初授業
フィオナが入学し、保守派の代表であるマッキャオに『自主的』に退職して貰った。
これで憂いもなくなり、娘の教育環境が整ったと思ったのもつかの間、人生はそれほど甘くなかった。
学院の教員室へおもむくと、そこでとあるリストを貰ったのだ。
眼鏡を掛けた女性、エレンは説明する。
「カイト先生。これが貴方の受け持つクラスの名簿です」
エレンと呼ばれている講師は、名簿を俺に渡すとそう言った。
「俺がクラスを受け持つのですか?」
眼鏡がとても似合う黒髪の女性は、冷然と答える。
「ええ、そうなりますね」
「俺は教師歴のない魔術師ですが」
「そうですね。そのような方は、まずクラスの副担任をするか、特別な学科の専任教師になって貰うのですが」
「ですよね。ありえない処置だ」
こんなのは俺が在学していた時代もありえなかった。
さらにいえば、何百年か前に一度だけ師匠の代理で臨時講師をやったときもありえなかった。
「これは誰の指示なのですか?」
思わず尋ねてしまったが、彼女は自身の眼鏡に軽く手を添えると、正直に答えてくれた。
「これは学院長である賢者カリーニン様の指示です」
「なるほど、あの白髭のじいさんか……」
ぼつり、と漏らす。
最初は保守派の教師陣の嫌がらせかと思ったが、ならば安心である。
いきなり俺に無茶難題を振っておいて、退職に追い込む腹かと思ったが、そうではないようだ。
純粋に俺を気遣ってくれているらしい。
それは察することができた。
なぜならば手渡されたリストにとある少女の名前が記載されていたからである。
保守派の教師が担任にならないように、気を遣ってくれたのだろうか。
あるいは以前、師匠が冗談交じりに言っていた言葉を実戦しているだけかもしれない。
「お前は娘を持ったことによって変わったが、まだその変化が身を結んではいない。学院で未熟な生徒を受け持つことによって、彼らを成長させることによって、お前自身も変われるかもしれない。無論、良い方向に」
有り難くも迷惑な配慮であるが、そうなると困ったことがひとつだけできる。
俺はその困ったことを目の前の女性、エレンに相談することにした。
「ところで令嬢」
「お嬢さんではありません。僕は男ですよ」
「え、まじですか」
「本当です。僕はハーフエルフなんですよ。貴方より年上のはずです」
「いや、あまりにも美しいので誤解してしまいました」
見ればたしかにどことなく男性ぽい印象を受ける。
でも、それは言われてみればで、黙っていればちょっとボーイッシュな女の子にしか見えなかった。
それに彼女、いや、彼か。彼はエルフ族でも珍しい黒髪黒目だった。
耳もあまり尖っておらず、エルフ族らしい特徴はあまりない。
ゆえに人間の女性だと勘違いしてしまったと弁明しておく。
「気にしないでください。よく間違われますから。あと、年も離れていますが、気軽にお声がけを」
「……それは助かります」
彼がエルフだろうが、ハーフエルフだろうが、俺の年齢の方が確実に上なのはたしかだろう。だが、あえてそのことには触れない。
身分はもちろん、千年賢者であることも隠さなければならないのが、今の俺の立場であった。
「話は戻しますがエレンさん。俺はなんの経験もない一介の魔術師なのですが、いったい、どうやってクラスを受け持てばいいのでしょうか?」
「安心してください。わたしが副担任としてサポートしますから」
「それは助かる。できれば全部あなたにお任せしたいのですが」
「それは無理です。わたしの専門は精霊魔法ですからね。基礎魔法を教えたことはまだ一度もありません。……それにわたしは第三階級の魔術師ですから」
そう言うと彼は俺から目を背ける。
自分の階梯にコンプレックスがあるようだ。
この学院には先日こらしめたマッキャオのような教師も多いのだろう。
ただ、彼はマッキャオとは違い、階梯のコンプレックスを負の面ではなく、正の面でいかしているようだ。静かに、だが力強く説明してくれる。
「僕は第三階級ですが、それでも精霊魔法に関しては上位の階級の魔術師にも負けません。今は精霊魔法専門の臨時講師としてこの学院に籍を置いていますが、いつかは常勤の講師か教師、最終的には教授職も狙っていますよ」
と宣言する。
「なるほど、立派な志をお持ちのようですね」
「ええ、教職は昔からの夢ですからね」
「ずいぶん熱心ですね。早く自分の担任のクラスを持ちたくて仕方ないように見える」
どうしてそれを?
とエレンは驚いたような顔をする。
「いや、うちのクラスだけでなく、1回生全部のクラスのリストをお持ちのようですから」
と俺は指摘する。
見ればたしかに彼は学院のリストを全部所持していた。
それも生徒一人一人を分析し、丁寧に赤線などを引いてある。
「熱心な講師ぶりだ」
正直に褒める。
俺が褒めると彼は、少しばつが悪そうにリストを隠す。
「隠すことではないと思いますが。熱心だと思いますよ。講師が教えるような専門授業が始まるのは3回生からだ。なのに1回生のウチから生徒の適正をチェックするだなんて俺にはできません」
「……まあ、早く階級を上げて正式な教師になりたいものですから」
彼はそう言うと、こう結んだ。
「それではクラスに向かいましょうか」
彼はそう言い歩き出し、先導をしてくれる。
その背中を見送りながら、俺は軽くため息をつく。
「やれやれ、俺とは正反対の先生だな」
そんなふうに思いながら、自分の受け持つクラスへと向かった。
教室におもむくと行動に出た。
こういうのは最初が肝心なのだ。
そう思った俺は、生徒と同僚の期待に添うべく、黒板に大きく文字を書いた。
『一時限目はエレン先生による精霊魔講座です』
その文字を見た生徒たちは、精神的によろめいたようだ。
エレンも目をぱちくりとさせている。
「新人教師はどのような人物なのだろうか」
「第四階級で正式な教師となったからにはきっと特別な教師に違いない」
「あの鮮血の魔女の紹介で教師になった人物らしい。きっととんでもない魔術師なのだ」
そんな噂が駆け巡っていたようで、ある意味、俺の初日の授業はそれなりに期待されていたようだ。
その黒板の文字を見た一人の生徒が批難めいた声を上げる。
「先生、いったいどういうことですか!? 就任初日、それも最初の授業からいきなり精霊魔法だなんて聞いたことがありません! 精霊魔法は必修科目ではないですし、精霊力を生まれ持った人間しか扱えないのですが」
可愛らしい女生徒だった。
年の頃は12~3、フィオナと同じ年頃だろうか。
もしくはもう1~2歳上かもしれない。
魔術学院に就学年齢はなく、早ければ10歳、遅くても18歳まで入学できる。
最初の1~3年は基礎教養を学ぶため、クラス単位で活動するが、その後は大学のように任意の授業を選び、単位を取得していく方式となる。
だから一回生は基本的にクラス担任制となる。
つまり、俺は彼女たちと3年間は一緒なわけだ。
「そもそも、先生はわたしたちに挨拶さえしないじゃないですか。わたしたちは先生の名前も経歴も知りません。まずは自己紹介するのが筋ではないでしょうか?」
自然と波打った長髪を持つ女生徒はそう主張する。
彼女名はハーモニアというらしい。自分でそう紹介してくれた。
俺よりも遙かに礼儀正しい女生徒だ。
彼女の提案と態度に見習い、自己紹介をする。
「ああ、そうだったな。一時限目はエレン先生任せるにしても、自己紹介くらいしないとな」
「ですよね、一時限目は自己紹介が普通ですよね」
彼女はほっと一息ついているようだ。
「ええと、俺の名はカイト、とある小国の魔術学院を首席にはほど遠い成績で卒業し、その後、働きもせず実験に生涯を捧げていた男だ。以上」
「い、以上ってそれだけですか?」
ようやくまともな会話が成立したと思い込んでいたハーモニアは驚愕する。
「うん、以上だ。他に紹介することはない。なにかあれば質問に答えるが」
そ、それじゃあ、とハーモニアは質問をしてくる。
「とある小国の魔術学院とはどこですか?」
「忘れた」
一言で切り捨てる。
「わ、忘れるものなんですか!?」
「忘れるものなんだよ」
実際、俺の作り上げた経歴は、師匠がでっち上げたものだ。子細までは覚えていない。
「教員室にいけば、経歴くらい閲覧できると思うので、興味がある人間はそっちを参照してくれ」
「それじゃあ、その後働きもせずに魔術の実験をしていたそうですが、なにか功績でもあげたのでしょうか? そのお年で第四階級になるには、なにか輝かしい業績があるはずですが」
その問いにも俺はきっぱり答える。
「そんなものはない」
「「ええー!」」
と、驚きの声に包まれるクラス。
あまりにも正直すぎる答えに、生徒たちは開いた口もふさがらないという顔をしている。
本当は千年も生きた賢者で数々の輝かしい研究成果を残しているが、今は身分を偽る身、馬鹿正直に自慢することはないだろう。
「まあ、最低限の研究成果をあげたが、基本的に鮮血の魔女イリス・シーモアのコネでこの階級になって、この学院の教師になったと思って貰って構わない」
「ぶっちゃけすぎませんか?」
とある生徒が恐る恐る尋ねてきたが、俺は堂々と返す。
俺は身をもって彼らに大人の事情というか、社会の現状を紹介する。
「学校を卒業するまでは、学力や魔術の才が必要とされるが、卒業してしまえばあとはコネだよ。勉強も大切だが、学生時代にコネを持つことも大切にしなさい」
事実であった。本当の自分は魔術学校を首席で卒業し、とある『機関』に就職したが、そこでは魔術学院で習ったことはあまり役に立たなかった。
その後、その機関を辞めたあと、錬金術の道を選んだが、そこで役に立つのはコネクションであった。
研究の世界は、学閥や派閥がはびこっており、師匠以外のコネがない俺は四苦八苦したものだ。
それに嫌気がさし、山奥に引き籠もって一人で研究に明け暮れていたのが、娘と出会う前までの俺だった。
「――だから、まあ、君らもこの学院にいる間くらい、自由で楽しい学院生活を送って貰いたい。それが俺の希望だ」
そう言うと、俺は以上、と、椅子に座り、持ってきた錬金術関連の本を開いた。
生徒たちは、その姿と行動に納得しがたい、といった顔をしているようだが、彼女たちは俺の指示に従ってくれた。
各自、エレンの講義を聴いている。
ただし、当のエレンも困惑しているようだ。いきなり、授業を任された上に、まさか俺がこのようにやる気がないとは想定していなかったのだろう。
ほとんどの生徒たちは呆れていたが、一人だけ目を輝かせている女生徒がいる。
愛娘のフィオナだ。
彼女は、メイドのクロエ曰く、
「フィオナ様はあるじ様のことを心底尊敬していますからね。その欠点を美点に変換してしまうくらい」
というくらい俺のことを信頼してくれていた。
クロエ曰く、
その怠惰な性格は、ゆったりとしていて物事に動じない寛容な父親に、
その研究馬鹿なところは、ひとつの物事に集中できる情熱的な父親に、
その引き籠もりなところは、孤高を愛する物静かな父親に、
とポジティブに変換してくれるらしい。
ともかく、フィオナは『2時限目』も授業を放棄した破天荒な父親教師に尊敬のまなざしを向けてくれた。
星屑のような形に目を輝かせている。
「うちのお父さんは授業中も研究に励むすごい先生だ。さすがはお父さん」
そんな表情で終始俺を見つめてくれた。
無論、そんな深慮遠謀があるわけではなく、真っ当な魔術学院の教師の授業内容など見当も付かないだけなのだが、俺はそれで満足していた。
そもそも俺を教師などにする師匠が悪い。
さらにいえば、専任教師にし、クラスを受け持たせるカリーニンという学院長も悪い。
このままボイコットを続けていけば、その噂が彼らの耳に入り、俺をもっと楽な役目に異動してくれるだろう。
たとえば、生徒を受け持つ必要がない『賢者の石』を研究する専門の教授職にしてくれるかも。
あり得ない未来かもしれないが、そんな期待がないかといえば嘘になる。
娘のために研究馬鹿は卒業したが、それでも魔術の研究に未練があるのが俺の偽らざる気持ちであった。
 




