第25話 善意の失敗
ヴァルターは試みた。
小さな不正を、あえて見逃すことを。
以前の自分は、細かい礼儀違反や軽微な規則無視にも、冷たく指摘した。
そうすることが正しいと信じていたからだ。
だが今回は、そうしなかった。
廊下で下級貴族が礼を省略しても、何も言わなかった。
宮廷行事で遅刻してきた文官を、見ないふりをした。
飲み食いの持ち込みが禁止されている部屋に、誰かが間食を持ち込んでいたが、退出した。
「見逃す公爵令息」が積み重なれば、少しは柔らかい印象になるかもしれない——
そう期待した。
* * *
三日後、ヴァルターは結果を知った。
下級貴族の間に、こんな噂が広がっていた。
「クラウゼ公子が最近、細かいことに口を出さない。おとなしくなったのかと思ったら、逆だ。何か大きな仕掛けをしているから、小さなことで目立ちたくないらしい」
「表では怒らない方が怖い。腹の中でずっと溜めているに違いない」
「使用人を使って裏で動いているという話だ。直接手を出さないだけで、以前よりずっとひどいことをしている」
* * *
ヴァルターは廊下で立ち聞きした侍女の会話からそれを知り、足を止めた。
(変えようとするほど、別の像に変わる)
評判というものは、積み重ねた印象の上に成り立っている。
長年「冷酷で直接的な男」として認識されてきたヴァルターが、急に「怒らない」状態になれば——柔らかくなったとは受け取られない。
「隠している」と受け取られる。
それが今の自分の限界だ。
* * *
悪評を変える試みを続けることに、どれほどの意味があるか。
ヴァルターは、改めてゼロから問い直した。
処刑を回避するために必要なのは、好かれることではない。
それはep5の頃にも一度確認した。
だが今の自分は、再び「善人に見られれば助かるかもしれない」という方向へ引き戻されていた。
直さなければならない。
* * *
その夜、ヴァルターの部屋に匿名の封書が届いた。
今度は玄関で受け取られた。
宛名だけが書かれた、封蝋のない簡素な封書だ。
ヴァルターは開けた。
中に一枚の紙。
走り書きではなく、整った字で短く書かれていた。
「ヴァルター=エルンスト=クラウゼ。近日中に宮廷内で、あなたの名を冠した告発文が出回る予定です」
それだけだった。
差出人はない。
* * *
ヴァルターはその紙をしばらく見た。
警告だ。
だが誰が送った。
以前の手紙とは筆跡も封の形も違う。
送り方も違う——今回は玄関で受け取られた。
前回は室内に直接置かれていた。
別の人物か。
同一人物が意図的に形を変えたのか。
確認できない。
だが内容——「告発文が出回る」——これは検証できる。
ヴァルターは翌日、さりげなく宮廷内の情報収集を始めた。
告発文が既に動いているかどうか。
答えは、すぐに分かった。
もう動いていた。




