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翔ぶがごとく

 自宅に帰ると、血相を変えたメイドが俺の服の袖を引っ張った。

 彼女は俺を浴室にある大鏡の前に連れて行くと、そこに書かれた文字を読ませた。



『学院内に裏切り者がいる。注意されたし』



 クロエは、

「お風呂場を掃除していたら急に現れたんです」

 と、説明した。


 無論、すぐにその文字が誰が送ったものであるか気付く。


 文体に特徴があったし、鏡文字に口紅を用いるなどという小洒落たことをする魔女の存在など限られる。


 俺は一度、クロエに渡したローブを再び受取ると、そのまま学院に向かった。

 《飛翔》の魔法を用いる。

 1分でも早く学院に戻りたかったからだ。

 最大速度で学院に向かう途中、俺はことの事態を整理する。


「学院に裏切り者がいる」


 と、師匠は俺に伝えた。


 つまり、敵は外部から学院の警備網を突破するのではなく、内部から手引きをする、ということだ。


 あの学院の警備は完璧だ、と師匠は自慢していたが、それは外部からの攻撃にしか過ぎない。学院に協力者がいるのならば話は別だ。


 簡単に、とまでは言わないが、狂信者どもを手引きし、小娘を一人さらうくらい、余裕でやってのけるだろう。


 実際、彼らはそれを容易に実行したようだ。 

 カイトが学院に戻ると、学内は騒然となっていた。

 遠目からすでに異常だと分かる。至る所から煙が上がっていた。

 護衛用のゴーレムが暴れまくっていた。


「潜入工作員が指令言語(プログラム)を弄ったのか」


 学院には泥で作られた古典的なゴーレムが護衛代わりに設置されているが、彼らが暴走し、学院の施設を破壊していた。


 ただ、幸いというか、有り難いというか、ゴーレムは生徒を襲うようなことはなく、単に破壊活動に終始していた。


 奇妙な話であるが、工作員は慈悲深い性格のようだ。

 ただ、それも潜入工作員だけのようだ。

 外部からやってきた狂信者どもは、人間の警備兵を容赦なく攻撃していた。

 正門付近で繰り広げられている戦闘は苛烈を極めていた。

 中には血を流し、倒れ込んでいる警備兵もいたが、断腸の思いで彼らを無視する。

 狂信者の目的は分かっていた。


 ここまで大胆に襲撃をするということは、すでにハーモニアが魔族の血を引くものだとばれているのだろう。


 ならば敵の目的は定まっているはず。

 そこへ向かえばハーモニアを救うこともできるし、敵の目的も阻害できる。

 ハーモニアの暗殺を目的にしているのか。


 あるいは魔族の子孫としての希少性に目を付けているのかは知らないが、ともかく、闇雲に敵を倒すよりも効率的なことだけはたしかだった。


 俺は彼女に持たせている魔法石をイメージする。


 特殊な魔法石で、魔力を込め、持ち主の顔を脳内で描くと、持ち主の場所が分かるものだ。その誤差は数十メートルといったところで、ほぼ完璧に相手の居場所を把握できる。


 俺はハーモニアの現在位置を確認すると、彼女のもとへ飛んだ。

 文字通り空を駆けるかのように――。





 ハーモニアは学院の中庭にいた。

 幸いなことに周囲には狂信者どもはいなかった。 

 彼女には傷ひとつなかった。

 ただし、彼女は泣いていた。

 最悪の予感が脳裏をよぎる。

 俺は泣きじゃくる彼女の両肩を掴むと、できる限り優しい口調でこう言った。


「俺は今、泣きじゃくる女の子を慰める余裕を持たない。甲斐性なしなことこの上ないが、耐えてくれ。そして俺に教えてくれ。娘は今、どこにいるんだ?」


 ハーモニアの隣に控えていただろう金髪の少女の居場所を尋ねた。


 ハーモニアは涙で目を腫らし、苦痛に満ちた嗚咽を漏らしていたが、できる限り冷静さを宿し、俺の質問に答えてくれた。


「先生、ごめんなさい。フィオナが私の身代わりになって連れて行かれちゃったの」


 短い言葉だが、それで事情は察することができた。

 娘はおそらく、ハーモニアを補足した狂信者にこう言ったのだろう。


「わたしがハーモニアよ! その子は関係ないから離してあげて」

 と――。


 娘らしい台詞と行動であったが、感心はしない。


 逆に叱りつけたいくらいだったが、それでも俺は冷静になった。頭に血を上らせれば敵の思うつぼだったからだ。


「フィオナは無事なんだな? 誘拐されただけなんだな?」


 ハーモニアに尋ねると彼女はうなずく。


「たぶん……、怖い人たちだったけど、フィオナのことは丁寧に扱っていたから……」


「ならばやつらの目的は誘拐か」


「私を誘拐するつもりだったの? どうして?」


「さてね、それは知らない」


 白を切ると、俺はハーモニアに尋ねた。


「遠からず敵は君と娘を間違えたことに気がつくだろう。問題はそのときだ」


「逆上する?」


「いや、ここまで周到にことを運ぶ連中だ。そうはならない、と思う」


 ただ、と付け加える。


「逆にそれが怖い。おそらくだが、娘を人質にして君との交換を持ちかけてくるだろう」


「私と交換……」


 ハーモニアは声をひそませる。


「すまないが、そのとき、その交渉を断る勇気は俺にはない。狂信者たちに屈するだろう」


「ううん、いいの。先生、屈してください。フィオナは震えるだけの私に代わって自分を犠牲にしてくれたわ。今度は私が彼女を助ける番。ううん、違う。本来は私がさらわれる予定だったんだから、元に戻るだけ。先生は気にしないで」


 彼女は決意に満ちた瞳でそう言い切った。

 そんな健気な姿を見ていると俺も決意せざるを得なかった。


(まったく、我が娘の親友は我が娘にそっくりだな)


 その気高いところも、その慈愛に満ちた瞳も。

 それを感じ取ってしまった俺は、冷徹に徹することはできないであろう。

 ならば答えは決まっていた。

 冷徹な決断を下さなければならない状況になる前に、事件を収束させるのだ。

 それしか手はなかった。


 つまり、この場で、『血盟師団』を名乗る狂信者どもを壊滅させ、我が娘フィオナを奪還するのである。


 俺はシャツの袖をまくり上げると、不敵に微笑んだ。


「さあて、かつては帝国軍最強の魔術師といわれ、大賢者にもなれると謳われた男の実力を見せてやるか」


 ハーモニアには聞こえないようにつぶやいたが、数秒後、さっそくその機会が訪れた。

 暴走したゴーレムがこちらに向かってきたのだ。


「きゃあッ」


 と悲鳴を上げるハーモニアの前に一歩出ると、無詠唱で魔法を飛ばした。

 俺の放った《粉砕》の魔法で粉々に砕かれるゴーレム。

 泥が土に還元し、煙を上げる。


「す、すごい……」


 ハーモニアはそう漏らすが、こんなのはまだ序の口であった。


 もしも娘の身体に毛先の一本ほどの傷でもあったのならば、狂信者どもは痛覚を持って生まれたことを後悔することになるだろう。


 それくらい今、俺は怒っていた。

 それくらい魔力が高ぶっていた。

 今の俺ならば神さえ殺せる。それくらいの気迫がみなぎっていた。

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