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8章(2)・カノンの秘密2

 僕は廊下をふらふらと歩きながら考えている。


 カノンのことを思い出す。


 旅の全ての出来事が、僕の中できれいに1本の線に繋がった。


 背中の痣――。


 いつもちょっと他人事みたいに話す、自分の事。


 時々、カノンが見せるあの切羽詰ったような表情と――……、あの寂しそうな瞳。


 そして、急に自分のことが恥ずかしくなる。


 僕は自分のことで頭がいっぱいだった。この世界に来てしまった恐怖で、とにかく頭がいっぱいで、自分が不安がるばかりだった。


 僕は目の前の何もかもが、少しも見えてはいなかった。


 カノンは、自分の方が苦しい状況にありながら、そんな不安の中で僕のことをずっと励まし続けていたんだ……。


 自分の愚かさに心の底からがっかりする。


 そして、僕はこれからどうすればいいのか、これから何をしたかったのか、もう分からなくなってしまった。


 …………。


 いや――、それでも自分の中では、はっきりとしている気持ちがある。


 今からカノンのところへ走っていって、カノンにひと言だけでも謝りたい。そして、カノンがしてくれたみたいに、僕も彼女を励ましてあげたい。


 湧き上がって来るのは、そんなカノンに対する感情だった。


 そういえばさっきあの男は、『力を持つ者』は付いて行くことができないと教えてくれた。あの口ぶりから見て、おそらく僕にそんな力は無いのだろう……。だからきっと、僕が望めば、そのまま儀式に付いて行くことだって出来るはずだ――。


 しかし、その一方で大人の自分が顔を出す。


 もし今仮に、カノンの元に戻ったとして、自分に他のどんなことができるんだろう?彼女を励ましてあげる事以外に何が……?


 それに、何も出来ないだけだったら、まだましだ。


 僕がカノンと出会ってから、掛けた迷惑なんて数え切れない。貴重な食料を半分奪い……、いろいろなヘマをやらかし……、挙句の果てに、旅の資金まで削っている。


 僕には、旅の知識も経験もない――。


 歩きやすい靴も持っていないし、きちんと動ける服さえない。


 悲しいことに、見事に何一つ持ち合わせていないのだ――。


 例え気持ち1つで付いて行ったとして、迷惑を掛け続ける未来しか見えなかった。


「無理だよな……」


 僕は深いため息とともに、最終的な決断を下す。


 もし、このまま追いかけたとして、邪魔をするだけ――それが僕の結論だった。


 次第に足の痛みが蘇って来る。


 ようやく落ち着いてきたと思っていたのに……。潰れた豆のせいで、つま先全体がヒリヒリと焼き付けられているみたいだった。







「あら、ここに居たのですか」


 司祭が、礼拝堂の隅で僕を見つけた。


 僕は部屋の端――長いすに腰掛け、考えていた。


「はい」


 無理をして、いつも通りみたいに振舞う。


「ずっとここで待っていたのですか?」


「少しだけ閲覧室を見てきました」


「何か興味のある本は見つかりました?」


「すみません、僕はこっちの世界の文字が読めないので。ちょっと覗いて来ただけです」


「あぁ、そうでしたね。そういえばそんな事も聞いていました。それでは、そろそろお昼にしましょうか。お腹も減っているんじゃないですか?」


 司祭さまの声は優しい。


 カツーン、カツーン。


 さっきとは逆向きの廊下。


 細い廊下の上を静かに2人で歩いて行く。


 僕たちが進むごとに、冷たい空気が体の周囲を流れていった。


「…………」


 司祭は歩きながら、後ろの僕に話しかける。


「何かあったのですか?」


「…………」


「何か気がかりなことがあるなら、そのままここで吐き出しておしまいなさい。そうやって、無理に隠そうとするほど、不安はどんどん広がりますよ」


 そう言いながら、僕の方へゆっくりと向きを変える。


 司祭と体が向かい合う。


 僕はななめ下を向いたまま……。


 司祭は僕の顔を見つめて黙ってずっと待ち構えている。


 ばれてしまっては仕方が無い。僕は観念して、さっきの話を打ち明けることにした。


「実はさっき、始めてカノンの呪いの事を知りました。いちおう儀式のことは知っていたんですが、その一番肝心なところだけは知らなかった。それで始めて、呪いに苦しんでいたことを知りました」


「なるほど……」


「…………」


「彼女の話しぶりから、そうだろうとは感じていました。アナタに詳しく話してはいないのだろうと」


「…………」


「それで、彼女の事を追いかけようかと迷っているのですか?」


「…………」


 僕は少し間を置いてから、自分の気持ちをどうにか紡ぎ出そうとする。


「いえ。本当は行きたい気持ちもあるんですが、彼女に迷惑は掛けられません。何しろ僕は、ここ数日間、自分が足手まといにしかならないことを痛感していますから。僕にはお金も装備も、旅の備えが何一つとして無い……。このまま自分の気持ちだけを押し付けるわけには行きません……。それに……」


 そこで少し言葉に詰まる。


「それに?」


「僕は旅の途中、カノンの状況にいっさい気が付かなかった。自分のことばかりにしか目が行かず、彼女が精一杯演技して、元気なように振舞っていたことに気が付かなかったんです……。そんなヤツに一体何が出来るのかが分かりません」


 あぁ、自分で言っていて嫌になる。


 自分の口から吐き出したことで、今改めて自分の無能さを認めてしまった……。


 それで、さらに気持ちが沈み込む。


「フフ……、アナタは一見、大人みたいに物分りが良く見えるけど、本当のところ、やっぱりまだまだ人生の経験が足りないようね」


「え……?」


 僕は言葉の真意が分からず、反射的に聞き返す。


「どういう意味ですか?」


「アナタは今、ようやく全てのことを理解したつもりになっているけれど、それでもまだまだ足りていないということです」


「足りてない?僕にはまだ知らない何かがあるってことですか?」


「そうですよ」


「…………」


「アナタは今、『自分のことばかりにしか目が行かず、彼女が精一杯演技していた。元気なように振舞っていた』と言っていました。ですが、本当にそうだったのでしょうか?アナタと旅をしていた時、そのときの彼女の笑顔は本当にそんな嘘の笑顔に見えたのですか?」


「…………」


「だって、アナタの事をお願いするとき、彼女はあんなにもアナタの事を心配していたんですもの。彼女はアナタの幸せについて心の底から考え、そして精一杯に願っていた……。それはきっと、アナタから小さくない何かを受け取っていたからだと思います。きっと旅の途中、彼女はアナタから色々な何かを受け取っていたのよ。少なくとも私はそう考えていますよ」


 その言葉を聞いた瞬間、僕の中で全てのつかえが外れてしまった。


 自分の中で何かがはじけて、別の感情が生まれていく。


 頭の中にカノンとの思い出がワラワラと溢れだして来る――。


 一緒に野宿したこと。


 一緒に馬鹿みたいになって大笑いしたこと。


 気の抜けた意味の無いやり取りとカノンの話し声。


 そして――……、昨晩、星を見ながら交わした言葉。


 そんな記憶が蘇って来る――――。




 『私は助けてもらったよ。短かったけど――――』


 あぁ……、やっぱり、そうか……。


 僕は色々見えてたようで、やっぱりあの時も自分の事ばかりを考えていた。


 あの時も、自分のことばかりに囚われていて、目の前の単純な言葉にさえ気が付いてはいなかった。


 ちゃんと見ようとすれば、すぐソコに居たはずなのに――。すぐ目の前の大切な恩人のことさえ、少しも目に入ってはいなかったんだ――――。


「司祭さま、僕は儀式に付いていく事はできるのでしょうか?僕が行くことで、儀式が失敗する可能性はありますか?」


 僕は静かに司祭に尋ねる。


「残念ながら、あなたにはまじないに関する力や才能は無いようね。アナタからはそんな気配を微塵も感じないもの、フフ……。だから代わりに、儀式のお供くらいなら、アナタにも勤まるんじゃないかしら」


 司祭は静かに僕に微笑む。


「お願いします。旅の支度を整えたいので、どうか僕を助けてください」


 気が付くと、そこには必死で頭を下げる自分がいた。


 その時には僕の気持ちはもう完全に振り切れている。


「僕には、まだ何が必要で、何を用意して行けばいいのかすらも分かりません。カノンのことを手伝いたいと思っているけど、でも足手まといになるのも嫌なんです。今の僕には、まともな靴も、マントも、旅の備えが全くない。だから、借りられるものだけでも借してほしいんです」


 僕の頭はもうずっと真っ白なまま。


 でも、やれることなんて少ししかない。


 それなら、できることだけ……、ほんのちょっとだけでもやるしかない。金の無い僕には、ひたすら人に何か頼むことくらいしか、出来ることがなかったのだ。


「お願いします!手伝ってください」


 そのまま、無茶なお願いを続けている。


 ――――今思い返しても、こっちの世界に来てからの僕は散々だ。こんな風に人に頭を下げたことも、無茶なお願いをしたことだって一度もない。


 自分の姿が自分で悲しくなる――。


 僕が小さな頃から大切に育てた、僕のちっぽけなプライドは、今ではこうして粉々になって砕けてしまった。


 僕は1人では何もできない、本当にちっぽけな人間だった。


「分かりました。すぐに支度を整えましょう」


 司祭はやさしく包み込むように、この無茶なお願いに応じた。


 司祭の眼差しはいつだって優しい。


 今この瞬間も――。


 穏やかで力強い、慈愛に満ちた眼差しで、僕のことを包み込んでくれたのだった。







 それから、司祭は僕のために旅の道具を調達した。


 何人かの神官たちに頼み、使われていない必要な装備をかき集めたのだ。


 古くなってしまった旅の衣服――……、少しサイズは大きかったが文句は言えない。


 そして、誰かのお古の靴下も貰った……。少しだけ戸惑うが、やっぱりこれにも文句は言えない。


 さすがに、裸足で旅に出るのは考えられない。


 仕方なく、黙ってボロボロになっていた靴下を脱ぎ、履き変える。


 デリケートに鍛え上げられた、僕の自慢の我侭ボディーは、きっと少しの負荷でも音を上げてしまうだろう。僕にはそういう自信がある。


 旅の備えだけはしっかりしないと……。


「靴はこれくらいでよろしいか?」


 礼拝堂の中へ、僕のサイズに合わせた靴が運ばれてくる。もちろんお古の革の靴――。


 しかし、今度は大分歩きやすそうだ。茶色い滑らかなその革靴は、いかにも旅人といった感じに見える。


「ありがとう」


 お礼をいって、全身ひと通りの装備を身に着けた。


 貰ったボロボロのリュックに、学ランや昔の靴をまとめて突っ込む。


 これで、ようやく旅立てそうだ。


「それから、これを」


 司祭が、青いローブを僕の体に羽織らせる。


「いいんですか?」


 神官たちが羽織っている例の青いローブだった。


「あいにく、ここには、このマントしかないのです」


 もちろんお古で、少し痛んではいたが、よく観察するとしっかりとした造り――。マントの代わりに使えるようにもなっていた。


「本当にいいの?」


「良いも悪いもないでしょう、フフ……。ここにはこれしか無いのですから。黙って持ってお行きなさい。きっと何か良いことがあるわ」


「ありがとう、司祭さま」


挿絵(By みてみん)


 僕はローブの襟元を掴んで、しっかりと体に羽織り直した。


 ガラガラガラガラ。


 そしてその時、馬車のような滑車が地面を進む音が聞こえてきた。


 音は段々、建物の前に近づいてくる。


「さぁ少年、乗りたまえ!これも何かの縁だ。私がまじない師の元まで送っていこう!」


 特徴の無い男――、さっきのあのうっかりさんだ。


 あの男が、馬車の荷台の上から屋敷の中に向かって大きな声で叫んでいる。


 僕たちはそれを聞いて、礼拝堂の外へと向かった。


「司祭さま、私は2度も彼に対し、うっかり酷い失言をしてしまいました。私のミスです。これに対して弁明するつもりはございません」


 司祭と一緒に外へ出ると、男はいっそう大きな声で謝罪演説を始める。


「しかし、これもまじない師たちの言うところの、神々のお導き――――、何かの縁では無いのかと。是非とも彼のことを見送らせて頂きたいが、お許しは頂けないでしょうか?」


 馬車には、馬とも牛とも言えない何かが2頭、一緒に荷台のところに繋がれている。真っ黒の何かが2頭だ。


「フフフ……えぇ、いいですよ。そういうことなら許可しましょう。副司祭どの」


 えっ?この人副司祭だったの!?


 そんな驚きを、真面目な顔で隠しつつ、僕は静かに話の進行を見守る。


「きちんと彼女の元まで送り届けてあげて。3度目のミスは許しませんから」


「もちろんです」


 そうして、男は僕を馬車の上へと引っ張り上げた。


 屋根の無い、四角い木製の馬車――。後ろに小さな荷台の付いた、4人乗りの馬車だった。


 男は、不敵な笑みを浮かべている。


 この人の何がそんなに自信満々にさせるのだろうか……。僕は少しだけ不安を感じる。


「少年よ、これはきっとアナタにとっては回り道になってしまうのでしょう……。けれど、回り道も決して悪いことではないわ。遠回りをすることで得られることもあるハズです。行ってあの娘の支えになってあげて。あなたにこの星の神々からの祝福がありますよう」


「司祭さま、本当にありがとう。いつかまたお礼を」


 僕は心の底から感謝の言葉を紡ぎだす。この街の司祭や神官たちには、返しても返しきれない恩が出来た。この恩を返せるかどうかは分からないが、少なくとも僕は絶対に皆のことを忘れない。


「そうね。それなら、ほんのちょっとだけ期待しておきます。気をつけて」


 ニコリと笑う。


「では、行ってまいります」


 副司祭の合図とともに、馬車がゆっくりと動き出す。


 そして僕と副司祭を乗せた馬車は、礼拝堂を後にした。



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