ける勇気を持ちましょう。君なら、必ず困難を突破して進むべき道を見つけられるはずです」
宇佐美先生のその言葉は、自信を失っていたその頃の僕に一筋の光を可能性を与えてくれた。
父も母も、僕の求める道に賛同をしてくれたが、宇佐美先生のように道しるべを指し示して背中を押してくれる大人ではなかった。
ここまで来れたのは、目の前で微笑む宇佐美先生の存在があったこそすれ。先生の顔を見るだけで、僕はつい涙腺が緩んでしまった。
「金剛くん、ですか?おやおや、見ない間に大分ふくよかに育ちましたね」
そうだ、婉曲な言い回しを出来ない先生だった。苦々しく思いながら、僕は後頭部をかいて曖昧な笑みを返すことしか出来なかった。
聞き手に回って相槌を打っていたが、お腹が空いてきたので料理や飲み物が置かれた机に移った。お酒もあったが、先日の酷い二日酔いの悪夢がよみがえってきたのでウーロン茶にしておいた。僕が料理を寄そう隣で、猛烈にローストビーフやパスタ、肉メインで皿に乗せる女性がいた。横顔からはあまり覚えがない。ボンレスハムのような腕(とても失礼)が覗いていて、僕よりは若干細身のようだった。ふと、僕と視線が合うとにっこおと満面の笑みを浮かべ、「金剛くんじゃん!」と軽い口調で名前を呼ばれた。
僕が名前を返せず固まっていると、その女性はバツが悪そうな顔で「あー」と呟くと、「唐沢です。唐沢亜香里」と言った。
唐沢さん―――確か彼女はクラスの中心にいつもいる明るくてスポーツ万能、そしていつも僕は「おい、グズ!」と呼ばれていた。少しきつめの美人だった印象だが、目の前の女性は大分かけ離れた印象だった。
「ごめん、私の印象って悪いのしかないよね。当時、あんたをグズとかキモイとかそんな酷いこと言ってたよね」
彼女の言葉に、僕は曖昧に頷いた。
「私、すごい太ったでしょう?21でデキ婚して3人産んだら体重戻らなくてこんな体型になっちゃった。まぁ、旦那は寛容な人だから痩せろとか言わない人なんだけど。自分がこうなってみて、やっぱり子供の友達とか体型に関しての悪意なき悪口っていうの?そういうので若干落ち込んでいる自分がいてさ。そういえば、中学の時にそいつは悪くないのにやたら苛々して酷い言葉を吐いたなぁって、この年になってから凄い後悔した。本当に、今更なんだけどあの時は酷いことを言ってごめんなさい!」
頭を下げた所為で、彼女の皿からローストビーフが落ちそうになり僕は必死で皿を抑えた。その際に、彼女の沈鬱そうな顔が見えて、何だか僕が悪いことをしたような感覚に陥った。10代の多感の時代は、周りに流されてその場の勢いで毒を吐くことに関して罪悪感を抱かない。むしろ、周りに合わせた言動を取らないと、興覚めされた自分が反対に標的にされるかもしれない。そういった善意と悪意の境目を行ったり来たりしている。
僕だって、唐沢さんや柳田くんの言葉に腹立たしくもなったけれど言い返すような気概も持ち合わせていなかったし、ひたすらに苦しくて悲しくて自分の感情を腹の中に押し込んで殺してやり過ごしていた。僕は小さい頃から今までそうやって自分の中の嫌な部分と向き合わずに逃げてきた。
だけど、彼女はちゃんと過去の自分と向き合って、こうして頭を下げて謝ってくれている。それは、やはり3人の母親となったという立場の変化もあるのだろうか。いなくなったどこかの母親とは大違いだ。
「唐沢さん、頭を上げて。僕は大丈夫。なんやかんやでこうして大人になって、何とかお店を切り盛りしながら生きているから。むしろ、そんなことがあったのを今の今まで忘れていたくらいだし。今日の僕は、ただ美味しい料理を食べに来ただけだから」
唐沢さんはゆっくりと顔を上げて、泣き笑いの顔になった。
「確か、お惣菜屋さんだったよね。私、小さい頃母と一緒に買いに行ったことあるんだよ。私は金剛くんに見つからないよう隠れていたけど。帰って食べたメンチカツ、母のより断然美味しかった。また食べたいから買いに行っていいかな?子供たちも喜びそうだから」
それからは唐沢さんや他の男子たちを交えながら雑談をしていた。入り口付近になっている柳田くんは数人の女子から囲まれて何やら話している。
「柳田、外資系企業のすでに主任クラスみたい。あんなにモテてるけど、あいつ、奥さんいるし、奥さんは今妊娠中で実家に帰っているみたい。出世コースで家庭もあるなんて人生勝ち組コースまっしぐらだね。でも、あーゆー完璧そうな奴が浮気するのよ。浮気しても火遊びであってバレないとでも思っているんだから」
凄い勢いでローストビーフにスペアリブを齧りながらそう言う唐沢さんに、僕はキッシュを小さく切って口に放り込んだ。柳田くんは中学時代から信頼が厚く、冷静で、周りをよく見ている。そして、僕と違って本音を呪詛として吐き続けながら、うまく人生というレールを生きている。
だけど、僕は澱を溜めながらも何とか生きてきているので問題はないと思っている。お店もまだまだ課題が残っているけれど、広見や駒さんの力を借りながら何とか軌道に乗せているし、やりがいがある。僕の人生は、傍から見れば勝ち組コースじゃないのかもしれないが、勝ち組かそうじゃないかは僕が決めることだ。今の人生に満足をしていれば、それは僕にとっては勝ち以外の何物でもない。
宴もたけなわではございますが、という柳田くんの言葉にあちこちで帰り支度が始まった。僕は少々食べ過ぎたようでお腹が痛くなり、唐沢さんや宇佐美先生たちに挨拶をしてからトイレに駆け込んだ。お腹の調子が落ち着くと、レストランにはもう誰もいなかった。レストランの店主に美味しかった旨を伝えると、僕は店を出た。
色々な人と再会し、話せたことで僕の体は何だか熱で火照っていた。夜風がそれを緩和してくれているようでとても心地よかった。
今日は思い切って参加してみて良かった。そんなことを笑顔で広見に話してみようと思った。
駅に向かう途中、高架下付近で二つの人影が目に入った。二つの影は重なり合い、微動だにしない。目を凝らさないとよく見えないところにいたが、すれ違いざま、僕はその人影が誰か見えてしまった。
柳田くんが彼女の腰に手を回し、彼女もうっとりとした視線を向けている。車のライトで、銀色のピアスが一瞬きらっと光った。そういえば彼女とはあまり話をできなかったが、図書委員だった彼女は海外の恋愛小説が好きでよく読んでいた。ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』、エミリー・ブロンテ『嵐が丘』、トルストイ『アンナ・カレーニナ』など身分違いの恋や情熱的な悲恋を描いた傑作などだ。その中で、ギュスターヴ・フローベールの『ボヴァリー夫人』には嫌悪感をむき出しにしていた。近代不倫文学の最高峰だ。
少し視線を向けていると、視線を上げた柳田くんと目が合った。僕はそのことに気付かない振りをして帰路を急いだ。
しばらくすると、カバンのスマホがぶーぶーと振動した。無視していると何度も何度も振動している。仕事でも私生活でも最高潮の彼と、地味で特徴のなかった彼女が誰もが振り向く美人に変身して最高潮、最高潮同士の恋愛に僕は興味はないし、無関係だ。むしろ、関わりたくないので返事はしないつもりでいる。
僕は僕で、明日から自分の幸せを嚙みしめて生きていこうと思っている。これからは何か不安や辛いことがあったらため込まないでちゃんと吐き出そうと思う。ちゃんと向き合ってくれる家族や仲間がいてくれるから、僕はもう大丈夫だ。




