第二十一話
番外編です。
三兄弟の幼馴染、三角玲が主人公のお話です。
「いらっしゃーいいらっしゃい!今日はキャベツが安いよ!あ、荻原さん良かったら今夜どうだい?キャベツと豚肉のミルフィーユ鍋なんて絶品だよ!」
父ちゃんの言葉に、通りかかった荻原さんの決意が一瞬揺らいだ。
荻原さんの手には近所のユーコーマートのビニール袋がある。その中には豚のこま切れが入ったトレー、それと一緒にじゃがいもや糸こんにゃく、さやえんどうなども見える。多分、荻原さんの夕食の献立は肉じゃがだろう。だけど、その荻原家の献立にメスを入れるのが父ちゃんの手腕なのだ。
「えーどうしようかなぁ。今夜はもう献立が決まってるんだけどね」
「今夜は一層しびれるからねぇ。色々野菜を切るのも面倒なら、キャベツと豚肉だけで心も体も温める鍋なんて旦那さんも一生くんも喜ぶと思うぜぇ」
父ちゃんの口からべらべらと言葉が止まらない。荻原さんだけならともかく、大学でアメフト部に所属している息子の話も乗せれば、一気に気持ちはこちらに傾いてくる。肉じゃがはどちらかというと荻原さん両親が食べたいものだ。だけど、アメフトで大きな体づくりを必須とするのであれば、豚肉がたくさん食べられるメニューの方が喜ばれるのも分かるだろう。
「―――もう、大吾さんは商売上手だね!じゃあキャベツ一玉頂いて行くわ」
「毎度ありぃ!」
父ちゃんの独壇場に、俺は気持ちのいい思いを抱いて笑みが浮かんでくる。
俺は三角青果店の待望の第一子として生を受けた。それなりに大きくなってから祖母ちゃんから聞いた話だけど、結婚したのは20代前半とかだったが、なかなか子宝に恵まれなかったらしい。母ちゃんが離縁して違う人と一緒になって欲しいと泣いて頼み込んだが、父ちゃんは首を縦に振ろうとはしなかったとか。母ちゃんが好きで結婚したのであって、子供が欲しくて母ちゃんと結婚したわけではないと。それを聞いた時に、思わず痺れちまった。
ただのクマみたいな風体の父に、男としての威厳を感じたのだ。
父ちゃんは祖父ちゃんから三角青果店を継いだ。本当は長男の伯父さんがいたらしいのだが、昔から勉強が得意で将来は海外の大学で研究したいという夢があり、父ちゃんが代わりに俺が継ぐと自ら進言した。
だがしかし、父ちゃんには難点というか青果店を継ぐのに越えなければならない高い山が聳え立っていた。父ちゃんは、偏食家なのだ。そして、嫌いな野菜が多い。
お客さんにこの果物甘いですよ、とかこの野菜美味しいですよ、とか宣伝をする身として、これはまずいと悟ったらしい。当時高校生だった父ちゃんはすでに付き合っていた母ちゃんの協力の下、野菜克服に時間を要した。それはそれは大変な日常だったようで、母ちゃんが工夫を凝らした野菜炒めなどあらゆるものを食べつくしたらしい。
あんなでかい体つきなのに、野菜嫌いなんて笑えてしょうがない。
でも、きちんと野菜も摂ることにしたら肌荒れも良くなったし、部活で柔道をした後もコンディションが保てるようになっていいこと尽くしだったことに父ちゃんは感動した。今まで苦いからという理由だけで食べなかったことを悔いた父は、母ちゃんに相談しながら三角青果店の野菜にピッタリなメニューも考案し始めた。それだけで物足りなくなった父は祖父ちゃんに頼み込んで栄養士になるための学校にも通い始めた。母ちゃんはフルーツ&ベジタブルアドバイザー、家庭料理スペシャリストといった料理に関する資格を片っ端から受講した。
夫婦そろって野菜のスペシャリストになったというわけだ。
そんなこともあり、野菜や果物を売る時にこういった料理の知識が販売促進につながってくるというわけだ。
自営業で忙しく、子供がなかなか授からず、不妊治療を受ける時間さえもなかった二人はもう二人だけで生きていこうと諦めた矢先だった。一つの生命が宿った。特に父ちゃんは大喜びで母ちゃんには極力体を休めるよう二人分猛烈に働いた。どうやら父ちゃんは性別は生まれるまでは聞かないでおきたいと思っていたのだが、猛烈に母ちゃんの腹を蹴るところや母ちゃんの腹が縦に突き出しているのは男の子に違いないと「晃」(あきら)という名前を事前に決めておいた。
だが、産まれてみれば子供は女の子だった。
10カ月もずっと男の子と思い「あきら」と呼び続けていた父ちゃんは今更呼び名は変えられないと腹をくくった。流石に「晃」は男の子すぎると母ちゃんが意見をしたため、「玲」であきらと読ませることにしたようだ。
俺は父ちゃんの意思を読んでいたかのように、男の子の服を好んだ。男の子が好きそうな怪獣アニメが好きで魔法少女ものは一切見向きもしなかった。言葉遣いも自然と男の子らしくなった。私、なんて一度も使わなかった。親戚が送ってきたスカートも「いらない」と拒否した。
父ちゃんは嬉しそうだった。泥だらけ傷だらけで帰ってくると、わははと大口を開けながら笑った。母ちゃんも嬉しそうだったけど、どこか寂しそうな苦しそうな表情をする。
俺は、父ちゃん母ちゃんの子供に生まれてとても幸せだと思う。
その頃、祖父ちゃんはリハビリのため病院に長期入院をしていた。
母ちゃんとお見舞いに行くと看護師さんたちから「玲くん」と声を掛けられた。看護師さんたちは俺が男の子だと思っていた。その呼び名に対して、母ちゃんはあらためて訂正することもなかった。祖父ちゃんは午前中のリハビリを終えると、午後は寝ていることが多かった。夕方頃にうっすらと目を開けて俺を見ると、誰だか分からないように目をひそめることが多かった。母ちゃんから娘が生まれたと聞いていたはずなのに、それと合致しないと思ったからだろう。ごめんな、祖父ちゃんちぐはぐな孫で。
「……じーちゃん、玲が来たよ」
そう声を掛けると、祖父ちゃんはぷすっと小さく息を吐いてすぐに寝てしまった。
俺が保育園の年中くらいになる頃に、祖父ちゃんは亡くなった。
葬式会場に、見覚えのある三兄弟が来た。同じレインボー商店街のお惣菜屋の息子たちだ。眼鏡の長男は見覚えのない空間にどこかおどおどしている。少し長めの髪の次男は不機嫌そうにポケットに両手を突っ込んで下を向いている。一番落ち着きのある三男は何の表情のなくじっと前を見据えている。俺と同じ保育園に通っているが、いつも部屋の中で何か作ったり絵本を読んだりしている。
外で遊ぼうぜ、と誘うとついてくるが傍観者とばかりにあまり積極的に参加しない。自分のやりたいことだけをやると、小学校に入った時に協調性のない奴と揶揄されるのを分かっているから、俺は絶対にそういうことはやらない。
「―――孝文さん、眞純さん、本日はありがとうございます」
「麗美さん、この度はご愁傷さまです」
母ちゃんと三男の父ちゃんと母ちゃんが何か話している。
三男―――あ、確か広見だ。何か女の子みたいな名前をしていた。
そう思いながら俺ははた、と気づく。俺も女なのに男みたいな名前をしている。
視線を上げると、広見がこちらをじっと見つめていた。
何か見透かされそうな視線で、俺は何だか気持ちが落ち着かなくなった。
「良知、多聞、広見、玲ちゃんと読経が始まるまで外にでもいなさい」
母ちゃんのような優しい雰囲気はなく、どこか追いやるような冷たい声色に俺は驚いておばさんを見上げてしまった。
「玲、ちゃん、良かったら僕たちと外に行こう」
長男―――良知が外に出るよう手を差し出してくれた。良知は黒い制服を着ていた。俺が手を握る前に次男―――多聞は一足先に外に向かって走り出してしまった。
広見は俺のすぐ隣を黙って歩いていた。いや、むしろ歩調を合わせてくれたのかもしれない。
外に遊具も何もなかったが、草場にベンチがあり俺はそこに座った。良知は近くの木に登ってしまった多聞に何やら下りてくるよう声を掛けている。広見は俺の横に座った。
「風が、気持ちいいね。玲ちゃんのお祖父ちゃんもこの風に乗っているのかもしれないね」
「そんなわけないじゃん、祖父ちゃんはまだここにいるんだから」
「体はそこにあるけれど、魂はもうすでに体を離れているんだよ。だから、そこにはもうお祖父ちゃんはいないんだ」
広見の淡々とした言い様に、俺はかっと血が上り、いつの間にか広見に掴みかかっていた。
「なんだよおまえ、気持ち悪いんだよ。変なこと言うなよ!」
「ちょ、ちょっと二人とも何やってんの!」
慌てて良知が止めるために駆け寄ってきた。
広見は俺が首根っこを掴んでいる時も動じなかった。どこか無理している俺を憐れんでいるように感じて悔しかった。
黒の上下のジャケットにスボン、ネクタイを身に着ける俺に周りの誰も止めたりしない、そんなちぐはぐな現実を一番苦しんでいたのは俺自身だったのだと。
この時を契機に何だか俺は男の子らしくあろうとすることが面倒になり、たまにキュロットみたいなものを履きたいというと母ちゃんがびっくりしながらも凄く喜んでくれた。だけど、齢5歳そろそろ6歳になるまで父ちゃんが望んだ男の子であろうとしたのが弊害となったのか、今更女の子ぶろうとしても何だか全身が痒くなり始めて無理だった。口調も変えようとしたが、それも背筋がぞくぞくして無理だった。
そんな辛い現実を広見に何となく保育園で相談してみると、「そりゃあそうだよ」とけろっとした表情で言ってきた。
「平安時代のとりかへばや物語ってあるでしょ?あれは左大臣が二人の子供を取り替えたいなぁと思って性別とは別の人生を生きていくんだけど、最後には結局本来の性に戻るわけだし。玲ちゃんも別の性を生きていくのはやっぱり大変だから、女の子として生きていけばいいんじゃないかと思うよ。大吾さんだって、「あきら」って名前を用意していただろうけど、男の子が欲しかったなんて一言も言ってないでしょ。玲ちゃんという一人の人生を立派に生きてこそ、親冥利に尽きるってことじゃないかな?」
「……おまえ、本当に保育園児か?」
「それに、僕は玲ちゃん家族が羨ましいよ。皆が皆を愛してるっていうか、大事にしあってるっていうか。うちには、無いようなものだから」
にっこり笑いながらそう話す広見に、俺は何だか庇護欲みたいなものがむくむくと沸いてくるようだった。
がばっと広見に抱き着くと、広見はぽんぽんと背中を撫でてくれた。
「広見も、何か辛いことがあれば話せよ。俺がちゃんと聞いてやるから」
「うん、ありがとう、玲ちゃん」
俺たちが園庭で抱き合ってると、わらわらと保育園児のやじ馬が集まってきた。
「あー男の子同士で抱き合ってるーおっかしいのー」
「玲くんは私のものなんだからねー!」
引き離そうと群がる保育園児たちに、「違うよ」と広見が一喝し、「玲ちゃんは女の子だよ」と言い放った。




