最強賢者カイト 前編 †
カイトの勘は正しかったようだ。
見れば学院の裏庭にある広大な溜め池、そこに繋がる用水路付近に男たちはいた。
フィオナは魔法の縄でがんじがらめにされ、猿ぐつわをはめられている。
カイトはほっとため息を漏らした。
娘の安否が確認されたと同時に、自分が人殺しにならずに済んだと悟ったからだ。
もしもフィオナに万が一のことがあれば、カイトはハーモニアの前でも復讐を遂げない、という自信がなかった。
一方、ハーモニアも友人との再会を果たして安堵のため息を漏らす。
ついで彼らに向かって宣言をした。
「血盟師団の皆さん。諦めて投降してください、――とはいいません。ですが、あなたたちは大きな誤解をしています。その子はハーモニアではありません。私がハーモニアです」
そう言うと狂信者たちは互いの顔を見合わせる。
ただし、それも一瞬で、そんな虚言は通じない。そんな表情をし、嘲笑めいた返答をする。
「馬鹿め、そんな虚言に惑わされるか。この娘こそハーモニアだ。なにせ自分で名乗ったのだからな」
それはその娘が優しすぎるからよ、ハーモニアはそう宣言したかったが、しなかった。狂信者に通用する論法ではなかったからである。
ただ、そうなると前提条件が崩れる、そう思いカイトの方へ振る向くが、カイトは黙しているだけだった。
(このままじゃフィオナは連れて行かれちゃう。カイト先生、これでいいの?)
思わず心の中で叫ぶが、カイトは黙ったままだった。
ただ、このいかんともしがたい状況はとある人物の登場によって急展開する。
この学院の講師が助太刀に現れてくれたのだ。
見れば学院で何度も見かけたことのある講師。
何度も話しかけられたことのある講師がやってきた。
彼の名前はエレン、ハーフエルフの男性で、精霊魔法を教えている非常勤の講師だった。
ハーモニアは彼に語りかける。
「先生、助かりました。あいつらが血盟師団です。あいつらがフィオナを間違えて捕まえて誘拐しようとしているんです。一緒に救ってください」
ハーモニアが狂信者たちを指さしながらそう言うと、エレンは黙って彼らに近づいた。
一歩一歩、草の根を踏みしめるかのような歩みだった。
その歩みに狂信者たちは恐れおののいているようだ。
この学院の教師、それに講師は皆魔術師である。先ほどのカイトの活躍を見れば分かるとおり、並の魔術師では太刀打ちできない。
彼らが恐れおののくのは当然であったが、それでも反応がおかしかった。
ハーモニアはまさかという思いを抱きつつもエレンの後ろ姿を見つめる。
だが、そのまさかが杞憂に終わらなかった。
エレンは敵の眼前まで歩くと、柔和な瞳を浮かべ、口元を緩めた。
そして部下をねぎらうかのような口調で言った。
「ご苦労様、親愛なる同志諸君」
エレンがそう言うと狂信者たちは頭を下げる。
その光景を見たハーモニアは、「ま、まさか」と口を押さえる。
「そのまさかですよ。『本物』のハーモニアさん」
「先生が内通者だったんですか?」
ハーモニアの悲痛な問いにエレンは軽やかに答える。
「そうですね。その通りです。僕がこの学院に潜入し、あなたを捕縛する命令を受けた『血盟師団』のメンバーです」
エレンは正直に話す。今さら旗幟を隠しても仕方のないことですからね、と補足する。
「ですが、このような事態になるとは夢にも思っていませんでしたよ。まさか部下がフィオナさんとあなたを取り違えるだなんて思ってもいませんでした。まあ、こうしてわざわざ人質交換に応じにきてくれるのはあなたらしいのですが」
いや、本当に助かりますよ。
エレンはそう言うと無言で失敗した部下を冷酷な瞳で見つめた。
彼は慌てて弁明をする。
「……こ、この娘が自分でわたしはハーモニアというものですから、てっきり」
「なるほど、フィオナさんは正義感にあふれる少女だ」
エレンは猿ぐつわをされている少女を見つめると、ついでその父親であるカイトを見つめる。
「親子揃って正義感に満ちあふれている。僕にはできない生き方だ」
そう言うと自嘲気味に笑った。カイトは黙ってそれを見つめる。
「…………」
「しかし、貴方たち父娘の活躍もここまでだ。ハーモニアは僕が貰っていく」
エレンはそう宣言すると、ハーモニアにこちらにくるように命令をした。
ハーモニアはカイトをちらりと見つめる。
この誘いに乗っていいか尋ねたのだ。カイトは無言でうなずいた。
それを見たハーモニアはエレンに向かって叫ぶ。
「人質交換よ。まずはフィオナを必ず解放するという誠意を見せなさい!」
ハーモニアがそう叫ぶと、エランは部下に命じ、フィオナをからめていた魔法の縄をほどいた。
「これが誠意となります。解放はあなたがこちらにきてからだ」
「絶対に解放してくれますか?」
ハーモニアはきっと相手を射すくめるような瞳をした。
「それはこちらを信用して貰うしかない。ちなみに我々はこの娘になんら興味はない。ただ、あなたの身柄を確保し、その身を生きたまま捕らえるのが目的だ。それは今まで傷ひとつ付けていないことからも察して頂けると思うが」
「……そうね。分かったわ。今からそちらに行くから、私を捕縛したと同時にその子を解放なさい。約束よ」
ハーモニアが断言すると、フィオナは心の中でつぶやいた。
(だめー! こいつらの目的はハーモニアなんだよ? 捕まったらなにをされるか分からないよ)
フィオナは必死の形相でそう伝えるが、それも空しい抵抗だった。
猿ぐつわをされたフィオナの言葉はハーモニアには届かない。
いや、届いてはいたが、ハーモニアはその歩みをやめなかった。
(フィオナは私の身代わりになって捕まった。ならば今度は私が身代わりになる番)
彼女の凜とした表情はそう語っていた。
ハーモニアはまるで刑場におもむく聖女のような悠然とした足取りで狂信者たちのもとへ向かった。
その雄壮な足取りは、不覚にもエレンが感銘を覚えるほどであった。
(ほう、魔族とは聞いているが、気高いものだ)
そんな感想を浮かべる狂信者たちの首魁エレン。
彼は狂信者だったが、卑怯者ではなかった。
ハーモニアが約束どおり捕縛された瞬間、フィオナを解放した。
狂信者たちに突き放される形でカイトのもとへ走らされるフィオナ。
カイトは無言でフィオナを抱きしめている。
フィオナは振り返り、なんとかハーモニアを救おうとするが、それはできない相談であった。
目的物を手中に収めたエレンはその場にたたずんでいるほど愚かではない。
このまま即座に撤退し、ハーモニアを血盟師団のアジトに送り届けるのがエレンの任務であった。
そのためにこの学院に潜入し、講師をしていたのである。
そして精霊魔法の使い手にとって最適の場所である、この人造湖の湖畔を選んだのだ。
この人造湖は魔術の実験のために必要な大量の真水をまかなうために溜められた水だった。
人造的な湖ではあるが、それでも大量の水精霊を確保できる。
そして湖は用水路で川に繋がっていた。
さらにその用水路と湖を繋ぐ箇所の鉄格子はあらかじめ切断されていた。
自分と部下、それに小娘を一人通り抜けさせるくらいの大きさの穴が空いていた。
エレンはそこから抜けだし、この学院の外部に出るつもりだった。
その計画を聞かされたハーモニアは顔を青ざめさせる。
「私、泳げないのだけど……」
彼女はそう主張するが、エレンは言った。
「安心しなさい。僕は精霊魔法の使い手だ。水精霊の力を借りれば《水中歩行》の魔法を複数人に掛けられる」
その言葉を聞いてハーモニアは安心したのだろうか。
にやり、と口元を歪めたような気がした。
そして少女らしくない口調でこう言い放った。
「そうか、安心したよ。お前が泳げない娘を無理矢理泳がそうとしたり、部下を見捨てて逃げ出すような畜生じゃなくて」
ハーモニアは、いや、ハーモニアだと『思われた』少女はそう声高に叫ぶと、その声帯を切り替えた。
つい先ほどまで可憐な声を放っていた少女の声は男のそれに変わる。
「それにしても女の口癖は面倒くさい。よ、とか、わ、とか、いちいち考えてしゃべらないといけないし」
その事象を見て、エレンは顔色を急変させた。
「計ったか! カイトめ!」
「その通りだよ、エレン先生!」
ハーモニアの姿をしていたカイトは一瞬で元の姿に戻る。
すると同時に、フィオナを抱きしめていたカイトがハーモニアへと変化する。
それを見たエレンは叫ぶ。
「《変化》の呪文か!?」
「当たりだ」
「っく、この僕がそんな初歩的な魔法を見逃すなんて」
「初歩の初歩ほど難しいんだよ。これは生徒たちにも言ったかな。それに初歩の初歩ほど極め甲斐がある。こうやって練習を重ねれば、一流の魔術師や狂信者もあざむけるようになる」
ただし、《変化》の魔法を極めるなどという地味な作業は、永遠の命を持つ千年賢者くらいしか試そうとは思わないだろうが。
平凡な魔術師はこの手の地味な呪文に執着するような時間はない。
普通の人間やエルフの命は短くも儚いのだ。
あるいはそういった心理的障壁が、今回の奇襲を成功させたのかもしれない。
この期に及んでこのような単純な詐術は用いてこないだろう。
そう思ってしまった瞬間、狂信者たちの敗北は決まってしまったのだ。
カイトはエレンが再びハーモニア奪回の命令を下すよりも先に行動に出ていた。
人質を手中に収めたと思い込み、気が緩んでいた彼の部下たちを、あざやかに倒す。
《加速》の魔法で彼らの後ろに回り込み、彼らの首筋に手を添える。
《睡眠》の魔法を直に送り込む。これならば魔術の使い手でもじっくり眠ってくれるはずだ。公都の護民官たちがやってくるまで彼らはぐっすり眠るはずである。
カイトはエレンの手下を倒す一方、フィオナとハーモニアの安全にも気を配った。
無論、あらかじめ、こう言う状況になったとき、即座に逃亡するようハーモニアには伝えてある。実際、ハーモニアはフィオナに耳打ちをし、逃亡のタイミングを伝えていたようだ。
二人はもう遙か前方に逃げていた。
そのまま森を突き抜ければ学院の施設がある。そこに逃げ込む手はずになっていた。
完璧な作戦であった。
それはこの誘拐劇の実行犯の首魁、エレンも認めてくれたようだ。
彼は娘たちを追うことを諦めたようだ。
「まったく、よくやってくれましたよ、カイト先生」
と、なかば諦めたような。あるいは悟ったような瞳でカイトを見つめてきた。
「ちなみになぜ、僕たちがここに集結すると分かったのですか?」
エレンはそう問うてきた。
答える義務はなかったが、正直に答える。
「山勘だな」
「勘ですか。つまり、僕は勘に負けたのか」
「勘を馬鹿にするものじゃない。理論と経験に裏打ちされた結論だよ」
そう言うとカイトは続ける。
「エレン先生は名うての水精霊の使い手という話は聞いていた。ならばこの人造湖に目を付けるんじゃないかって結論になるのは当然だろう」
「なるほど、論理的だ。ちなみにどうして僕が内通者だと分かったのですか?」
「それは初めて合ったときだな。お前は一年生全員のリストを持っていた。自分の担当生徒でない生徒のリストを持っているのは不自然だったからな」
「……やはりあれは不自然すぎましたか」
「ああ、しかも、ハーモニアの覧だけ書き込みが多かった。彼女を疑っていたのは明白だ」
「しかも視力もよろしいようで」
「裸眼で地平線の先にいるワイバーンの雌雄を見分けられるよ」
カイトは大げさに言ったが、こうも付け加えた。
「――と、偉そうに言ったが、結局は全部当てずっぽうだよ。内通者がいるのならばお前の確率が高い、くらいにしか思っていなかった。実際、お前だったから良かったけど」
もしもまったく見当が違っていたら、フィオナはいまだ虜囚の憂き目に遭っていた可能性もある。そう考えれば自分の功績をただ誇っているわけにはいかなかった。
「ちなみに生徒思いのエレン先生がなぜこのような真似に出たか。その答えはまったく分からない。一応、俺が勝ったのだから、その辺の子細を教えて貰えると助かるんだが」
カイトがそう言うと、エレンは自嘲気味に笑った。
「それはできませんね。一応、僕にも血盟師団のメンバーとしての誇りがある。仲間を売るわけにはいかない」
それに、とエレンは付け加える。
「このゲームたしかに勝ったのはカイト先生ですが、僕はゲームには負けましたが、勝負には負けるつもりはありません」
エレンはそう言うと己の身体に魔力をまとわせる。
その身体が青白く輝く。
「戦う気か?」
「それ以外に見えるのなら、僕の殺意が足りないのでしょうね」
「あの優しいエレン先生が人殺しをするのか?」
「僕が優しい? どこがでしょうか?」
「ゴーレムの思考回路を弄ったのはお前だろう? 明らかに生徒は攻撃しないように仕組まれていた」
「…………」
エレンは沈黙によって答える。
「普段、精霊魔法を教えている生徒の顔が浮かんだんじゃないのか? だからあんなプログラムを組んだ」
「……当たらずも遠からず、かもしれませんね」
「だろう? ならば話し合いの余地があるんじゃないか、俺たちの間には」
「余地はあるのかもしれません。しかし、時間がない」
「というと?」
「その答えもお教えするわけには。もしも聞きたければ勝負に勝ってからにして頂きたい」
「その言葉、忘れるなよ」
カイトがそう言い終えると、勝負は始まった。




