8章(1)・カノンの秘密1
次の日、僕が起きるとカノンはすでに出発していた。
クカッ、クカカッ。
外からはおかしな鳥の鳴き声が聞こえる。
回りの状況から察するに、どうやらまだ午前中のようだ。でも、けっして朝早くというワケでは無いらしい――。
「痛てっ!」
連日の疲労のせいか体中が筋肉痛になっていた。
その上、足の裏も焼けるように痛い。
ズザザ。
僕は、それでも急いで必死に起き上がろうとする。
「痛てーっ……」
出来るだけあちこちに負担が掛からないよう、ぬるりとした怪しい動きでベッドの上から這いずり起きる。
「ふぅ……」
そして、ベッドの端に置かれた小さなメモを発見した。
手に取ってみると、例の不思議な記号が並んでいる。
きっとカノンが残していったメモだ……。
そんなことを考えてはみたが、それはどう見ても昨晩カノンが受け取っていたメモで、伝言用のメモにしか見えないのだった。
「カノンさん……」
僕は、何となく放置できずにポケットの中に突っ込む。
他に荷物なんてほとんど無いが、いちおう忘れ物をチェックしてから部屋を出た。
その後、家畜小屋へと足を運ぶ――。
…………。
予想通りヤップルは居ない。
クワァ。
僕は寂しさのあまり、心の中でヤップルの声を思い出す。
そういえば、僕はこれまで3回ヤップルの事を置き去りにしていた。祭壇で1回、老人の家で1回、酒場へ行く時に1回で、3回だ。
そして、今度は僕の番――……。
ちゃんと2人にお別れの挨拶も言えなかった……。
今なら、あの鳥の置いて行かれた気持ちも分かる。
そうして、しばらく宿の前でうろたえていたら、3人のローブを着た一団がやって来た。
「ごきげんよう」
落ち着ついた静かな声で、中央の女性が声を掛けてくる。
「アナタが、例の転生者さんね」
「ハハハ……、昨日はよーく眠れたようですな」
その隣、昨日の取次ぎ役の老人が続ける。
どうやら、中央に立っているこの女性が司祭さまというコトらしい……。青いローブの装飾が、この人の物だけ違っていた。
凛とした雰囲気――。
肌つやが良く30歳くらいにも見える。
が、その落ち着いた物腰と毅然とした雰囲気からは、かなりの威厳が感じられる。たとえ40や50だったとしても、みんなきっと納得してしまうことだろう。
「ごきげんよう」
僕はどう返したらいいのか分からなくて、とりあえずオウム返しの挨拶をした。
『ごきげんよう』ってなんだ……。
「フフ……、ずいぶん可愛らしい転生者さんね」
あまりに挨拶が可笑しかったのか、左に居たもう1人の女性が笑った。
司祭の付き人か、関係者の人みたいだ。
「さて、アナタのお話は、まじない師さんからすでに聞いています。支度はとっくに済んでいるようね。それでは、アナタも自分の行くべき場所へ参りましょうか」
司祭は優雅に、流れるように語りかける。
「カノンは――、カノンは今どうしたんですか?」
「彼女?そうね……。彼女は先ほど、すでにこの街を発って行きました――。30分ほど前かしら」
「私たちは、彼女のことをお見送りに行った帰りですのよ」
横から、お付きの女が付け加える。
「そうですか……」
少し黙り込む僕。
「きっと彼女も、アナタとのお別れが寂しかったのでしょう。彼女は旅立ちの刻にも、随分とあなたの事を気に掛けている様子でした。くれぐれもよろしくと――。見送れなかったことは残念でしょうが、少しだけ彼女の気持ちも察しておあげなさい」
「…………」
「アナタも心の区切りを付ける時です」
「はい……」
そして横から再び、お付きの女が付け加える。
「あなたもお辛いでしょうが、今はご自分の問題に向き合う時よ。彼女の気持ちに応えるためにも、前向きに乗り越えて行きましょう」
「そうですね……」
そう言いつつも、まだ少しだけカノンの事を考えている。
僕はゆっくり、小さく息を吐き出した――。
「ありがとう。心の準備ができました」
そうして、僕たちはいったん司祭の屋敷へ移動した。
それは、街の奥にあった例の建物――、あの大きな教会のような建物だった。
近くまで来ると予想よりもはるかにでかい。もしかしたら、街の人が全員収まってしまう程かもしれない。
中央には、三階建てくらいの高さの建物があって、傘の先っぽみたいな屋根を付けている。そこから左右に、二階建てがずっーと連なる。まさに、中世の教会のイメージそのものだった。
壁の外壁や屋根は少し退色して見えたが、逆にそれが歴史と威厳を感じさせる。
この中には、司祭たちの仕事場や居住区なんかがあるらしかった。
「さぁ、こちらです」
僕はさっきの女性2人と共に、正面の建物の中へと入った。
中には小さなエントランスがあり、奥の礼拝堂みたいな場所まで、そのまま直接繋がっている。
一番奥には小さな祭壇――。そこへ導くように、木でできたシンプルな造りの長いすが、左右に2列、綺麗にたくさん並んでいた。
「本日は、午後から支度を始めましょう。都へ向かうための準備を。そして、明日の朝には、ここを発つ予定になっています」
「え?まさか、司祭さまも一緒に都に行くんですか?」
「ん?えぇ……、ごめんなさい。私はここから離れられないの」
司祭は、少し驚いたみたいに説明する。
「ごめんなさいね、司祭さまはここを見守る責任がおありだから」
「で……、ですよね……。勘違いして驚きました。司祭さまも行くのかなって」
「フフ……。でも、大丈夫ですよ。私の代わりに案内人を用意しました。ちょうど都へ行く予定のあった2人です。旅にも慣れ、信頼に足る者たちですよ」
「そうそう、きっとアナタの旅も安全に終えられるハズよ」
「なるほど……」
「それでは、この辺りでしばらく時間を潰していて貰えますか。私たちはまだやることが残っているので」
「ごめんなさいね。司祭さまも私も、まだ少しだけ午前の業務が残っているの。お昼にまたお会いしましょう」
「はい。えーっと……、僕のことなら大丈夫です。ありがとう」
「この建物の中なら好きに見て頂いて構いませんから。神官たちの居住区に行くのは困りますが、大方のところは好きに入って貰って大丈夫ですよ」
「旅の疲れもまだまだおありでしょうし、明日に備えてゆっくりするのがきっといいわ」
「ではまた後ほどお会いしましょう」
「分かりました」
『それでは』
そう言い残して、2人は左側の廊下に向かって歩いて行った。
「そちらの閲覧室で、世界の事情を知るのもよろしいわ。そちらの奥よ」
お付きの女は、右側の廊下を指差しながら、司祭と共に扉の先へと消えて行く。
…………。
僕はそのまま礼拝堂で1人になった――。
2人が居なくなって、礼拝堂は急にしーんと静まり返る。
近くには、特に人の気配もしない――……。
仕方がないので、僕は何かすることにした。
なんとなく、並んだ椅子の間を歩いていく。飴色になったアンティークっぽい感じの長椅子たち。
木で出来た床が、ワックスか何かでツルツル光って雰囲気がある。
ギシッ。
僕は、筋肉痛のまま椅子に少し腰掛けてみた。
が、やはりちょっと落ち着かない。椅子は硬く、空気もひんやりと肌寒い。
天井を見上げると吹き抜けになっていて、さっきのとんがり屋根の内部が全部さらけ出されているようだった。
上の方に取り付けられたステンドグラスが、色とりどりの美しい模様を描き出している。
「少し歩くか……」
急に思い立って、僕は散策の旅に出た。
「この奥だよな?」
3本あった廊下の内、閲覧室のあるらしい右の廊下へと進んでいく。
カツーン。カツーン。
木でできた床は、心地の良い乾いた音を響かせていた。
…………。
「ここかな?」
特に分かりやすい目印は無かったが、そこが閲覧室であることがスグに分かった。他の部屋とは違って、そこだけ両開きのドアが取り付けてあったから。
ドアの間隔や並びを比べてみても、そこだけ少し大きな部屋になってるらしい……。
右側のドアだけなぜか開け放してある……。
…………。
人の気配がするので、ドアの手前の方から顔だけ出して中の様子を伺った。
部屋では数人の神官たちが、なにやら真剣に仕事をしている。
皆真剣な表情で、本や資料を書き写したりしていた。
皆一様に、例の青いローブを羽織っている――。
「資料室っぽいな……」
僕は中の本棚や机の数を見て、そんなことを口走る。
扉の目の前には4つの大きなテーブルがあって、その両サイドと奥側には、10個程度の大きな本棚が並んでいた。
さすがに、図書館と比べると規模は小さい。
僕は他の神官たちの邪魔にならないよう、入り口付近でキョロキョロと周りの様子を探っている。
「やあ、君か」
左の本棚のところから、聞き覚えのある声が聞こえた。
「あっ、こんにちは」
左の扉でちょうど隠れていた辺り――、本棚の影で昨日の使者の男を見つけた。
僕は反射的に挨拶している。
例の特徴の無い男――、あのうっかり者の使者の男だ。
今日はフードを被っていないので、男の顔もよく分かる。
男は、予想していた通りの茶色い髪の毛で、短髪。やっぱり髪型が見えていても、その個性の無さは変わっていない。
僕は知ってる人が少ないので、ギリギリすぐに反応が出来るレベルの無個性だった。
「昨日はその……、悪いことをしてしまったみたいで……。君には、申し訳なかったね……」
「いえ、使者さんは悪くないです。僕らに問題があっただけなので」
「そうか。そう言ってもらえると気持ちが少し楽になるよ」
「…………」
そしてちょっと無言の時間が流れた後、その男は真面目な口調で話し始める。
「しかし、君たちは2人とも大変な運命を背負ってしまったものだ……。一方は、見ず知らずの世界へ飛ばされ、もう一方は非情な宿命を授かった。運命や試練だと言ってしまえばそれまでだが、君たちの勇気――それでも前向きに生きる姿には頭が下がるよ」
男の瞳は真っ直ぐどこかを見つめている。
優しく寄り添ってくれるような言葉――。
「僕ならあんな年頃で、迫ってくる死の恐怖とは闘えない……」
「えっ?」
その時突然、思いがけない言葉の響きにぶつかった。
死の恐怖って何だ……?
僕の中で動揺が生まれる。
「あ……あれ?彼女……呪いを受けてるんだよね?星屑集めってことは……」
男はうろたえながらそれに応える。
「呪いって何ですか!?……死の恐怖ってどういうこと?」
僕は気付くと、男の胸倉に掴みかかっている。
男の体をゆすりながら、必死になって聞き返す。
回りの神官は、ポカンと口を開いたまま突然の出来事に驚いていた。
「教えてください、お願いします!呪いって……、つまり、呪いで死ぬかもしれないってことなんですか?」
「…………」
「カノンは……」
僕のあまりの剣幕から、男はようやく自分のしでかしたミスに気が付く。
自分がまた余計なことを言ってしまったということに――。
「あぁ……そうか……。本当におっちょこちょいだな僕は」
ちょっと落胆したような声。
男は小さくため息をつくと、胸倉を掴んだ僕の手に、やさしくそっと自分の手を添えた。
僕の手は震えている――。
「話すよ」
ゆっくり胸倉から手を解き、僕の両手を下ろして行く。
「彼女はいま、星屑集めという儀式を行っている。これはもう知ってるよね?」
「はい――、それはカノンから既に聞いています」
「この儀式はね、呪いを受けたまじない師たちが、執り行う儀式なんだ」
「…………」
「その呪いの原因は分からない。でも、決まっていつも、まじないの力を持つ者だけが呪いに掛かる。突然、体に痣のようなモノが現れるんだ――。黒い痣が。きっと彼女の体のどこかにもあったんじゃないのかな?」
「はい――。たぶん、背中に……」
「そうか。そしてそれは、放っておくと彼女の体を蝕み始める。黒い痣が広がり始めて、だいたい半年――、運が悪いと三ヵ月ってところか……。それくらいで死に至る――――。それは、とても急激に彼女の体を侵食し、葬り去ろうとする。致死性の高い呪いだ」
「原因は、何なんですか?」
「分からない。さっきも言ったが、それは僕たちにも分からないんだ」
「…………」
「だが、まじない師の世界では『神々からの戒め』なのだと考えられている」
「戒め?」
「特別な力を行使し、人々に恵みをもたらすまじない師という存在。そして、その恩恵に預かる人々が、日々の感謝を忘れぬように――。そのまじない師たちが、奢り、私欲に走らぬように――。神々に選ばれたまじない師の代表が、人間の傲慢さ――罪を肩代わりするのだと考えられているんだ」
「…………」
「代々、力の強いまじない師ほど選ばれやすく、呪いの犠牲になってきたからね……」
「じゃあ、あの儀式は……。カノンは1人きりで、その犠牲になるための儀式をさせられてるってことなんですか?」
「いや、それは違う。あれはそういう儀式ではない。違うよ少年」
「…………」
「あの儀式はそもそも、他のまじない師たちを連れてはいけない。他のまじない師やまじないの力を持つ者たち――、司祭や神官たちの影響を受けないようにしないとダメなんだ。何故かは誰にも分からない。でも昔から、生き残った者たちはそうだったし、皆1人の力であの儀式を終えて帰ってきた。他の《力の所有者》がいた場合には、ことごとく失敗してるというだけだ。だから、あの儀式に他のまじない師たちは連れてはいけない。理由なんて分からないよ。僕らにもあの儀式が本質的に、どういう意味を持っているのかさえ分からないんだ」
「それじゃあ……、それじゃあ、もしかして……、カノンも生きて戻れる可能性があるってことなんですよね?」
「あぁ、そうだね……。もちろん、その可能性だって残っている」
僕はその答えを聞いて少しだけ安堵する。
「9割と8分……」
「……え?」
「ほとんどのまじない師たちが、儀式の失敗――呪いでそのまま命を落としている」
「98%?」
「かなり厳しい確率だ。おそらく彼女も、そういう覚悟はしているだろう……」
「そう……ですか……」
その言葉に、僕は完全に打ちひしがれてしまった。
儀式の意味や状況をやっと理解し、少しの希望が見えた瞬間――。そのすぐ後には、真っ暗な深い闇が待ち受けていた。
小さな希望の光も、こうやってすぐに掻き消されてしまった。
カノンは死ぬ――――。
これから三ヶ月か、半年までくらいの間には。
一筋の光は、かろうじて薄く残ってはいたが、とても現実的な数字には思えない。
「ありがとう……ございました……。服を掴んだりしてごめんなさい」
魂が抜けたみたいな声。力の無い声で僕は謝罪し、そのまま部屋を出ようとした。
「なっ……なぁ、少年。でもこれだけは言わせて欲しい」
僕は力なく振り返る。
「なんですか?」
ぼんやりとした状態で、どこを見るわけでもなく男の全体像を眺める。
「もしも……もしもだ、彼女がそれを望むなら、他のまじない師たちのように諦め、残りの時間を幸せな余生に使うことだって出来た。彼女がもしそれを望むなら、儀式に挑まず穏やかに最後を迎える選択だってあったんだ。でも、彼女はそれを選ばなかった。彼女は、この儀式を行う事を、自分の意思で選んだんだ」
「…………」
「だから、僕たちは皆彼女の事を応援している。たぶん、儀式の事を知った町の人たちも」
「…………」
「だから――……、本人さえ諦めていないのに、先に僕らが彼女のことを諦めたりしたら失礼じゃあないか!なぁ、そうだろう?信じてあげるべきだと思うんだ!彼女が儀式を終えて、その背負った僕らの罪から開放される可能性をさ」
「…………」




