第29話 その沈黙が恐ろしい(王妃が去った国
磨き抜かれたグラスに注がれるワインもなく、ナザール国の建国祭は始まった。誰も何も言わない。まるで去年と変わらぬ和やかな空気の流れが、ナザール貴族達を更に震え上がらせた。何故誰も文句や嫌味の一つも言わないのか。その沈黙が何より恐ろしい。
いつもなら暖かい物、冷たい物とバラエティに富んだ料理が次々と運ばれてきて、皆の目を楽しませる。ワインやエールなどはグラスが空になる事などないくらい侍従やメイド達が気を使い声をかけてくる。着飾った騎士達も並び立ち、悪酔いをした者を介抱したり、軽い怪我やめまいなどを起こしたご婦人方を医務室へ運んだりしていた。
それなのに今日は最初に用意されていた冷菓がなくなるとそれ以降、食事の追加はなく、酒類だけでなくジュースや水にも事欠く次第で最初から用意もされていない。並び立つはずの騎士達もおらず数人忙しそうに走り回っているが、誰も式典服すら着ていない。
何もかも出来ていない、誰が見ても最低なパーティ会場だった。そして輪をかけて酷いのが国王夫妻なのが笑いすら醸し出していた。
王であるはずのエルファードは笑ってはいるが覇気がない。侍従はそれが空腹から来るものだと知っているが、そんなくだらない理由で落ち窪んだ目をしているとは誰も気づかない。もし、その真実に気づく者がいたら腹を抱えて大笑いしただろう。年に一度の建国祭の来賓の前でしょぼくれた顔を晒すなど。
隣に立っていたのがアイリーンなら、何とか助け舟を出す……いや、客達はエルファードの様子など気にせずアイリーンとの会話に花を咲かせているだろうが、今日は話の分かる賢妃はその嫋やかな姿を見せる事は絶対にない。
代わりにしょぼくれた王の隣に立つのは客達が眉根を顰める元側妃の女性だ。申し訳ないが周りからは可哀想な者を見る目で見られている。顔と髪の毛だけは恐ろしく手の込んだ装飾を施されているのがさらに痛々しい。
元の顔色が分からないほど化粧で塗り込められ、陶器人形のような作り物の肌に際立つように目の周りは黒く縁取られている。同性が見ても「やり過ぎ」の上にそんなに濃くしなくても、と扇で視線を遮りたくなる真っ赤な唇。
夜の街角で体を売る娼婦より赤いのでは? と思われる下品さを漂わせている。誰か止めなかったのか、客観的判断をする者はいなかったのかと。
そしてその厚い化粧と盛りに盛り切った巻き髪に似合わない清楚な白いドレス。ドレスもサイズが合っていないことが丸わかりで何とも見苦しい。
「もしかして、あれは」
「ええ、間違いないですわ。きっとアイリーン様がご自分用に用意したドレスを無理矢理着たのですわ」
「ああ、なるほど。だからあんなにコルセットをきつくしなくては入らなかったのね?」
男性には気づかない事でも、同伴でやってきた女性達の目には丸わかりだ。あのドレスはこの女性の為に仕立てられたものではないと。
「お苦しそうですわ。あれでは1時間も立って居られないのでは?」
顔色はよく分からないが笑みが不自然だから無理をしているのが分かってしまう。
「長さも長過ぎで……メイド達が手直ししたのでしょうが……あらあら、裾を踏みそうね。淑女としては失格よね」
「きっと靴も合っていないのでしょうね。無理せず踵の低い物をお召しになれば良いのに」
「ふふ、きっとアイリーン様に全てにおいて負けたくないのでしょう。勝っている所など最初から何一つないのに」
彼女達もアイリーンを好いていた。夫や婚約者は外交に忙しく、彼女達を放って置きがちだ。女性目線でその事に気づいたアイリーンは頃合いを見計らって、女性達を休憩出来る別室を用意していたのだ。
自由に座れ、軽食や華やかなスイーツを用意し、さらに商人を呼び寄せていた。
「今日は高貴な美しい方様に商品をお見せしたくやって参りました」
「あら? これが下町で流行っている物ね?」
「何かお気に入りの品があれば是非お持ち帰り下さいませ!」
「あら、無料で持ち帰っていいのかしら?」
「ええ! 皆様に手に取っていただける事こそが喜びです!」
無料と流行に目がないのはどこの国でも同じだったからこの試供品配布はナザール経済に貢献していた。勿論代金はアイリーンが個人資産から払うと言うが、商人には「あの国の王妃も使っている!」と言う実績の方が売上に繋がる。逆にアイリーンに金を払う始末であった。
そんな事をネリーニは知らない。だから準備などしているはずもないし、昨日のうちに沢山の配布品を準備していた商人達にはアイリーンの計らいで謝罪と通達が回っていた。だから一人として城に来ている者はいない。それより彼らは今必死で情報を集めている。
「アイリーン様がマルグ国に?! うちの支店はあるか?!」
「ないだあ?! 今すぐ土地を押さえて店舗を作れ! ナザール本店? ああ、閉店だ、閉店。本店はこれからマルグだ!!」
「引越しだー! 荷物を纏めろ!」
大きな商会から小さな商会まで、大忙しになっていた。




