第64話 番外編 その後の国内
シレーヌ・ダルクは元はシレーヌ・リトルディア侯爵家の令嬢であった。ダルク公爵令息エリドと婚約を交わしたのはエリドが6歳の頃で、一つ下のシレーヌは一目でエリドを好きになったし、エリドもシレーヌの事を気に入り二人は一目惚れに近い仲の良い婚約者同士になった。
しかしシレーヌは自分より一つ下のエリドの妹、ネリーニの事は好きになれなかった。
「おにいちゃまをあたしから奪うあくじょってあなたでしょ!」
その時ネリーニは4歳であり、まだ淑女教育は始まっていなかったかもしれない。しかし、初対面のシレーヌに「悪女」と呼びかけるネリーニを嫌うのは当然だった。その日からシレーヌは自分の母親やリトルディア家の家庭教師からアドバイスを受け、ネリーニと会わないように心掛けた。
「エリドさま……わたしはどうもネリーニに嫌われているようですわ」
「ごめん、シレーヌ。ネリーニはまだ小さくて……」
「流石にあまりいい気分がしません……会わなくてもよろしいでしょう?」
「ああ、僕が君の家へ遊びに行こう」
そんなやり取りが最初からあった。それからシレーヌはなるべくネリーニと顔を合わせないようにした。しかし年齢の差が一つしかないシレーヌとネリーニでは成長してから学園でどうしても姿を見かけてしまう。シレーヌはなるべく見ないふりをしてやり過ごしたけれど、ネリーニは何を思ったのかシレーヌに良く突っかかってきた。
「フン、侯爵家のくせに生意気なのよ!」
シレーヌは徹底的に無視をしたし、シレーヌの友人……いや、シレーヌのクラスの令嬢令息、むしろ同じ学年の全ての人間が「ダルク公爵令嬢は一つ年上のリトルディア侯爵令嬢に良く分からない文句をいう」と有名になっていた。
「エリド。お前はリトルディア侯爵令嬢と婚約破棄をするつもりなのか?」
「は? 父上。何を突然言われるのです? そんなつもりは毛頭ありませんし、私とシレーヌは良い付き合いを続けておりますが?」
ある日突然自分の父親から言われ、エリドは目を白黒させたが……すぐに気が付いた。
「どうせネリーニがまたありもしない戯言を喚いたのでしょう」
「た、戯言……? しかしネリーニは学園のほぼ誰もが知っていると。シレーヌは色々な貴族令息と関係を持ち、お前を裏切っていると」
エリドは深くため息をつき、首を横に振ってから父親を諫める。
「ネリーニは虚言癖があると何度も言っているでしょう! シレーヌはそんな女性ではないし、そんな事実は一つもない。最近ネリーニは下町で流行っているとか言う低俗な本を好んで読んでいます、その中に書いてあることですよ、間違いなく」
「そ、そうなのか?」
「ならば調べてください。すぐにわかる話です。勿論リトルディア家に権力を笠に尋ねるような事はしておらぬでしょうね?」
「う、うむ……」
この父親のはっきりしない答えにエリドはさあっと青褪め、すぐに事実を問い詰める。
「したんですね!? 信じられない!! ロバート、馬車を回してすぐに先ぶれを出してくれ!! リトルディア家に行く!」
「急ぎます!」
エリドが外套も羽織らず、全速力で馬車を飛ばし、シレーヌのリトルディア家についた時は既に家族会議が始まっていた。リトルディア家では憤慨し、エリドとシレーヌの婚約を本気で解消しようとしていたが、エリドが誠心誠意謝り、少なくない金も迷惑料として払いと手を尽くして、大事には至らなかった事件があった。
「エリドさま、私がダルク家に嫁ぎましたら、申し訳ないのですがネリーニは……」
「遠くへ嫁がせる。そして帰ってくることは許さない」
エリドは硬く約束をしてくれたので、シレーヌはエリドを信じダルク家へ嫁いできた。そしてシレーヌが来た時には既にネリーニはエルファードの元へ行っていて、シレーヌは安心して生活し、子供を産み育てることができた。
「……お可哀想なアイリーン様」
シレーヌ達もその頃はまだ王太子であったエルファードが「愚かなカエル」である事に気が付いていた。そしてほぼ無理やり婚約者にさせられたアイリーン・ハイランドも有名な令嬢である。
「カエルが王でも王妃が彼女なら何とかなる」
貴族達にそういわしめるほど、アイリーンは小さな頃から聡明な令嬢であったからだ。貴族達はなんとか持ちこたえ、アイリーンが産むであろう次代王に期待をかけた。そして年頃の令嬢達が更に胸をなでおろすことがあった。
「エルファードさまぁ」
「ネリーニ!」
エルファードの側妃もほぼ決まった。アイリーンのように無理やり婚約者を捨てさせられ、側妃に据えられるのではないかと年頃の令嬢達は震えていたがエルファードにお似合いの頭具合のネリーニが目に止まったのだ。
「側妃とは言え王家に嫁ぐのなら、もうダルク家に帰る事はない。安心してくれ、シレーヌ」
「ええ……」
エリドもそういい、シレーヌもそう思っていたのに、ネリーニは帰ってきた。ものすごい醜聞を辺り一面に巻き散らして。
「もう他国の方と交流するパーティには顔を出せません、恥ずかしくて恥ずかしくて」
「……そうね」
エルファードが離宮で睡蓮を眺めて、ネリーニが北の修道院に送られたとしても、シレーヌや貴族達の生活は続く。
「シレーヌ様に訴えるのは違うと分かっているのですが、私達一体どうしたら……!」
「……とても申し訳ないわ」
この国から追い出してもシレーヌはあの愚かな義妹に迷惑をかけられ続けている。国内貴族のお茶会ではお茶よりもため息の方が進んでしまい、皆の晴れやかな顔はここしばらく見れそうにもなかった。
「オルフェウス王と新しいダルク公爵が頑張って下さっているのは分かっているのですけれど」
「ええ、本当にこれほどまでに恥を塗られるなんて……」
シレーヌは夫人たちのお茶会で愚痴を滝のように浴びせられ続けている。夫人たちもシレーヌがネリーニと何のかかわりもなく、嫌っている事すら知っていたが、言わずにはいられないのだ。愚痴を言われるためだけにお茶会に招かれる。出なければ出ないで陰口をたたかれる。シレーヌは子供を産んでも華やかな美貌の持ち主だったが、ここ最近はぐっと老け込んでしまった。
「放置したツケがこんなことになるなんてね……」
アイリーンがいなくなりナザール国は以前と同じ豊かさは望めないだろう。けれども貴族という特権階級を捨てて別の国へ移るという選択肢を取る者は少ない。オルフェウス王がまともなのも幸いだ。胃の痛い日々が続くだろうが貴族達はこの国で生きて行くのだ。
「平民くらい自由なら良かったのに……」
そう貴族は呟く。
平民と言えど自由になる訳ではない。
「……隊長、俺は残るっす……婆ちゃんを置いていけねえ」
「……そうだな」
第10騎士団の隊長は部下からそんな報告を受けていた。間違いなくナザールでの生活は厳しくなるだろうが、これから知らない土地で暮らす事は年寄には耐えがたいことだ。騎士団の中でも何人も何人もそう決める者が出てきた。
「俺んちは兄弟が多くって金がかかるから……俺が仕事を失うわけにはいかないんです」
「そうだな……」
そして第10騎士団の隊長はこの国に残った。新王のオルフェウスが直々にやってきて、頭を下げた事もある。
「……あの頑張り屋さんの元王妃さんが作ってきた国だしな……きっとあの人の事だ、こんな国でもボロボロになって無くなったら悲しむだろうよ」
「そうっすね」
残った副隊長と街を眺める。まだ困窮の波は緩やかだが、これからどんどん暮らしにくくなるはずだ……それでもここで暮らして行かなきゃいけない者も多い。
「なんとか上手い具合に生きて行かなきゃならんなあ」
「ホントっすね。なんか上手いこと考えてくださいよ」
「いざとなりゃああのお優しい元王妃様に助けてくださいっていいに行くよ」
「お? 国ごと助けてくださいってですかー? そりゃ剛毅だ!」
第10騎士団は街の人々の平和を守る事だ、アイリーンが残して行った国民たちをできるかぎり守ってやる、それが仕事だからだ。
終




