難民
「──い」
「──ない」
「──危ない!」
だんだん大きくなる声に驚いて、私は掛け布団を跳ね除けるように飛び起きると、辺りを見回した。
「……夢か」
どんな夢だったか、全然覚えてはいない。けれど、よくない夢だった気がする──起き上がり、部屋の中を見渡すと部屋の端に小さな女の子が立っていた。
「あなたは──あの絵の……。キース陛下?」
何か伝えたいことがあるのか、しきりに口を動かしていたが、何を喋っているのか全く分からなかった。
「何かしら? ごめんなさい。分からないわ」
女の子は肩をすくめると、窓の方角を指さしていた。
「外? 何か危険が迫っているの?」
女の子は一度うなずくと、首を横に振った。
「もしかして、トラスト国が関係しているのかしら」
彼女は、目を大きく見開くと微笑んだ。一体、どういうことだろうか……。当たらずとも遠からず、といったところだろうか。
「……」
その後、女の子は消えてしまった。再びベッドへ戻ると、その後は朝まで目を覚まさなかったのである。
※※※※※
次の日の朝。朝食を終えて部屋へ戻る途中に、エリオット様とオーベル様に城の廊下で出会った。
「おはようございます、エリオット様、オーベル様」
二人とも真剣な表情で立ち話をしていたが、私に気がつくと話をやめて、こちらへやって来た。
「おはよう、アイリス」
「おはようございます。アイリス様」
「お二人とも、どうかしましたの?」
二人は顔を見合せると、苦笑しながら話してくれた。
「アイリスには、いずればれてしまうだろうから正直に話すけど──今朝、トラスト国から書簡が届いてね。どうやら、トラスト国の国境付近にカルム国の難民がいるみたいなんだ」
「難民? なぜそんなとろに……」
ついこの間、戦争になりかけてアーリヤ国と話し合い、誤解を解いたはず。それなのに、トラスト国に難民とは一体どういう事だろうか?
「私も不思議に思っているんだ。考えられるのは、国境付近の住民が危険を感じて、戦争前に街から逃げだしたという事ぐらいだが……」
「それなら、もう戻ってきてもいい頃でしょう? なぜトラスト国に留まっているのです?」
トラスト国の西側3分の1は砂漠だ。1年中暑いところだし──治安も悪く、作物もあまり育たないと聞いている。カルム国の民が暮らしていけるような環境ではないはずだ。
「それが、分からないんだ。様子を見に行ければいいのだが……」
「明後日には、国際会議がありますもの。仕方がありませんわ」
明後日の午後から、アーリヤ国との第3回国際会議がある。アーリヤ国との交易はエリオット様が担当しているので、今から欠席するわけにはいかないだろう。
「分かりました。私がトラスト国へ様子を見に行って参ります。民が苦しんでいるのに、放っておけませんもの」
「アイリス? オーベルに頼もう。オーベル、頼めるか?」
「……オーベル様は明日、学会ではありませんでしたか?」
オーベル様は自身が書いた魔術理論を説明するために、明日は魔術師協会に行く予定になっていた。
「なんでこんな時に……」
二人は私を見ると、お互い顔を見合わせて、ため息をついていた。
「……アイリス、先に馬車でゆっくりと向かっててくれ。私も後から追いかけるから国境付近で落ち合おう」
「分かりましたわ」
「アイリス様、明日は早めに帰りますのでお待ち下さい。一緒に行きますので…─けっして、けっして一人では出かけませんように……」
(二人とも過保護すぎるわ。いくら昔からの知り合いとはいえ、もう成人する年なのに)
「分かってるわ。私だって王族になるのだから、カルム国の為になるような事をしたかっただけよ」
「アイリス、君の頑張りは分かっているつもりなんだ。ただ君が心配なんだよ」
エリオット様は、私の頬に手を添えると微笑んだ。金髪碧眼のエリオット様は相変わらずの美形で、目が眩みそうだった──鼻血が出そうだ。
「お気遣いいただき、ありがとうございます、エリオット様」
前世で従兄妹同士だった、オーベル様こと哲ちゃんは、そんな姿の私を見て半眼になりながら言った。
「まあ、『識る力』で魔術を溜めておく事が出来ますし、いざという時に使えれば、よっぽどのことがない限り、大丈夫でしょう」
次の日の午後、そのよっぽどのことが起きるとは、誰も予想していなかったのである。




