1:娘から両親へのフルーツケーキ前編
麗らかな陽気に包まれるのどかな村。空には青空。眼下には朴訥とした村の建造物と豊かな畑が広がっている。その穏やかさの見本のような村へと、青年が一人足を踏み入れていた。
見張り役の自警団らしき男性に身分証、首から提げた銀板のタグを見せると、相手は納得したように頷いて彼を通してくれた。ごくありふれた庶民と思しき服装をした青年だが、身につけている薄手のジャケットの背中には大きな図が描かれていた。
それは、手紙を加えたハトと小包をモチーフにした意匠だった。彼の所属を一目瞭然に示すものであり、それに加えて先ほどの銀板の効果もあって簡単に村への滞在を許されたのだ。
「さて、と……。お届け先はどこかな……」
そう小さく呟いて、青年は視線を巡らせる。生憎と彼はこの村を訪れるのは初めてなので、誰かに聞かなければ目当ての家が分からないのだ。
少し考えて青年が向かったのは、村の広場だった。そこには、井戸端会議の真っ最中である奥様方が勢揃いしていた。
「すみません、家具職人のエイダンさんのご自宅はどちらでしょうか?」
突然声をかけてきた青年に、奥様方は不思議そうに顔を見合わせた。小さな村は住人全てが顔見知りであり、よそ者が入り込めばすぐに分かる。そして、特に目立った産業もないこんな小さな村によそ者がやってくるのは珍しかった。
一体どこの誰で、何の為にそんなことを聞いてくるのか。当たり障りのない表情ながら、奥様方の眼差しの奥には青年を値踏みするような何かが潜んでいた。
青年はそれに気を悪くした風もなく、朗らかな笑顔で理由を告げた。
「実は、王都で菓子職人をしている娘のメリッサさんから、ご両親への手紙と贈り物を頼まれたんです。私は配達屋をしております、セデルと言います」
そう言って青年は、首元に下げたタグを見せた。それは銀板に、公的な認可を受けた配達屋であることを示す紋様の刻まれたものだ。それを見て、奥様方は青年への警戒を解いた。
「それは悪かったね。エイダンの家なら、あそこのほら、一際大きなリンゴの木がある、青い屋根の家がそうだよ。今の時間なら夫婦共に自宅にいると思うよ」
「ご丁寧にありがとうございます」
ぺこりと頭を下げて、セデルと名乗った青年は示された方へと歩いて行く。その足取りは軽く、遠く王都からやって来たとは思えないほどに軽やかだった。ただ、その彼を見送るご婦人方の表情は、どこか不安げな、気遣うようなものが宿っていた。
配達屋と呼ばれる仕事に、公的な認可が与えられるようになったのはここ十数年のことである。それまでは、行商人や旅人、冒険者などが手紙や荷物を預かって運ぶことが多かった。配達そのものを生業にする者もいたが、公的な認可はなくその性質は玉石混交であったのだ。
身も蓋もなく言ってしまえば、安全に荷物が届かないこともあった。商人に託した場合は比較的安全だが、代金が高額になる。旅人や冒険者の場合、相手をきちんと選ばなければ中身をそのまま持ち逃げされたり、一部を奪われていたりということも多かった。そういった事情を考慮して、国際的なお墨付きとしての配達屋という職業が生まれたのだ。
その為、公的な認可を受けた配達屋の信頼度は高く、その身分証を見せるだけで人々の警戒を解くには十分だったのだ。もちろん、ペナルティーによって認可を取り消される者達もいる。清く正しく、届け物に対して真摯に仕事に励む者にのみ、認可は与えられるのだ。
そしてその配達屋として働く者達、特に現場で配達員として働く者達の多くは、己が持つ恩恵を生かして活躍している。恩恵とは、誰もが五歳の洗礼の時に神から授かる能力のことだ。手にする能力には個人差があり、血筋による遺伝などもあまり関係がない。完全なる個人の資質と考えても良いだろう。
その中でも『収納』は基本とされ、誰もがもらえる恩恵である。その名の通り空間に物を収納出来る能力で、その空間の大きさはそれぞれで異なる。一般的に、基本恩恵と呼ばれる『収納』と、それ以外に最低でも一つ何か恩恵を与えられるのが通例だ。
人によっては複数の恩恵を手にしたり、一つの恩恵で複数の効果を持つ上級恩恵と呼ばれるものを手にすることもある。そして人々は、与えられた恩恵を己の資質、才能と理解して、進路を決めたり身の振り方を考えたりするのが一般論だ。
(……まぁ、僕は基本恩恵の『収納』しか貰えなかったから、ちょっと普通とは違うけど)
そんなことをセデルは考える。彼が手にした恩恵は、基本恩恵と呼ばれる『収納』のみ。誰もが持つ恩恵であり、それ以外に何の能力も与えられることがなかった例外枠だ。
幼少時、心ない人々の冷たい視線に晒されたこともある。基本恩恵の『収納』しか貰えなかったなんて、何か欠陥があるのではないかという偏見だ。大人にもそういう口さがない事を言う人はいたし、何より年の近い子供達がそういった空気を敏感に感じとってセデルに悪意を向けてくることも多かった。
しかし幸いなことにセデルの家族も、親しい友人達も、そんなことは気にしない人々だった。恩恵が何であれセデルはセデルだと愛してくれた人々のおかげで、歪まず、妬まず、真っ直ぐ育ったのだ。
そんなセデルの『収納』は人よりたくさんの物を収納することが出来ることもあって、能力を生かして配達屋になったのだ。職場の同僚、先輩達などは収納しか持たないセデルをバカにすることもなく、職場環境は実に快適である。むしろ、配達員として現場を走り回る先輩達には、大量の荷物を運べるだけで得難い才能扱いされている。
セデルの夢は、一人前の、立派な配達屋になることだ。ただ日々の仕事をこなせる配達屋になるということではない。他の誰にも負けない、セデルでなければと言われるような配達屋になることである。胸を張ってこの仕事を頑張っていると言える、人の役に立てていると言えるようになるのが、幼い頃からの夢だった。
そしてその夢は、今は遠く離れてしまった親友との約束でもあった。セデルが『収納』しか持たないと知っても笑うことなく、セデルはセデルで良いと受け入れてくれた大切な親友。親の仕事の都合で引っ越してしまった幼馴染みとの約束を守る為にも、セデルは夢に向かって邁進しているのだ。
引っ越す時に、親友はセデルに大切な宝物であるカエデの葉っぱのブローチを預けたのだ。セデルが配達屋を目指していると知っていたから、いつの日か一人前になったら届けに来てほしい、と。その約束を胸に、セデルは一人前を目指している。
就職してから早数年。一人で遠出をするような仕事を任されるようになったのは最近のことで、だからこそセデルはやる気に満ちていた。まだ同僚の中では新人の弟分扱いではあるが、当人は一つ一つ仕事をこなして頑張っている最中である。
そんな風にやる気に満ちているセデルは、井戸端会議のご婦人方から聞いた目当ての家を発見した。説明通り、家の隣の大きなリンゴの木が目に入る。鮮やかな青い屋根は、空の青よりなお色濃く、目を楽しませてくれる。
「あった。この家だな。……ごめんください」
深呼吸をして気持ちを落ち着けた後、セデルはこんこんと玄関をノックして声をかける。少しして、はーいという返事と共に軽やかな足音が聞こえた。
素朴な作りの玄関扉を開けて顔を出したのは、目尻に少し皺が目立ち始めた年頃の女性だった。
「……えーっと、どちら様でしょうか?」
「こちら、エイダンさんのお宅でよろしいでしょうか? メリッサさんからの手紙と荷物をお届けにきた配達屋です」
そう告げて、セデルは首元のタグを女性に見せた。女性は驚いたように目を見張り、そして、室内に向けて大声で叫んだ。
「お父さん! お父さん! メリッサからの手紙と荷物が届いたよ!」
「何だって……!」
その言葉に、室内から慌てたように男性が飛び出してきた。がっしりとした体躯の、女性と同年代と思しき男性だ。
「家具職人のエイダンさんと妻のエミリーさんでお間違いないですか?」
「あぁ、間違いない。それで、メリッサからの手紙と荷物っていうのは……?」
「はい、こちらになります」
そう言ってセデルは何もない空中に腕を突っ込んだ。ずぶりと腕が空間に吸い込まれるような状態だが、夫妻は特に驚いたそぶりを見せない。そして、セデルが腕を抜くとそこには、手紙と小綺麗な、そして随分としっかりとした箱が一つあった。
「こちら、メリッサさんから頼まれた手紙と、彼女が作ったケーキになります」
満面の笑みでセデルは荷物を差し出した。配達屋としての仕事の締めくくり、依頼人からの荷物をお届け先に渡すというもっとも盛り上がる瞬間である。遠方に住む娘からの荷物を届けに来たセデルを、夫妻はしばらくじっと見ていた。
このケーキは、王都で菓子職人をしているメリッサに頼まれて、セデルが遠路はるばる彼女の故郷に住まう両親に届けに来たものである。本来なら、傷みやすいケーキを配達することなど不可能だ。食材を傷めずに運ぶ術は確かに存在するが必然的にお金がかかり、とてもではないが一介の菓子職人が払えるような金額ではない。お貴族様や大金持ちなら出来るようなものである。
しかし、セデルにはその不可能をお手軽に可能にする手段があった。それが、彼が持つ『収納』の能力である。基本恩恵の『収納』しか持たないセデルであるが、その『収納』が他の人々が持つ『収納』とは少し毛色が違っていたのだ。
収納出来る容量が多いというのもあるが、最大の強みは中に入れた物が時間経過しないということだった。本来そんなことは有り得ない。『収納』の中でも同じように時間は進む筈なのだ。だから、食糧の運搬に『収納』を使うにしても、まずは食材を安全に運ぶ為の準備が必要になる。
けれど、セデルの『収納』はそんな面倒くさいことをしなくとも、『収納』の中に入れておくだけで安全に食糧を運ぶことが出来る。今回はその能力を生かして、傷みやすいケーキを配達するのがセデルの仕事だった。
なので荷物を早く受け取ってほしいのだが、夫妻はどちらも動かない。アレ? とセデルは思った。別にお届け先を間違えたわけではない。エミリーはメリッサからの荷物だとエイダンを呼んだのだ。セデルが手にするそれが、娘からの品物だと二人は分かっている筈である。
そんな疑問がセデルの顔に出るより早く、エイダンが動いた。太い腕がぬっと伸びてきて、そして――。
「……え?」
バタンという大きな音を立ててセデルの目の前で扉が閉ざされた。壊れるのではないかと思うほどの力で扉は閉められ、しかもご丁寧に鍵をかけるガチャンという音まで聞こえた。セデルは扉の外側に放置され、荷物を手にしたまま固まるしかない。
閉められてしまった扉の向こうで、エイダンとエミリーが言い合う声が聞こえる。怒っているエイダンと、それを何とか宥めようとしているエミリーの会話だ。扉に遮られて会話はほとんど聞こえなかったが、セデルの耳にも届いた言葉があった。
「あんな娘の送ってきた荷物なんぞ、受け取らん!」
どういった心境でその言葉になったのかはセデルには分からない。ただ、荷物を手にしたままでセデルが思うのは、ただ一つ。
(……え、もしかしなくても、荷物の受け取り拒否……?)
配達屋として仕事をして数年。未だかつてない荷物の受け取り拒否という最大の壁にぶち当たってしまい、セデルは呆然とその場に立ち尽くすのであった。




