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柳里の華  作者: 伯修佳
13/13

 倉嶋鷹信は一命を取り留めた。


 半月が経過した頃には動き回れるまでに回復し、それを見届けて香月は研医殿を去り、荷物を取りに一旦皐乃街に戻る事となった。玲彰が去り際に言った捨て台詞めいたものが功を奏したのか、戻っても別段咎められはしなかったので──暖かく出迎えられたわけではないが──罰を恐れていた香月は内心大いに安堵した。事実上、身請けは成立してはいるものの、楼主らに罪をあげつらわれる可能性も皆無ではなかったので。

 久方振りに戻った皐乃街は、未だ例の騒ぎの噂で持ち切りだった。中でもひとしきり話題に上ったのが、河西が葉山殺害の手助けをした、という話だった。ひどく拡張され、ある話では希代の悪女の如く罵られ、また別の話では惚れた男に尽くしたとして同情と涙を買ったりもしていた。

 事件の渦中にいた香月が寿楽に戻った事によって、熱は一層高まったらしかった。質問責め、はれ物に触れる様な人々の態度、いずれも堪え難いものではあったが、河西の話は最も彼女を打ちのめした。寿楽を追われ、切見世に下げられたと言うのだ。


「間接的にせよ、人を殺す手助けをしてしまったのだからな……人の噂は時が経てば、いずれ消えるものだが、皐乃街でなくとも罰せられていただろう」


 戻った翌日、彼女を迎えに来た鷹信は重々しくそう言った。治療の為しばらく飲食がろくに出来なかった事もあり、まだ幾分やつれが顔に目立つ。それでも遠慮する香月の迎えを当然の様に買って出た。

 鷹信の言いたい事はわかっているので、素直に頷きはしたものの、それでも──と彼女は思うのだった。これが外の世界だったら、せめて労役などで済んだのではないかと。

 看板遊女を殺された、店の恨みは計り知れないと聞く。楼主は河西の年季が明けるまで、只働きにしたとか──噂なので定かではないが、もしそれが本当だとしたら彼女は未来永劫この街から出られないも同然なのだ。


──尾上を──義方を好きになったばっかりに。


「……か?」


「えっ……あ、はいっ」


 呼ばれている事にすぐには気付かず、香月は慌てて顔を上げた。


「荷物の整理はついたか? 終わったのならそろそろ人を呼ぶが」


「は……はいっ」


 赤面して答えると、彼はほんの少し寂しそうに微笑んだ。部屋の隅に控えている禿に向かって声をかける。


「大門に控えているから、呼んで来てくれないか」


 そこでふと考え付いた様に、


「あまり急がなくていいから、ゆっくり来いと伝えてくれ」


 祥は不思議そうな顔をしながらも、歯切れ良く返事をして静かに部屋から出て行った。


「鷹信様……?」


「ああ、いや。少し名残惜しい気がしてな。敢えて供の者を置き去りにして来たのだ」


 彼は照れた様に笑った。


「其方にとっては──辛い思い出が多かっただろうか」


 香月は答えなかった。


「……鷹信様、尾上についてお聞きしてもよろしいですか」


 代わりに問い返す。鷹信は別段気にする素振りもなく、頷いて話し始めた。


 尾上が刑吏府へ護送する途中、車から逃げ出した事。禿の環もまた騒ぎに乗じて逃亡したままな事。一日半が経過した頃、王都から離れた侯国の町外れで、尾上だけが死体となって発見された事。


「では……あの人もまた、口を封じられたのでしょうか」


「恐らくはな。刑吏府の者達が躍起になって禿の行方を探しているが、見つからぬままだ。侯国のいずれに潜んでいるものか……手配書を回して全ての宿を検めもしているが。難しい所だ」


「殺された、という事はないでしょうか」


 彼は香月の眼差しを受けて、少しの間黙り込んだ。


「いや……」


「何かあったのですか?」


「これは私個人の推測なのだが」


 言って視線を窓に向けた。窓から見える、綽花の木の枝葉の辺りに。


「環というあの禿は、尾上の監視役だったのではないかな」


「監視役?」


「瑯華祭の時、捕えた刺客の一人が言っていたのだ。『死神はまだいる、永遠に逃げられはしない』という様な言葉だった。あの時はてっきり、尾上だけの事だと思っていたのだが」


 葉山を尾上が殺した様に、その尾上を環が殺したのではないか。


「環が共犯ならば、葉山の花糖菓をすり代えるのは格段と容易になるだろう。後の事を考えなければ、私にする様に毒を仕込めさえする。現に」


 なぜか鷹信は唐突に言葉を切った。


「どう、なさったのですか?」


 明らかに次に言うべき事を躊躇っている様子だった。


「いや──その、河西が」


 名前を聞いた途端、香月の面が曇った。


「すまない」


 申し訳なさそうな鷹信に彼女は笑って見せる。


「……いいんです。姐さんの事を省いたら、説明なさりにくいでしょう」


「それは……確かにそうなのだが」


 後日憲兵詰所に連行された河西が、尾上が環と会っているのを見たと白状した、と鷹信は続けた。


「心中騒ぎで河西が不調を訴えていたのは実は最初の二、三日だけだったそうだ。葉山の隣の部屋に居座り続ける為に、後は仮病を使ったと」


 そして花糖菓を葉山から言われて買う時、環は尾上に渡す分と二つ買ったらしい事も、河西は二人の会話から知っていた。尾上が毒をそちらに仕込み、後日環に渡していたと言う。


「柄樽を送ったのも彼女だったのだ。葉山の部屋から持ち去って処分したのもな。惚れた弱みで、目的を知りつつも止められなかったと」


「……河西姐さんが」


 香月の脳裏に、彼女の夏の空の様な笑顔が浮かんだ。恋しい人を思う、甘く優しい表情も。


「姐さんは……利用されていただけだったんでしょうか」


「香月」


「そんな事ない、と思います。きっと、少し位はあの人も──姐さんの事……っ」


 涙が溢れて、止まらなくなった。

 鷹信は黙って近くに寄りそうと、懐から布を取り出して彼女の頬を伝う雫を拭う。抱締め、あやす様に頭を撫でた。


「以前にも、こんな事があったな」


 答える代わりにさくり上げる音がする。


「初めて会った時──あの夜も、其方は泣いていた」


 満開の花の下で、絵から抜け出た様な鷹信の姿。

 香月もまた、色鮮やかに思い出していた。


「お客が……取れない自分が情けなくて……。三日後には切見世……に、移される……と言われて、ました」


「では私は運が良かったのだな。其方が人気者の遊女なら、恐らく声をかける事はなかっただろう。そしてあの時、環に殺されていた」


 抱き締められたまま、香月は顔を上げる。間近にある彼の顔が、柔らかく微笑んだ。


「どんなに礼を尽くしても、返しきれない恩を受けた。辛かったろうに……よく、頑張ってくれたな」


「そんな……」


 ようやく乾いた瞳が、感激の涙で再び潤む。

 この人を救いたいと、必死で思った。それだけだったのだ。


「私を救ったその術を、今度は世の全ての病める人々に与えてくれ。玲彰様も仰っていたよ。研医殿に其方の椅子を用意して待っているから、一日も早く登殿する様にと」


 零れる涙の雫もそのままに、香月は笑んだ。研医殿を去る時、玲彰は彼女に薬処方局の長になってくれと告げてきたのだ。

 研医殿と王宮──少々離れてはいるが、寿楽で彼を待つ日々に比べれば。

 己が望んだ道で、この人の手助けが出来る。それはとても幸せな事だ。今はそれだけでいい。


「……はい。全力で、勤めさせて頂きます」


 鷹信もまた頷く。


「私の家は王宮程ではないが、空き部屋がたくさんある。其方の勉学の妨げにはならないだろう」


 えっ、と短く声を上げる香月を彼は不思議そうに見返した。


「どうかしたのか」


「妾は研医殿の宿舎に入るのでは」


「──ああ」


 鷹信はほんの少しだけ決まり悪そうな顔をした。手を離して立ち上がり、窓際まで移動する。


「確かにあそこには宿舎もあるんだが……」


 わざとらしく咳払いした。


「その、其方も最初から見知らぬ人間ばかりでは何かと大変だろうし……まあ、私も其方の琴の音が聴けないのは惜しいと思って、だな」


 何故かこちらを見ようとしない。


「いや、もちろん其方が望むなら入舎の手続きを取るが」


 ぼそりと付け加えた。


「──ありがとう、ございます」


 涙混じりの声。ようやく彼は香月を見た。花開く様な、愛らしい笑顔だった。


「妾も、鷹信様のお傍の方が嬉しいです」


 鷹信の顔に、安堵の表情が一瞬浮かんだ。冷静さを装ってまた一つ咳払いをする。襖の方を見ては「迎えが遅いな」などと言うので思わず香月は吹き出した。


「ゆっくり来い、なんて仰るから困ってるのかもしれませんよ」


 彼も笑った。


「それもそうだな」


 二人が会話を止めると、窓の外から様々な音が流れ込んで来た。人々が会話する声、働く音、わずかな風に揺れる、緑豊かな木々の葉ずれの音。


「琴を弾いてくれないか。寿楽で聴く最後の曲を」


 彼は片膝を立てた格好で窓際に座った。いつもの様に。


「どの様な曲に致しましょう」


 香月も同じ様に問い返す。


「いつもの通り、其方の弾きたいものを」


「承知致しました」


 躊躇う事なく弦に指を乗せた。


「では、寿楽踊を」


 遊廓から生まれて、遊廓で命を終える歌。明るく勇ましい、それでいてどこか哀しげな調べ。彼女の指先から紡がれた音が明澄な楽の調べとなり、部屋を満たし流れていった。


※※※※


 絢爛を誇った綽花の樹は、今は緑が目に鮮やかだった。

 香月は思う。綽花を見る度にきっと思い出すのだ、華々しくも残酷だったこの世界の事を。花の様に潔く生きて、はかなく散っていった人達の事を。

 来年の春、樹はまた盛大に花を付けるだろう。例え冬に全てが枯れ落ちたとしても、それは決して終わりではない。雌伏の時なのだ。


──花ではなく、樹であれば。


 生きてそこにある限り、彼らはずっと待っている。いずれ来る、咲き誇る春を。




                        ─了─


この作品は、最初に書いてより何年も寝かせては改稿を繰り返したものです。


某公募に応募したのですが、落選。


そこからまた肉付けを行って現在に至ります。


続編を現在、別館をメインにて更新中。少し遅れる形でこちらに投稿しております。


ではまた、続編「禄遒の奏」で、皆様のお目にかかれますように。

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