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輪廻転SHOW!魔王の息子  作者: 月のそうま
26/151

水遊びは危険なのです

お待たせどころの話じゃない!

それでも、待っていて下さった方、あなたは神様です。

それでは、再開~!

「もう、留学先は決まったのかい?」


シゲリの季節、ウイング十五歳である。

十五歳で魔王族は成人と認められる。

成人すれば魔王の後継者候補として、ウイングは数年から数十年、他層にて国の治め方や種族による違いなど、勉強をしなければならない。


「できれば、レンバート先生の故郷でもある第一層死魂族のところに行ってみたかったですが、みんなにダメだと言われてしまったのです……」


兄であり、八層妖魔族への留学から帰ってきた魔王候補サヴァルマーナの問いに、ウイングは悔しそうな、不貞腐れたような顔で答える。


「まあ、一層は地上との小競り合いが激化して、いつ戦争に突入してもおかしくない状況だと言うから、難しいだろうね……」


「父はどこでもお前の好きな所でいいと言っていたのに、嘘つきなのです……」


「まあ、父上はああいうお方だから、ジーガン辺りに諌められたら素直に従ってしまうのだろう。

だが、父上はお祖父様亡き後の魔王として、魔族を纏めるために尽力してきた方だ。

レンバート先生から教えられたはずだよ」


確かに父は血気に逸る鬼族や矜持に凝り固まった魔性族などを何とか諌めて地上への侵攻を思い止まらせるべく心労を重ねている。

そして、それを成すべく力を貸しているのが、魔性族の貴族であるジーガンだ。

本来なら魔王が音頭をとって地上への侵攻を開始するのが通例だが、先代魔王の時代に魔族は疲弊しすぎた。

今は治世に力を入れて国力を回復させる時である。

その為に力を貸してくれているジーガンの意見にはなるべく合わせておきたいのだろう。


ウイングもそのことは分かっているので、我が儘を言うつもりではないのだ。

ただ、兄を前にして甘えが出ているのだろう。


「そうだ、ウイング。シゲリの季節だし、湖にでも遊びに行こうか?」


「湖?」


「行ったことないかい?

リヴァイアサン伯爵領のレヴィ湖は立派な観光スポットだよ」


「川しかないです……」


ウイングは前世に於いての記憶で湖をしっているが、それも一度か二度だけだ。

魔界の湖というのも興味を引かれる。


「なら行こう。いい気晴らしになるはずだよ!」


頷くウイングを見て、サヴァルマーナは満足そうに微笑むと、母や姉を誘おうと提案した。

ウイングもそれに快諾する。


二人で母の元へ誘いに行く。

母は嬉しそうに「じゃあ、ディサドラやボルディーノも誘いましょう」と言う。

姉のリオラディッタも喜んで行くと言った。


皆で準備をしていると、忙しいはずの父が顔を出した。

最近は一層と地上の小競り合いが規模を拡大しつつあるらしく、今まででも劣勢の中なんとか耐えてきたものが、このままでは支えきれなくなるとして、援軍をどの層から派遣するかで揉めているらしい。

一層が落ちるようなことがあれば、余勢を刈って攻め寄せる人間と全面戦争になりかねない。魔族の力を持ってすれば、充分に押し返すことは可能だろうが、そうなると主戦派の声に抑えが効かなくなり、やはり全面戦争となってしまう。

兼ね合いが難しいのだ。

さらには、援軍を出したがる者は戦力が乏しく、戦力があるところは温存したがるという面倒な状況になっているらしい。

おかげで、いつもの溌剌とした父の目尻には寝ていないのかどす黒いくまができている。


「お前たち、出掛けるのか?」


「はい、サヴァルマーナ兄様と湖に行くです!」


ウイングが楽しげに答える。


「みず……うみ……。

みずうみ……。水遊び、ぱちゃぱちゃ……。

ひんやり、涼しい場所で、キャッキャッウフフ……」


父のぼんやりと落ち窪んだ眼窩には、青い空、白い雲、どこまでも広がる湖の光景が見えているのだろう。

気付いた母が寄ってきて声を掛ける。


「急なお話でなんですけど、皆でレヴィ湖まで行ってきますね、あなた。

子供たちのことは私が責任持って見ますから、あなたはお気になさらず、政務にお励み下さいね」


声が聞こえているのか、いないのか。

父は未だぶつぶつと「みずうみ……」を連呼している。


そこに、父を探していたのだろう。ジーガンがようやく見つけたという顔で歩み寄ってくる。


「魔王様。皆様お待ちになっておいでです。

会議室へ……」


優しく諭すようにジーガンが父を促す。

父は一瞬、目を見開いたかと思うとほの暗い光を瞳に宿す。

それは、狂気だろうか。


「……やだ。俺も湖に行く!」


「はっ?……何を仰っているのですか?」


「もういやだ!家族と湖に行って遊ぶ!」


「魔王様……。できる訳がないのは魔王様が一番ご存知でしょう?」


ジーガンの言い方は完全に子供に対するそれだ。


「いーやーだー!

サヴァルマーナと釣りして、リオラディッタと泳いで、ウイングと砂山作るんだー!」


ウイングは父の姿に内心、「聞き分けのない子供なのです」とツッコミを入れていたが、腐っても魔王、いや、園児のようでも魔王。

結果的に魔王の意見は受け入れられることになる。


だが、その結果というのがひどかった。


レヴィ湖畔に臨時テントを張って、そこで会議をすることになったのだ。


父は全力だった。

各層代表とその補佐、護衛、お付き、厳選しても百数十名。

その人数を運ぶ知恵なきワイバーンの竜船を仕立て、昼過ぎにはレヴィ湖へと降り立った。


だが、そこまでしても父である魔王に許されたのは会議の合間の小休憩のみ。

父の希望により、会議テントの近くで遊ぶ子供たち。

会議が紛糾し、煮詰まり、悪口雑言が飛び交うすぐ横で、母の応援を受けて競泳に興じる子供たち。

最初はあまりに混沌とした状況に萎縮したウイングだったが、母の堂々とした立ち振舞いに、次第に会議が気にならなくなってくるのは不思議だった。


城の料理人である魔鬼族のボルディーノが持ってきた食材でバーベキューを始める。


「坊っちゃん方、レヴィ湖は食材の宝庫です。

いい食材を獲ってきて下さいよ!」


ウイングはサヴァルマーナに誘われて釣りをする。

サヴァルマーナ手製の竿に、餌は近くをうろつく小さなカニを使う。

餌の付け方や竿の使い方など、サヴァルマーナに手解きを受けながら覚えていく。

入れ食いとまではいかないが、竿を垂らして待つこと暫し、確かな手応えがある。

魚との闘いとはこういうものかとウイングは実感する。

魚は何とか逃げ切ろうと、糸を前後左右に揺らす。

それを手応えだけで感じ取りながら、糸を切られないように、魚を疲れさせるように、テンションを保てるように竿を操る。

ウイングの相手はなかなかの大物のようだ。

サヴァルマーナが時折「いいぞ!」とか、「もう少し引くんだ!」などと声を掛けてくれる。

ウイングはその声を頼りに魚との格闘を続ける。


一方、父はそれを横目に気にしながら会議中だ。


「妾たち魔虫の者は大規模戦闘でこそ、その真価を発揮する。

小競り合いに兵を出せと言われても、無駄に子らを傷付けろと言われているのと変わらぬ。

何と言われようと派兵はできぬわ!」


「しかし、最も兵力を蓄えておられるのは魔虫族ではないか!

ならば、兵力に余裕のある魔虫族から派兵していただくのは当然ではござらんか!」


蟻の触覚を持つ魔虫族の女王が言えば、人狼が声を荒げる。


「魔王様は如何か?」


魔竜族の代表が魔王へと伺いを立てる。

魔王は嫉妬にじりじりと炙られるような表情で、聞く振りをしながら聞いていない。

気付いたジーガンが、場を取り成して休憩を入れる。


魔王は大義そうに、顔を作って「それぞれ良く考えて貰いたい」と声を掛けてから、席を外す。

会議用のテントを出た瞬間、威厳も何もかも吹っ飛ばして、子供たちの所へ駆けていく。

全員が分かっていることではあったが、改めてジーガンは考えさせられていた。

そろそろ取り替え時だろうか……と。 父はウイングに向けて「俺に任せろー!」と声を挙げながら近付く。

その瞬間、ウイングの竿が大きく動く。

近付いた父の頭上を越えるように巨大な魚が空を舞う。


「やったのです!」


ウイングが歓声を上げ、それを褒め称えようと兄姉が集まる。

父はウイングを手伝おうと広げた手をわきわきとさせて、少しの間を持った後、その手はウイングを抱き締めるために使おうと思ったらしい。


「やったな!ウイング!」


一方、母はバーベキューを会議参加者に振る舞っていた。

内助の功というやつだろう。

バーベキューは小腹を空かせた参加者にウケが良かった。


ウイングは父の腕を振りほどいて二ミョーン(メートル)はある巨大な魚を軽々と抱え、母の元へと見せに行く。

母は大変に喜んでくれる。

それだけでウイングとしては大満足だった。


魔鬼族のボルディーノが鉈のような包丁を取り出して捌いてくれる。


「こいつはレヴィニアングレートシュートって魚で、レヴィ湖の代表みたいな魚でさあ。

レヴィ湖は大地の恵みが豊富ですからね。旨いですよ!」


鉈包丁を器用に操って、刺身にするとひと切れ取ってウイングの口に放り込む。

旨い。淡水魚のはずなのに淡白というより濃厚。鰹に昆布の旨味を足したような、後から後から唾液が溢れるような旨味を持っている。

この世界にも醤油に良く似た調味料がある。

豆科の植物を発酵させて作る調味料で、緑の爽やかな風味があるが、ほぼ醤油と変わらない。

その調味料をウイングは小皿に入れて、ボルディーノの脇に立つ。

ボルディーノも慣れたもので、手早く調理を進めながら、合間に刺身をひと切れ、ウイングの持つ小皿にちょんと浸けてから、口に放り込んでやる。

ウイングはその旨さをゆっくり堪能して、飲み下した後、口を開けて待つのだ。

すると、ボルディーノがちょんとやって、ポイと入れてくれる。

そんなことを暫く続けた後、ウイングは父に呼ばれる。


近場の洞窟に探検に行こうと言うのだ。

兄も行くらしい。

姉は母の手伝いで動けないらしい。


「男三人、洞窟探検か……燃えるな!」


父が盛り上がっていると、ジーガンが顔を出す。


「わたくしも混ぜてもらいますよ。

まだ、会議は終わってませんからな。

魔王様を連れ帰る者が必要です」


ジーガンとそのお供が加わって、総勢六名になった。

魔王である父は反対したが、兄が苦笑交じりにジーガンを援護した。

そして、六名である。

魔王である父、その息子サヴァルマーナ、弟ウイング、魔性族の貴族ジーガンとそのお付き二名。どちらも魔性族の精鋭という感じだ。


六名は小型のボートに乗って、崖下にぽっかり空いた洞窟へと向かう。

洞窟内部は少し進むと、舟を着けるのにちょうど良さそうな陸地が見える。

さらにその陸地には幾つか先に進めそうな穴が見える。


「おお、ちょうど舟が着けられますな」


ジーガンの声を遮るように父が水の流れる先を見つめる。


「まだだ。この先にまだありそうな気がする……」


「あまり行ってしまうと帰りが……」


ジーガンの心配を他所に、父は舟を進める。

ウイングなどは飛んで帰ればいいのに、と思ったが浪漫を壊す発言な気がしたので黙っていた。


舟は舳先を岩場にぶつけながらも、さらに先へと進む。

ジーガンのお付き達が松明を用意して、火を点ける。

だんだんと気温が下がり肌寒いほどになってくる。既に辺りは松明に照らされる部分しか見えなくなっている。


「だんだん探検っぽくなってきたね」


「はい、なんだかワクワクするのです」


兄弟は楽しげに目を輝かせていた。


「よし!あそこから上陸するぞ!」


父が指差したのは壁の中腹にある穴だった。

舟を手近な岩場に繋いで、泊める。


「ウイング、お前なら飛んで登れるだろう。

このロープを繋いでくれ」


言われてウイングは翼を広げると壁の中腹にある穴まで、ロープを手に飛ぶ。

大した距離ではない。父と兄ならば飛べるので、問題外の高さだが、ジーガンたち魔性族はそうもいかない。

掲げてもらった松明の乏しい明かりを頼りにロープを結ぶ。

ウイングは光の精霊ラッシュがいるので、乏しい明かりでも充分に辺りが見える。

逆に手探りで作業している風に見せることに神経を使うくらいだ。


「できた!と、思うです」


ウイングの声に、父がロープを確かめて登ってくる。


「よくやったな、ウイング!」


父が頭を撫でてくれる。くすぐったいような気持ちになる。

続いて兄が、ジーガンたちが登ってくる。


「よし!ここからが探検の本番だ」


隊列を作る。

先頭は父だ。次にウイング、サヴァルマーナと続いて、ジーガン、魔性族の護衛が二人並ぶ。


護衛の一名とサヴァルマーナがそれぞれに松明を持っている。


「事故を防ぐためにね」


サヴァルマーナがウイングに教えてくれる。

洞窟探検などウイングにしてみれば前世から数えても皆無な経験なので、全てが目新しく新鮮に映る。


知識として知っている鍾乳石が、実際に作る神秘的な光景に見入ってしまう。


「凄いだろ?」


父の言葉に、ウイングはただ頭を縦に振るしかない。

暫く進むと、海から流れ込む水音が遠ざかり静かになる。

少し広めな空間があり道と呼べないような道が二つ見える。


父は暫く両方の亀裂を検分して、右側に進もうと決めた。

その間、サヴァルマーナは懐から拾っておいた貝殻を元来た道の脇に置いておく。

ウイングが何をしているのか訪ねると、道標の代わりだと教えてくれる。

なるほどと感心していると、反対側の亀裂を覗き込んでいたジーガンがすっとんきょうな悲鳴を挙げる。


「うひぃぃぃっ!」


のっそりと顔を出したのは二ミョーン(メートル)はある白いトカゲだ。

目が退化しているようで灰色に濁っていて不気味な印象を与える。

何より異様なのは、八足歩行で背中に穴の空いた生体キャノンのようなものが二本突き出している。


「ポイズンリザードだ!気をつけろ!」


父が剣を抜いて構える。

護衛たちがすかさずジーガンの前に立つ。

体温でも感知しているのか、ポイズンリザードの生体キャノンか、グリグリと動いて松明に向けられる。


「マナよ!集いて彼の敵を焼き尽くす火球となれ!

ファイヤーボール!」


素早くサヴァルマーナが作った魔法の火球が一際強く空間内で輝き、生体キャノンがそちらを向く。

途端、サヴァルマーナが突き出した手の先に生まれた火球に、生体キャノンから放たれた血色の水弾が当たり、じゅっじゅっと音を立てて蒸発する。


「サヴァル!煙を吸うな!毒がある!」


父が警告を発する。

見れば紫色の煙が立ち上っている。

全員が慌てて袖口で口を覆う。

ジーガンは象頭のため、両手で鼻を押さえている。


「くっ……!」


サヴァルマーナから放たれた火球がポイズンリザードへと飛ぶ。しかし、ポイズンリザードは八足を駆使して、素早く移動、壁を登り始める。

恐らく、足先がヤモリのような吸盤になっているのだろう。

すいすいと壁を移動していく。

そして、放たれる血色の水弾。

それは、護衛の一人が持つ松明に当たり、松明を消すと同時に飛び散った飛沫が護衛の腕に掛かる。


「……っ!ぐあっ!」


護衛が苦悶の表情を浮かべて腕を押さえる。

みるみるうちに腕が溶け始める。


「ウイング!あいつに水魔法だ!できるな!?」


「わ、わかったです!」


父の言葉に従いウイングが詠唱を始める。同時に父も風魔法の詠唱を始めている。


いきなりの出来事に焦ったウイングは普段なら長々と詠唱しているはずの呪文を端折ってしまう。


「マナよ!集いて水を生め!

クリエイトウォーター!」


ウイングの魔法力を糧にマナが水を作り出す。護衛の松明が消えるのも構わず大量の水が腕を洗い流す。


「……我が名の元において命ずる!

ソニックソーサー!」


少し遅れて完成した魔王の真空斬刃ソニックソーサーがポイズンリザードを両断する。

たまたま、全員の視線がポイズンリザードに向かっていたのだ。


だが、ウイングに魔法で毒を洗い流してもらっていた護衛だけは、驚いた表情でウイングを見ていた。

その表情に、ウイングは身体を固くしてしまう。

オドオドと目が泳ぐ。


「あ……」


護衛が口を開こうとした時、突如として羽ばたきと、キーキーした鳴き声がポイズンリザードの来た側の亀裂から沸き上がる。


「血の臭いを嗅ぎ付けられたかっ!

ヴァンプバットだ!全員、あっちの亀裂に飛び込め!」


魔王が大声で指示を出して、自身は亀裂を守るべく剣を構えて迎え撃たんとする。

そこに、サヴァルマーナが並ぶ。


「父上、ここは私が!」


「分かった!火は使うな!大量に燃やせば狭い場所だと空気が毒に変わる。

俺はウイングを連れてくる!」


言って、魔王は巨大な蝙蝠の群れが飛び交う中を剣を振りながら進む。

目指すはウイングの居た辺りだ。


ヴァンプバットたちは次々に現れて、頼りない松明の灯りを覆い隠すように、全体を黒く染めていく。


ウイングは、咄嗟に怪我を負った護衛の元に近寄ろうとするが、大量のヴァンプバットに阻まれてしまう。


「う、うわぁぁぁ!く、来るなっ!来る……」


護衛の叫びがこだまする。


ウイングは葛藤すればいいものを、それもなく即決で精霊を呼ぶ。

ウイングの思念によって呼び出されたのは、ギャル系セーラー少女型風精霊ジーンだ。


(蝙蝠を切り裂くのです!)


(はいはーい!)


風が渦巻き、鋭利な刃となって飛ぶ。奇しくも父である魔王が使った魔法の刃にそっくりだ。

真空の刃は連続してウイングの周囲、何もない空間から飛び、ヴァンプバットを次々に切り裂きながら飛ぶ。


ヴァンプバットは共食いする吸血蝙蝠らしく、落ちたヴァンプバット目掛けて他のヴァンプバットが群がる。

そして、傷付いた護衛も同様だ。

ヴァンプバットが群がり、その血を吸い尽くさんとしている。


ウイングがようやく護衛の元に辿り着いた時、すでに護衛の身体が見えないほどにヴァンプバットがたかっている。


ウイングは剣を抜かずに、爪に意識を集中する。

魔王族の特性のひとつ、『魔王の爪』である。

ウイングの爪は麻痺毒の爪となる。普段はこの爪は隠されているが、自身の意識で出し入れが可能だ。

また、その爪の能力も個体差が大きい。


ウイングは下手に剣を振り回して、護衛に当たることを本能的に恐れたのだ。

爪をひと振りすれば、かすっただけで、バタバタとヴァンプバットが落ちていく。

そして、落ちたヴァンプバットは他のヴァンプバットに狙われる。

どうやら、傷に反応してヴァンプバットは襲い掛かるらしかった。

ウイングは意識を失いかけている護衛を引き摺るようにして、亀裂を目指すが方向感覚が失われている。

護衛を狙ったヴァンプバットを爪で薙ぎ払う。

とりあえず、護衛を匿える場所をと探すが、ヴァンプバットが多すぎて視界に映るのは黒い帳のようだ。


「ウイング!無事か!」


父の声が聞こえた。


「父ー!こっちです!」


ウイングが声を限りに叫ぶ。

父がその声を頼りに、ヴァンプバットを打ち払いながらやって来る。


「無事か!」


「僕よりも、護衛の者が!」


父は「よくやった!」と声を掛けてから、護衛を背負う。


「後ろを頼む!」


父が信頼して、後ろを任せてくれた。そのことが嬉しくて、ウイングは大きく頷いて父に続いた。


駆ける父の後ろを、近付くヴァンプバットに爪を浴びせながら走る。

急に視界が拓けたと思うと、かなりの強風が渦巻いている。

兄が作ったヴァンプバット用の結界に入ったのだ。


「大丈夫だったかい?」


兄がウイングを労りながら、亀裂の奥に誘う。

中には既にジーガンともう一名の護衛がいた。


「大丈夫です。兄様もご無事で良かったのです」


ウイングの返事に兄が微笑む。


「おい、衰弱が酷い。サヴァル、生命魔法は使えるか?」


父が兄に聞く。


生命魔法、生命のマナに働きかけて、回復を促す魔法は地下九層内ではあまり一般的ではない。

魔王族や鬼族、死魂族、魔獣族などは自身に働きかける再生力や回復力を生来から持っている、それは一部の魔性族、魔竜族、夜魔族などもそうだ。

逆に、生来そういった力を持たない種族は繁殖力が高い。

故に他者への生命魔法を使う機会というのが少なく、使い手自体が稀なのだ。


父はサヴァルマーナの魔法力の高さに一抹の期待を寄せたようだが、残念ながらそれは叶わなかった。

兄はすまなそうに首を横に振った。


同じく父は辺りを見回すがウイングもジーガンも、もう一名の護衛も、生命魔法は使えないようだった。


だが、ウイングは気付いた。

直接、マナと対話できる自分ならば、もしかしてと思ったのだ。


「あ、あの……」


だが、ウイングが言葉を発しようとした時に、兄に肩を掴まれる。


「来た道を戻るのは危険です。

このまま進みましょう」


「お待ちを、サヴァルマーナ様。

聞けばヴァンプバットというのは、傷がなければ無闇に襲いかかることはないといいます。

幸い、魔王様にもご子息様方にも傷は見受けられない様子……。

魔王様の休憩時間もそろそろ終わりです。

ここは来た道を引き返すのが得策かと……」


「おい、ジーガン。お前の護衛に連れてきたこいつを見捨てて、会議を優先しろっていうのか?」


父がいつになく真剣な眼差しでジーガンに問う。


「恐れながら、魔王様。

その者はわたくしめではなく、魔王様の護衛にございます。

そして、その者も、自分が足手纏いになっているのは既に承知。

会議の遅れは結果的に、その者一人どころか、窮地に立たされている一層死魂族の多数の死者を招きます。

ここはお戻りいただくのが正道かと存じます」


対するジーガンも強い眼差しで言う。

ウイングは、ジーガンの言い方では、火に油を注ぐだけだと半ば呆れてしまう。

父は子供たちの前では折れる姿を見せようとしないのは、誰もが知っている。

ジーガンの言うことは正論かもしれないが、それが結果的に父を意固地にさせてしまう。


「ならば、お前は戻れ!

俺はこいつらを連れて別の出口を探す!」


「しかし……」


「ジーガン、お前は俺の名代として会議を進めろ!

文句は言わせぬ!」


「魔王様!」


「うるさい!言う通りにしろ!命令だ!」


「魔王様はこのわたくしめに、あのヴァンプバットの群れを突っ切り、ひとり頼りないボートで戻れと仰せになるのですか!」


ジーガンは鼻を振り乱して抗議の声を挙げる。


「この者の命より、会議が大事だと言ったのはお前だ!

ならば、職分を全うするべく、死力を尽くせ!」


「無理です!わたくしひとりで戻れる訳がない!死ねと仰るのですか!」


口角泡を飛ばして激昂するジーガンに、父は呆れたように鼻を鳴らす。


「ふんっ……ならば、もうひとりの護衛を連れていけ。

俺達には必要ない」


ですが……やら、しかし……やら、ひとしきり魔王を説き伏せようとしたジーガンだったが、父親の顔を覗かせた魔王にはとりつく島もない。

ようやく諦めたジーガンは、ぷりぷりと怒りを露にしながらも、無事だった護衛を伴って来た道を戻っていく。


最後に「会議の行く先がどうなっても、恨まないで下さいよ!」と捨て台詞のように吐き捨てていったのが印象的だった。

それに対する父の言葉は「お前なら上手くやれる!信頼している!」というものだった。

長年、地下九層を切り盛りしてきたコンビとしての言葉なのだろう。

その時、ウイングは二人に流れる確かな絆のようなものを感じていたのだった。

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