第8話 五感を磨く
「五感って、何の事かわかる?」
「えっと、なんか、味覚とか感覚とかそういう感じのものですか?」
「まあそんな感じ。嗅覚は臭い、味覚は味、視覚は目で見る、聴覚は耳で聞く、そして触覚は触って感じる事。人間が昔からもっている感知機能らしいけど、最近はみんな頭ばっかり使って、この身体の機能をあんまり活用できてないんよね」
「……正直、今までそういう事、考えた事なかったです」
「そうやんね、勉強や仕事や用事や、社会人としてちゃんとせなあかんとか、皆そんなんに時間とられて、自分と対話したり、身体の声を聞いたりする暇あらへんもんなあ」
魔女さんは、ちょっと悲しそうにそう言ってから、急に私の手を握った。
「え? あ、あの……?」
「ミサキちゃん、今、何を感じる?」
「何を、感じる……ですか?」
「そう、何を思った、とか、考えた? じゃなくて、何を感じてる? ミサキちゃんの体は、どう感じてるのか意識してみて」
「は、はい」
私が今、何を感じているのか。感じてるって、どういう事……?
……わからない。
「ミサキちゃん、とりあえず、今なんて思った? はい! 考えずにすぐ言って」
「え、あの……。手を握られた時は、ドキッとしました。その後は、何を感じていると聞かれても、感じるという事がよくわからなくて……」
「OK。じゃあ聞き方を変えるね。目を閉じて、ゆっくり呼吸しながら、自分の体に意識を集中して。臭い、味、何が聞こえるか、肌の感覚はどうか。なんでもいいの。思いついたことを、体が受け取った情報を、そのまま私に教えて」
言われるとおりに、目をつむった。
体に意識を集中、集中。
匂い、味、肌の感覚……。
「あの、まず、翔子さんの手が温かいと思いました。あと、自分の手が汗ばんでて恥ずかしい。それから……気づいてなかったけど、心臓にあわせて、けっこう手や腕ってドクンドクンと脈打ってるんだなって」
「うんうん、ええね。それから?」
「あとは……今日のお店の香りは、ミントとかのスッキリ系で、いい匂いだなあと。ちょっと柑橘系の匂いもして美味しそうな感じも。炭酸系の飲み物が飲みたい気分です。あとは、ふくらはぎが、少し痛い気もします。あんまり外の音は聞こえなくて、エアコンの音が意外と大きく聞こえますね」
「そう、今日の香りは、ペパーミントに和ハッカ、ユーカリとオレンジのブレンドやねん。それから?」
「あとは……けっこう体全体がダルイですね。なんだか、小学校の時の水泳の授業の後、プールサイドでくたっとなってた感覚に近いのかも。帰って、シャワー浴びたら、すぐに昼寝したいです」
「すばらしい。ミサキちゃん、ほな、今日はこれで終わろう。ほんまに、すぐにでも昼寝したなってきた」
そういって、魔女さんはパッと手を離した。
私は、手のぬくもりが突然消えて、ちょっと寂しさを覚えた。
「今日はおおきに。お疲れさんでした」
目をあけると、魔女さんがいつもの笑顔で、私を見ていた。
ホワっと、胸があたたかくなった。
そうか、感覚って、五感って、こういうことなのかも。
私たちは、言葉だけじゃなくて、こうした感覚や身振りでもコミュニケーションをとっているんだなあ。
そんな事を考えた。
「お疲れ様でした。ありがとうございます」
「うん、ほな、明日、明後日は休みやし、また水曜日にね。お疲れさん」
「はい、失礼します」
魔女さんのお店を出て、商店街の通りを見渡した。
人通りはなく、とても静かだ。
日曜日は、商店街のお店はほとんど閉まっている。
誰もいない通路は、いつもと違う景色にみえた。
ふと、普段は遠慮して入れない、岩真さんのお店が見てみたくなった。
岩真さんのお店には、木の看板がかかっている。
昔ながらの木枠のなかに、大きなガラスがはめこまれた扉が、4枚並んでいる。
私は扉に顔を近づけて、お店の中を覗き込んだ。
入口から向かって右側には、販売しているたくさんの包丁が並んでいる。
京都府産の天然砥石、という表示のまわりには、砥石が所狭しと置いてあった。
包丁研ぎって、どんな人がお客さんなんだろう?
そういえば、私、包丁を研いだことないかも。
……今度、お願いしてみようかな。タオルでぐるぐる巻きにして、新聞で包んで袋に入れたら、持ち歩いても大丈夫なのかな?
うん、なんだか、めっちゃ包丁ピカピカにしてもらいたくなってきた。
私は、なんだかちょっとワクワクした気持ちを感じた。
これも、五感をつかっている事になるのだろうか?
疲労感と、何かをやり切った充実感、そして、ちょっぴりの期待に包まれて、私は嬉しくなって一人で笑ってしまった。
レトロな建物やパステル紙ランタン、そして懐かしい大昔の看板。
耳を澄ますと、昔のスリがでていた頃の喧騒が聞こえてくるような気がする。
時の止まったような商店街の不思議な空気を全身に浴びながら、私はゆっくりと歩いて家へ帰った。




