第21話 笑みの奥
「薬湯記録、ですか」
カインはわずかに眉を上げた。
演技だとは分かっている。
それでもカインの「驚き」は、いつも自然だった。
「皇帝陛下の薬湯記録に不備があると聞いた。確認の必要があると判断した」
「なるほど」
カインは特に追及しなかった。
二人は保管庫の扉の前に立ったまま、しばらく穏やかな会話をした。
夜会の話。宮廷の政務の話。来月の行事の話。
どれも表面的な内容だった。
ヴァルターはカインに合わせながら、同時にカインの言葉の構造を分析していた。
何を聞き出そうとしているのか。
ヴァルターの動揺を見たいのか、それとも何か具体的な情報が欲しいのか。
判断がつかなかった。
* * *
カインはやがて話題を変えた。
「ところで、最近のお前は以前と少し変わったな」
「そうですか」
「うん。前はもっと直接的だった。腹が立ったら言う、正しいと思ったらやる。今はなんというか——ずいぶん慎重になった」
その言葉はさりげない。
だが、「以前の君を知っている」という主張でもある。
「歳を取れば人は変わります」
「そうだよな」
カインは笑った。
「俺は変わらないけど」
その笑みには、何も読めなかった。
* * *
「じゃあな、ヴァルター。薬湯の件、上手くいくといいね」
カインは手を振り、廊下の向こうへ去った。
足音が完全に消えてから、ヴァルターは保管庫の扉を見た。
確認すべきことがある。
扉の鍵穴に、ゆっくりと視線を落とした。
* * *
気づいたのは、細かい傷だった。
鍵穴の周囲の金属面に、同じ角度の引っかき傷が複数残っている。
これは一度や二度の話ではない。
少なくとも数回以上、この鍵穴に道具が入れられた跡だ。
ヴァルターは内側に入っていた。
だが、自分が入る前に——既に何者かが、ここへ何度も来ていた。
しかも、傷の角度が一定だ。
熟練した者の仕事だ。
* * *
ヴァルターは傷から手を離し、廊下を歩き出した。
今夜、ここで分かったことは三つある。
一、カインはこちらの行動を把握しており、それを問い詰めるのではなく確認しようとしている。
二、書簡はまだ「完成途中」で、誰かが今も調整を続けている。
三、この保管庫には、自分より前に誰かが何度も侵入していた。
ヴァルターが見つける前に、同じものを見ていた者がいる。
それが誰かは、まだ分からない。
だが一つ確かなことがある。
この戦いに、ヴァルターは一人ではなかった。
あるいは、一人だと思っていたら既に囲まれていた、というべきかもしれない。
廊下の先に、夜の宮廷が静かに広がっていた。




