第二十五話 奇術師はいつだってタネを隠さない⑥
魔導局。
現代において魔導師を管理し、国家の戦力として運用する政府組織。
それはすなわち、魔導という時代そのものの象徴だった。
その象徴へ、古びた魔術師の姿をした何者かが火を放った。
爆炎が、魔導局の天井を舐めるように吹き上がった。
けたたましい警報音が鳴り響き、赤い非常灯が点滅する。
受付にいた職員たちは悲鳴を上げ、廊下の奥へ逃げていった。
「避難誘導を急げ!」
「負傷者を下げろ!」
「戦闘班、前へ!」
局内に常駐していた魔導師たちが即座に動く。
慌てふためく一般職員とは対照的に、その足取りに乱れはなかった。
彼らは一斉に、深紅のコートを纏った男を取り囲む。
赤い髪。
古めかしい服装。
燃えるような眼差し。
その姿は、映像や噂で知られる紅の魔術師そのものだった。
「貴様が本当に紅さんなのかは分からない」
部隊を率いる隊長が、低く声を張る。
「だが、ここで暴れた以上、拘束する。全員、魔装展開!」
魔導師たちは迷いなくマギマギアへ魔力を流した。
――だが。
「……あれ?」
一人が目を見開く。
「魔装が、展開しない」
「こちらもです!」
「マギマギアが応答しません!」
局内の魔導具が、ことごとく沈黙していた。
光らない。
動かない。
術式の展開も、通信も、認証も、すべてが遮断されている。
「隊長! 魔導具の使用不可です!」
「なんだと……!」
隊長の顔色が変わる。
その隙を、深紅の男は見逃さなかった。
男が、ゆっくりと手を上げる。
動作に迷いはない。
けれど、どこか人間らしい“溜め”もなかった。
まるで、決められた手順を正確になぞっているかのように。
次の瞬間。
業火が噴き出した。
「ぐあああああっ!」
炎が魔導師たちを薙ぎ払う。
数人が床を転がり、慌てて身を起こす。
隊長は咄嗟に前へ出た。
魔導師の中にも、魔導具に頼らず素の魔術を扱える者はいる。
ただし、魔導具なしでは出力も精度も大きく落ちる。
それでも、今はやるしかなかった。
「第三階位――空気は圧縮し、敵を吹き飛ばす<エア・ジェット>!」
圧縮された空気の塊が、深紅の男へ叩きつけられる。
男の体が大きく後方へ吹き飛んだ。
壁際まで滑り、床を削る。
だが、倒れない。
着地の瞬間、膝と腰がわずかに不自然な角度で沈んだ。
人間なら一瞬体勢を崩してもおかしくない衝撃だったが、男は何事もなかったかのように姿勢を戻す。
隊長は眉をひそめた。
「……?」
違和感を覚えながらも、すぐに追撃へ移る。
「第三階位――空気は圧縮し、敵を貫く弾丸となる<エア・ショット>!」
鋭く凝縮された空気弾が放たれる。
しかし男は、片手を向けるだけだった。
業火が壁のように立ち上がり、空気弾を呑み込む。
炎は勢いを殺さぬまま隊長へ襲いかかった。
「っ!」
隊長は身を捻る。
だが、避けきれない。
爆ぜた炎に吹き飛ばされ、背中から壁へ激突した。
「がはっ……!」
肺から空気が抜ける。
「くそ……魔装さえ使えれば……」
男は無言で隊長へ歩み寄った。
足音が、一定だった。
焦りも、高揚もない。
ただ、目標へ向かって距離を詰めてくる。
そして、とどめを刺すように右手を向けた――その瞬間。
男の手首から肘までが、一瞬で氷に覆われた。
「暴れたい気分なら、いつでも俺が相手になってやるのに」
冷気を帯びた声が、戦場へ落ちる。
「ずいぶんと手間かけてくれるじゃないですか」
白いマントを羽織った男が、廊下の奥から歩いてきた。
マントには、日の丸を思わせる意匠が刻まれている。
倒れていた隊長の顔が明るくなった。
「国家魔導師……国谷正人さん!」
「国谷さん! 奴が現れてから、魔導具が一切使えません!」
「了解っす」
国谷は深紅の男を見据えた。
「本当に紅さんなら俺でもお手上げだけど、偽物程度に遅れは取らないさ」
氷が国谷の腕を覆っていく。
「第三階位――氷は剣に変化し、敵を切り倒す<アイス・ブレード>!」
手の中に、透き通る氷の剣が形成される。
国谷は床を蹴った。
一瞬で距離を詰める。
その速度に反応するように、深紅の男は地面へ手を置いた。
国谷の足元から、業火が吹き上がる。
「第三階位――氷は自身を捕らえ、攻撃を防ぐ<アイス・プリズン>!」
国谷の全身が一瞬で氷に包まれた。
激しい炎が氷塊を舐める。
だが、溶けない。
次の瞬間、氷が内側から砕け散った。
国谷は炎を突き破り、剣を横薙ぎに振るう。
「第三階位――氷は斬撃となり、敵を切り飛ばす<アイス・スラッシュ>!」
鋭い氷の刃が、空間を裂くように走った。
深紅の男は身を捻り、斬撃を回避する。
だが、その時にはすでに、国谷の手にあった氷剣は別の形へ変わっていた。
「第三階位――氷は銃となり、敵を討つ<アイス・ライフル>!」
氷の銃口が、男の肩へ向く。
発射。
氷の弾丸が深紅の男の肩を撃ち抜いた。
甲高い音が響く。
肉を貫く鈍い音ではない。
金属に穴を穿つような、硬く乾いた音だった。
「……は?」
国谷の目がわずかに揺れる。
男の肩から飛び散ったのは血ではなかった。
火花。
砕けた装甲片。
内部から覗く、黒い配線。
それでも男は止まらない。
弾丸の衝撃で地面へ叩きつけられながら、すぐに起き上がろうとする。
国谷はその額へ銃口を突きつけた。
「さあ、チェックメイトだ」
視線を細める。
「正体を現しな」
男は、ゆっくりと口を開いた。
「われ、われは……世界の眼を覚ます」
「……」
「それが、俺の役目だ」
声は紅に似ていた。
だが、発音の端々に奇妙な間がある。
息遣いも、喉の震えも、あまりに薄い。
国谷は顔をしかめた。
「録音機かよ。それ以外喋れないのか?」
直後。
深紅の男の右腕が、不自然に変形した。
「なっ――」
皮膚のように見えていた表面が割れる。
内部の装甲が展開し、腕の骨格そのものが組み替わっていく。
肘から先が、大口径の筒状兵器へ変わった。
国谷が反応するより早く、砲口が火を噴いた。
強烈な鉛玉が、腹部へ撃ち込まれる。
「がはっ!」
国谷の体が大きく吹き飛んだ。
床を何度も転がり、壁際でようやく止まる。
撃ち出された鉛弾が、床を跳ねて転がった。
「あ、あぶねぇ……」
国谷は咳き込みながら体を起こす。
腹部には、寸前で張った氷の壁が残っていた。
貫通は防いだ。
だが、魔術ではなく物理弾だったため、探知がわずかに遅れた。
衝撃までは殺しきれなかった。
「いつも魔装を付けてるから……ゆ、油断した」
国谷は苦笑しながら立ち上がる。
「いってぇじゃないすか、紅さん」
そして、目を鋭くした。
「いや――紅さんの顔をした鉄屑」
冷気が、国谷の周囲に満ちていく。
存在しているだけで、室温が目に見えて下がる。
壁に薄氷が走り、床に霜が広がった。
「さ、寒い……」
隊長が震える声を漏らす。
「なんて魔力だ……」
国谷は今度こそ本気で構えた。
それに応じるように、偽紅の両腕が再び微かに展開音を鳴らす。
両者が同時に動こうとした――その時だった。
床を突き破り、無数の蔓が伸びた。
「な――」
蔓は偽紅の足首、胴、腕へ一瞬で絡みつく。
どれほど力を込めようとも、びくともしない。
火花を散らしながら、偽紅の機体が拘束される。
「さんざん暴れちゃって」
静かな声が響いた。
「どれだけ施設を壊せば気が済むのよ」
一人の女性が、戦場へ足を踏み入れる。
優美な立ち姿。
しかし、その気配は国谷すら一瞬言葉を失うほど鋭かった。
「あ、アリス・ローザンヌさん……」
国谷の声音が、目に見えて弱くなる。
「こ、これは違くて――」
「言い訳しないの」
「……はい」
つい先ほどまで国家魔導師として戦場を支配していた男が、完全に肩を落とした。
アリスは偽紅を一瞥すると、すぐ国谷へ視線を移す。
「それで、被害は?」
「この部屋だけっす」
「ふーん。本当?」
「魔力探知もしてますし、部下に確認しても異常は見つかってな――」
「じゃあ」
アリスは微笑む。
「なーんで地下の保存室が開いてるのかしらね?」
国谷の顔から血の気が引いた。
「な……そんな馬鹿な」
「地下に入るには、俺か局長のパスがいるんですよ」
「まったく。だからハイテクは嫌なのよ」
アリスは呆れたように肩をすくめる。
「やっぱりアナログが一番」
「そんなことより、早く向かう必要が――」
国谷が言いかけた、その時。
何かが床を転がってきた。
ごとり、と鈍い音を立てて止まる。
「う、うわぁ!」
近くにいた魔導師が思わず悲鳴を上げた。
「なんすか、これ……」
国谷が目を細める。
それは、紅の顔だった。
いや、正確には――
紅の顔を模した頭部パーツだった。
裂けた首元からは、血ではなく複雑な配線と金属骨格が覗いている。
頬の一部が剥がれ、人工皮膚の下にある精巧な機械部が露出していた。
「地下にいたやつよ」
アリスは平然と言う。
「あなたがのんきに表で遊んでいる間に、片付けておいたわ」
「こいつも……紅さんの姿をしたロボット?」
「ええ。保存室へ向かっていた」
国谷は舌打ちした。
「囮か。表の一体で俺たちを引きつけて、裏から地下へ……」
「ようやく気づいた?」
「すいません……」
アリスは拘束された偽紅を見下ろした。
蔓に絡め取られた機体は、なおも微細な駆動音を立てている。
炎を放つ機構。
紅の姿を模した外装。
不自然に似せられた音声。
それは人間ではない。
最初から、紅の犯行に見せかけるためだけに作られた舞台装置だった。
「由々しき事態ね」
アリスの表情が引き締まる。
「魔導局が襲撃されただけじゃない。誰かが、紅に罪を着せようとしている」
「……会見、開かないとまずいっすね」
国谷が呟いた。
その瞬間。
壁際の大型モニターが、勝手に点灯した。
「っ?」
それだけではない。
使用不能だったマギマギア。
沈黙していた魔導端末。
局内の大型表示板。
あらゆる画面が一斉にノイズを走らせ、同じ映像を映し出す。
『どうだったかな、諸君』
映像の中で、一人の男が笑っていた。
『俺の名は、坂東源次』
国谷の表情が硬直する。
アリスの目も鋭く細まった。
『まあ、愚かな国民どもは知らないだろうがな』
坂東は愉快そうに肩を揺らす。
『俺は、過去に起こった“大規模魔術暴走事件”の主犯だ』
局内にどよめきが走る。
『政府は愚かにも隠そうとしていたみたいだが……まあ、それはいい』
坂東は笑う。
『あの時は、紅の魔術師によって止められてしまった』
画面が切り替わる。
『だが、今回は違う』
暗い空間に、一人の影が立っている。
深紅のコート。
フードを被った姿。
『なぜなら――』
その人物は、ゆっくりとフードを外した。
現れた顔は、紅そのものだった。
『俺は、この世界を軽蔑する』
録画された声が、静かに響く。
『魔術の本質を忘れ、魔術は便利な道具に成り下がった』
局員たちの視線が、拘束された偽紅へ向く。
人ではないと分かっている。
それでも、映像だけを見れば本物にしか見えない。
『再現性に甘え、唯一性を忘れた者たちに――』
偽紅はゆっくりと手を上げる。
『俺が、もう一度“魔術”を教えてやる』
映像が切り替わった。
先ほどの襲撃場面。
魔導局で火を放ち、魔導師たちを吹き飛ばす紅の姿。
編集された映像には、機械の露出も、人工皮膚が剥がれる瞬間も映っていない。
ただ、紅の姿をした男が魔導局を襲ったという“事実”だけが、都合よく切り取られていた。
『魔導局の襲撃は、あくまで序章だ』
坂東の声が重なる。
『覚悟しろ、世界よ。魔導師たちよ』
画面は、そこで唐突に暗転した。
局内に、重い沈黙が落ちる。
「……まずい事態っすね」
国谷が、乾いた声で呟いた。
だが、その隣で。
凄まじい魔力が噴き上がった。
「っ……!」
国谷が思わず一歩退く。
部屋の空気が震える。
窓が鳴り、壁に亀裂が走りかける。
アリスが、静かに怒っていた。
「わ、私の紅は……」
唇が震える。
けれど、その声は怒りで燃えていた。
「そんなんじゃない!」
放たれた言葉に魔力が乗り、爆風のような圧が室内を駆け抜ける。
誰も声を出せなかった。
国谷は冷や汗を流しながら、恐る恐る口を開く。
「く、国……滅ぼさないでくださいよ」
冗談のような言葉だった。
だが、その場にいた誰一人として、完全な冗談とは受け取れなかった。
*
テレビの映像が消えた頃。
古びた屋敷の一室に、紅は一人佇んでいた。
壊れたテレビの黒い画面に、自分の顔がぼんやりと映っている。
「なるほどな」
紅は低く呟いた。
「どのみち、この俺に罪を着せるつもりだったか」
怒りはあった。
だが、怒りに飲まれるほど老いてはいない。
紅は、すぐに次の手を打った。
「だが、一つ述べておくぞ」
テレビの黒い画面へ、冷たい視線を向ける。
「死んだ者は、生き返らない」
坂東源次を名乗る何者か。
紅を模したロボット。
魔導局への侵入。
世論へ向けた映像。
ここまで露骨に並べられた舞台装置を見てなお、紅はただの復讐劇とは思えなかった。
「ここまでコケにしてくれたんだ」
紅は煙草を咥え、火をつける。
「きっちり返してやる」
ポケットから、古びた携帯電話を取り出した。
マギマギアではない。
時代遅れの、物理的な端末。
紅は登録された番号へ電話をかける。
数度の呼び出し音のあと、軽い声が返ってきた。
『はいよ。紅』
「どうだ、そっちは?」
『今回は面倒だよ』
電話口の声――リリィは、どこか楽しげに笑った。
『なにせ相手は超天才。時間はかかりそう』
「……やはり、裏はあるか」
『うん。やっぱり怪しいよ、あの男』
紅は煙を吐く。
「そうか」
目が細くなる。
「なら、誘導してやれ。国家魔導師どもを」
『了解〜』
「それと、紬にセバスを付けておけ」
『ずいぶんとVIP対応じゃん』
「手のかかるじゃじゃ馬だ」
『ふーん。そういうことにしておいてあげる』
紅は無視した。
「あとは頼んだぞ、リリィ」
『はいよ、紅』
通話が切れる。
紅は携帯をポケットへしまい、屋敷の外へ向かった。
錆びついた扉を押し開ける。
夕方の空気が、冷たく頬を撫でた。
そして、屋敷の前には。
複数の魔導師と、その先頭に立つ国谷正人が待ち構えていた。
「紅さん」
国谷は、いつもの軽い笑みを浮かべてはいなかった。
「あんたを保護させてもらう」
「……」
「おとなしく来てくれないかな」
紅は静かに煙草を吹かす。
白い煙が、二人の間を横切った。
「断る」
国谷は、ほんのわずかに困ったような顔をした。
だが、すぐに目を鋭くする。
「紅の魔術師」
一歩、前へ出る。
「いや――本名、レイモンド・アークロイド氏」
背後の魔導師たちが、一斉に構えた。
「あなたを拘束する」




