5.花咲く国のお茶会
手入れの行き届いた広大で美しい庭園の片隅にある温室の中で、ミレーユはティーカップを傾けていた。そろそろ冬が終わるとはいえ、北国の風はまるで氷の刃のように、冷たく鋭い。日中はまだ幾分かマシだが、夜になるとその厳しさはさらに増す。それでもこの温室の中だけは、年中暖かく、過ごしやすい温度に保たれていた。ミレーユはそこで薔薇の花に囲まれてお茶をするのがお気に入りだった。
彼女の瞳のように真っ赤で華やかな薔薇をはじめ、黄色や白、ピンクといった多様な色の薔薇の花が咲き誇る温室。
「姫様、お茶会の招待状がいくつか届いていますよ」
傍らに控えていた専属メイドのアステリアが何枚かの手紙を抱えている。その手紙の束を横目で見ただけで、ミレーユはふいとそっぽを向き、「行きたくないわ」と、突っぱねた。そんなことだろうと思った、と言わんばかりに、アステリアは笑う。そうして手元の手紙の束に視線を落とす。この国の姫にお近づきになりたい令嬢たちからの誘いの手紙ばかりだ。
涼やかな目元、そしてクールな性格から、ほんの少し近寄りがたいイメージも持たれている。そのせいかほかの令嬢との関わりが極端に少ないのだ。
もう少し他の方とも友好関係を結んでもいいのだけど、と、アステリアは思う。まるで警戒心の強い猫のようだ。そこが好きなんだよ。と、婚約者であるレオンハルトが言っていたのを思い出す。やがてアステリアは、花の紋で封がされた一枚の封筒だけを抜き取った。
「姫様、ベアトリス王国のフロレンティア王女殿下からのお誘いも断りますか?」
「…フローレンから?見せて」
ぴくりと反応を示したミレーユは、アステリアから手紙を受け取る。さっと内容に目を通すと、少し思案したのちに、手紙をアステリアに返した。
「フローレンが個人的に春の訪れを祝うためのお茶会を開くそうよ。」
「もうすぐ春ですものね」
「春を祝う、なんて言っているけれど、どうせあの子、単純に遊びたいだけでしょう」
「……」
アステリアは他国のかの王女のことを思い浮かべ、否定はできないなぁ、と、苦笑いを浮かべた。呆れた雰囲気のミレーユだが、行かないわ、とは言わなかったことに気づいている。アステリアは再度尋ねた。
「参加されますか?」
「………そうね、まぁ、行ってあげてもいいわ」
「ふふ。」
「なによ」
「姫様ったら素直じゃないなぁと思って」
「うるさいわね!……返事書くから便箋持ってきてちょうだい」
「はい。便箋ならここに」
もうすでに用意されていた便箋と筆を見て、ミレーユは抜かりないわね、と、目を瞬く。そうしてペンを取り、さらっと返事を書くとアステリアへ渡した。ベアトリス王国へ送ってちょうだい、との命に、恭しくお辞儀をしたアステリアはその場から静かに離れた。一人残ったミレーユは、ふぅ、と小さく息をつき、薔薇に目を移した。温かい温室の中に咲き乱れる薔薇の花は、友人からの贈り物でもある。見事な花を咲かせたこの薔薇園は、そういえばまだ彼女には見せていないのだっけ、と、ぼんやりと思う。
「……たまには、誘おうかしらね」
小さく呟きながら、ミレーユは専属メイドが戻ってくるのを待った。
————……
やがて季節は冬から春へと移り変わった。スノウベル帝国も、まだ冬の気配を漂わせつつも風が春の匂いを運んできたり、花が咲き始めたりと、少しづつ春に向かっていた。
暖かな日差しが降り注ぐよく晴れた日。ミレーユはアステリアと護衛騎士数名をお供に、ベアトリス王国へと馬車を走らせていた。以前招待を受けたお茶会に参列するためだ。名目上は春を祝うためということから、春らしさを感じさせるような柔らかく明るい色味のドレスに身を包んだミレーユは、白銀から色鮮やかな世界に変化する景色を眺めていた。
ベアトリス王国。「幸福と祝福」に満ちた国。
花と緑が豊かなその国は、まさに春のような、柔らかく暖かい国だった。ベアトリス、という国名は、古語で「幸福をもたらす者」「祝福された者」という意味を持つ。そのことから「春は大地に幸福をもたらす」という思想が強まり、国名がベアトリスになったと言われているそうだ。花咲く幸福の国と言われ、他国からの人気は高い。
スノウベル帝国とはまるで異なる文化を持つ国だが、友好関係にあるため、なにかと交流の機会は多い。
馬車から降りると、一気に春の匂いに包まれた。
スノウベルとは違う暖かさ。何度訪れても慣れないものね、と、内心苦笑いを浮かべた時。
「スノウベル帝国第一皇女、ミレーユ皇女殿下でございますね。お待ちしておりました。」
メイドたちがずらりと並び、一斉に彼女に向かって首を垂れる。恭しい挨拶に、ミレーユはええ、と、短く頷いた。
「フロレンティア王女殿下がお待ちです。さっそくご案内いたします。」
こちらにございます。と、メイドに案内され、庭園へと続く道を歩いた。美しい花が咲き乱れる見事な庭園に、アステリアもミレーユも目を奪われる。
「相変わらず見事な庭園ね」
「お褒めに預かり光栄でございます。」
色とりどりの花が満開に咲き誇り、そこかしこで甘い香りの漂う庭園の奥にガゼボが見えてきた。どうやらここがお茶会の会場らしい。数人の令嬢たちの中の一人が、ミレーユたちに気がつくとぱっと顔を明るく輝かせ、立ち上がった。華やかなチェリーブロッサムの髪が、ふわりと揺れる。彼女こそが、このベアトリス王国の第一王女だった。フロレンティア・シュトリン・ベアトリス。豊かな髪が、柔らかく風に舞い、ふわりふわりと踊る様が美しく、まさに春に祝福されたような姫君だ。フロレンティアは、ドレスの裾を持ち上げ、優雅にお辞儀をした。
「遠路はるばるお越しいただきありがとうございます。ミレーユ・フロスティ・スノウベル皇女殿下。心より歓迎いたしますわ」
「ごきげんよう、フロレンティア・シュトリン・ベアトリス王女殿下。お招きいただき光栄ですわ。」
ミレーユも同じようにドレスの裾を持ち上げ、優雅にお辞儀を返す。顔を上げた二人の視線がかち合う。
ルビーの瞳のミレーユに対し、フロレンティアの瞳はアメシスト。すみれの花のような、優しい色合いをした美しい瞳だった。二人は目線だけで会話をしているような、そんな意味深な微笑みを浮かべながらも、他の令嬢とも形式的な挨拶を交わしたあと、それぞれ席に着く。複数人のメイドたちがお茶とお菓子の準備を進めるために慌ただしく動き出す。
「フロレンティア王女様とミレーユ皇女様とこうしてお茶ができるなんて夢のようですわ…!」
「ほんとうに!お会いできて光栄ですわ!」
数人の令嬢たちが、うっとりとした様子でミレーユとフロレンティアを眺めた。心の底から、二人と共にお茶会ができることを光栄に思っている顔だった。隣国同士の王族が二人も揃ったお茶会は、令嬢たちにとっては夢のような瞬間で、一生の自慢にもなるほどに価値があるものだった。
「ミレーユ様は普段あまりこういった場には参加してくださらないものねぇ。わたくしも断られると思っていたから、本当に嬉しいですわ」
「……」
フロレンティアの少し意地悪な物言いに、ミレーユは横目で軽く睨む。しかしそれは全く効果はなく。それどころかうふふふ、と、楽しげに笑う始末だ。令嬢たちが和やかに会話に華を咲かせているうちに、テーブルの上が彩り豊かになっていく。銀製の美しいティースタンドに、繊細な模様が描かれたティーカップ。カラフルなお菓子たち。甘い香りが立ち込める中、お茶会は緩やかにスタートした。




