第48話 香炉の向こう
ヴァルターは香炉を運ぶ侍従を、一定の距離を保ちながら追った。
怪しまれないよう、廊下を歩く速度を合わせた。
侍従は玉座の間から内廷へ続く廊下を進み、皇帝私室へ向かう方向へ歩いていく。
内廷の手前で、ヴァルターは足を止めた。
公爵家嫡男でも、許可なく立ち入れる場所ではない。
侍従は奥へ消えた。
それ以上は追えない。
だが、内廷の入り口周辺には複数の者が出入りしていた。
侍医の助手とおぼしき若い男。
薬師の見習い、もしくはその使いか。
香料係らしき年配の女性。
普段は複数の職域が絡み合う場所だと分かる。
ヴァルターは香料係の女性が荷を整理しているのを見かけ、自然な形で声をかけた。
「ご苦労様です。皇帝陛下のお部屋には、よく伺うのですか」
「はい、香料の補充と確認が、週に数度ほど……」
女性は警戒せずに答えた。
「最近は——どのような香を使われているのですか」
「主に、鎮静のための香ですね」
女性はそう言ってから、少し迷う様子を見せた。
「陛下が、近頃はお眠りになりにくいとかで……それで、頻度が増えています」
「頻度が」
「ええ。以前は儀礼的なものが主だったのですが」
女性は声を低めた。
「ここ数年で、急に変わったと、古い方々はおっしゃっています」
ヴァルターは穏やかな表情を保ったまま、続きを促した。
「どのくらい変わったのでしょう」
「以前の倍以上は焚いているかと……宮廷儀礼の記録の方に管理が移ってからは、詳しい量は私には分かりかねますが」
宮廷儀礼の記録。
正式な医療記録ではなく、儀礼の記録として管理されている。
それが何を意味するか——
追いにくくするためだ、とヴァルターは判断した。
医療記録であれば、侍医の承認が必要になる。
儀礼記録であれば、別の系統が管理する。
会話を自然に切り上げ、その場を離れた。
廊下の端で、女性が独り言のように呟いたのが、耳に届いた。
「昔はこんなに焚かなかったんですがね……ここ数年で急に」
ヴァルターは廊下の角を曲がりながら、その言葉を頭に刻んだ。
香の使用量が急増した時期。
皇帝の判断力が鈍り始めた時期。
その二つが、おそらく一致する。




