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プロローグ 「薄氷の少女」

見えるものに惑わされないで……。


この手から伝わってくる体温で、十分つながっていると伝わるから。

だから、どうか離さないでください、なくさないでください。


その絆も、思い出も、今、信じているその想いも、ずっと変わらずかけがえのないものだから。


大切に、胸に刻み込んでいてください。


さぁ、もう大丈夫。私には、本当の君が見えているから。


たとえこの目に光が灯らなくても、見えるものがあるの。


だから……。


どうかそれを信じて、私を見ていてください。


この、白い病室から抜け出そうとする私の姿を。



 前田郁恵(まえだいくえ)という新しい入院患者を見た時の第一印象は、今にも溶けて消えてしまいそうな、儚さと美しさを兼ね備えた少女という印象だった。

 アルビノと言われても違和感のない青白い肌、光を宿さない瞳、艶やかな黒髪、血管の浮き出た、やせ細った手。どれも全部、私には彼女がここにやって来ることになった動機に思えた。これは、そんな郁恵と出会った頃の話だ。

 病院の中でも特に見晴らしのいい場所。椅子や机があるエントランスで、いつものように郁恵は窓の外にある遠くの景色を、一人静かに眺めていた。

 八階に位置するこの階は見晴らしがよくて、近くのショッピングセンターから遥か遠く先に連なる山々まで眺望することができる。この街の栄えた部分も、自然の美しさも両方味わえる、飽きのこない場所なのだ。

 周りに対して、感情を表に出すこともなく佇む無気力な少女。しかし、顔立ちは私から見ても整っていて、郁恵は静かにしているとよくできた日本人形のような、透明感のある、儚さを帯びた可憐さがあった。そんな彼女をよく見かけるようになり、病院生活の退屈さや、私と年が近いこともあって、次第に気にかけるようになった。

「郁恵ちゃんにはされたら嫌なこととか、苦手なことってある?」

 それは私にとって会話を続けるための、ほんの思いつきで繰り出した些細な問いに過ぎなかった。郁恵は人見知りで、自分から話しかけようとすることもなく、病弱な身体のこともあって心を開かない、近寄りがたい存在だった。でも、おじいちゃんおばあちゃんばかりで、この病棟に年の近い相手なんていなかったから、私はできれば郁恵と仲良くできたら、友達になれたらって思っていた。

「人から愛されないことかな」

 郁恵は最初からその答えを準備していたのかと思うほど軽い調子で即答した。

「どうして?」

 私は衝動的に尋ねた。きっと、その時の私は幼かったのだと思う。相手の気持ちを考えずに、そんな風に人の心に踏み込んでいくのは無神経なことで、迂闊だった。

「私って一人じゃ何もできないから。だから愛されていないと生きていけないんだ」

 郁恵は乾いた唇で、物悲しそうにそう答えた。その目が光を失っていることが余計に私の心をざわつかせた。もっと会話を続けられるようにと思って放った言葉が空虚に流れていく。それから元気づけようと励ましの言葉をかけたけど、そんなことは今の言葉の本質を知れば意味のないものだと後で気付かされた。

 人づてに聞いた話によれば、郁恵は父親の再婚相手から酷いネグレクトを受けていたらしい。父親は出張で家を空けることが多くて、その再婚相手と二人きりでいることが多かったのだと。

 よく知りもしない大人の女性との二人きりの共同生活。それは郁恵にとって不幸な災難だった。私にはそれがどれほど大変なことだったのか、どれほど郁恵は辛いことに耐えながら生きてきたのか、どれだけ想像しても足りないくらいだった。人間不信になってもおかしくない、そんな重い経験を抱えながらも、郁恵は話し始めると私に優しかった。

「真美ちゃんの手は温かいね。私、真美ちゃんがいてくれたら寂しくないよ」

 その言葉は同じ病室で暮らす私を勇気づけてくれる、とても嬉しい言葉だった。コミュニケーションを取ることで、段々と笑顔が増えていく郁恵の姿を見て、私も温かい気持ちになった。

 私はこの子を……。郁恵のことを心から大切にしようと決意した。きっと、郁恵は誰かに見捨てられていいような子じゃない。優しくて思いやりのある子だと思ったから。

 この時から、私はこの子をいつか、この鳥籠から救い出して、外の世界を自由に歩かせてあげたいと、強く願うようになった。


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