味見
朝――。
宿の外に現れたルシエラの顔は、まるで数年間の幽閉生活を送ったかのように白く窪んでいた。
足取りは覚束なく、自慢のクリーム色の髪もどことなく元気がなく、しんなりと垂れ下がっている。
「……おはよう、エリオット」
「死に損なったような顔だな。サプリメントの効率はどうだ?」
「思い出させないで。……一生分を、あの一晩で放り出してきた気分だわ……」
ルシエラは幽霊のような動きで、ふらふらと前へ進んでいく。
「で、どこ行くんだよお嬢さん」
「レストランよ。それくらいはあるでしょう。サプリメント以外の味の研究わするの」
というわけで、レストラン。
運ばれてきた料理は、この国の性質をそのまま形にしたようなものだった。
皿の上に、寸分の狂いもなく盛り付けられたのは、四角くカットされた茹で肉、正確な円柱状に成形されたマッシュポテト、そして長さが等しく揃えられた数本のボイルされたアスパラガスに、一口サイズのクロワッサン。と、水。
ソースは均一に広がり、どこにも飛び散った形跡はない。
「……何これ、模型?」
豪華でもなければ、決して貧相というわけでもない。
栄養素、カロリー、そして価格。そのすべてが計算され、過不足なく盛り付けられた最適解としての食事。キャンディー王国の、見た目だけで心躍るような彩りや、甘い装飾などは一切排除されている。
「メニュー通りだ。この国の調理担当も大半が自動人形だからな。プログラムされた通り、一ミリの狂いもなく盛り付ける」
「この国では人間は何してるのよ……」
震える手でフォークを握る。
昨夜の惨劇で空っぽになった胃袋が、何か実体のあるものを求めて鳴っている。
ゆっくりと、マッシュポテトを口に運んだ。
「……あ」
「ん? また腹壊しそうか?」
「失礼ね。やっぱピムを連れて来れば良かったかしら……味は…普通。本当に、普通ね……」
拍子抜けだった。
毒々しい味もしなければ、昨夜のような暴力的なエネルギーの塊でもない。
ジャガイモの味、適度な塩気、そして滑らかな舌触り。
キャンディー王国で出される、芸術的な技巧を凝らした逸品のような驚きはない。
しかし、旅の食堂で出されるような、作り手の気まぐれによる塩辛さや焼きムラも一切ない。
次に肉を口にする。噛み応えもしっかりあり、火の通りも完璧だ。
淡々と食べ進めるルシエラの顔に、少しずつ赤みが戻ってくる。
「もっと、こう……歯が折れるほど硬いとか、機械油の味がするとか、そういうのを想像してたわ」
次にクロワッサンをちぎり、口に入れる。
ふかふかでもなく、かといって硬すぎることもない。噛めば噛むほど、穀物の味が淡々と広がる。
「お嬢さん、そりゃ偏見が過ぎるぞ。自動人形は合理的なんだ。人間が食べるものなら、人間が一番効率よくエネルギーに変換できて、不快に感じない最大公約数の味を導き出す。それがこの普通だ」
「ふーん……」
ルシエラは咀嚼しながら、ぐるりと首をめぐらせ、店内の様子を観察した。
隣のテーブルに座るこの国の住人らしい男は、一切の無駄がない動作で食事を口に運び、新聞を読みながら機械的に咀嚼している。
美味しい、という感嘆もなければ、まずいという不満もない。ただ、必要な栄養を、適切な味で摂取している――そんな光景だ。
「……不味くないわ。食べられる。でも、何かしら。この、食べてるのに心が置いてけぼりな感じ」
「感情は栄養にならないからな、この国じゃ」
「…ワクワクしないわね」
最後のアスパラガスを飲み込むと、少しだけ背筋を伸ばした。
幽霊のようだった瞳に、ようやくいつもの気が強い光が宿る。
「決めたわ、エリオット。この国での研究テーマ」
「サプリメントの大量摂取じゃないことを祈るぜ」
「違うわよ! ……この冷え切った鉄の連中に、一泡吹かせてやるわ。非合理的で無駄で、でも食べずにはいられない……最高に甘い衝撃をね」
ルシエラは不敵に微笑んだが、立ち上がろうとした瞬間に「ウッ」と顔を顰めて腹部を押さえた。
「……でも、本格的な活動は、もう少し胃が落ち着いてからにするわ……」
「トイレはあっちだ」
「うるさいっ!」
胃の調子も落ち着き、外に飛び出しルシエラはさっそくターゲットを探す。
「おい、待て! どこへ行く!」
エリオットの制止を振り切って、ルシエラは石畳の道を突き進んだ。
ターゲットは、通りの角で、黙々と壁のヒビをパテで埋めていた自動人形だ。
人間に近いサイズで、頭部には大きな単眼のガラスがはまっている。
「ちょっと、あなた! ストップ!」
自動人形の金属製の腕を、ルシエラがガシッと掴む。
ヒヤリとした、硬い鉄の感触。
『……? 歩行者A、接触を確認。作業に支障あり。離脱を要求します』
自動人形から、抑揚のない、合成された電子音が発せられた。単眼のガラスの奥で、赤い光が点滅する。
「ちょっとあなたに協力して欲しいことがあるのだけど、いいかしら?」
『協力?』
「ええ、聞いたわ。あなたたちお人形さんは食事はしないで充電だけなのよね?」
『はい。そういう造りですので』
「ねえ、お人形さん。甘さに興味ないかしら?」
「何言ってんだ、お嬢さん……」
『ないです』
即答だった。
だが、ルシエラはとまらない。
「そう。じゃあ、苦さは?」
『ないです』
「辛さは?」
『ないです』
「酸っぱさは?」
『ないです』
「しょっぱさは?」
『ないです』
「何に興味があるのよっ!」
『ないです』
「…………」
エリオットは額に手を当て、深い溜め息をついている。
「だから言っただろう。無駄だ、って……」
「うるさいわね、まだ終わってないわよ。お人形さんに甘さを教えてあげるって決めたのよっ!」
ルシエラは自動人形の単眼をじっと見上げた。赤い光がこちらを無感動に捉えている。
「ねえ、お人形さん。あなたは今、何をしているの?」
『壁面補修作業、第三工程。パテの充填』
「それは、誰かに頼まれたの?」
『はい。作業命令を受信しています』
「命令されたからやっているのね」
『はい』
「やりたいからじゃなくて?」
『……設問の意味が不明瞭です。やりたい、という概念が定義されていません』
何かを考えるているのか、ルシエラの口が引き結ばれる。
それから、荷物の中を漁り始めた。
「何してるんだ? というか甘さを教えるってなんだよ……」
「いいから見てなさい」
取り出したのは、ユレイヴを発つ前にピムが持たせてくれた干し果実だ。
手のひらに乗せて、自動人形の単眼の前に差し出した。
「これ、食べてみなさい」
『味覚センサー非搭載のため、食事は不可能です。歩行者A。仕事がありますので……』
「歩行者Aじゃないわ。ルシエラっていう美しい名前があるの」
「……お嬢さん。こいつらに心なんてねえよ。あるのはプログラムだけだ」
「これは、キャンディー王国のスイーツほどじゃないけれど、十分に甘いわ! さあ、この幸福を理解しなさい!」
『……異物の接触を感知。解析中……。有機物。糖分、脂質、タンパク質を確認。……これは、人間の食事です。私には不要です』
自動人形は、押し付けられた果実を、認識こそしたが、食べようとはしない。
ただ、ルシエラに掴まれたままの腕を、ゆっくりと、しかし抵抗できない力で引き剥がそうとする。
「不要じゃないわよ! あなたたちは、味を知らないから損をしてるの! 美味しいって感情はね、回路を活性化させる……かもしれないでしょう!」
『……歩行者A、および同行者B。作業の邪魔です。排除レベル1に移行します』
自動人形の単眼が、赤から警告の黄色へと色を変えた。
その瞬間、自動人形の胸部がカシャリと開き、中から小さな高圧洗浄ノズルが飛び出した。
「え?」
ルシエラが呆然とした瞬間。
――プシューーーッ!!
至近距離から、勢いよく水――おそらく壁の洗浄用が噴射された。
「ひゃああっ!?」
顔面に直撃した水を浴び、ルシエラは驚きのあまり後ろへひっくり返る。
『異物の除去を完了。作業を再開します』
自動人形は、濡れ鼠になったルシエラを一瞥することもなく、再び壁に向かってパテを塗り始めた。
「……ううぅ……、冷たい……。なんなのよ、あいつ! 私の厚意を、水に流すなんて……!」
ルシエラは石畳の上に座り込み、クリーム色の髪から滴る水を拭いながら、悔しげに自動人形を睨みつけた。
「だから言ったろ。あいつらに甘さなんて通用しねえって」
寸での所で水を躱したエリオットが、呆れながらも手を差し出してくれた。
「分かったか? この国は、鉄と油と、融通の利かないプログラムで動いてるんだ。お嬢さんの甘い理想なんて、高圧洗浄機でさっきみたいに吹っ飛ばされるだけだぜ」
「……いいえ、まだよ」
エリオットの手を借りて立ち上がったルシエラは、濡れた顔を拭いもせず、不敵な笑みを浮かべた。そ
の瞳には、水を浴びる前よりも、さらに強固な、燃えるような闘志が宿っていた。
「干し果実くらいじゃあいつらの錆びついた回路は動かせないって分かったわ。……だったら、もっと強力な……、回路がショートするくらい甘くて、とろけるような『究極のお菓子』を、この国のど真ん中で作ってやるわ! あの鉄クズが、自分から『食べさせてください』って跪くまでね!」
「……はぁ。一晩中トイレにこもってたクセに、元気なこった」
エリオットは、再び始まったルシエラの暴走に、前途多難な旅を予感して頭を抱えた。
鉄の国の、油の匂いが漂う通りに、ルシエラの高らかな宣言が響き渡った。




